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60.よりエロティック

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 くちびる越しに歯と歯がぶつかって智奈は呻く。すると京吾は舌先でくちびるを撫で、少し口を浮かすと今度は真逆にふわりと口づけて、許しを請うようにやわらかく吸いついてから離れていった。
 智奈は無意識に閉じていた瞼を開ける。京吾は目を伏せていて、睫毛の隙間から覗く瞳は悩ましげだ。文字どおり悩んでいるのか、誘惑しているのか。
 首をかしげたとき、隣のレーンで泳ぐ人がちょうど近くで水を掻き、しぶきがあがって水面が揺れる。智奈は公衆の場にいることを思いだした。
「京吾、人前! ホテルの人たちいるんだし、評判が落ちちゃう」
 智奈はハッとしながら声を潜めつつ、京吾を咎めた。
 ロビーでもそうだったけれど、日本文化にはあるまじき行為を京吾は平気でやってのける。智奈が諌めたところで、反省も羞恥心も見られない。
「従業員はおれがいいかげんに経営していないことは知ってる。キスくらい、なんだ? 猥褻行為には当たらないだろう。けど」
 京吾は中途半端に言葉を切り、智奈の腰に腕をまわしてぐっと引き寄せた。下腹部に京吾の中心が押しつけられ、オスの証しが触感として確かにあった。
「京吾……」
「スイムサポーターを穿いてなかったら、とんでもない事態になってるかもな」
 京吾が何を云っているのか、考えたのは一瞬、智奈のくちびるはくっきりと弧を描いた。
「ほんとに?」
「わかるだろう?」
「恥ずかしくなった?」
「急いでプールに入るくらいには」
 智奈はくすくすと笑いだした。さっきの舌打ちや『とにかく』はそういうこと――自分の躰の反応への苛立ちとそれを隠ぺいするためだったのだ。
「懲らしめてやろうか」
 京吾はこれまでになく不気味に口を歪めた。笑っている表情ではない。嬲り尽くしてやろう、といわんばかりにいびつだ。
「待って! いつもやられてばかりだから、仕返ししてみたかっただけ。ほんとに京吾が恥ずかしくなるなんて思ってなかった」
「智奈、おれの気持ちを見縊ってるのか?」
 やはり気に入らないといった様子で云い、その言葉に戸惑っている智奈を見下ろして京吾は嘆息した。
「おれを不能にしたうえ、智奈に限ってはまるで色情狂サチリアージスだ。それくらい、おれに影響を与えてるってことを智奈は自覚するべきだ」
「そしたら……京吾のせいで無謀になるわたしとお相子みたいなものじゃない?」
 智奈が切り返すと、京吾はさらに目を伏せた。その視線の先にあるのは、ちょうど水面に見える胸の谷間だ。
「お相子って……おれのほうが圧倒的に不利な気がする」
「色情狂で何が不利? 京吾も気持ちよくなってる」
「いや、遠慮してる。できるなら、もっとめちゃくちゃにしたい」
 腰をくっつくけたまま思わず顔を引いた智奈が問うように首をかしげると、京吾は先回りして、例えば、と続け――
「連続でどれだけ抱いたら尽き果てるだろう、とか……」
 と、にやりとした。
「……京吾ってやっぱりチャレンジャー」
 限界を知らない京吾がもしも本当にチャレンジしてきたら、智奈はどうなるだろう。つい考えてしまった。年中発情期かと疑うくらい、ただでさえ力尽きることが多いのに、それを超えたら、脳が本当に蕩けて復活できないかもしれない。智奈はぷるっと肩をふるわせる。
「挑戦というよりは、おれは常に勝ちに行ってるけど」
 という不敵なセリフをさらりと云える人はそう多くない。それが、虚勢を張っているわけではないから、智奈はなおさら尊敬して憧れる。
「京吾といると安心する」
「それは、おれを信じてるってことだな?」
「名前だけしか知らなくても家に入れて泊めてあげられるくらいには信じてる」
 京吾は、はっ、と気が抜けたように笑う。そうして智奈から腕を放した。
「落ち着いた。智奈、ここにいて」
 京吾はレーンの真ん中に智奈を立たせると、持っていたゴーグルを額の生え際辺りに引っかけた。
「泳ぐ?」
「見たいんだろう? さっき急かしてた」
「ずっと見たかった。でもさっきのは……ほかの人に京吾を見せたくなかったから」
「はっ。そこはお相子だったらしいな」
「服を脱いでも完璧ってずるい」
「智奈にそう云われたら、これ以上になく本望だ。因みに、おれにとっても智奈は完璧だ。たとえ、風船を丸呑みしたみたいにおなかが膨らむことになっても」
 京吾はにやりとしたあと――
「ここから一歩も動くなよ、飛びこむから。シャチを期待してるみたいだし、それらしくちょっと変わった泳ぎ方をしてやる。いい?」
 京吾のサービス精神は満点だ。智奈は、「もちろん!」と子供っぽく大きくうなずいた。
 いったんプールから出た京吾は、智奈の一メートル先にある飛び込み台の後ろで軽くウォーミングアップをする。肩を軽く揺らし、その反動で胸筋が動く。
 家でトレーニングしている京吾を見てうっとりするけれど、ひょっとしたら、ベッドにいるときよりもスポーツをしているときのほうが、よりエロティックかもしれない。智奈がそんな不届きなことを思っているなか、京吾はゴーグルを装着したあと飛び込み台に上がった。
「絶対、動くなよ」
「わかってる!」
 智奈の背よりも高いところに立った京吾を見上げた。ゴールのほうへと遠くを見る京吾は、さながら神によって遣わされたメッセンジャーという雰囲気だ。
 京吾はバックプレートに左足をかけ、百メートル走のようなスタート態勢に入る。微調整をして、肩がぴくりと動いた直後、京吾は軽く智奈の頭上を越えた。
 智奈は真下から強靭でしなやかな躰を目で追う。わずかにくの字になって京吾は水中に入った。智奈には水しぶきもあまりかからないほど鮮やかで、何より躍動感がシャチのジャンプに匹敵する。『それなりに泳げる』どころではない。
 その証拠に、ターンをして戻ってきた京吾は智奈の少し手前で躰をくるりと反転させ、クロールから背泳ぎに変わったと思うと、器用なターンを見せた。クロールに戻ったあとの二往復めは、一往復めの躰を慣らすようなゆったりしたスピードから倍増しになった気がした。あっという間に戻ってきて、タッチして深く潜ったかと思うと、智奈の腿に腕が巻きついて躰がすかされる。
 悲鳴をあげた刹那、京吾は智奈の脚をすくったまま水中から顔を出す。同時に肩を抱いて智奈の躰を浮きあがらせた。智奈は思わず広い肩にしがみつく。
「どうだった?」
 そう訊ねる京吾は息もあがっていない。
 京吾がいるのだから溺れるわけはなく、京吾の悪戯で本能的に芽生えた危機感はすぐに消えた。智奈は腕を緩めて、ぴたりとくっついていたふたりの胸を離した。京吾もまた腕を離して智奈を立たせたあと、プールの縁に寄りかかるようにしながら肘を引っかけて向き合った。
 その身の熟しとそこから窺える余裕綽々といった姿を見ると、やっぱり抱きつきたくなってしまう。
「水族館でシャチを見てる気分になれた。あんまりきつくなさそう。いつもどれくらい泳ぐの?」
「往復二十回、千メートルってところだ」
「……よく時間があるね」
 智奈がぴんと来ないままそう云うと、京吾はふっと笑みを漏らす。
「ここに仕事で来たときついでに泳ぐけど、三十分くらいで充分。例えば、昼休みでもやれる程度だ」
 千メートルと聞いて驚いたけれど。三十分という、それくらいの隙間時間を休むのではなく躰を動かすことに使っているのだ、智奈はもっと驚いた。
「京吾って暇なことある? ……というか、暇にするの、苦手?」
 思わず訊ねてしまっていた。
「はっ。やりたいこと、やるべきことがあるなら、時間は作るべきだ。おれは暇が苦手っていうまえに暇がないから、暇という感覚がよくわからない。仕事しない時間を暇だとするなら、智奈と会って、おれはずいぶんと暇な時間を作って智奈とすごしてる。いまも」
 智奈は突飛な発言に呆気に取られ、それから京吾独特のあまりのらしさに笑いだした。
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