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第三章
王子の愛
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君を、愛してる。何よりも。
ああ、どうか、どうか消えないで。声も眼差しも温もりも、全てが私に必要だから。
あなたは、私の全てだから。
**********
気分が悪い。非常に気分が悪い。こんなに心穏やかでないのはいつぶりだろうか。
「どうやら執務も手につかぬご様子、いっそついて行かれればよろしかったのでは」
「同行しようとしたのを仕事があると引き止めたのは誰だ」
「はて、そのような者には覚えがございませんが」
もう夕方も近いというのに普段の半分ほども仕事が進まず、みかねたフィスから声がかかった。だが、引き止めたのはこの男だ。つい今朝方の出来事でしらばっくれるとはいい度胸をしている。
「今回の外出については、行方不明のラーカイズ家捜索に必要である以上、仕方がないと割り切ってはいるさ」
どうしても必要なのだとアドレイに説得されたのが昨日のこと。あの男は早速ソフィアを街へと連れ出し、記憶の鍵を探しに行った。彼女の記憶があのラーカイズ家の行方を知る手がかりだと言われれば、助力しない理由は……ない。
そうは言っても、重いため息が漏れることを抑えるつもりもない。別の男とソフィアが二人でいることが耐えがたいのもあるが、何より彼女の体が心配だ。まだ記憶が戻っていないのだから決して体調も万全ではないだろう。もしも今回の外出で倒れでもしたら、二度目を許せる気がしない。
「フィス、彼女が体調を崩していないかを見てきてくれないか。彼女を見つけた川か街の中を探せばいるはずだ」
「かしこまりました。グレイン様のお側には一時的に別の者をお付けします」
一礼をして部屋を後にしたフィスを見送り、机上の書類達に目を戻す。とりあえず、彼女が戻るまでには区切りをつけなくては……そう思ってペンを走らせ始めたが、すぐにその手は止まった。
見送ってから大して経たぬうちに、フィスがアドレイの従者と共に戻ってきたのだ。
「グレイン様、ご報告が」
「なんだ、溜めずに早く言え」
ゲイルを一瞥し、フィスが重々しく口を開く。嫌な予感しかない。
「ソフィア様が、気を失った状態で戻られました」
「気を失っただと!? ゲイル、一体何があった!」
声を荒げて問えば、ゲイルはいつもの軽さを消した眼差しと口調で答えた。
「アドレイ様とお二人で街を歩かれていた際に青いペンダントを手にした少女と出会われ、少女が持っていたペンダントを見た途端、お倒れに」
余程心配なのか、この男にしては珍しく語尾が震えている。
「ソフィアは、今どこにいる」
「アドレイ様が、ソフィア様のお部屋に運んでいらっしゃいます」
「目は覚めたか」
「運び込まれた時点では、まだ」
そこまで聞いて尚、大人しくここに留まれるわけがない。速やかに道を開けたフィスとゲイルの間を抜け、彼女の部屋に向かった。
**********
彼女を部屋に入った時、そこには枕元で項垂れるアドレイの姿があった。
「アドレイ」
「っ、殿下」
私に向けられた目は普段の鋭さを失い、ひたすらに悲壮感が漂っている。
「彼女の様子は」
「まだ目が覚めないようで、医師を呼んでいます」
「そうか」
こんな時でも、彼女の手を握るアドレイに嫉妬してしまう自分の浅ましさには、ほとほと呆れてしまう。だがそんな些事から視線をずらした私の意識は、すぐにアドレイのもう片方の手に向けられた。
「アドレイ、その手に持っているものは何だ」
「……ああ、これですか。これ、は」
握りしめた物に目を落としたアドレイの肩が、小さく震える。
「これは、街の子供が持っていたペンダントです。そして……そして、ジルがソフィアに贈ったものなのです」
震える手で差し出したペンダントの縁には小さなラピスラズリが飾られ、その円の中心には見覚えのある紋章が彫られていた。たしかにこの紋章、ラーカイズ家のものではないか。なるほど、彼女に何かが起こるトリガーとなったのも頷ける。
「少女はなぜこれを?」
「川のほとりで拾った、と」
彼女と一緒に流れてきて、途中で離れたということか。
「ソフィアは、これを見た途端に震え始めて、あいつの名前を呼んだと思ったら気を失って……一体あいつとソフィアに何があったのか」
アドレイ、お前にとって二人はそれほど大切な存在なのだな。お前のそんな顔は一度だって見たことはなかった。
友にかける言葉も見つからず、彼女の方に目を移す。と、彼女の眉がわずかに顰められ、うめき声が溢れた。
「っ、ソフィア!」
俯いていたアドレイの顔が瞬時に彼女に向き、黒檀の髪を撫でる。その仕草一つにも、アドレイの彼女への想いが詰まっていた。
ああ、どうしようもないな。ジル・ラーカイズの話を聞けば聞くほど、そしてアドレイの目を見るほどに、私が彼女の手を取れる日は来ないのだろうと痛感させられる。そして、やはりフィリアとは別人なのだと、夢から覚めるしかないのだと、そう思わされるのだ。
「ソフィア、聞こえるか? ソフィア」
アドレイの呼びかけに、ソフィアの目が少しずつ開いていく。
「ソフィア、大丈夫か?」
「アドレイ、様……?」
焦点が定まった目に浮かんだのは、驚きと安堵。寸の間言葉を探していた彼女から発せられたのは、私が耳にしたことのない、親しみのこもった音色だった。
「アドレイ様、また、お会いできましたね」
ああ、どうか、どうか消えないで。声も眼差しも温もりも、全てが私に必要だから。
あなたは、私の全てだから。
**********
気分が悪い。非常に気分が悪い。こんなに心穏やかでないのはいつぶりだろうか。
「どうやら執務も手につかぬご様子、いっそついて行かれればよろしかったのでは」
「同行しようとしたのを仕事があると引き止めたのは誰だ」
「はて、そのような者には覚えがございませんが」
もう夕方も近いというのに普段の半分ほども仕事が進まず、みかねたフィスから声がかかった。だが、引き止めたのはこの男だ。つい今朝方の出来事でしらばっくれるとはいい度胸をしている。
「今回の外出については、行方不明のラーカイズ家捜索に必要である以上、仕方がないと割り切ってはいるさ」
どうしても必要なのだとアドレイに説得されたのが昨日のこと。あの男は早速ソフィアを街へと連れ出し、記憶の鍵を探しに行った。彼女の記憶があのラーカイズ家の行方を知る手がかりだと言われれば、助力しない理由は……ない。
そうは言っても、重いため息が漏れることを抑えるつもりもない。別の男とソフィアが二人でいることが耐えがたいのもあるが、何より彼女の体が心配だ。まだ記憶が戻っていないのだから決して体調も万全ではないだろう。もしも今回の外出で倒れでもしたら、二度目を許せる気がしない。
「フィス、彼女が体調を崩していないかを見てきてくれないか。彼女を見つけた川か街の中を探せばいるはずだ」
「かしこまりました。グレイン様のお側には一時的に別の者をお付けします」
一礼をして部屋を後にしたフィスを見送り、机上の書類達に目を戻す。とりあえず、彼女が戻るまでには区切りをつけなくては……そう思ってペンを走らせ始めたが、すぐにその手は止まった。
見送ってから大して経たぬうちに、フィスがアドレイの従者と共に戻ってきたのだ。
「グレイン様、ご報告が」
「なんだ、溜めずに早く言え」
ゲイルを一瞥し、フィスが重々しく口を開く。嫌な予感しかない。
「ソフィア様が、気を失った状態で戻られました」
「気を失っただと!? ゲイル、一体何があった!」
声を荒げて問えば、ゲイルはいつもの軽さを消した眼差しと口調で答えた。
「アドレイ様とお二人で街を歩かれていた際に青いペンダントを手にした少女と出会われ、少女が持っていたペンダントを見た途端、お倒れに」
余程心配なのか、この男にしては珍しく語尾が震えている。
「ソフィアは、今どこにいる」
「アドレイ様が、ソフィア様のお部屋に運んでいらっしゃいます」
「目は覚めたか」
「運び込まれた時点では、まだ」
そこまで聞いて尚、大人しくここに留まれるわけがない。速やかに道を開けたフィスとゲイルの間を抜け、彼女の部屋に向かった。
**********
彼女を部屋に入った時、そこには枕元で項垂れるアドレイの姿があった。
「アドレイ」
「っ、殿下」
私に向けられた目は普段の鋭さを失い、ひたすらに悲壮感が漂っている。
「彼女の様子は」
「まだ目が覚めないようで、医師を呼んでいます」
「そうか」
こんな時でも、彼女の手を握るアドレイに嫉妬してしまう自分の浅ましさには、ほとほと呆れてしまう。だがそんな些事から視線をずらした私の意識は、すぐにアドレイのもう片方の手に向けられた。
「アドレイ、その手に持っているものは何だ」
「……ああ、これですか。これ、は」
握りしめた物に目を落としたアドレイの肩が、小さく震える。
「これは、街の子供が持っていたペンダントです。そして……そして、ジルがソフィアに贈ったものなのです」
震える手で差し出したペンダントの縁には小さなラピスラズリが飾られ、その円の中心には見覚えのある紋章が彫られていた。たしかにこの紋章、ラーカイズ家のものではないか。なるほど、彼女に何かが起こるトリガーとなったのも頷ける。
「少女はなぜこれを?」
「川のほとりで拾った、と」
彼女と一緒に流れてきて、途中で離れたということか。
「ソフィアは、これを見た途端に震え始めて、あいつの名前を呼んだと思ったら気を失って……一体あいつとソフィアに何があったのか」
アドレイ、お前にとって二人はそれほど大切な存在なのだな。お前のそんな顔は一度だって見たことはなかった。
友にかける言葉も見つからず、彼女の方に目を移す。と、彼女の眉がわずかに顰められ、うめき声が溢れた。
「っ、ソフィア!」
俯いていたアドレイの顔が瞬時に彼女に向き、黒檀の髪を撫でる。その仕草一つにも、アドレイの彼女への想いが詰まっていた。
ああ、どうしようもないな。ジル・ラーカイズの話を聞けば聞くほど、そしてアドレイの目を見るほどに、私が彼女の手を取れる日は来ないのだろうと痛感させられる。そして、やはりフィリアとは別人なのだと、夢から覚めるしかないのだと、そう思わされるのだ。
「ソフィア、聞こえるか? ソフィア」
アドレイの呼びかけに、ソフィアの目が少しずつ開いていく。
「ソフィア、大丈夫か?」
「アドレイ、様……?」
焦点が定まった目に浮かんだのは、驚きと安堵。寸の間言葉を探していた彼女から発せられたのは、私が耳にしたことのない、親しみのこもった音色だった。
「アドレイ様、また、お会いできましたね」
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