記憶の先に復讐を

秋草

文字の大きさ
上 下
22 / 28
第三章

貴族の仮面

しおりを挟む
「やあアドレイ、久しぶりだね」

 日が沈もうかという刻限、一日の仕事を終えて官舎から出たところで、意外な人物に声をかけられた。

「ラガルド様?」

 ラガルド・レア・ノーリス……国内屈指の貴族、ノーリス“一族”の次期当主。我が家のディフ・ノーリス家とは同じノーリスでも権威が違う。そんな男に並の貴族が喧嘩を売ろうものなら、その日のうちに一家消滅だ。

「ラガルドでいいと以前から言っているのに。アドレイは帰るところだったかい?」
「いいえ、もう少しは……と、それよりも、このような所に何か御用でしょうか?」
「いいや、特に用はないさ。ただ少し、君と話をしたくてね」
「私と、ですか?」

 社交界の淑女達を魅了してきた微笑で言われても少しも響かないが、ご本家様のお望みは叶えて差し上げた方が無難だろう。

「私などでよろしければ、喜んで」
「おや、随分と不本意そうだね。何か予定があったかい?」
「いいえ、特には」

 まずい、顔に出ていたか。たしかに正直なところ、今はこの人と二人で顔を合わせるなどしたくない。万が一にも酒が入ろうものなら、酔った勢いで胸ぐらを掴みそうだ。

「それで、お話というのは?」
「そう急ぐこともないだろう。とりあえず私の執務室にでも行って、紅茶でも飲みながら話そうか」

 部屋に? そんなことになれば、すぐに帰ることができなくなるではないか。引き攣って仕方がないこの微笑を維持するのはそろそろ限界だというのに。

「申し訳ございません、この後、殿下からチェスの相手で呼ばれているのを思い出しました。大変恐れ入りますが、本日はこれで」
「おや、そうだったのか。殿下は相変わらずお前がお気に入りなのだね」

 殿下の気に入り。そう言ったラガルドの声が少しだけ尖った気がする。大方、自分が気に入られていないが故に妬んでいるのだろう。

「それならば仕方ない。ああそうだ、一つだけいいかな? 次の週末に本邸で開催する夜会には来られそうかい?」

 夜会? ああ、レア・ノーリス家主催の大規模な夜会のことか。毎年この時期に開催される夜会には国中の有力貴族が集い、腹の探り合いや政略結婚の相手探しをしている。そんな居心地最悪の夜会に出たいわけがないが、流石に分家が欠席するわけにもいかず毎年顔出しくらいはしているのだ。

「ええ、今年もご挨拶に伺います」

 貼り付けた笑顔で頷けばラガルドは満足げに笑い、「待っているよ」とだけ言い残して去って行った。
 彼の背中を見送り、完全に姿が見えなくなった途端、俺の顔から笑みが崩れ去る。ふと自分の手を見て、掌に爪の跡がくっきりと残っていることに眉を顰めた。

「よく耐えましたね、アドレイ様」

 背後に控えていたゲイルの、やたらと平坦な声。それだけでこいつも同じ心境だったのだと察せる。

「今はまだ、抑えなくては」

 あの男にはまだ、牙を立ててはならない。まだその時ではない。
 それでも、漏れ出る感情はどうしたってあるのだ。どうしたってあの男だけは、憎んでも憎みきれないのだ。

「ジルの仇は、いずれ取る」

 ソフィアが口にした仇の名……ずっと二人が囚われ続け、ジルが命を落とす原因となった男の名こそが、ラガルド・ノーリスなのだから。


 これは復讐だ、決して手は抜かない。来るその時まで、首を洗って待っているがいい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

十分我慢しました。もう好きに生きていいですよね。

りまり
恋愛
三人兄弟にの末っ子に生まれた私は何かと年子の姉と比べられた。 やれ、姉の方が美人で気立てもいいだとか 勉強ばかりでかわいげがないだとか、本当にうんざりです。 ここは辺境伯領に隣接する男爵家でいつ魔物に襲われるかわからないので男女ともに剣術は必需品で当たり前のように習ったのね姉は野蛮だと習わなかった。 蝶よ花よ育てられた姉と仕来りにのっとりきちんと習った私でもすべて姉が優先だ。 そんな生活もううんざりです 今回好機が訪れた兄に変わり討伐隊に参加した時に辺境伯に気に入られ、辺境伯で働くことを赦された。 これを機に私はあの家族の元を去るつもりです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...