記憶の先に復讐を

秋草

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第二章

貴族の戸惑い

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 以前と変わらず令嬢のような姿をしている、けれどどこか堅い雰囲気が漂うソフィアを前にして溢れた感情は、それはもう色々あった。苛立ちや驚き、不安、それに反しての安堵や喜び……とにかく複雑で気分がいいものではない。そうなれば彼女に言いたいこと、訊きたいことも溢れてくるわけで、俺は最初にかける言葉を決めあぐねていた。しかし、ずっと黙っているわけにもいかない。そう思って必死に言葉を探していると、先に彼女が口を開いた。

「どなたかと間違われているようですが、私はリリアです。ソフィア様という方は存じ上げません」
「は……? あ、いや、君はどう見てもソフィアだろう?」

 まさかこの俺が、ソフィアと他人を見間違えるはずがない。艶やかに輝く黒檀の髪にトパーズの瞳、そしてハープの音色のように美しい声、そのどれもが彼女のものだ。

「冗談はやめてくれ、ソフィア。君がこのようなところに一人でいること自体、俺には既に驚きなんだ」
「冗談ではありません。本当に私はソフィアという名ではないのです」
「そんなはずは……」

 そんなはずはない。君はソフィアだろう? なぜ嘘をつく? なぜ俺をそのような目で見る? なぜ、あいつと一緒にいないんだ。

「ソフィア、君の事情はよくわからないが、これだけは聞かせてくれ。あいつは、ジルはどこにいる?」
「ジル……?」

 ジルの名を聞いた瞬間、彼女の熱のない表情が揺らいだ。その顔を見た俺の中に浮かんだのは、ようやくジルの行方を聞けるという喜びと生きているのかという不安だった。ああ、どうなのだろう、あいつにも早く会って一発殴りたい。そしてソフィアと笑い合う姿を見て、

「ジルとは、どなたなのですか?」

……………………。

 今、彼女は何と言った?

「あなたは何かご存知なのでしょう? ソフィア様とジル様は、一体どのような関係の方々なのですか?」

 ソフィアとジルが、どのような関係か、だと? そのようなこと、誰よりも君がよく知っているだろう。“私の宝物”《テソロ》と呼ばれて愛された君が。
 嘘だ、冗談だろう……そんな想いで彼女を見つめ、ふと我に返ったように彼女の表情に気がつく。 

「教えてください。ジル様はどのような方なのですか? ジル様はどこに?」

 きっと自分でも気がついていないのだろう必死な表情で、それでも俺との距離は変えずに問うてくる。それはさながら暗闇の中で見つけた未知の光に、「怖い」と思いながらも手を伸ばさずにはいられない迷い人のようだ。
 迷い人。……ああそうか、ようやく分かったよ。

「ソフィア、君は……記憶を喪くしているのか?」
「っ!」
 
 きっと彼女は記憶喪失の事実を知られたくなかったのだということは、彼女の様子を見ればよくわかった。俺の問いかけに目を見張り、記憶喪失を隠す上での自身の失態を悔いるように俯いたのだ。

「ソフィア、君とここで逢えたことも、君が記憶喪失であることも、君の保護者である王子以外には口外しないと約束する。だから、君がここにいる理由を聞かせてほしい」
「そ、れは、」
「アドレイ様ー、そろそろ鳩は諦めて戻りましょうよー!」
「あぁ?」

 はあ、そういえば「女性と主人が話していると邪魔をせずにはいられない男」と先ほどまで共にいたことを忘れていた。それにしても、見るからに真剣な話をしている状況でよくもまあそんなテンションで……それよりお前、さては主人だけ走らせて自分はのんびり歩いてきたな。何が「鳩は諦めて」だ。

「まったく、仕事をサボって貴婦人と密会ですか? アドレイ様も隅に置けない方ですねえ」

 にやけながらこちらへのんびり駆けてくるゲイル。しかしその顔も、俺が話していた「貴婦人」に目を向けた途端に無になった。

「え?」

 その反応がこの状況では正解だ。決して先ほどのように間の抜けたにやけ顔を浮かべるような場面ではない。

「そん、え? そ、ソフィアさん?」

 声が上擦ったゲイルに対し、妙な登場の仕方をした奴を見るソフィアの目は氷のように冷ややかだった。まあ、ゲイルのことを知らなければ今の行動は変質者じみていたことだろう。

「本当にソフィアさんですか? どうしてここに……どういうことですか、アドレイ様」
「それを問い質そうという時に邪魔をしたのはお前だ、ゲイル」

 よくも邪魔を、とゲイルを軽く睨めば、ゲイルは珍しく素直に「申し訳ございません」と真面目な顔で目を伏せた。

「それで、なぜ君はここにいる?」

 俺の問いに、再び彼女が口を開きかける。と、そこで運悪く王宮のメイドがテラスに現れ、ぺこりと一礼した。

「ご歓談中失礼いたします。リリア様、殿下がリリア様をお呼びでございますので、お部屋にお戻りくださいませ」
「そうですか……では本日は、これで失礼いたします。またどこかでお会いした際には、お話の続きをいたしましょう。さあ参りましょうか、ハウルさん」

 俺たちに挨拶をしてテラスから去るソフィアの背中を、呼び止める言葉が見つからずただ見つめる。そして姿が消える間際に、彼女のひどく寂しげな目がこちらに向けられた。
 ソフィア……ジルのこと、自分のこと、そのすべてを知っている俺たちと、君ももっと話したかったのだろう? ならば誓おう、君との再会がすぐにでも訪れることを。
 とにかくまずは、王子を問い質してみなくては。
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