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44.無敵のフェロモン

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 キョウゴは、智奈にいったん答えを求めながら自分の主張を押しつけたあと、智奈の膝の裏に片方の腕をくぐらせたかと思うと椅子から抱きあげた。
 急すぎる展開はめずらしくない。照れ隠しみたいなもので智奈は形だけの抵抗をすることもあるけれど、いまは素直にキョウゴの背中に手をまわして抱きついた。キョウゴがくっくっとこもった笑い声を立てる。伴い、大きな躰が小刻みに揺れて智奈を心地よく揺する。
 智奈を抱えたまま、キョウゴはリビングの隅にある階段を軽々と上がっていった。
 階下から見たとき、吹き抜けのリビングを中心に建物の形、コの字型に廊下があるのは見当がついていたけれど、いざ二階に上がってみると、ますます空間が広がって開放感に溢れている。
 ゆっくり眺めたい気もしたけれど、キョウゴはエントランス側とは反対側にさっさと向かっていった。その先にある壁沿いのスライドドアを器用に開け、なかに入って智奈をおろした。
「まずは軽くシャワーだ」
 ということは、洗面台のあるこの部屋はパウダールームを兼ねた脱衣室といったところだろうが、二人でも余裕がありすぎる。
「軽く?」
「智奈の匂いを石鹸で消すことないだろう?」
 本気で云っているのか、ただ急ぎたいのか、その後、智奈の家の二倍はありそうなバスルームで優雅にすごすこともできず、浴びたシャワーは烏の行水よりも早かったかもしれない。
 ぴったりサイズの紺のバスローブを羽織ったキョウゴに対して、智奈が借りた茶色いバスローブはぶかぶかだ。キョウゴに連れられて、入ってきた方向とは別の――三時の方向にあるスライドドアから脱衣室を出た。廊下みたいな短いスペースのなか、キョウゴについていきながら智奈はまたびっくりする。半ば呆気に取られて部屋の境目で立ち尽くし、だだっ広い部屋を見渡した。
 書斎、兼ベッドルームだろうが、机や書棚、アンティークな椅子付きのテーブルがあってもまったく窮屈に感じない。智奈の部屋はキョウゴにどう見えていただろう。
「会社もそうだったけど……キョウゴってほんとに広いところが好きなんだね?」
 訊ねる声には不安が滲んでいる。
「大丈夫だ。自分でも呆れてる」
 大丈夫、というのは智奈の不安を見抜いてのことか、そのあとキョウゴは本当に呆れた口ぶりで続けた。
「え、呆れてるって?」
「生まれた瞬間に刷り込みは始まってるってことだ。おれはホストを始めてしばらくして家を出た。それまでは祖父の家で育った。部屋数がやたらと多い西洋館だ。だから、広さと居心地の良さは比例するものだと思っていた。おれの住み処は確かに快適だ。けど、居心地がいいというのは違う。居心地をよくするには智奈が必要だ」
「でも、こんなに広いとはしゃぎたくなるのは子供っぽい?」
「はっ。最初はめずらしいからそうかもしれないけど、そのうち……」
 キョウゴは中途半端に言葉を切ると、せっかちにも智奈の躰をすくってベッドに運んだ。
 広い部屋だからだろう、小さく見えたベッドは智奈のベッドよりも倍以上はある。中央に寝転がされたとたん、キョウゴが智奈の躰を跨り、手を取られて十字架に磔にされたみたいに両腕を伸ばしても端には届かない。
 キョウゴは手を絡め、ふかふかの枕に沈んだ智奈の顔を捕らえ、ゆっくりと目を伏せていく。
「裸もいいけど、こういうチラ見せはずるいくらい煽られる」
 智奈は目を伏せて自分の躰を見下ろす。ガウンは羽織ってきただけで、いまは胸のふくらみが三分の一ほど見える程度にはだけている。胸のトップは隠れていて、下腹部もかろうじて覆われていた。
「キョウゴが勝手に煽られてる」
 智奈の言葉をにやりとして受けとめ、キョウゴはバスローブから智奈の手を抜きとった。そうして、躰を起こすと自分もバスローブのベルトを解いて、強靭な裸体を晒した。そのちょっとした動きについ見惚れていると、否応なくそこが目に付く。『煽られる』と云ったことを裏付けるのに充分なくらい、欲情を主張している。嘘でもお世辞でもなかった。
 ぱっとそこから目を逸らすように瞼を上げたのは恥ずかしさからくる習性だ。見られているキョウゴが堂々としているのに、見る側の智奈がなぜ恥ずかしいかといったら、触れてみたいという欲求の裏返しなのだ。そうしてもキョウゴが拒むとは思えないけれど、やっぱり勇気がいる。
 目を逸らした先でキョウゴの目と合い、可笑しそうにしているのを見ると、智奈の頭の中はお見通しというところだろうか。
 触れたい欲求はおさまらなくて、せめてと智奈は手を伸ばして、するとキョウゴが前のめりになってきて、その硬く隆起した胸に手のひらが触れた。力強い鼓動が少し速く感じるのは、キョウゴも気持ちが昂っているからだと思いたい。
 キョウゴはさらにかがんで智奈の頬を両手でくるみ、こめかみに口づける。しばらくじっとそのままで、まもなく顔を上げると。
「いい匂いだ。智奈の匂いだ」
 キョウゴは満ち足りたため息をつく。その口ぶりからすると、石鹸の香りを嫌がったのは本音だったようだ。
「わたしもキョウゴの匂いが好き」
 屋上のときはあんなに近づいたのに気づけなかったけれど、今日、目の前で堂貫からキョウゴに変わっていま、纏っている微香がキョウゴそのものだとわかるくらい好きだ。
 キョウゴはしたり顔で笑う。
「おれと智奈に敵う相性の良さはない」
「ほんと?」
「証明するときだ」
 キョウゴは嫌らしく口を歪めつつきっぱり宣言すると、顔を少し斜めに向けて智奈のくちびるに口づけた。ぺたっと吸盤のように智奈のくちびるを覆って、軽く吸いつきながら離れていく。智奈お気に入りのキスが何度かゆっくりと繰り返されると、軽いキスなのに早くものぼせていく。触れたいという欲求は常にあって、智奈はわずかに顎を上げると、ぺたりとくっついた瞬間にキョウゴがするように口をわずかに開いて吸いついた。
 ふたりのくちびるの間に隙間ができた直後、キョウゴは熱い吐息をこぼした。
「智奈、今日はこれ以上、おれを煽らないほうがいい。余裕がなくなると痛めつけてしまう」
 キョウゴは熱っぽく囁いた。
「“これ以上”って、何も煽ってない」
「確かに、存在だけで煽られてるからな。これからが思いやられる」
 キョウゴは含み笑ってあっさりと認める。覚悟しろ、と続けて云い放つと再び智奈のくちびるを襲った。
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