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第三章
貴族の仮面
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「やあアドレイ、久しぶりだね」
日が沈もうかという刻限、一日の仕事を終えて官舎から出たところで、意外な人物に声をかけられた。
「ラガルド様?」
ラガルド・レア・ノーリス……国内屈指の貴族、ノーリス“一族”の次期当主。我が家のディフ・ノーリス家とは同じノーリスでも権威が違う。そんな男に並の貴族が喧嘩を売ろうものなら、その日のうちに一家消滅だ。
「ラガルドでいいと以前から言っているのに。アドレイは帰るところだったかい?」
「いいえ、もう少しは……と、それよりも、このような所に何か御用でしょうか?」
「いいや、特に用はないさ。ただ少し、君と話をしたくてね」
「私と、ですか?」
社交界の淑女達を魅了してきた微笑で言われても少しも響かないが、ご本家様のお望みは叶えて差し上げた方が無難だろう。
「私などでよろしければ、喜んで」
「おや、随分と不本意そうだね。何か予定があったかい?」
「いいえ、特には」
まずい、顔に出ていたか。たしかに正直なところ、今はこの人と二人で顔を合わせるなどしたくない。万が一にも酒が入ろうものなら、酔った勢いで胸ぐらを掴みそうだ。
「それで、お話というのは?」
「そう急ぐこともないだろう。とりあえず私の執務室にでも行って、紅茶でも飲みながら話そうか」
部屋に? そんなことになれば、すぐに帰ることができなくなるではないか。引き攣って仕方がないこの微笑を維持するのはそろそろ限界だというのに。
「申し訳ございません、この後、殿下からチェスの相手で呼ばれているのを思い出しました。大変恐れ入りますが、本日はこれで」
「おや、そうだったのか。殿下は相変わらずお前がお気に入りなのだね」
殿下の気に入り。そう言ったラガルドの声が少しだけ尖った気がする。大方、自分が気に入られていないが故に妬んでいるのだろう。
「それならば仕方ない。ああそうだ、一つだけいいかな? 次の週末に本邸で開催する夜会には来られそうかい?」
夜会? ああ、レア・ノーリス家主催の大規模な夜会のことか。毎年この時期に開催される夜会には国中の有力貴族が集い、腹の探り合いや政略結婚の相手探しをしている。そんな居心地最悪の夜会に出たいわけがないが、流石に分家が欠席するわけにもいかず毎年顔出しくらいはしているのだ。
「ええ、今年もご挨拶に伺います」
貼り付けた笑顔で頷けばラガルドは満足げに笑い、「待っているよ」とだけ言い残して去って行った。
彼の背中を見送り、完全に姿が見えなくなった途端、俺の顔から笑みが崩れ去る。ふと自分の手を見て、掌に爪の跡がくっきりと残っていることに眉を顰めた。
「よく耐えましたね、アドレイ様」
背後に控えていたゲイルの、やたらと平坦な声。それだけでこいつも同じ心境だったのだと察せる。
「今はまだ、抑えなくては」
あの男にはまだ、牙を立ててはならない。まだその時ではない。
それでも、漏れ出る感情はどうしたってあるのだ。どうしたってあの男だけは、憎んでも憎みきれないのだ。
「ジルの仇は、いずれ取る」
ソフィアが口にした仇の名……ずっと二人が囚われ続け、ジルが命を落とす原因となった男の名こそが、ラガルド・ノーリスなのだから。
これは復讐だ、決して手は抜かない。来るその時まで、首を洗って待っているがいい。
日が沈もうかという刻限、一日の仕事を終えて官舎から出たところで、意外な人物に声をかけられた。
「ラガルド様?」
ラガルド・レア・ノーリス……国内屈指の貴族、ノーリス“一族”の次期当主。我が家のディフ・ノーリス家とは同じノーリスでも権威が違う。そんな男に並の貴族が喧嘩を売ろうものなら、その日のうちに一家消滅だ。
「ラガルドでいいと以前から言っているのに。アドレイは帰るところだったかい?」
「いいえ、もう少しは……と、それよりも、このような所に何か御用でしょうか?」
「いいや、特に用はないさ。ただ少し、君と話をしたくてね」
「私と、ですか?」
社交界の淑女達を魅了してきた微笑で言われても少しも響かないが、ご本家様のお望みは叶えて差し上げた方が無難だろう。
「私などでよろしければ、喜んで」
「おや、随分と不本意そうだね。何か予定があったかい?」
「いいえ、特には」
まずい、顔に出ていたか。たしかに正直なところ、今はこの人と二人で顔を合わせるなどしたくない。万が一にも酒が入ろうものなら、酔った勢いで胸ぐらを掴みそうだ。
「それで、お話というのは?」
「そう急ぐこともないだろう。とりあえず私の執務室にでも行って、紅茶でも飲みながら話そうか」
部屋に? そんなことになれば、すぐに帰ることができなくなるではないか。引き攣って仕方がないこの微笑を維持するのはそろそろ限界だというのに。
「申し訳ございません、この後、殿下からチェスの相手で呼ばれているのを思い出しました。大変恐れ入りますが、本日はこれで」
「おや、そうだったのか。殿下は相変わらずお前がお気に入りなのだね」
殿下の気に入り。そう言ったラガルドの声が少しだけ尖った気がする。大方、自分が気に入られていないが故に妬んでいるのだろう。
「それならば仕方ない。ああそうだ、一つだけいいかな? 次の週末に本邸で開催する夜会には来られそうかい?」
夜会? ああ、レア・ノーリス家主催の大規模な夜会のことか。毎年この時期に開催される夜会には国中の有力貴族が集い、腹の探り合いや政略結婚の相手探しをしている。そんな居心地最悪の夜会に出たいわけがないが、流石に分家が欠席するわけにもいかず毎年顔出しくらいはしているのだ。
「ええ、今年もご挨拶に伺います」
貼り付けた笑顔で頷けばラガルドは満足げに笑い、「待っているよ」とだけ言い残して去って行った。
彼の背中を見送り、完全に姿が見えなくなった途端、俺の顔から笑みが崩れ去る。ふと自分の手を見て、掌に爪の跡がくっきりと残っていることに眉を顰めた。
「よく耐えましたね、アドレイ様」
背後に控えていたゲイルの、やたらと平坦な声。それだけでこいつも同じ心境だったのだと察せる。
「今はまだ、抑えなくては」
あの男にはまだ、牙を立ててはならない。まだその時ではない。
それでも、漏れ出る感情はどうしたってあるのだ。どうしたってあの男だけは、憎んでも憎みきれないのだ。
「ジルの仇は、いずれ取る」
ソフィアが口にした仇の名……ずっと二人が囚われ続け、ジルが命を落とす原因となった男の名こそが、ラガルド・ノーリスなのだから。
これは復讐だ、決して手は抜かない。来るその時まで、首を洗って待っているがいい。
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