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17.業界の覇者

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 個人的なことだから、堂貫はわざわざ早く昼休みの時間帯に会社に来て、しかもコーヒーの差し入れまで持ってきたのだ。智奈は屋上に出てくるとき、オフィスに残っているだれにともなくそう云って席を外した。そのだれかに訊ねて、智奈がここにいると探り当てたのだろうけれど――
 そんな面倒なことまでする人だとは思わなかった。なぜ気にかけてくれるの?
 疑問と同時に、急激に堂貫が身近になったと感じるのは、ギャップのせいだろう。いい人がいいことをしてもあたりまえにしか映らないけれど、悪い人の善行を見たとたん、いい人なのだと感動して見る目が変わる。それと似ているかもしれない。堂貫は悪い人ではなくても、他人には関心が薄そうな、ひと際クールな人だ。
「そう……あらためて云われると……何から話していいかわからなくなります。でも、ありがとうございます。時間を取って……」
 すみません、という言葉はやはり発するまえに堂貫にさえぎられた。
「おれがどう自分の時間を使おうが、人に干渉される筋合いはない。即ち、謝られたり感謝されたりする道理はない」
「はい。堂貫オーナーは感謝されるのが苦手なんですね、たぶん」
 云ってしまったあとに生意気だったと気づいたけれど、取り消しはできない。機嫌を損なっていないか、智奈は少し身をすくめると。
「そうかもしれない」
 拍子抜けするくらい、堂貫はあっさりと認めた。
「おれが見返りを求めるのはビジネスに限る」
「あの、うちの――リソースAの買収はどんな見返りがあったんですか」
「リソースAの強みはヘッドハンティング力だ。おれの会社は一般的な人材派遣業だが、互いに補えると判断した」
 堂貫の会社、GUエージェントは人材派遣業を営んでいる。全国展開をしていて、二年前に規模、業績ともに業界の一番手に躍り出た。二十九歳という若さと相まって、会社も創業から丸七年と若い。経営者になるなど、二十四歳の智奈は志したこともなければ考えたことすらない。ましてや、全国の同業者を次々に傘下に置いたすえ、あっという間に巨大な企業に成長したという、その手腕がどんなものか想像もつかない。
「人材業の覇者になるつもりですか」
 冗談っぽく智奈が訊ねると、堂貫はゆっくりと笑みを浮かべた。笑みというには皮肉っぽくもあるけれど――
「そのとおりだ」
 と、認めた声は興じているように聞こえた。
「すごいですね」
 智奈が心底から感心すると、堂貫はなんでもないことのように肩をそびやかした。そうして、ふと、堂貫は智奈のお弁当を指差した。
「いつも手作り弁当か」
「最近は――父の事件が公になってからはずっとこんなです。堂貫オーナー、昼ごはんは食べました?」
「いや、このあと行く」
 堂貫のように立場が上になったり忙しかったりすると、食事の時間もまちまちになるのかもしれない。智奈は自分のお弁当を見下ろして、それから手をつけていない一角からピックを抓んで取りだした。
「冷えてますけどどうですか。わたしのオススメです。お箸つけてませんから」
 差し出がましいとは思ったけれど、出したものは引っこめづらい。智奈は断られるまえに、断られる覚悟をした。
「なんだ」
「鶏肉の天ぷらです。ちょっとお醤油に漬けこんで揚げるんです。もも肉だからやわらかいし……」
 云っているさなかに堂貫は前のめりになったかと思うと、口を開けて、智奈の一口よりは少し大きい天ぷらに喰いついた。その反動か、堂貫のオールバックにした前髪がひと筋、はらりとこめかみ辺りに落ちる。
 堂貫は顔を上げていき、智奈の手には、主をなくして途方にくれたように、ピックだけがぽつんと残っている。堂貫を見上げると、ゆっくりその口もとを動かしている。しばらくして、こくんと呑みこんだ。
「確かに美味い」
 ぽかんとして、堂貫の突拍子もない振る舞いを他人事のように眺めていた智奈は、感想を聞いてハッと我に返った。
 屋上には何人か人が出てきている。会社の人がいないか智奈はさっと見渡したけれど、視界の届いた範囲には幸いにして見当たらなかった。
 こんなことをする人とは思わず、智奈は堂貫に目を戻してびっくり眼で見つめた。
「……よかったです。堂貫オーナーは舌が肥えてるだろうし、素朴すぎるかもしれないですけど」
「“舌が肥えている”もとになった料理は、完璧すぎて美味しさがわからなくなる。素朴だから美味しいのかもしれない」
「……そこまでなったら、一般庶民のわたしからするとやっぱり贅沢だとしか思えません」
「一般庶民? ――のわりに、ホストクラブに通って散財していると聞いたが」
 堂貫は果たして感情に揺さぶられることがあるのか、どんなときも淡々としているのか、いまも、嫌味でも軽蔑するでもなく単なる事実として云う。
 おかげで智奈が焦ることはなかったけれど、少しばつが悪い思いはある。
「それは……父がわたしに遺したお金を早く使いきりたかったからです」
 堂貫は怪訝そうな様子で首をひねった。
「なぜ? これから独りで生活していくとしたら、金はあったほうがいいだろう。いざというときのために投資でもすればいい」
「わたしがお金を持っていても、どうせ母に取られてしまうからなくなります。だから使ってるんです」
 すると、眼鏡をかけていても明白にわかるくらい、堂貫は眉間にしわを寄せた。
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