記憶の先に復讐を

秋草

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第三章

貴族の勧誘

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 俺たちが案内されたのは、店の上にある小部屋だった。4人がけのテーブルと小洒落た椅子、素朴な色合いの絵画や陶芸品……来客用の応接室になっているようで、派手ではないが整えられている。
 ヤオランは俺達に席をすすめ、柑橘の香りが漂うハーブティーを運んできた。

「……とても良い香りですね。味も深みがあってとても美味しいです。こちらのハーブティーはどちらで用意されたのですか?」

 立て続けに二回、三回とカップを傾けたソフィアがリラックスした声でヤオランに問う。随分と気に入ったようだ。たしかに、味も香りも拘りを感じる良い品だとは思う。
 問われたヤオランはというと、少しの間をおいてから今日一番の嬉しそうな目で微笑んだ。

「これは売り物ではなくて、実は、私の手作りのハーブティーなのです。ハーブティー作りは昔からの趣味なもので、たまにこうして振る舞っているのですが……ソフィア様に褒めていただけると嬉しいです」

 ありがとうございます、とはにかむヤオランに俺の口元も自然緩む。そしてその緩んだ口からは、思いつきがそのまま飛び出した。

「ヤオラン、もしあなたが良ければなのだが、我が家の厨房で働かないか?」
「私が、ですか?」
「ああ、シェフとして来てもらうのはどうだろうか」

 元々シェフだったのなら、その腕を我が家で振るってもらうのも悪くない。きっと彼にとっても悪くない話のはず……

「それだけは、シェフだけはなれません。せっかくのお話を無碍にする無礼を、どうかお赦しください」
「……理由を訊いても?」
「それは……」

 少しの間躊躇いを見せたヤオランだったが、ソフィアを一瞥すると意を決したように口を開いた。

「私は、殿下の最愛の方を自らが用意した食事で殺した人間です。そのような罪を犯した私がもう一度厨房に立つなど、できるはずがありません」
「食事で? それは……毒でも盛ったというのか?」
「まさか! 私が用意したのはただの林檎です。ですが、あの方が林檎を召し上がれない体質とは知らずお渡しした罪があるのです。かの家の料理人だというのに、そのようなことも知らなかったなど赦されません」

 林檎、か。なるほど、たしかにフィリア様は林檎を食べると体調を崩されると聞いたことはある。しかし同時に、厨房に林檎を決して持ち込まないように殿下が厳命していたとも聞いている。そのような命に背いてまで、わざわざヤオランが持ち込んだとも思えない。

「この話、殿下はご存知なのか?」
「はい、既にお伝えいたしました」
「そうか、ならば問題ない」
「え?」

 王子に伝えて、あの人は彼を罰しなかった。つまり王子はヤオランに罪がないと判断したのだ。フィリア様に関することで処理を後回しにするなどあり得ないのだから、現時点で彼が無事ということはそういうことに違いない。

「殿下はあなたに罪があるとはお考えでない。殿下が無罪と断じた罪を勝手に背負うことは、王家の意思を軽んじることになると思わないか?」
「それは、そうとも言えますが」
「そう心配するな。殿下のお考えが気になるのなら、あなたが我が家で働く旨を私から殿下に報告しておく。それで何も言われなければ問題ないだろう?」
「で、ですが、もしもまた私がご用意したもので何かあったら、」
「フィリア様と瓜二つとはいえ、幸いソフィアには苦手な料理も食べられない食材もない。もちろん当家の者全員も同様だ。故に、好きなように腕を振るってもらって構わない。他に問題は?」

 ここまで拒否されると意地でも雇ってやるという気になる。それ故に畳み掛けてしまったが、どうだろうか。

「本当に私ごときが、貴方様ほどの方のお屋敷でお仕えしてよろしいのでしょうか」
「我が家にきてもらう価値があることは、このソフィアの表情が証明している。お茶でソフィアを癒してみせたのだから、次は料理で彼女を喜ばせてくれないか?」
「………そこまで仰っていただけるのならば、お断りする理由はございません。お仕えするからには、皆様にお楽しみいただけるものを常にご用意できるよう努めてまいります」
「そう堅くなるなよ、ヤオラン。これからよろしく頼む」

 苦笑気味に、しかしどこか興奮気味でもある目を細めて笑ったヤオランは、俺が差し出した手を包むように握った。
 こんな堅物な男が適当な仕事をするはずもない。となると、フィリア様の件は何か裏がありそうだ。……まあいい、明日にでも王子を問いただしてみよう。きっとあの人なら、何か知っているだろうから。
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