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30.ボディガード志願(1)
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母、典子は前もって連絡をすることなく、こうやって突然に現れる。智奈に避けられることを避けていて、ほぼ在宅しているであろう時間帯を狙って訪れる。今日の場合、日曜日の夜なら、週明けに備えて出かけたとしても早く帰ってくるはず、と典子はそう踏んでいるのだ。
そんなふうに典子の訪問をいつも不意打ちに感じるのはあたりまえだけれど、いまキョウゴが一緒にいることで、智奈はひと波乱ありそうな予感を覚えた。――というより、経験値による予測だ。
「事務所のことで弁護士から連絡があったのよ。わたしは何も聞いてないじゃない?」
母は責めた口調で智奈に向かった。
云えばこんなふうに言い掛かりをつけに来るからだ、と云い返すのは心の中にとどめた。ただ、帰って、と口走りそうになった刹那。
「智奈、入ってもらえば?」
キョウゴは大丈夫だと受け合うように、ぽんぽんと智奈の背中を軽く叩いた。
すぐにとはいかず智奈がうなずくまでの間に、典子はキョウゴに焦点を当てると、何に驚いたのか、わずかに目を大きく開く。ひょっとしたら理由などなく、キョウゴとはじめて対面したときの女性にありがちな、単純な反応と同じかもしれない。同居して三週間がたつけれど、その智奈でさえ、いまだにキョウゴに見惚れる。
智奈は隠すことなくため息をついて、典子のところに歩み寄った。
「どいて」
つっけんどんに云って、智奈は玄関の鍵を開けた。ドアレバーをおろして開きかけると、キョウゴがドアの上のほうをつかんで大きく開いた。
「お母さん、どうぞ」
キョウゴが親切に云うと、典子はハッと我に返った様子であらためて目の前に立つキョウゴを見て眉をひそめた。
「あなた、だれ? 智奈とどういう関係なの?」
「僕は智奈のボディガードですよ。なかで話しましょう」
また違った意味で目を丸くした典子は、二度め、どうぞ、とキョウゴに促されるまま機械的に家のなかに入っていった。典子にとっては勝手知ったる家だ、案内する必要もなくほっとくことにして、智奈はドアを支えたままのキョウゴを見上げた。
「ボディガードって……」
智奈は戸惑いつつ声を潜めて云いながら、実のところ、キョウゴのことをどう紹介するべきなのか難しいことに気づいた。シェアという同居スタイルはおよそ世間に浸透しているのだから、そう云えばすむ気もするけれど、男女二人という形態に普通の親は納得しないだろう。加えて、一緒のベッドを使って、ベッドのなかでやっていることを考えたら、疑われても反論はできない。いや、疑うも何も、疑うという言葉自体が当てはまらない。もっとも、典子が親らしい感情を抱くかというと、それは疑問だ。
「そのつもりだ。おれは智奈を守ってる。兼、恋人と紹介されてもいい。智奈がそう認めるなら、やっと一線が越えられる」
キョウゴも声を潜めてはいるけれど、奥に母がいると知っていながら、不埒なことを悪びれることなく口にする。
「母はおかしな人だから」
智奈がしかめっ面で釘を刺すと。
「反面教師だな。智奈はいい子に育ってる」
「もう子供じゃない」
キョウゴの言葉に反撃したつもりが、そのにやけた顔を見るかぎり、智奈は云わされたのだと気づいた。
「楽しみだ」
何が楽しみなのか、智奈は知らないふりをした。それより、典子との対面が待っていて、ここでのんびりキョウゴの戯れ合いに付き合っている場合ではない。キョウゴの含み笑いを背中に聞きながら、智奈は家のなかに入った。
「智奈、あなたは美味しいものを食べてきたんでしょう。コーヒーが飲みたいわね」
智奈がLDKの部屋に入るなり、すでにリビング側のソファに座っていた典子は繋がらない言葉を並べ、つまり嫌味を込めたのだ。
行雄さんが残したお金で贅沢に楽しく食事をしてきたのだから、わたしのためにコーヒーくらい淹れなさいよ――と、意訳すればこんな感じだろうか。
「わたしはもう飲んできたから。それで、何が訊きたいの?」
智奈が噛み合わない返事をしても、典子はいつものことと思っているのか少しも応えた様子がない。その一方で、ダイニングテーブルにワインを置いていたキョウゴが振り返り、首をひねって智奈を窺う。智奈の素っ気なさを咎めているのか、それともがっかりしたのか。
「智奈も座って」
キョウゴはソファを指差し、さらにうなずいて智奈を促す。
母にやさしくする必要はない。云わなくてもキョウゴは智奈の気持ちを悟っているだろう。それなのに、云ってしまったら本当に子供だ。少し前テレビで聞いて知った、怒りを静める六秒ルールを思いだして、智奈は内心でカウントする。
「弁護士から事務所の整理がついたって連絡があったの。どういうこと?」
智奈がソファに座るのを待たずに典子はなじるように云った。
「お母さんは整理をつけたかったんじゃないの?」
六秒カウントしたところで少しも役に立たない。次から次に不愉快にさせられる。智奈は負けず劣らず批難めいて問い返した。
「そうしたかったけど、事件絡みで簡単にはすまないって云われてたのよ。それが突然、清算の目途がついたっていうじゃない。聞いたら、あなたの依頼で片を付けた人がいるってことだったわ。わたしに黙って何をこそこそやってるの?」
まるで濡れ衣だ。それに、自分の主張ばかりが先行して、行雄の死に関して典子からは少しも後悔の念が窺えない。智奈は怒るよりも笑いたくなった。
そんなふうに典子の訪問をいつも不意打ちに感じるのはあたりまえだけれど、いまキョウゴが一緒にいることで、智奈はひと波乱ありそうな予感を覚えた。――というより、経験値による予測だ。
「事務所のことで弁護士から連絡があったのよ。わたしは何も聞いてないじゃない?」
母は責めた口調で智奈に向かった。
云えばこんなふうに言い掛かりをつけに来るからだ、と云い返すのは心の中にとどめた。ただ、帰って、と口走りそうになった刹那。
「智奈、入ってもらえば?」
キョウゴは大丈夫だと受け合うように、ぽんぽんと智奈の背中を軽く叩いた。
すぐにとはいかず智奈がうなずくまでの間に、典子はキョウゴに焦点を当てると、何に驚いたのか、わずかに目を大きく開く。ひょっとしたら理由などなく、キョウゴとはじめて対面したときの女性にありがちな、単純な反応と同じかもしれない。同居して三週間がたつけれど、その智奈でさえ、いまだにキョウゴに見惚れる。
智奈は隠すことなくため息をついて、典子のところに歩み寄った。
「どいて」
つっけんどんに云って、智奈は玄関の鍵を開けた。ドアレバーをおろして開きかけると、キョウゴがドアの上のほうをつかんで大きく開いた。
「お母さん、どうぞ」
キョウゴが親切に云うと、典子はハッと我に返った様子であらためて目の前に立つキョウゴを見て眉をひそめた。
「あなた、だれ? 智奈とどういう関係なの?」
「僕は智奈のボディガードですよ。なかで話しましょう」
また違った意味で目を丸くした典子は、二度め、どうぞ、とキョウゴに促されるまま機械的に家のなかに入っていった。典子にとっては勝手知ったる家だ、案内する必要もなくほっとくことにして、智奈はドアを支えたままのキョウゴを見上げた。
「ボディガードって……」
智奈は戸惑いつつ声を潜めて云いながら、実のところ、キョウゴのことをどう紹介するべきなのか難しいことに気づいた。シェアという同居スタイルはおよそ世間に浸透しているのだから、そう云えばすむ気もするけれど、男女二人という形態に普通の親は納得しないだろう。加えて、一緒のベッドを使って、ベッドのなかでやっていることを考えたら、疑われても反論はできない。いや、疑うも何も、疑うという言葉自体が当てはまらない。もっとも、典子が親らしい感情を抱くかというと、それは疑問だ。
「そのつもりだ。おれは智奈を守ってる。兼、恋人と紹介されてもいい。智奈がそう認めるなら、やっと一線が越えられる」
キョウゴも声を潜めてはいるけれど、奥に母がいると知っていながら、不埒なことを悪びれることなく口にする。
「母はおかしな人だから」
智奈がしかめっ面で釘を刺すと。
「反面教師だな。智奈はいい子に育ってる」
「もう子供じゃない」
キョウゴの言葉に反撃したつもりが、そのにやけた顔を見るかぎり、智奈は云わされたのだと気づいた。
「楽しみだ」
何が楽しみなのか、智奈は知らないふりをした。それより、典子との対面が待っていて、ここでのんびりキョウゴの戯れ合いに付き合っている場合ではない。キョウゴの含み笑いを背中に聞きながら、智奈は家のなかに入った。
「智奈、あなたは美味しいものを食べてきたんでしょう。コーヒーが飲みたいわね」
智奈がLDKの部屋に入るなり、すでにリビング側のソファに座っていた典子は繋がらない言葉を並べ、つまり嫌味を込めたのだ。
行雄さんが残したお金で贅沢に楽しく食事をしてきたのだから、わたしのためにコーヒーくらい淹れなさいよ――と、意訳すればこんな感じだろうか。
「わたしはもう飲んできたから。それで、何が訊きたいの?」
智奈が噛み合わない返事をしても、典子はいつものことと思っているのか少しも応えた様子がない。その一方で、ダイニングテーブルにワインを置いていたキョウゴが振り返り、首をひねって智奈を窺う。智奈の素っ気なさを咎めているのか、それともがっかりしたのか。
「智奈も座って」
キョウゴはソファを指差し、さらにうなずいて智奈を促す。
母にやさしくする必要はない。云わなくてもキョウゴは智奈の気持ちを悟っているだろう。それなのに、云ってしまったら本当に子供だ。少し前テレビで聞いて知った、怒りを静める六秒ルールを思いだして、智奈は内心でカウントする。
「弁護士から事務所の整理がついたって連絡があったの。どういうこと?」
智奈がソファに座るのを待たずに典子はなじるように云った。
「お母さんは整理をつけたかったんじゃないの?」
六秒カウントしたところで少しも役に立たない。次から次に不愉快にさせられる。智奈は負けず劣らず批難めいて問い返した。
「そうしたかったけど、事件絡みで簡単にはすまないって云われてたのよ。それが突然、清算の目途がついたっていうじゃない。聞いたら、あなたの依頼で片を付けた人がいるってことだったわ。わたしに黙って何をこそこそやってるの?」
まるで濡れ衣だ。それに、自分の主張ばかりが先行して、行雄の死に関して典子からは少しも後悔の念が窺えない。智奈は怒るよりも笑いたくなった。
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