画家と天使の溺愛生活

秋草

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結末の章

画家を追いかけて

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 憧れの画家、暮坂颯人の正体——倉瀬要真への想いを抱え続け、四回目の夏を迎えた。その間、彼とは一切連絡を取り合っていない。一度彼の家の前まで行き、偶然居合わせた彼の兄に要真宛の手紙を渡したが、ただそれだけだ。メールを知っているならばメールを送ればいい、と言われればそれまでだが、万が一何の返信もないなどという事態が起これば、立ち直れない自信があった。
 そんな臆病者がようやく勇気を出して取った行動は、沈黙を貫いた反動なのか随分と思い切ったものになった。今彼女がいるのは、他でもない、フランスの大通り……そう、メールや電話どころではなく、突撃である。
 兄・巧の猛反対を押し切り単身海を渡った真静は、ガイドブックの地図を頼りにパリ市内を歩き回った結果、一つの校門に辿り着いた。
ガラガラとスーツケースを引き、学校名が書かれたプレートに駆け寄る。
「ええと……エコール、ナショ……た、多分ここ!」
 会いに行こう、と思い立ったが吉日と即準備即出国だったため、フランス語が大変お粗末な状態で来てしまったことを今更ながら自覚する。いや、お粗末どころではない。まるで理解不能である。
 校内には誰でも入れるようで、とりあえず足を踏み入れることにした。
 大きなスーツケースを転がしながら、いかにも不慣れな様子でキョロキョロと辺りを見回す姿はかなり目立ったらしく、通りすがりの学生達が怪訝な顔で見てくる。
「うう、大学が広い……」
 せめてスーツケースをホテルに置いて来ればよかった、と身も心も重くなり項垂れる。
「少し休もう」
 キョロキョロと辺りを見回したところ、どうやら道から少し離れた木陰のベンチが空いているようだ。
 小走りにベンチに駆け寄り、腰を下ろした瞬間に深く息をついた。木陰の涼しい空気が、夏の暑さの中ではとても気持ちが良い。
 バッグから水入りのペットボトルを取り出し水分補給をすると、一層身体は楽になった。
 改めてキャンパスを見渡し、目的の人物をそれとなく探す。
「やっぱり、すぐには見つからないか……」
 一人肩を落とし、風を感じようと目を閉じる。そうしていると風がより心地よく感じるのだが、生憎と今日はそればかりでなく、不安も同時に積もっていった。
 遥々海外まで来たものの、もしも要真に恋人ができていたらどうしようか。もっといえば、「もう近づくな」などと言われたらどうしようか。会ってもいいものか、このまま観光だけして帰るべきなのか。
 暗い思考が頭の中を駆け巡り、堪らず目を開けてため息をつく。と、目を開けた瞬間に飛び込んできたのは青い瞳で、思わず小さな悲鳴と共に身を引いてしまった。なるほど、どうやら顔を覗き込まれていたらしい。だが、初対面でいきなり間近に見てくるのはいかがなものだろうか。
「——」
 真正面から真静の顔を無遠慮に覗き込んできた人物——青い瞳に長いブロンドの北欧系美人が何かを言ったが、おそらくフランス語なのだろう、全く分からない。
 身を固くしたまま彼女を凝視していると、彼女は伝わらないことを察したのか、真静の隣を指差し、ぎこちない英語と無表情で訊いてきた。
『となり、いい?』
『は、はい』
 真静から許可を得た美女は表情を崩さずにベンチに腰掛け、またジッと真静を見つめた。
『あ、あの、何か……?』
『……なんでもない。くらいかお、どうしたの?』
『えっ』
 なんと、彼女は真静を心配してくれていたようだ。それでもあの距離はどうかと思うが。
『ええと、人探しをしていて、なかなか見つからないので落ち込んでいました』
『ひとさがし? ……よければ、なやみきくよ』
『……実は』
 誰かに話し、気楽になりたかったのかもしれない。話す許しを得た真静は、相手が初対面であることも、名を知らないことも気にせず、ポツポツと話し始めていた。


『……それで、思い切ってフランスに来てみたのですけれど、あの人に会って良いものか、悩んでしまって』
『……あいたいの?』
『はい。でも、もしも無視されたらと思うと怖いんです。本当、臆病にも程がありますよね』
 嫌になります、と苦笑をもらせば、美女は少し考えるように視線を外し、木漏れ日を一瞥すると再び真静を見つめた。
『あいたいなら、あうべき。こうかいするから』
『後悔……』
 後悔する可能性と、拒絶される可能性。その二つの可能性とそれに伴う様々な感情が胸の内を巡り、視線を伏せる。
 その時だった。

「佐成、さん……?」

 その声が聞こえたとき、真静は時が一瞬止まったように感じた。
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