上 下
28 / 100

27.昼の顔≠夜の顔?

しおりを挟む
 堂貫やキョウゴに魅入ってしまうのと同じくらい、智奈は水族館で眼福を満たしつつ心も潤った一方、キョウゴは最後、腹へった、と云いだす頃には痺れを切らす以上に呆れきっていた。
 それもそのはず、午後一でやってきたけれど、もう夜の七時になろうかとしていた。キョウゴはよく辛抱して智奈に付き合っていたと思う。
 そうして、デートの締め括りにキョウゴが連れていったレストランは、フレンチながら外観はそれとは相容れない高級な旅館のような佇まいだった。智奈は気後れしてしまったけれど、キョウゴは至ってリラックスしていて、そのことにほっとしながら案内されるまま個室に入った。聞けば予約していたと云い、メニューもシェフおまかせコースで、選ぶ必要もなかった。
「今度、水族館に連れていこうってときはよっぽど覚悟して行かないとな」
 前菜オードブルのあとのロブスターのビスクを一口含んで、智奈がその濃厚な味を堪能していると、キョウゴは、子供みたいだ、と付け加えて揶揄した。
 呆れてはいたけれど、うんざりはしていない。いま正面に座っているキョウゴはそんな雰囲気で、智奈は幸せな気分になって、自然と顔が綻んだ。
「シャチを見てて、キョウゴと堂貫オーナーみたいだと思ってた」
 キョウゴは思いもしないことを聞かされて驚いたのだろう、目を見開く。
「おれがシャチ? 運動がてら泳ぐことはあるし、それなりに泳げるけど、智奈はそれを見たことないだろう。どこにシャチとの共通点があるんだ?」
「シャチの色、白と黒でしょ。昼の堂貫オーナーと、夜のキョウゴって感じ」
「はっ、単純な発想だな」
「うん、そこまでは単純。でもシャチは白と黒と混載して一頭で、だからキョウゴと堂貫オーナーには共通点があるってこと」
「どんな?」
 キョウゴはおどけたように眉を跳ねあげている。用心深さの欠片もなく、単純におもしろがっていて、智奈が期待した反応ではなかった。
「シャチは、武器を持った人間以外に天敵はいなくて、海洋界の頂点にいるって云われてる。無駄な狩りをしないし、それって餌はいつでも手に入るっていう余裕にも見えて、容赦がなくてしたたかって感じがするの」
「つまり、そう見えてるわけだ、おれも」
 キョウゴは納得がいかないのか、単に問うているのか、首をひねった。
「シャチって人間は襲わないけど……逆に人懐っこいところもあって、でも、じゃれ合ってるつもりで傷つけてしまうこともあるって」
 ふたりでひとりであってほしいけれど、それは即ち、智奈を騙していることになって複雑だ。そんなことを半分くらい意図して智奈は云ってみたけれど、キョウゴは心外だとばかりに顎をしゃくった。
「おれは智奈とじゃれ合って楽しんでる、確かに。ただし、傷つけたつもりはない。バージンだって守ってやってる――」
「キョウゴ!」
 キョウゴは明らかに智奈をわざと慌てさせている。智奈は焦ってさえぎったけれど、すでに云い終えていたから意味をなさない。せめて個室であることは救いだった。
「傷つけてるって否定する気か?」
「いまは否定しない。堂貫オーナーのことも。ふたりとも訳がわからないくらい、わたしによくしてくれてる」
 そう云ったとたん、キョウゴはにやりとした。何かと智奈が身構えると。
「そうだろう? 居候して世話になってるのはおれのほうだ。けど……おれは毎晩、智奈を気持ちよくさせてる。そっちの比重のほうが大きいってことだ」
 キョウゴは凝りもせずに、人に聞かれてはまずいことを平然と口にして智奈をからかう。やはり、シャチが余裕ですいすいと泳ぐみたいな様だ。
 確かに、キョウゴは勝手に居着いて、智奈の手料理を食べて、物理的にいえば智奈のほうが“よくしている”。けれど、それを差し引いても智奈は“気持ちよくさせられている”。それは躰のことではなく、文字どおり気持ちの問題だ。果たして、キョウゴはその違いをわかっているのか否か。
 智奈は、今度は無視することにして、スプーンでビスクをすくい、口に運んだ。口の中に香りが広がる――という感覚が正しいのか、これが鼻に抜けるということだろう、ロブスターの風味がなんともいえず美味だ。
 ここに来たはな、いかにも畏まったレストランで始まった食事に智奈が戸惑っていると、左から食べるというマナーを教えてくれるくらいにキョウゴは手慣れている。料理の美味しさに感動して一口一口ゆっくり味わう智奈と違い、キョウゴは家で食べているときと様子は変わらない。
 そう気づくと、智奈は聞きたかったことが訊けていないことに気づく。ひょっとして、さっきは話をうまくかわされたのかもしれない。
「キョウゴ、まえに聞いたけど……こういう美味しい完璧な料理を食べるのって普通のこと?」
 智奈が訊ねると、スプーンを持った手を止めてキョウゴは肩をすくめた。
「普通と云えば普通だ。それがなんだ?」
「ほんとにわたしの手料理で満足してるのかと思って。無理して……」
「無理なんてしてない。云っただろう」
「でも……」
 わざわざさえぎって否定したキョウゴが嘘を吐いているようには見えない。けれど。
「“でも”、何?」
「堂貫オーナーも完璧な料理を食べ慣れていて、でも、お弁当のおかずを美味しいって云ってくれて……だから、木曜日に会社で会ったとき、うちに食べに来ませんかって誘ってみたの。そしたら予定があるって断られて、もしかしたら美味しいって社交辞令で――あのときはわたしが無理やり押しつけたようなものだし……キョウゴもそうかもしれないって思ってる」
 智奈の言葉を受け、キョウゴは思いもよらなかったといったように、わずかに躰を引いて姿勢を改めるようなしぐさをした。首を横にゆっくりと振る。
「堂貫は本当に予定があったんだ。さっきシャチみたいだって云っただろう。容赦ないって言葉は合ってる。嫌ならあいつははっきりそう云う。何度も誘われて断るのは面倒だから」
「キョウゴは……自分のことみたいに堂貫オーナーの気持ちがわかるんだね」
 キョウゴは薄く笑い、首を横に振った。
 どういう意味だろう。いや、何も意味はない。智奈が悪あがきをしているだけで。
「ほんとは、堂貫オーナーを食事に誘ったのは口実だったの」
「口実?」
「うん。キョウゴと堂貫オーナーが一緒にいるところを見たことないから、ふたりの関係がどんな感じなのか、よくわからなくて……電話で話してるのも見てないし、だから見てみたい感じ」
 一心同体というほどに仲がいいはずなのに、仕事が昼と夜のすれ違いのなか、いつ話したり会ったりしているのだろうと不思議でならない。そのことも、智奈に期待させている一因だけれど。
「学生とか社会人成り立てのように、友だちと集まってバカ騒ぎする年でもない。智奈は、おれにベタベタするような年じゃないって云ってなかったか」
 真っ当な答えが返ってきて、あまつさえ自分の言葉が揚げ足取りされて、智奈はがっかりした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷徹秘書は生贄の恋人を溺愛する

砂原雑音
恋愛
旧題:正しい媚薬の使用法 ……先輩。 なんて人に、なんてものを盛ってくれたんですか……! グラスに盛られた「天使の媚薬」 それを綺麗に飲み干したのは、わが社で「悪魔」と呼ばれる超エリートの社長秘書。 果たして悪魔に媚薬は効果があるのか。 確かめる前に逃げ出そうとしたら、がっつり捕まり。気づいたら、悪魔の微笑が私を見下ろしていたのでした。 ※多少無理やり表現あります※多少……?

【R18】嫌いな同期をおっぱい堕ちさせますっ!

なとみ
恋愛
山田夏生は同期の瀬崎恭悟が嫌いだ。逆恨みだと分かっている。でも、会社でもプライベートでも要領の良い所が気に入らない!ある日の同期会でベロベロに酔った夏生は、実は小さくはない自分の胸で瀬崎を堕としてやろうと目論む。隠れDカップのヒロインが、嫌いな同期をおっぱい堕ちさせる話。(全5話+番外小話) ・無欲様主催の、「秋のぱい祭り企画」参加作品です(こちらはムーンライトノベルズにも掲載しています。) ※全編背後注意

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

ミックスド★バス~湯けむりマッサージは至福のとき

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 温子の疲れを癒そうと、水川が温泉旅行を提案。温泉地での水川からのマッサージに、温子は身も心も蕩けて……❤︎ ミックスド★バスの第4弾です。

やさしい幼馴染は豹変する。

春密まつり
恋愛
マンションの隣の部屋の喘ぎ声に悩まされている紗江。 そのせいで転職1日目なのに眠くてたまらない。 なんとか遅刻せず会社に着いて挨拶を済ませると、なんと昔大好きだった幼馴染と再会した。 けれど、王子様みたいだった彼は昔の彼とは違っていてーー ▼全6話 ▼ムーンライト、pixiv、エブリスタにも投稿しています

セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】

remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。 干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。 と思っていたら、 初めての相手に再会した。 柚木 紘弥。 忘れられない、初めての1度だけの彼。 【完結】ありがとうございました‼

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

突然ですが、偽装溺愛婚はじめました

紺乃 藍
恋愛
結婚式当日、花嫁である柏木七海(かしわぎななみ)をバージンロードの先で待ち受けていたのは『見知らぬ女性の挙式乱入』と『花婿の逃亡』という衝撃的な展開だった。 チャペルに一人置き去りにされみじめな思いで立ち尽くしていると、参列者の中から一人の男性が駆け寄ってきて、七海の手を取る。 「君が結婚すると聞いて諦めていた。でも破談になるなら、代わりに俺と結婚してほしい」 そう言って突然求婚してきたのは、七海が日々社長秘書として付き従っている上司・支倉将斗(はせくらまさと)だった。 最初は拒否する七海だったが、会社の外聞と父の体裁を盾に押し切られ、結局は期限付きの〝偽装溺愛婚〟に応じることに。 しかし長年ビジネスパートナーとして苦楽を共にしてきた二人は、アッチもコッチも偽装とは思えないほどに相性抜群で…!? ◇ R18表現のあるお話には「◆」マークがついています ◇ 設定はすべてフィクションです。実際の人物・企業・団体には一切関係ございません ◇ エブリスタ・ムーンライトノベルズにも掲載しています

処理中です...