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40.作り替えられた人生
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父が智奈に女性を紹介しなかったということ以前に、女性と付き合っていることを打ち明けなければ名前をほのめかしたことすらなかった。聞いていたら忘れるわけがないし、会社が買収されたとき堂貫というめずらしい名を聞いただけで思いだすだろう。
ひょっとしたら、お母さんはどんな方ですか、などと堂貫に探りを入れていたかもしれない。
父と一緒にいた女性がキョウゴの母親で、そしていま、智奈が息子のキョウゴと一緒にいることは偶然――のはずがない。
「キョウゴはわたしのお父さんを知ってたの?」
「ああ、知ってる。ただし、おれの母と智奈のお父さんは、智奈が思っているような関係じゃなかった」
「……え?」
「愛人関係じゃない。母はお父さんに協力してもらってたんだ」
「愛人じゃない? 協力って、なんの?」
智奈は混乱したまま問いを重ね、するとキョウゴは、落ち着いて、とワインを勧めた。智奈はワインを一口飲んで、大丈夫、とうなずくと、キョウゴはふっと吐息まがいの笑みを漏らす。そうして、かすかにうなずいてから口を開いた。
「おれの本名は堂貫京吾だ。GUを起ちあげる前の大本の“UGエージェント”の絡みで、GUでは漢字は同じまま通称“ケイゴ”で通してる。その理由はまたあとで話す。“立岡”というのは、今回、智奈に限って使った。おれの父のファミリーネームだ。母が愛人だというのはそのとおりだ。その長年の不倫相手、立岡は、世間に知られてはまずい立場にいる」
「まずい立場って……有名な人?」
「そうだ。不倫関係が嗅ぎつけられたんだ。マスコミの口は、祖父のひと声で簡単に封じられるけど、いまはネット社会だ、事実だろうと嘘だろうと情報は簡単に拡散できる。だから、母の不倫相手は別の人間だという証拠をつくってごまかす必要があった。立岡のダミーとして白羽の矢が立てられたのが、智奈のお父さんだった。つまり、智奈が見たシーンは偽装だ」
そうなの……、と云いながらも、父に愛人がいること、それは智奈がずっと思いこんでいたことだ、理解するには時間が要る。
「やっぱりわたし、思いこみが激しいみたい」
「すぐに覆る。お父さんに本物の愛人はいなかった。それはおれが保証する。智奈のお母さんには胸を張って、お父さんに女性はいなかったと云えばいい。もし訊かれることがあったら」
キョウゴはおどけた素振りで肩をすくめた。
「でも、どうしてお父さんだったの? お父さんは、もともと立岡さんかお母さんの知り合いだったってこと?」
「お父さんには弱みがあった。わかってるだろう?」
「……借金のこと?」
キョウゴはうなずいて、今度はワインを勧めるのではなく自分のグラスを持ち、癖なのだろう、軽くスワリングすると口に含んだ。無意識にグラスをまわしたとしたら、何かが気にかかっているということだ。
「キョウゴ、気を遣わなくていいよ。事実を知るほうがきっと不安じゃない」
智奈の言葉にキョウゴは苦笑いをした。
「いつからおれの気持ちが読めるようになったんだ?」
キョウゴはからかうけれど、照れ隠しのようなものかもしれない。
「たまにしかわからない」
「おれはだれよりも智奈をわかりたいと思ってる」
「わたしは何も隠してないから」
「そうしてくれ」
他愛ない閑話は潤滑油みたいなものか。けれど、聞き流すにはもったいない言葉だ。智奈の笑顔を見て、キョウゴは微笑を返す。
「智奈のお父さんが借金で脅されてフロント企業に関わり始めた頃、それが祖父の情報網に引っかかった。ちょうど同じ時期、母と立岡の関係が突きとめられそうになっていた。祖父は、お父さんに家族の――つまり、智奈とお母さんの身の安全を保証すると申し出た。条件が、母の不倫相手を演じることだ。幸い、お父さんと母は同い年だ。学生時代に付き合って破局、母はその後、また別の恋愛をしておれを産んだ。それから二十年後に再会して、恋が再燃。妻とは借金を理由に不仲だったお父さんは、別居したものの離婚で揉めている。従って不倫のまま関係が続いている。そういう筋書きだ」
智奈はただただ驚く。思わず躰を引いてしまうと、べつに逃げようとしたわけでも椅子から落ちるわけでもないのに、キョウゴが智奈の手を取って引きとめた。
「怖がらないでくれ」
それは切実に聞こえる。
「でも……ちょっと怖いかも。人生って簡単にだれかの……キョウゴのおじいちゃんの考えだけで、その人の歴史を作り替えられるってことでしょ?」
智奈が云うと、キョウゴはふと視線を横に逸らした。単にそうしたのではなく、故意に目を逸らしたように見える。
「確かに人の人生への干渉だ」
キョウゴはそう云って、思考を振り払うためか整理するためか、首を横に振って続けた。
「最初の日、おれが云ったことを――。一見真っ当なクリアな世界であろうと、極めてグレーな上に成り立っている。そう云ったことを憶えてる? 人の人生への干渉はそのグレーゾーンだ」
それは、フィクサーという祖父のやり方をキョウゴが認めているように聞こえた。
「キョウゴはおじいちゃんのこと、嫌いなのかと思ってた。でも違う?」
「嫌いだ。けど、目標でもある」
キョウゴはきっぱり云いきった。
ひょっとしたら、お母さんはどんな方ですか、などと堂貫に探りを入れていたかもしれない。
父と一緒にいた女性がキョウゴの母親で、そしていま、智奈が息子のキョウゴと一緒にいることは偶然――のはずがない。
「キョウゴはわたしのお父さんを知ってたの?」
「ああ、知ってる。ただし、おれの母と智奈のお父さんは、智奈が思っているような関係じゃなかった」
「……え?」
「愛人関係じゃない。母はお父さんに協力してもらってたんだ」
「愛人じゃない? 協力って、なんの?」
智奈は混乱したまま問いを重ね、するとキョウゴは、落ち着いて、とワインを勧めた。智奈はワインを一口飲んで、大丈夫、とうなずくと、キョウゴはふっと吐息まがいの笑みを漏らす。そうして、かすかにうなずいてから口を開いた。
「おれの本名は堂貫京吾だ。GUを起ちあげる前の大本の“UGエージェント”の絡みで、GUでは漢字は同じまま通称“ケイゴ”で通してる。その理由はまたあとで話す。“立岡”というのは、今回、智奈に限って使った。おれの父のファミリーネームだ。母が愛人だというのはそのとおりだ。その長年の不倫相手、立岡は、世間に知られてはまずい立場にいる」
「まずい立場って……有名な人?」
「そうだ。不倫関係が嗅ぎつけられたんだ。マスコミの口は、祖父のひと声で簡単に封じられるけど、いまはネット社会だ、事実だろうと嘘だろうと情報は簡単に拡散できる。だから、母の不倫相手は別の人間だという証拠をつくってごまかす必要があった。立岡のダミーとして白羽の矢が立てられたのが、智奈のお父さんだった。つまり、智奈が見たシーンは偽装だ」
そうなの……、と云いながらも、父に愛人がいること、それは智奈がずっと思いこんでいたことだ、理解するには時間が要る。
「やっぱりわたし、思いこみが激しいみたい」
「すぐに覆る。お父さんに本物の愛人はいなかった。それはおれが保証する。智奈のお母さんには胸を張って、お父さんに女性はいなかったと云えばいい。もし訊かれることがあったら」
キョウゴはおどけた素振りで肩をすくめた。
「でも、どうしてお父さんだったの? お父さんは、もともと立岡さんかお母さんの知り合いだったってこと?」
「お父さんには弱みがあった。わかってるだろう?」
「……借金のこと?」
キョウゴはうなずいて、今度はワインを勧めるのではなく自分のグラスを持ち、癖なのだろう、軽くスワリングすると口に含んだ。無意識にグラスをまわしたとしたら、何かが気にかかっているということだ。
「キョウゴ、気を遣わなくていいよ。事実を知るほうがきっと不安じゃない」
智奈の言葉にキョウゴは苦笑いをした。
「いつからおれの気持ちが読めるようになったんだ?」
キョウゴはからかうけれど、照れ隠しのようなものかもしれない。
「たまにしかわからない」
「おれはだれよりも智奈をわかりたいと思ってる」
「わたしは何も隠してないから」
「そうしてくれ」
他愛ない閑話は潤滑油みたいなものか。けれど、聞き流すにはもったいない言葉だ。智奈の笑顔を見て、キョウゴは微笑を返す。
「智奈のお父さんが借金で脅されてフロント企業に関わり始めた頃、それが祖父の情報網に引っかかった。ちょうど同じ時期、母と立岡の関係が突きとめられそうになっていた。祖父は、お父さんに家族の――つまり、智奈とお母さんの身の安全を保証すると申し出た。条件が、母の不倫相手を演じることだ。幸い、お父さんと母は同い年だ。学生時代に付き合って破局、母はその後、また別の恋愛をしておれを産んだ。それから二十年後に再会して、恋が再燃。妻とは借金を理由に不仲だったお父さんは、別居したものの離婚で揉めている。従って不倫のまま関係が続いている。そういう筋書きだ」
智奈はただただ驚く。思わず躰を引いてしまうと、べつに逃げようとしたわけでも椅子から落ちるわけでもないのに、キョウゴが智奈の手を取って引きとめた。
「怖がらないでくれ」
それは切実に聞こえる。
「でも……ちょっと怖いかも。人生って簡単にだれかの……キョウゴのおじいちゃんの考えだけで、その人の歴史を作り替えられるってことでしょ?」
智奈が云うと、キョウゴはふと視線を横に逸らした。単にそうしたのではなく、故意に目を逸らしたように見える。
「確かに人の人生への干渉だ」
キョウゴはそう云って、思考を振り払うためか整理するためか、首を横に振って続けた。
「最初の日、おれが云ったことを――。一見真っ当なクリアな世界であろうと、極めてグレーな上に成り立っている。そう云ったことを憶えてる? 人の人生への干渉はそのグレーゾーンだ」
それは、フィクサーという祖父のやり方をキョウゴが認めているように聞こえた。
「キョウゴはおじいちゃんのこと、嫌いなのかと思ってた。でも違う?」
「嫌いだ。けど、目標でもある」
キョウゴはきっぱり云いきった。
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