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42.地下に棲む悪人
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急に滲んだ視界を晴らすべく目もとへと手を上げた智奈よりも早く、キョウゴが智奈の頬を左右それぞれ手でくるんで親指の腹で涙を拭った。
「智奈はさみしがり屋ってだけじゃなく、泣き虫なんだな」
「人前では泣かない」
「おれはやっぱりシャチ?」
智奈は吹きだした。キョウゴには笑わされるし泣かされる。けれど、そのどっちも源はハッピーだ。
キョウゴはふっと笑うと同時に、ほっとしたように広い肩から力が抜けていくのが見て取れた。
「智奈を欺く形になって、ずっと後ろめたかった。そういう気持ちになるのははじめてで……」
言葉は尻切れとんぼになって、キョウゴは肩をすくめた。戸惑っていて、それをごまかすような気配だ。
いまキョウゴが云った、欺くとか後ろめたいとか、その言葉はあのランチタイムの屋上で“堂貫”も云っていた。そのすぐあと、キョウゴのことを話したとき顔を背けて怒って見えたけれどそんなことはなくて、例えばあのときも他人の振りをすることに後ろめたさを感じていたのかもしれない。
「でも、後ろめたさって良心から来るものだから……違う?」
「はっ……智奈は守りたいって思わせる天才だ。智奈に関しては違わない。智奈に限っては良心が働くらしい」
キョウゴは他人事のように云う。
智奈は首をかしげた。いまの会話からどうなって守りたいとキョウゴに思わせることになったのか、智奈にはさっぱりだ。
「……どうしてわたしに限るの?」
「云っただろう。嫌われたくないほど、だれにも渡したくないほど、智奈が好きだからだ」
「……ほかの人には違う?」
智奈が訊ねると、「告白したのに、スルーする気か?」とキョウゴはがっかりした声音で云ったけれど、わざとだというのは見え見えだ。キョウゴは大きく息をついて一度首を横に振るとあらためて、違う、と智奈の質問に答えた。
「おれは、大学のときにバイトでホストをやり始めて、それから間もなくしてもうひとつやり始めたことがある。UGエージェントだ」
「さっき云ってたGUの前の会社?」
「“前の会社”じゃない。いまも運営されている」
「……え? GUのグループ会社ってこと?」
「それも違う。まったく別だ。UGはUnderGroundの略。表に出てはならない、会社ではなく“組織”だ。人がやりたがらない仕事に、厄介な人間を送りこむ」
「人がやりたがらない仕事? 厄介な人間て……」
「やりたがらない仕事といえば、実験台――きれいな言葉で云えば治験者とか、特殊清掃とか、囮とか、有害物質を扱う現場とか、危険を伴う建設現場とか。厄介者は、訴えたところで大して罪にならないことをやる人間のことだ。例えばストーカーがそうだろう? 逮捕されても拘束は短いし、逮捕という事態になったときには手遅れになっている場合が多い。あとは、証拠をつかめない――つまり警察が動けず放置された犯罪者とか。そういう厄介者を引き受けて管理し、労働させる地下組織だ」
「……犯罪者って……危なくない?」
「野放しにしておくほうが危ない」
世間からするともっともだけれど。
「なんだか、人知れず戦うヒーローっぽい。でも、それで助かる人がいても、キョウゴが危険そう……」
「危険は承知のうえだ。ただ、そういう拠り所となれば自ずと存在価値は上がってコネクションは広がり、それなりの信任を受けてポストが確立される。延いては、組織が、あるいはおれが不在になっては困るものになったとき、危険度は下がる。周りが手出しを許さないから。だろう? ただし、云っとくけど、おれは正義の味方じゃない。ピンはねでかなりの報酬を得ている。犯罪者もどきとはいえ、徹底して管理下に置き、おれはそいつらの人生に干渉している。智奈にそこをつつかれると弱いけど、そいつらに対する後ろめたさはない」
智奈とは別世界の話だ。加えて、キョウゴはそれを大学生で始めている。自分の大学時代を思い返せば、友人たちとお喋りしたり出かけたり、のほほんとしたものだった。
「キョウゴは悪人?」
「合法じゃないことをやってるという意味では、間違いなくおれは悪人だ」
キョウゴ本人が認めたのに、智奈はぴんと来ない。その戸惑いは顔にも出ているのだろう、キョウゴはかすかに苦笑いを浮かべた。
「それも、おじいちゃんみたいな人になるため?」
「おれは祖父の力を利用する。けど、祖父の七光では終わらない。その証明がしたい気持ちもあって始めたことだ。まえに話しただろう。祖父の存在はおれにとってコンプレックスだ。なお且つ、駒という意味で武器になっている」
「お父さんのことも駒だって云ってたけど、やっぱりコンプレックスで武器ってこと?」
「そうだ。おれの父は立岡史郎、政治家だ。いまは与党、民治党の政調会長という地位にある。見たことも聞いたこともあるだろう?」
智奈は目を丸くして、こっくりとうなずいた。ニュース番組でも情報番組でもよく見かける、重鎮の政治家だ。よく見ると、彫りが深く、いい渋みが出てダンディなのに、強面な雰囲気が打ち消している。
「キョウゴって……お母さんの血のほうが濃いみたい」
智奈がつぶやくような感想に、キョウゴは短く声を上げて笑った。
「母似だとはよく云われる。父がだれか、知ってる奴はほぼいないから。おれの存在で、祖父は政治に強力なコネクションを得た。政界に干渉するための武器におれを使う。おれにとっても、おれ自身は武器だ。祖父に対しても父に対しても。戸籍上の繋がりはないけど、それよりも確かなDNAが証拠としておれに刻まれてる」
「なんだか……すごく重大なことを聞かされてる?」
難しくない話だけれど、複雑な話だ。おまけに、軽々しく人には話せない。智奈の問いは間抜けで、キョウゴは力が抜けたように笑った。
「祖父のことはともかく、父については、だれにも話したことのない話をした。それでも……」
と、少しためらったあと――
「智奈はいまも迷わず、おれにいてほしい? ついてくる覚悟ある?」
キョウゴは重ねて問いかけた。
「智奈はさみしがり屋ってだけじゃなく、泣き虫なんだな」
「人前では泣かない」
「おれはやっぱりシャチ?」
智奈は吹きだした。キョウゴには笑わされるし泣かされる。けれど、そのどっちも源はハッピーだ。
キョウゴはふっと笑うと同時に、ほっとしたように広い肩から力が抜けていくのが見て取れた。
「智奈を欺く形になって、ずっと後ろめたかった。そういう気持ちになるのははじめてで……」
言葉は尻切れとんぼになって、キョウゴは肩をすくめた。戸惑っていて、それをごまかすような気配だ。
いまキョウゴが云った、欺くとか後ろめたいとか、その言葉はあのランチタイムの屋上で“堂貫”も云っていた。そのすぐあと、キョウゴのことを話したとき顔を背けて怒って見えたけれどそんなことはなくて、例えばあのときも他人の振りをすることに後ろめたさを感じていたのかもしれない。
「でも、後ろめたさって良心から来るものだから……違う?」
「はっ……智奈は守りたいって思わせる天才だ。智奈に関しては違わない。智奈に限っては良心が働くらしい」
キョウゴは他人事のように云う。
智奈は首をかしげた。いまの会話からどうなって守りたいとキョウゴに思わせることになったのか、智奈にはさっぱりだ。
「……どうしてわたしに限るの?」
「云っただろう。嫌われたくないほど、だれにも渡したくないほど、智奈が好きだからだ」
「……ほかの人には違う?」
智奈が訊ねると、「告白したのに、スルーする気か?」とキョウゴはがっかりした声音で云ったけれど、わざとだというのは見え見えだ。キョウゴは大きく息をついて一度首を横に振るとあらためて、違う、と智奈の質問に答えた。
「おれは、大学のときにバイトでホストをやり始めて、それから間もなくしてもうひとつやり始めたことがある。UGエージェントだ」
「さっき云ってたGUの前の会社?」
「“前の会社”じゃない。いまも運営されている」
「……え? GUのグループ会社ってこと?」
「それも違う。まったく別だ。UGはUnderGroundの略。表に出てはならない、会社ではなく“組織”だ。人がやりたがらない仕事に、厄介な人間を送りこむ」
「人がやりたがらない仕事? 厄介な人間て……」
「やりたがらない仕事といえば、実験台――きれいな言葉で云えば治験者とか、特殊清掃とか、囮とか、有害物質を扱う現場とか、危険を伴う建設現場とか。厄介者は、訴えたところで大して罪にならないことをやる人間のことだ。例えばストーカーがそうだろう? 逮捕されても拘束は短いし、逮捕という事態になったときには手遅れになっている場合が多い。あとは、証拠をつかめない――つまり警察が動けず放置された犯罪者とか。そういう厄介者を引き受けて管理し、労働させる地下組織だ」
「……犯罪者って……危なくない?」
「野放しにしておくほうが危ない」
世間からするともっともだけれど。
「なんだか、人知れず戦うヒーローっぽい。でも、それで助かる人がいても、キョウゴが危険そう……」
「危険は承知のうえだ。ただ、そういう拠り所となれば自ずと存在価値は上がってコネクションは広がり、それなりの信任を受けてポストが確立される。延いては、組織が、あるいはおれが不在になっては困るものになったとき、危険度は下がる。周りが手出しを許さないから。だろう? ただし、云っとくけど、おれは正義の味方じゃない。ピンはねでかなりの報酬を得ている。犯罪者もどきとはいえ、徹底して管理下に置き、おれはそいつらの人生に干渉している。智奈にそこをつつかれると弱いけど、そいつらに対する後ろめたさはない」
智奈とは別世界の話だ。加えて、キョウゴはそれを大学生で始めている。自分の大学時代を思い返せば、友人たちとお喋りしたり出かけたり、のほほんとしたものだった。
「キョウゴは悪人?」
「合法じゃないことをやってるという意味では、間違いなくおれは悪人だ」
キョウゴ本人が認めたのに、智奈はぴんと来ない。その戸惑いは顔にも出ているのだろう、キョウゴはかすかに苦笑いを浮かべた。
「それも、おじいちゃんみたいな人になるため?」
「おれは祖父の力を利用する。けど、祖父の七光では終わらない。その証明がしたい気持ちもあって始めたことだ。まえに話しただろう。祖父の存在はおれにとってコンプレックスだ。なお且つ、駒という意味で武器になっている」
「お父さんのことも駒だって云ってたけど、やっぱりコンプレックスで武器ってこと?」
「そうだ。おれの父は立岡史郎、政治家だ。いまは与党、民治党の政調会長という地位にある。見たことも聞いたこともあるだろう?」
智奈は目を丸くして、こっくりとうなずいた。ニュース番組でも情報番組でもよく見かける、重鎮の政治家だ。よく見ると、彫りが深く、いい渋みが出てダンディなのに、強面な雰囲気が打ち消している。
「キョウゴって……お母さんの血のほうが濃いみたい」
智奈がつぶやくような感想に、キョウゴは短く声を上げて笑った。
「母似だとはよく云われる。父がだれか、知ってる奴はほぼいないから。おれの存在で、祖父は政治に強力なコネクションを得た。政界に干渉するための武器におれを使う。おれにとっても、おれ自身は武器だ。祖父に対しても父に対しても。戸籍上の繋がりはないけど、それよりも確かなDNAが証拠としておれに刻まれてる」
「なんだか……すごく重大なことを聞かされてる?」
難しくない話だけれど、複雑な話だ。おまけに、軽々しく人には話せない。智奈の問いは間抜けで、キョウゴは力が抜けたように笑った。
「祖父のことはともかく、父については、だれにも話したことのない話をした。それでも……」
と、少しためらったあと――
「智奈はいまも迷わず、おれにいてほしい? ついてくる覚悟ある?」
キョウゴは重ねて問いかけた。
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