画家と天使の溺愛生活

秋草

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再会の章

溺愛者の攻防

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「——はい、はい、わかりました。——おやすみなさい」
 ベッド上で正座をし、緊張の電話を終えた真静は、電話を切るなりベッドに突っ伏した。声を上げたいような、妙な興奮が胸のあたりに渦巻いている。
 電話の相手は他でもない、要真だ。彼からの電話というだけで心臓は激しく脈打つというのに、今日は内容があまりに嬉しくも緊張するものだったため、今の彼女の心臓は破裂寸前だった。
「暮坂颯人さんの、アトリエに……」
 呟いてみただけで興奮が再燃し、ガバリと布団を頭から被る。
 暮坂颯人のアトリエへの招待。それ即ち、暮坂颯人の自宅への招待だ。いや、特に何かを期待しているわけではない。ただただ純粋に、暮坂颯人のアトリエ、そしてプライベート空間に足を踏み入れられることに熱狂的な大ファンとしては興奮してしまうのだ。
「暮坂さんのファンで良かった……」
 うふふ、とついつい笑いが漏れる。
 アトリエを訪れるのは明後日の土曜日で、兄も姉も家にいるため、朝早くにこっそり家を出て行くしかなさそうだ。有り難いことに母は真静と要真の交流に寛容な姿勢でいてくれる。きっと土曜日の外出にも手を貸してくれるだろう。


 そう考えて迎えた土曜日だったが、現実は、そう簡単にはいかなかった。母は前日から協力受諾をしてくれていたのだが、何を思ったか、姉と兄が真静の起床前からリビングで紅茶を飲んでいたのだ。
 二人は真静を視界に捉えるなり、彼女に飛びついた。
「お、お兄ちゃん、お姉ちゃん、まだ六時よ? こんな早く起きて、一体どうしたの?」
「おはよう、真静! 今日はなーんか眠れなくてな、つい早く起きてしまっただけだよ」
 兄の言葉に姉も同意を示したが、絶対そんな理由で起きていたわけではないと真静は確信していた。絶対二人は、真静を出かけさせないために起きていたのだ。外出の旨を彼らに話した記憶はないのだが。
「そうなのね。なら、もう一度ベッドに入ってみたら? そしたら寝られるかも」
 引きつり気味の笑顔で提案してみるが、それで引き下がる二人ではない。
「真静は出かけるんでしょう? それなら、待ち合わせ場所まで送るわよ。こんな朝早いのだもの。きっと遠出でしょう? 彩愛ちゃんとかしら?」
 そうではないと勘付いているくせに無邪気な笑顔で訊いてくるあたり、少し意地が悪く思える。
 どう答えたものかと言葉を詰まらせていると、三人の声を聞きつけたらしい母がひょっこりとリビングに顔を出した。
「あらおはよう、三人とも。巧と柚依が早起きだなんて珍しいわねえ」
 呑気で朗らかな声。爽やかな朝に相応しい温かさだ。
 母はキッチンに立ち朝食の支度を始めたが、すぐにその手を止め、巧達に目をやった。
「そうそう。せっかく早起きなのだし、今日は巧も柚依も、買い物に付き合ってちょうだい」
「ええと、それは……」
 名案閃いたり、と言いたげな顔の母に本音は言いにくいらしく、巧と柚依は視線を彷徨わせるばかりだ。
 母は二人が答えを渋る間に話を進め、遂には二人が拒否できないほどに綿密な計画を完成させた。母発案の計画には巧も柚依も心惹かれずにはいられないイベントが盛り込まれ、二人とも当初の早起きの目的を忘れて目を輝かせた。
「さて。そうと決まれば、先に出かける支度をしてきなさい。ご飯はそれからよ」
 母の言葉に、兄と姉は無邪気に自室へと駆け戻って行く。それを見送った真静は母に苦笑を向けた。
「ありがとう、お母さん」
「いいのよ。あなたにようやく訪れた春は応援したいもの」
「は、春って! 私と倉瀬さんはそんな仲ではないわ」
 頰を熱さを自覚しつつ否定するも、母のどこかからかうような笑みは変わらない。
「はいはい。そういうことにしておいてあげるから、早く行きなさい。お兄ちゃん達が戻って来るわよ?」
「もうっ、本当に違うってば! 行ってきます!」
 珍しくムキになって言い返し、真静はバッグ片手に家を飛び出した。門を出ても、母のせいで心臓が強く脈打つ。
「もう、もうっ」
 春なんて、そんな感情はない。彼に対してのこの熱い想いは、彼を尊敬するが故のものだ。決して恋愛などではない、はずだ。
 ああだこうだと考えるうちに、気づけば駅前まで来ていた。よくこうも周囲に無関心で事故に遭わなかったものだ。
 腕時計は約束の三十分前を示している。予定より十分遅くなったが、大勢に影響はない。
 まだ彼は来ていないことを確認し、駅前広場ののベンチに腰を下ろす。そしてバッグを開き、スマホを手にしたところで、突如視界が真っ暗になった。
「ひゃっ⁉︎」
 何事かと頭が真っ白になり、身を縮こませる。と、耳元で微かな含み笑いが聞こえ、続けて背後から艶やかな声が吹き込まれた。
「またお会いしましたね、真静さん」
「っ、その声……!」
 視界に明るさが戻り、少し首を巡らせれば、今にも鼻が触れそうな距離で見つめられた。
「おはよう」
「い、伊澄、さん……」
 真静が名前を呟けば、彼はその艶やかな笑みを深めたのだった。
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