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58.限界を知らない挑戦者
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智奈と同じようにドアのほうを振り向いていた京吾が、すぐに正面に顔を戻したかと思うと舌打ちをした。
「よく来てくれた。座ってくれ」
京介がいの一番に応え、智奈と悦子の斜め前、上座の位置を手を向けて示した。
男性が歩み寄ってくるうちに智奈はそれがだれであるか把握した。立岡史郎、京吾の父親だ。
立岡はジャケットを脱いだスーツ姿で、椅子を引いてどっかりと腰をおろした。
京介のことを初見では初老だと思ったけれど、その風貌と佇まいから若々しく見えるだけで、実際は八十歳だ。比べて立岡は六十五歳という年相応の、政治家らしい威圧感を纏っている。
間近で立岡を見ると、悦子の繊細な美貌に立岡の猛々しさがいい按配でミックスされ、男っぽく完成された美貌が京吾に遺伝していることを実感した。
「こちらは智奈さん。京吾の……」
「今日はそろって何事ですか」
悦子が紹介しかけたのを京吾がさえぎった。故意にそうしていることはあからさまで、けれど、なぜ紹介を避けるのかまでは皆目わからない。
立岡は智奈からその奥にいる京吾に目を転じて、わずかに眉間にしわを寄せる。智奈からすると、それだけで充分威圧的に見え、自分に向けられたものではないのに気分的に身が縮む。
「久しぶりに会ったというのに。いつになったら普通に付き合いができる?」
立岡の声には智奈が思ったような憤りはなく、ただ嘆いているように聞こえた。親子としてありたいのにそうできていない。そんな落胆だろうか。京吾を振り返ると、やはり機嫌が悪そうだ。眼差しは剣呑として、四人のときよりも倍増しになっているかもしれない。
「そもそもが普通ではないので」
京吾、と京介がたしなめた声音で呼び、あとを続けた。
「まずは立岡に話すつもりだったが、偶然おまえたちがいた。この際、ちょうどいいと食事に招いた。大事な話がある」
「どういうことです?」
「私は次年度、グランド総研から完全に身を退く。京吾、おまえは役員から代表取締役兼CEOに昇進してもらう」
京介は、どうだ? といったふうに京吾から立岡へと順番に視線を合わせた。京吾は京介について“NO”という言葉を知らないと云っていた。そのとおり、窺うというよりは同意するしかないといった気配だ。
情報コンサルタント会社、グランド総研において、創業者である京介は会長として在籍中だが、実質、いまの社長はお飾りで実権を握るのは京介らしい。いわゆるワンマン経営だ。京介には娘一人しか子供はおらず、孫の京吾が唯一の血統だ。その京吾は後継したいと思っているはず。それが裏な側でなく、まず表な側のみの後継になるとしても、喜んでいるかと思いきや少しもそんな気配がない。
異論はない、と、立岡は京吾よりも早く了承し――
「もとより、私が口を出すことではありませんが。京吾、おまえとは協力してやっていきたい」
最後、京吾に顔を向けて問うようにわずかに首を傾けた。
「もちろん、やれと云われて引き下がるつもりはありませんが、お飾りでいるつもりもありませんよ? お二人からご教授をいただくことはあっても、退いたつもりがバックから指示が飛んでくるような、現社長の二の舞はごめんです」
京吾は好戦的に応じた。
三十歳という年齢は、学生からすると充分大人だけれど、社会からすると若輩だ。自信満々の野心家といえばそこまでだけれど、それよりは限界を知らない挑戦者だ。京吾は、人材業とホテル業というクリアな会社だけでも二つ運営している。そのうえ、コンサルティング業まで引き受けようとしている。
智奈はどちらかというと消極的だ。わかってはいたけれど、智奈からするとこの空間はまるで別次元で、いざこんなふうに目の当たりにすると、京吾と自分は対照的だということが浮き彫りになって、少し萎縮してしまう。
「私はおまえを信用している」
「そうなんですか?」
京吾は薄く笑って、京介の言葉をまともには受けとらなかった。一杯引っかけずにはいられない、とそんなふうに京吾はワイングラスを持って口に含む。
「おまえを信用していなかったことなどない。立岡も世代交代が近い。立岡の息子たちとうまくやっていけ。おまえにとっては兄……」
「待ってください」
京介が話すさなか京吾は鋭くさえぎり、同時に、持っていたワイングラスをテーブルに置いたかと思うとすっと放って滑らせた。排他するようなしぐさだ。出し抜けに席を立ち、智奈の腕を取って追従させる。
「ビジネスの話に彼女は同席させない」
「ビジネスって京吾、身内の……」
京吾は口を挟んだ悦子を見やり――
「彼女を巻きこんだら承知しない。この場に同座させたことすら後悔してる」
と、言葉どおり後悔を滲ませて首をひねる。
「だって、結婚するんでしょ。だったら……」
「結婚はしない」
驚いたのは悦子だけでなく、さすがに京介も何かしら動揺したように見えた。顎を引き、わずかに顔をしかめる。立岡は、智奈の妊娠を知らないせいか、驚きは見せず、ただ諦観した様子で首を横に振った。
とにかく、と京吾は面々を見渡して続けた。
「いまここにいる面子以上にビジネスが似合う場をおれは知らない。協力はしましょう。立岡さん、ご子息にそうお伝えください」
行こう、と京吾は智奈の腕に手を添えてドアに向かわせた。
ぴりぴりした京吾の波動は智奈も感じとれていて、クラブフロアから下におりてスイートルームに戻ってふたりきりになるまで黙って従った。
“海の底”に椅子があるのもなかなか粋だ。リビングに入って智奈はちょっと滑稽な気分になりながら、京吾と向き合った。
「……お料理、途中で終わってもったいなくなかった? 用意されてたら申し訳ない感じ。津田さんみたいに、美味しいものを食べてもらいたいと思って作る料理人さんだったら、きっとがっかりしてる」
智奈が云っている途中で、京吾はおどけたように軽くホールドアップした。
「わかった。こっちに持ってきてもらう。それでいい?」
京吾は“キョウゴ”に戻っている。智奈はほっとして大きくうなずいた。
「よく来てくれた。座ってくれ」
京介がいの一番に応え、智奈と悦子の斜め前、上座の位置を手を向けて示した。
男性が歩み寄ってくるうちに智奈はそれがだれであるか把握した。立岡史郎、京吾の父親だ。
立岡はジャケットを脱いだスーツ姿で、椅子を引いてどっかりと腰をおろした。
京介のことを初見では初老だと思ったけれど、その風貌と佇まいから若々しく見えるだけで、実際は八十歳だ。比べて立岡は六十五歳という年相応の、政治家らしい威圧感を纏っている。
間近で立岡を見ると、悦子の繊細な美貌に立岡の猛々しさがいい按配でミックスされ、男っぽく完成された美貌が京吾に遺伝していることを実感した。
「こちらは智奈さん。京吾の……」
「今日はそろって何事ですか」
悦子が紹介しかけたのを京吾がさえぎった。故意にそうしていることはあからさまで、けれど、なぜ紹介を避けるのかまでは皆目わからない。
立岡は智奈からその奥にいる京吾に目を転じて、わずかに眉間にしわを寄せる。智奈からすると、それだけで充分威圧的に見え、自分に向けられたものではないのに気分的に身が縮む。
「久しぶりに会ったというのに。いつになったら普通に付き合いができる?」
立岡の声には智奈が思ったような憤りはなく、ただ嘆いているように聞こえた。親子としてありたいのにそうできていない。そんな落胆だろうか。京吾を振り返ると、やはり機嫌が悪そうだ。眼差しは剣呑として、四人のときよりも倍増しになっているかもしれない。
「そもそもが普通ではないので」
京吾、と京介がたしなめた声音で呼び、あとを続けた。
「まずは立岡に話すつもりだったが、偶然おまえたちがいた。この際、ちょうどいいと食事に招いた。大事な話がある」
「どういうことです?」
「私は次年度、グランド総研から完全に身を退く。京吾、おまえは役員から代表取締役兼CEOに昇進してもらう」
京介は、どうだ? といったふうに京吾から立岡へと順番に視線を合わせた。京吾は京介について“NO”という言葉を知らないと云っていた。そのとおり、窺うというよりは同意するしかないといった気配だ。
情報コンサルタント会社、グランド総研において、創業者である京介は会長として在籍中だが、実質、いまの社長はお飾りで実権を握るのは京介らしい。いわゆるワンマン経営だ。京介には娘一人しか子供はおらず、孫の京吾が唯一の血統だ。その京吾は後継したいと思っているはず。それが裏な側でなく、まず表な側のみの後継になるとしても、喜んでいるかと思いきや少しもそんな気配がない。
異論はない、と、立岡は京吾よりも早く了承し――
「もとより、私が口を出すことではありませんが。京吾、おまえとは協力してやっていきたい」
最後、京吾に顔を向けて問うようにわずかに首を傾けた。
「もちろん、やれと云われて引き下がるつもりはありませんが、お飾りでいるつもりもありませんよ? お二人からご教授をいただくことはあっても、退いたつもりがバックから指示が飛んでくるような、現社長の二の舞はごめんです」
京吾は好戦的に応じた。
三十歳という年齢は、学生からすると充分大人だけれど、社会からすると若輩だ。自信満々の野心家といえばそこまでだけれど、それよりは限界を知らない挑戦者だ。京吾は、人材業とホテル業というクリアな会社だけでも二つ運営している。そのうえ、コンサルティング業まで引き受けようとしている。
智奈はどちらかというと消極的だ。わかってはいたけれど、智奈からするとこの空間はまるで別次元で、いざこんなふうに目の当たりにすると、京吾と自分は対照的だということが浮き彫りになって、少し萎縮してしまう。
「私はおまえを信用している」
「そうなんですか?」
京吾は薄く笑って、京介の言葉をまともには受けとらなかった。一杯引っかけずにはいられない、とそんなふうに京吾はワイングラスを持って口に含む。
「おまえを信用していなかったことなどない。立岡も世代交代が近い。立岡の息子たちとうまくやっていけ。おまえにとっては兄……」
「待ってください」
京介が話すさなか京吾は鋭くさえぎり、同時に、持っていたワイングラスをテーブルに置いたかと思うとすっと放って滑らせた。排他するようなしぐさだ。出し抜けに席を立ち、智奈の腕を取って追従させる。
「ビジネスの話に彼女は同席させない」
「ビジネスって京吾、身内の……」
京吾は口を挟んだ悦子を見やり――
「彼女を巻きこんだら承知しない。この場に同座させたことすら後悔してる」
と、言葉どおり後悔を滲ませて首をひねる。
「だって、結婚するんでしょ。だったら……」
「結婚はしない」
驚いたのは悦子だけでなく、さすがに京介も何かしら動揺したように見えた。顎を引き、わずかに顔をしかめる。立岡は、智奈の妊娠を知らないせいか、驚きは見せず、ただ諦観した様子で首を横に振った。
とにかく、と京吾は面々を見渡して続けた。
「いまここにいる面子以上にビジネスが似合う場をおれは知らない。協力はしましょう。立岡さん、ご子息にそうお伝えください」
行こう、と京吾は智奈の腕に手を添えてドアに向かわせた。
ぴりぴりした京吾の波動は智奈も感じとれていて、クラブフロアから下におりてスイートルームに戻ってふたりきりになるまで黙って従った。
“海の底”に椅子があるのもなかなか粋だ。リビングに入って智奈はちょっと滑稽な気分になりながら、京吾と向き合った。
「……お料理、途中で終わってもったいなくなかった? 用意されてたら申し訳ない感じ。津田さんみたいに、美味しいものを食べてもらいたいと思って作る料理人さんだったら、きっとがっかりしてる」
智奈が云っている途中で、京吾はおどけたように軽くホールドアップした。
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