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32.さみしがり屋

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 キョウゴが冗談を云っているようには見えない。自分のものにしたいというのは傲慢な独占欲だけれど、智奈は少しも不快ではない。
「その……よくわからないんだけど」
 と、それが智奈の本心だ。うれしくないわけがないのに戸惑いのほうが先行してしまうのは、智奈の自信のなさの表れだ。それと理由はもうひとつ。
 キョウゴはあからさまに落胆してため息を漏らした。
「信用ないな。理由はわかってる。おれが、すべて明かしてるわけじゃないから。だろう?」
 返事を期待しているふうでもなく、キョウゴはコーヒカップを取って口につけた。
 智奈も同じようにすると、砂糖とミルクが入ってちゃんと好みの味になっている。フレーバー入りのコーヒーはキョウゴが好んでいて、智奈も同居するようになってから手軽なインスタントコーヒーを買って飲み始めた。
 そういえば、堂貫もバニラ風味のコーヒーを飲んでいた。キョウゴの影響だろうか。
 智奈は、こんなふうに自然と堂貫のことに思いを馳せてしまう。例えば会社の同僚とか上司とか、家に帰れば気にもならないのに。ついさっきのキョウゴの言葉、すべて明かしているわけではないから、という理由は理由にならない。智奈にとっては些細なことだ。智奈を戸惑わせているのは、堂貫の存在だ。
 断ちきれないことを未練というには、まだ何も始まっていなくて少し違う。何も始めていないから――例えば告白するとか、できていないからあきらめがつかないのだ。かといって、結末がどうであれ、堂貫を想うことだけになって、キョウゴを失うことも嫌だ。
 ずるい。智奈のいまの優柔不断さはその言葉に尽きる。
「その暗い顔はなんなんだ。憂うつになるようなことを云った憶えはないけど……好きだと云って喜ばれないのは、嫌いか、ほかに好きな奴がいるか、いま以上に深入りしたくないか、だ。どれ?」
「嫌いじゃない」
「わかってる」
 暗くしていたつもりはないけれど、とっさに応じた智奈へ、同じくとっさに応じた返事を聞いた瞬間に失敗したと思う。ひとつずつ答えなければならなくなった。キョウゴも次を待っているような雰囲気だ。けれど、答えられるはずがない。どうやって切り返そう。
「憂うつになってるんじゃなくて……ほんとにわからないだけ。わたしは全然、特別じゃないから。いまキョウゴがそうだとしても、未来はわからない。そう考えてしまうの」
 それもまた本当のことだ。特に、父が亡くなったあとのだれも御方みかたがいないという心細さは身に沁みた。
「やっぱり信用されてないってことだ」
「違う。わたしの問題だから。……さっき、お母さんに云ってたこと……キョウゴがここに来たのは、ホントにわたしが危険だったから? お父さんは脅されてたの?」
 キョウゴはじっと智奈を見つめる。口を開くまでの不自然な沈黙は、本当のことを云うか云うまいか、きっと迷っていることの裏返しだ。それが即ち、そのとおりだと裏付けている。
「ああ。お父さんが脅されて裏社会に関わったのは事実だ。けど、ある時からある理由によって、智奈の安全は保証された。それから、お父さんが亡くなったことで、智奈の立場がまた不安定になったのも事実だ。その問題もいまは解消されている。だから、怖がることはもうない」
 ある時とある理由。キョウゴが曖昧にぼかしたことでそれを教える気がないのはわかる。ただ、また疑問は増えた。
「どうしてキョウゴはそんなに詳しいの?」
「云っただろう。おれは裏の社会で這いあがってきた。強力な駒のもうひとつは、おれの祖父だ。裏では陰の権力者フィクサーという通り名を持つ人で、そっちの世界のことなら祖父との交渉次第で情報はいくらでも得られる」
 祖父と交渉。その言葉から受けた印象は、家族でありながら関係が淡々としていること。『愛されていると思ったことがない』、と、キョウゴのその言葉は本物だった。
「もしかして、キョウゴを怒らせたら、わたしは殺されて海に捨てられる?」
 テレビドラマのありがちな設定を冗談で云ってみると、キョウゴは呆れて笑う。
「おれはそこまで利己的な人間じゃないつもりだ。権力を手にしても、裸の王様にはならない」
 キョウゴの言葉は仮定ではなく断定的に聞こえた。智奈は考えつつ首をかしげた。
「……おじいちゃんの後を継いだりするの?」
「世襲じゃないし、いい意味でも悪い意味でも、あくまで人望だ。簡単にはいかない。けど、いずれ、おれはその座を勝ち取って継ぐつもりだ。……と云ったらどうする?」
 断固として聞こえていた言葉を、最後、キョウゴは仮定に変えた。また智奈は首をかしげる。
「どうする、って?」
「いったん権力を手にしたら、易々とは出られなくなる世界だ。会社だったら売却すればすっきりできるけど、そんな簡単なことではすまない。まあ、返事はあとでいい」
 やはり、その言葉も曖昧だ。何があって『あとで』という“時”が来るのだろう。そんなふうに“時”の条件が決まっているような気がした。
「もう……わたしが安全で、守る必要がなくなったのにキョウゴがいてくれるのは……これからもそうしてくれるってこと? ずっと?」
 そう訊ねた智奈がキョウゴにはどう映って見えたのか、じっとつぶさに智奈を視界に捕らえて――
「さみしがり屋なのは見た目だけじゃなさそうだな」
 と云うなり、キョウゴは腰を浮かし、一緒に智奈をソファからすくい上げた。
「キョウゴっ」
「智奈と、裸で触れ合うと孤独から解放される。そう思わない?」
 そう云われて抵抗などできるはずがない。そのとおりだった。
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