画家と天使の溺愛生活

秋草

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すれ違いの章

天女にときめきを

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 夕陽が地平線にかかる頃、真静達がたどり着いたのは、日本屈指の高級ホテルのエントランス前だった。ドアのガラス越しに見えるエントランスホールには、真静の両腕幅はあろうかというシャンデリアが眩い光を放っている。
「こ、ここでパーティーを……?」
 完全にホテルの風格に気圧された真静の目が、自身のドレスに落とされる。今更ながら場違いな気がしてきた。
「帰りたい……」
 彼女の呟きを聴き漏らさなかった要真の顔に、一瞬で期待の色が浮かんだ。
「それじゃあ、俺の家で絵を描く手伝いをしてよ。ね、帰ろう?」
「そ、そうですね、その方が良いかも、」
「こんばんは、真静さん」
 帰る方に傾いていた真静を揺らがせるタイミングで澄み切った声がかかり、どこから現れたのかと思うほどに気配なく、悠貴がエントランスに姿を見せた。
 今日の彼は、黒地の紋付に袴、という完全なる正装だ。この格好が自然体で似合ってしまうのだから、やはり彼は家元の子なのだろう。
「邪魔だな本当……」
 真静が感心しているその横から聞こえた台詞は、空耳だと思うことにする。
 とりあえず見つかっては仕方がない、と覚悟を決め、真静は悠貴に一礼した。
「こんばんは。本日はお招きいただき、」
「ははっ、そんな堅苦しくなくても大丈夫ですよ。知り合いの方をお呼びしての、懇親会のようなものですので。料理も和洋様々に用意してありますから、存分に楽しんでください。……倉瀬もようこそ。君が僕のパーティーに来てくれるのは初めてだね」
「当然だよ。今回も、お前が真静ちゃんを呼んだりしなければ来なかった」
 柔らかな微笑みを浮かべる悠貴とは対照的に、要真の顔は普段からは想像できないほど暗い。しかし、これほどあからさまに非好意的な顔をされても、悠貴の笑みは崩れなかった。以前顔を合わせていた時といい、昔からの知り合いらしいので、慣れているのかもしれない。
「とりあえず、中へどうぞ」
 悠貴が真静に歩み寄り、自然な動きでエスコートしようとすれば、すかさず要真の腕が彼女の肩にまわった。
 差し出されかけた悠貴の右手、そして肩に回された要真の手を交互に見た真静の顔に困惑が浮かぶ。
「あ、あの……」
「倉瀬は欲張りだなあ。僕にも彼女に触れる権利はあるはずだけど?」
「それより、早く会場に案内してくれる」
 少し不満げに眉をひそめた悠貴には目もくれず、要真がエントランスの扉をくぐった。赤浜には何も声をかけていないが、あのマネージャーであれば適当なところに車を停めてから、勝手に会場に現れるだろう。気にする必要はない。……とは要真の考えであり、真静は赤浜と悠貴の扱いが不安でしょうがなかった。とはいえ、エントランスホールにちょうど要真の知り合い……もとい顧客の一人がいたらしく、すぐに完璧な笑顔で悠貴と肩を並べ3人で話し出したため、赤浜を気遣うタイミングを逃してしまったのだが。


 結局悠貴の案内で会場に入ったのは、ホテル到着から30分は経とうかという時だった。要真の顧客は悠貴の知り合いでもあり、本日のパーティーの参加者でもあったとのことで、3人で世間話に花を咲かせていたのだ。ちなみにその間、真静は要真の半歩後ろで様子を伺っていた。しかし決して暇ではなく、顧客の口から飛び出す次回の暮坂への依頼の話やらこれまでの作品の話やらは、真静の目を輝かせるのに足るものであった。
「次回は海がテーマなのですね。作品を見るのが楽しみです」
 アトリエに通うことが日常の一コマとなった今、真静は無意識のうちに、全ての絵の完成形を目にするのが当然と思っている。事実その通りなので、別に勘違いなどではないのだが。
「どう仕上げるかは決まりましたか?」
「あらかたね。でも、今深く考えると亡霊みたいに動かなくなるだろうから、帰ってじっくり考え直すよ。構図を決めたら真静ちゃんに真っ先に教えるね」
「ありがとうございます!」
 顔を綻ばせて頬を赤く染める真静に、要真の目が愛おしげに細められる。と、甘くなりかけた空気を一瞬で消しとばす声が、横から容赦なく飛んできた。
「真静ー!!」
「ひゃっ! ……彩愛?」
 どこからともなく飛んできた影——その正体彩愛——が真静に飛びかかり、真静を全力で抱きしめる。
 思わぬ親友の登場に、真静は抱きしめ返しながらも声をうわずらせた。
「ど、どうして彩愛がここに?」
「お父さんが呼ばれたから、付いてきたの! 真静も誘ったって、この和装変態に聞いてたし!」
「和装変態って、彩愛、いくらなんでも失礼では……」
「いいのいいの! それよりさ、早くビッフェコーナー行こうよ! 一緒に食べたくて、待ってたんだから!」
「彩愛……」
 この満面の笑みが、親友ながらにとても愛しく思える。が、今日は同伴者がいる身だ。親友とあまりべったりではいられない。
「あのね彩愛、今日は同伴者がいて……」
 そう言ってちらりと隣の要真を一瞥し、彩愛に目を向けなおす。と、彩愛は見知らぬ男の名を察したらしく、ぷくりと頬を膨らませた。
「あなたが倉瀬? 悪いけど、真静は誰のものでもない……強いて言うならあたしのものだから。同伴者であっても、少しくらい離れて動いたって文句言わないでくれる?」
 若干喧嘩ごしのセリフに聞こえるが、要真は全く言葉の棘を意に介さず、真静を見下ろした。
「真静ちゃんは、友達と食事したい?」
「え? ええと、それは……はい」
「よし! それじゃあ、少しの間お別れね。意外と俺の知り合いも会場内にいそうだから、片っ端から挨拶を済ませてくるよ。挨拶が済んだら迎えに行く」
「あ、ありがとうございます!」
 ホッとした顔で笑う真静に笑みを返し、要真が彩愛に目を向ける。
「改めて、っていうのかな? 倉瀬要真です。よろしく、灯崎彩愛さん」
「え、なんであたしの名前……」
「佐成さんの口から何十回と聞いた名前だからね。いつも親友の自慢をしているんだよ、佐成さんは」
 その際の真静の顔が可愛くていつもちゃんと話を聞いていない、とは言わないでおいた。そんなことを話しては彩愛が般若になりかねないだろう。
「さて、そろそろ挨拶回りに行ってこようかな。伊澄、お前も挨拶だよね?」
 これは、悠貴だけが女子二人にくっついて行くことがないように、との釘刺しでもある。
 悠貴は真静に意味ありげな流し目を送ってから、「そうだよ」と頷いた。
「じゃあ、また後でね、真静ちゃん」
 真静に微笑んだ要真は悠貴の肩に手をかけ、談笑しながら二人で会場の奥に向かった。
「ああして見ると、とても仲がいいのに……」
 そんな呟きが真静から漏れるほどに、二人の愛想の仮面は完璧であった。
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