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21.想定外
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キョウゴは薄らとだったが笑ったように見えた。首をかすかにひねっている。その意味はわからない。
「キョウゴ、どうしたの?」
女性の声が、車の中から発せられているせいか、くぐもって、けれどちゃんと智奈にも聞こえた。
ロマンチックナイトがあった場所みたいにキラキラ――いや、ギラギラした街は得意じゃないけれど、この閑静な街も好きじゃない。
智奈は理不尽に街を嫌った。
「ちょっと指示するのを忘れていた。すぐにすませてくる」
「いいわよ。時間はたっぷりあるんだから」
車内を覗きこんで云うキョウゴに続いて、からかう艶やかな声。その会話はまるで恋人同士だ。
せめて車が通って、声を掻き消してくれればよかったのに。意地悪をするかのように、車が通ったのは、少し待ってて、とキョウゴが女性に向かって云ったあとだった。
キョウゴは背中を見せて、開いたドアから店のなかに入っていく。
智奈はもと来た道へとくるっと身をひるがえした。
来なければよかった。
後悔しても遅いとわかっていながら智奈は内心でつぶやいた。
駅に向かって数歩、スマホが着信音を立てる。反射的に立ち止まって、バッグからスマホを取りだしてみると、キョウゴからの電話だった。通話モードに切り替えるのはためらった。かといって拒否することもできない。
なぜためらうのだろう。その理由も見つけられないまま、すれ違う人が怪訝そうに自分を見ていくのに気づいて、智奈はようやく通話に切り替えた。
『智奈?』
クラブで流れているのだろう、ピアノ曲をBGMにしてキョウゴが智奈に呼びかけた。
外に音が漏れてこない。やっぱり防音が効いているようだ。智奈はそんなどうでもいいことを考えてしまう。
「うん。……退屈だったから来てみたけど、仕事……忙しいみたいだから帰る」
『まさか、どこか別のホストクラブを探してさまようつもりじゃないだろうな』
のんきにもキョウゴは智奈をからかう。これが家で話しているのであれば智奈は笑い飛ばせるのに、いまは笑うに笑えない。
「それはわたしの勝手だから。キョウゴには反対する権利ない」
よく考えもしないで衝動的に云ってしまうと、不自然な沈黙がはびこった。キョウゴが何を感じたのか、少し怖くなる。スッと口を開く間際の呼吸音がかすかに感じとれ、智奈は先手を打つべく急いで口を開いた。
「でも、明日も仕事だし、ちゃんと帰るから。じゃあね」
一方的に云い、智奈は通話を切った。電話と同じように、もやもやした気分を振りきるように歩き始めた。
実際、ほかのクラブに行こうなどとは思ってもいなかった。キョウゴがいれば孤独という気が紛れるだろうと期待してヘラートにやって来たのだ。仕事の邪魔をする気はなかった。即ち、キョウゴがほかの客を相手していようとかまわないと思っていたけれど。
同伴の女性は遠目に綺麗な人だと感じた。キョウゴと同じ年齢か、少し年上か、自信がありそうな出立ちが窺えた。あんなふうに寄り添うのも、それ以上に、べたべたする光景も、ロマンチックナイトで数多く見てきて、めずらしいことでは全然ない。シンジがほかの客のところでそうしているのを見てもなんとも思わなかったのに、いま、キョウゴに対しては違った。
電話に出るのをためらったのは、よけいなことを云いそうになったからだ。案の定、勝手とか権利とか口走ってしまった。その延長上にあるのは、自分以外の人にやさしくしたり、魅惑的に振る舞ったり、そんなシーンを見たくないという気持ちだ。
今日帰らないという理由は、仕事で遅くなるから智奈を起こさないよう自分の家に帰るのだと解釈していたけれど、それも違った。彼女が云った“たっぷりある時間”で何をするかは歴然だ。
よくわからなくなってくる。
ふと、足が止まって、智奈は立ち尽くした。
すると、すーっと車がすぐ傍の歩道に横付けされた。無意識に目をやると、運転席のドアが開いて運転手が降りた。智奈は目を丸くした。
「コージくん?」
スーツ姿のコージはにっこりとうなずいて、歩道へと車のフロントを回りこんできた。
「はい。このまえは失礼しました」
「ううん。どうしたの?」
「オーナーに頼まれました。智奈さんを家まで送ります」
確実に帰宅させるため、自分ができないからといってコージを寄越すのは、強引なキョウゴらしい。その人になんの非もないという条件のもと、基本的に人に逆らわないという智奈の性格をきっとお見通しなのだ。
後部座席に乗りこんで、コージが車を出すと智奈はため息をついた。
「コージくん、仕事は?」
「お酒なら飲んでませんよ。僕はオーナーの付き人みたいなものですから。ホスト業はとっくに卒業しました」
「とっくにって……」
聞けば、智奈と同い年であることは確かで、十九歳からホストをして、二年前にキョウゴから経営側に携わるよう抜擢されたという。ロマンチックナイトにいたのも、智奈を保護するためだけで、あの日でやめたらしい。
そのうえ――
「独りで帰れるのに、ごめんなさい」
智奈の送迎など、コージの手を煩わせて申し訳ない。
コージはルームミラー越しにちらりと智奈を見て笑った。
「いいえ。おもしろいですよ」
「……おもしろい?」
「はい。オーナーは先を見越して計算して動く方です。予定外のことなんてめったに起きないんですけどね。このまえの引っ越しも今日の送りも、突発的で、奇抜です。女性と一緒に住むなんて、オーナーに限って、あり得ないですよ」
「でも……さっき、女の人と一緒だったけど……」
「いずれ別の女性に変わる、客の一人にすぎません。相手は自分こそ本命だと思いがちですが、ヘラートはわきまえた客がほとんどですから」
いずれ別の女性に変わる。その客の一人一人とホテルでどういう時間をすごすのだろう。そこはコージにはっきり訊けなかった。
「キョウゴ、どうしたの?」
女性の声が、車の中から発せられているせいか、くぐもって、けれどちゃんと智奈にも聞こえた。
ロマンチックナイトがあった場所みたいにキラキラ――いや、ギラギラした街は得意じゃないけれど、この閑静な街も好きじゃない。
智奈は理不尽に街を嫌った。
「ちょっと指示するのを忘れていた。すぐにすませてくる」
「いいわよ。時間はたっぷりあるんだから」
車内を覗きこんで云うキョウゴに続いて、からかう艶やかな声。その会話はまるで恋人同士だ。
せめて車が通って、声を掻き消してくれればよかったのに。意地悪をするかのように、車が通ったのは、少し待ってて、とキョウゴが女性に向かって云ったあとだった。
キョウゴは背中を見せて、開いたドアから店のなかに入っていく。
智奈はもと来た道へとくるっと身をひるがえした。
来なければよかった。
後悔しても遅いとわかっていながら智奈は内心でつぶやいた。
駅に向かって数歩、スマホが着信音を立てる。反射的に立ち止まって、バッグからスマホを取りだしてみると、キョウゴからの電話だった。通話モードに切り替えるのはためらった。かといって拒否することもできない。
なぜためらうのだろう。その理由も見つけられないまま、すれ違う人が怪訝そうに自分を見ていくのに気づいて、智奈はようやく通話に切り替えた。
『智奈?』
クラブで流れているのだろう、ピアノ曲をBGMにしてキョウゴが智奈に呼びかけた。
外に音が漏れてこない。やっぱり防音が効いているようだ。智奈はそんなどうでもいいことを考えてしまう。
「うん。……退屈だったから来てみたけど、仕事……忙しいみたいだから帰る」
『まさか、どこか別のホストクラブを探してさまようつもりじゃないだろうな』
のんきにもキョウゴは智奈をからかう。これが家で話しているのであれば智奈は笑い飛ばせるのに、いまは笑うに笑えない。
「それはわたしの勝手だから。キョウゴには反対する権利ない」
よく考えもしないで衝動的に云ってしまうと、不自然な沈黙がはびこった。キョウゴが何を感じたのか、少し怖くなる。スッと口を開く間際の呼吸音がかすかに感じとれ、智奈は先手を打つべく急いで口を開いた。
「でも、明日も仕事だし、ちゃんと帰るから。じゃあね」
一方的に云い、智奈は通話を切った。電話と同じように、もやもやした気分を振りきるように歩き始めた。
実際、ほかのクラブに行こうなどとは思ってもいなかった。キョウゴがいれば孤独という気が紛れるだろうと期待してヘラートにやって来たのだ。仕事の邪魔をする気はなかった。即ち、キョウゴがほかの客を相手していようとかまわないと思っていたけれど。
同伴の女性は遠目に綺麗な人だと感じた。キョウゴと同じ年齢か、少し年上か、自信がありそうな出立ちが窺えた。あんなふうに寄り添うのも、それ以上に、べたべたする光景も、ロマンチックナイトで数多く見てきて、めずらしいことでは全然ない。シンジがほかの客のところでそうしているのを見てもなんとも思わなかったのに、いま、キョウゴに対しては違った。
電話に出るのをためらったのは、よけいなことを云いそうになったからだ。案の定、勝手とか権利とか口走ってしまった。その延長上にあるのは、自分以外の人にやさしくしたり、魅惑的に振る舞ったり、そんなシーンを見たくないという気持ちだ。
今日帰らないという理由は、仕事で遅くなるから智奈を起こさないよう自分の家に帰るのだと解釈していたけれど、それも違った。彼女が云った“たっぷりある時間”で何をするかは歴然だ。
よくわからなくなってくる。
ふと、足が止まって、智奈は立ち尽くした。
すると、すーっと車がすぐ傍の歩道に横付けされた。無意識に目をやると、運転席のドアが開いて運転手が降りた。智奈は目を丸くした。
「コージくん?」
スーツ姿のコージはにっこりとうなずいて、歩道へと車のフロントを回りこんできた。
「はい。このまえは失礼しました」
「ううん。どうしたの?」
「オーナーに頼まれました。智奈さんを家まで送ります」
確実に帰宅させるため、自分ができないからといってコージを寄越すのは、強引なキョウゴらしい。その人になんの非もないという条件のもと、基本的に人に逆らわないという智奈の性格をきっとお見通しなのだ。
後部座席に乗りこんで、コージが車を出すと智奈はため息をついた。
「コージくん、仕事は?」
「お酒なら飲んでませんよ。僕はオーナーの付き人みたいなものですから。ホスト業はとっくに卒業しました」
「とっくにって……」
聞けば、智奈と同い年であることは確かで、十九歳からホストをして、二年前にキョウゴから経営側に携わるよう抜擢されたという。ロマンチックナイトにいたのも、智奈を保護するためだけで、あの日でやめたらしい。
そのうえ――
「独りで帰れるのに、ごめんなさい」
智奈の送迎など、コージの手を煩わせて申し訳ない。
コージはルームミラー越しにちらりと智奈を見て笑った。
「いいえ。おもしろいですよ」
「……おもしろい?」
「はい。オーナーは先を見越して計算して動く方です。予定外のことなんてめったに起きないんですけどね。このまえの引っ越しも今日の送りも、突発的で、奇抜です。女性と一緒に住むなんて、オーナーに限って、あり得ないですよ」
「でも……さっき、女の人と一緒だったけど……」
「いずれ別の女性に変わる、客の一人にすぎません。相手は自分こそ本命だと思いがちですが、ヘラートはわきまえた客がほとんどですから」
いずれ別の女性に変わる。その客の一人一人とホテルでどういう時間をすごすのだろう。そこはコージにはっきり訊けなかった。
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