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22.夜は寒い
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家に帰ってシャワーを浴びて、好きなドラマを見始めても悶々とした気分はおさまってくれず、智奈は何度もため息をついた。
こういうときは寝るに限ると思って部屋に行ったけれど、すっかりキョウゴが居ついてしまったベッドはいま、独りで横になると気分的にも感覚的にもすかすかした。昼間の暖かさが嘘みたいに寒く感じる。智奈は羽毛ふとんを持って早々とリビングに引き返した。
またテレビをつけて、智奈はソファに寝転がる。そうすると、背中にソファの背があって、それが疑似的にだれかが――いや、キョウゴがいるような気になる。
智奈のベッドにふたり横たわればいまみたいに寝返りもろくに打てなくて、ただ背後からキョウゴが智奈を包みこんで、重なったスプーンみたいにして眠る。それが、こよなく心地よかった。
毎晩、智奈はまるでオモチャ化してキョウゴに遊ばれているけれど、たぶん裸で腕にくるまれて眠ることは、おなかの中の赤ちゃんの気分に似ているのかもしれない。眠りの間、智奈は安心しきっている。
ただし、それは智奈の都合で、一線を超えないキョウゴからしたら事情はきっと違っている。欲求不満を抱えているのか、それとも完全にオモチャにすぎないのか。いずれにしろ、あんな洗練された美女がいれば、キョウゴはきっとそれで足りている。
でも、その何が不満なんだろう。
智奈は自分で自分に疑問を投げかけた。
堂貫のことが好き。そんな気持ちを自覚して、家にいるのが堂貫であればいいのに、とそこまで思ったのに、いざキョウゴがいないと、キョウゴにいてほしいと思ってしまう。
これまで、異性についてはいいなと思う人はいても、ずっと一緒にいたいと願うまでの恋に発展することはなかった。それなのに、いいなという段階を飛び越えて、一緒にいて、もっとそうしていたいという人がいきなり現れた。しかも、温度差はあれど、ふたり同時に。
さみしさの裏返しかもしれない。だれかしら傍にいてくれたら。そんなふうに、ひょっとしたらだれでもよかったのか。
智奈はため息をついてテレビの上のほうにある壁時計を見た。十一時をすぎていて、いつの間にかドラマもニュース番組に変わっている。
眠くはないけれど、テレビはつけっぱなしにしたまま智奈は目を閉じた。
キョウゴが同居するまえはこんな感じだった。ベッドに入ってタブレットを頭上に置き、動画を流したり音楽を流したり、朝になって起きると、見る人も聴く人もいないのに音を鳴らしていて、ばかばかしいけれど自分みたいだと同情することもある。
事件後、会社で普通に振る舞おうと努めていた頃の智奈に似ているのだ。いくら普段どおりに話しかけても、相手の反応が薄い。
リソースAに入社したのは、父が伝を頼ってその有力者から口利きがあったからだ。有力者がだれかはわからない。首を切られないのは、その有力者のおかげでもあるのだろう。
いっそのこと会社をやめればよかったかもしれない。けれど、そうして次の職が見つからず、世間との繋がりが薄くなるのも怖かった。
智奈は吐息をこぼす。そのかすかな音は、テレビの音よりも鮮明に聞こえて、自分でも少しふるえて聞こえた。それを掻き消そうと深呼吸をしたとき、異音を聞きとった。
ハッとして耳を澄ますと、直後、なんらかの抵抗に遭ったような金属音が響く。次には、つい今し方、智奈の深呼吸のような大きなため息が聞こえた。
「智奈」
呼びかけられた瞬間、智奈は息を詰めた。キョウゴの声だ。無意識に息を潜め、すると、キョウゴもまた耳を澄ましているように感じた。テレビをつけっぱなしにしているから、普通は起きていると思うだろう。やがて、ドアをノックする音がした。
「智奈、防犯の心がけは花丸をやる。帰ってきた。チェーンを外してくれ」
それでも応じないでいると、これ見よがしの大きなため息ののち、わかった、と聞こえた。
今度は、本当にキョウゴは自分の家に帰ってしまう。思わず、起きあがってみたけれど。
そのほうがいい。へんにキョウゴがいることに慣れてしまうから、よけいにさみしくなるのだ。
智奈は自分で自分を戒めた。そうして、じっととどまったのに。
「ここで寝る。だから、安心してろ」
キョウゴのそんな言葉が聞こえた。そのあと、ドアが閉まる音がする。
本気なのか冗談なのか、じっとしているとドアの向こうで靴音がして、それから壁にぶつかるような小さな振動を感じた。
靴音は遠ざかっていく感じではなかった。本当にドアの外で寝るつもりなら、凍死はしないと思うけれど、きっと風邪をひく。それくらいまだ夜は寒い。
智奈は起きあがって、足音を立てないよう、そっと玄関先に行った。立ち止まって外の様子を窺うけれど、物音はしない。
どうしよう。
そんな迷いは自分をごまかしているにすぎない。智奈はミュールを引っかけてドアに近付き、チェーンを外した。そっと押したとたん、ドアが大きく開いて智奈はすかされそうになった。見ると、本気でそこで寝る気だったのか、ドアのすぐ横でキョウゴが床に尻をついたままで、腕を伸ばしてドアを支え、智奈を見上げている。スーツを着ているというのに、汚れてもかまわないのだろうか。
「ただいま」
キョウゴはしてやったりといったふうににやりとしているけれど、その言葉がそれまでの智奈のうっ蒼とした気分を払拭した。
「今日は帰らないって……」
うれしい気持ちとは裏腹に、少し責めた口調になる。智奈が素直になれないことに気づいたのか、キョウゴは可笑しそうにした。
「そのつもりだったけど。違ったんだ」
云いながらキョウゴは身軽に立ちあがった。
「……違ったって何が……キョウゴっ!?」
云いかけている途中、キョウゴはいきなり智奈を引き寄せる。耳もとに顔をうずめると大きく鼻で息を吸う。
「これだ」
と、くぐもった声でつぶやいた。
こういうときは寝るに限ると思って部屋に行ったけれど、すっかりキョウゴが居ついてしまったベッドはいま、独りで横になると気分的にも感覚的にもすかすかした。昼間の暖かさが嘘みたいに寒く感じる。智奈は羽毛ふとんを持って早々とリビングに引き返した。
またテレビをつけて、智奈はソファに寝転がる。そうすると、背中にソファの背があって、それが疑似的にだれかが――いや、キョウゴがいるような気になる。
智奈のベッドにふたり横たわればいまみたいに寝返りもろくに打てなくて、ただ背後からキョウゴが智奈を包みこんで、重なったスプーンみたいにして眠る。それが、こよなく心地よかった。
毎晩、智奈はまるでオモチャ化してキョウゴに遊ばれているけれど、たぶん裸で腕にくるまれて眠ることは、おなかの中の赤ちゃんの気分に似ているのかもしれない。眠りの間、智奈は安心しきっている。
ただし、それは智奈の都合で、一線を超えないキョウゴからしたら事情はきっと違っている。欲求不満を抱えているのか、それとも完全にオモチャにすぎないのか。いずれにしろ、あんな洗練された美女がいれば、キョウゴはきっとそれで足りている。
でも、その何が不満なんだろう。
智奈は自分で自分に疑問を投げかけた。
堂貫のことが好き。そんな気持ちを自覚して、家にいるのが堂貫であればいいのに、とそこまで思ったのに、いざキョウゴがいないと、キョウゴにいてほしいと思ってしまう。
これまで、異性についてはいいなと思う人はいても、ずっと一緒にいたいと願うまでの恋に発展することはなかった。それなのに、いいなという段階を飛び越えて、一緒にいて、もっとそうしていたいという人がいきなり現れた。しかも、温度差はあれど、ふたり同時に。
さみしさの裏返しかもしれない。だれかしら傍にいてくれたら。そんなふうに、ひょっとしたらだれでもよかったのか。
智奈はため息をついてテレビの上のほうにある壁時計を見た。十一時をすぎていて、いつの間にかドラマもニュース番組に変わっている。
眠くはないけれど、テレビはつけっぱなしにしたまま智奈は目を閉じた。
キョウゴが同居するまえはこんな感じだった。ベッドに入ってタブレットを頭上に置き、動画を流したり音楽を流したり、朝になって起きると、見る人も聴く人もいないのに音を鳴らしていて、ばかばかしいけれど自分みたいだと同情することもある。
事件後、会社で普通に振る舞おうと努めていた頃の智奈に似ているのだ。いくら普段どおりに話しかけても、相手の反応が薄い。
リソースAに入社したのは、父が伝を頼ってその有力者から口利きがあったからだ。有力者がだれかはわからない。首を切られないのは、その有力者のおかげでもあるのだろう。
いっそのこと会社をやめればよかったかもしれない。けれど、そうして次の職が見つからず、世間との繋がりが薄くなるのも怖かった。
智奈は吐息をこぼす。そのかすかな音は、テレビの音よりも鮮明に聞こえて、自分でも少しふるえて聞こえた。それを掻き消そうと深呼吸をしたとき、異音を聞きとった。
ハッとして耳を澄ますと、直後、なんらかの抵抗に遭ったような金属音が響く。次には、つい今し方、智奈の深呼吸のような大きなため息が聞こえた。
「智奈」
呼びかけられた瞬間、智奈は息を詰めた。キョウゴの声だ。無意識に息を潜め、すると、キョウゴもまた耳を澄ましているように感じた。テレビをつけっぱなしにしているから、普通は起きていると思うだろう。やがて、ドアをノックする音がした。
「智奈、防犯の心がけは花丸をやる。帰ってきた。チェーンを外してくれ」
それでも応じないでいると、これ見よがしの大きなため息ののち、わかった、と聞こえた。
今度は、本当にキョウゴは自分の家に帰ってしまう。思わず、起きあがってみたけれど。
そのほうがいい。へんにキョウゴがいることに慣れてしまうから、よけいにさみしくなるのだ。
智奈は自分で自分を戒めた。そうして、じっととどまったのに。
「ここで寝る。だから、安心してろ」
キョウゴのそんな言葉が聞こえた。そのあと、ドアが閉まる音がする。
本気なのか冗談なのか、じっとしているとドアの向こうで靴音がして、それから壁にぶつかるような小さな振動を感じた。
靴音は遠ざかっていく感じではなかった。本当にドアの外で寝るつもりなら、凍死はしないと思うけれど、きっと風邪をひく。それくらいまだ夜は寒い。
智奈は起きあがって、足音を立てないよう、そっと玄関先に行った。立ち止まって外の様子を窺うけれど、物音はしない。
どうしよう。
そんな迷いは自分をごまかしているにすぎない。智奈はミュールを引っかけてドアに近付き、チェーンを外した。そっと押したとたん、ドアが大きく開いて智奈はすかされそうになった。見ると、本気でそこで寝る気だったのか、ドアのすぐ横でキョウゴが床に尻をついたままで、腕を伸ばしてドアを支え、智奈を見上げている。スーツを着ているというのに、汚れてもかまわないのだろうか。
「ただいま」
キョウゴはしてやったりといったふうににやりとしているけれど、その言葉がそれまでの智奈のうっ蒼とした気分を払拭した。
「今日は帰らないって……」
うれしい気持ちとは裏腹に、少し責めた口調になる。智奈が素直になれないことに気づいたのか、キョウゴは可笑しそうにした。
「そのつもりだったけど。違ったんだ」
云いながらキョウゴは身軽に立ちあがった。
「……違ったって何が……キョウゴっ!?」
云いかけている途中、キョウゴはいきなり智奈を引き寄せる。耳もとに顔をうずめると大きく鼻で息を吸う。
「これだ」
と、くぐもった声でつぶやいた。
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