12 / 28
第二章
貴族の戸惑い
しおりを挟む
以前と変わらず令嬢のような姿をしている、けれどどこか堅い雰囲気が漂うソフィアを前にして溢れた感情は、それはもう色々あった。苛立ちや驚き、不安、それに反しての安堵や喜び……とにかく複雑で気分がいいものではない。そうなれば彼女に言いたいこと、訊きたいことも溢れてくるわけで、俺は最初にかける言葉を決めあぐねていた。しかし、ずっと黙っているわけにもいかない。そう思って必死に言葉を探していると、先に彼女が口を開いた。
「どなたかと間違われているようですが、私はリリアです。ソフィア様という方は存じ上げません」
「は……? あ、いや、君はどう見てもソフィアだろう?」
まさかこの俺が、ソフィアと他人を見間違えるはずがない。艶やかに輝く黒檀の髪にトパーズの瞳、そしてハープの音色のように美しい声、そのどれもが彼女のものだ。
「冗談はやめてくれ、ソフィア。君がこのようなところに一人でいること自体、俺には既に驚きなんだ」
「冗談ではありません。本当に私はソフィアという名ではないのです」
「そんなはずは……」
そんなはずはない。君はソフィアだろう? なぜ嘘をつく? なぜ俺をそのような目で見る? なぜ、あいつと一緒にいないんだ。
「ソフィア、君の事情はよくわからないが、これだけは聞かせてくれ。あいつは、ジルはどこにいる?」
「ジル……?」
ジルの名を聞いた瞬間、彼女の熱のない表情が揺らいだ。その顔を見た俺の中に浮かんだのは、ようやくジルの行方を聞けるという喜びと生きているのかという不安だった。ああ、どうなのだろう、あいつにも早く会って一発殴りたい。そしてソフィアと笑い合う姿を見て、
「ジルとは、どなたなのですか?」
……………………。
今、彼女は何と言った?
「あなたは何かご存知なのでしょう? ソフィア様とジル様は、一体どのような関係の方々なのですか?」
ソフィアとジルが、どのような関係か、だと? そのようなこと、誰よりも君がよく知っているだろう。“私の宝物”《テソロ》と呼ばれて愛された君が。
嘘だ、冗談だろう……そんな想いで彼女を見つめ、ふと我に返ったように彼女の表情に気がつく。
「教えてください。ジル様はどのような方なのですか? ジル様はどこに?」
きっと自分でも気がついていないのだろう必死な表情で、それでも俺との距離は変えずに問うてくる。それはさながら暗闇の中で見つけた未知の光に、「怖い」と思いながらも手を伸ばさずにはいられない迷い人のようだ。
迷い人。……ああそうか、ようやく分かったよ。
「ソフィア、君は……記憶を喪くしているのか?」
「っ!」
きっと彼女は記憶喪失の事実を知られたくなかったのだということは、彼女の様子を見ればよくわかった。俺の問いかけに目を見張り、記憶喪失を隠す上での自身の失態を悔いるように俯いたのだ。
「ソフィア、君とここで逢えたことも、君が記憶喪失であることも、君の保護者である王子以外には口外しないと約束する。だから、君がここにいる理由を聞かせてほしい」
「そ、れは、」
「アドレイ様ー、そろそろ鳩は諦めて戻りましょうよー!」
「あぁ?」
はあ、そういえば「女性と主人が話していると邪魔をせずにはいられない男」と先ほどまで共にいたことを忘れていた。それにしても、見るからに真剣な話をしている状況でよくもまあそんなテンションで……それよりお前、さては主人だけ走らせて自分はのんびり歩いてきたな。何が「鳩は諦めて」だ。
「まったく、仕事をサボって貴婦人と密会ですか? アドレイ様も隅に置けない方ですねえ」
にやけながらこちらへのんびり駆けてくるゲイル。しかしその顔も、俺が話していた「貴婦人」に目を向けた途端に無になった。
「え?」
その反応がこの状況では正解だ。決して先ほどのように間の抜けたにやけ顔を浮かべるような場面ではない。
「そん、え? そ、ソフィアさん?」
声が上擦ったゲイルに対し、妙な登場の仕方をした奴を見るソフィアの目は氷のように冷ややかだった。まあ、ゲイルのことを知らなければ今の行動は変質者じみていたことだろう。
「本当にソフィアさんですか? どうしてここに……どういうことですか、アドレイ様」
「それを問い質そうという時に邪魔をしたのはお前だ、ゲイル」
よくも邪魔を、とゲイルを軽く睨めば、ゲイルは珍しく素直に「申し訳ございません」と真面目な顔で目を伏せた。
「それで、なぜ君はここにいる?」
俺の問いに、再び彼女が口を開きかける。と、そこで運悪く王宮のメイドがテラスに現れ、ぺこりと一礼した。
「ご歓談中失礼いたします。リリア様、殿下がリリア様をお呼びでございますので、お部屋にお戻りくださいませ」
「そうですか……では本日は、これで失礼いたします。またどこかでお会いした際には、お話の続きをいたしましょう。さあ参りましょうか、ハウルさん」
俺たちに挨拶をしてテラスから去るソフィアの背中を、呼び止める言葉が見つからずただ見つめる。そして姿が消える間際に、彼女のひどく寂しげな目がこちらに向けられた。
ソフィア……ジルのこと、自分のこと、そのすべてを知っている俺たちと、君ももっと話したかったのだろう? ならば誓おう、君との再会がすぐにでも訪れることを。
とにかくまずは、王子を問い質してみなくては。
「どなたかと間違われているようですが、私はリリアです。ソフィア様という方は存じ上げません」
「は……? あ、いや、君はどう見てもソフィアだろう?」
まさかこの俺が、ソフィアと他人を見間違えるはずがない。艶やかに輝く黒檀の髪にトパーズの瞳、そしてハープの音色のように美しい声、そのどれもが彼女のものだ。
「冗談はやめてくれ、ソフィア。君がこのようなところに一人でいること自体、俺には既に驚きなんだ」
「冗談ではありません。本当に私はソフィアという名ではないのです」
「そんなはずは……」
そんなはずはない。君はソフィアだろう? なぜ嘘をつく? なぜ俺をそのような目で見る? なぜ、あいつと一緒にいないんだ。
「ソフィア、君の事情はよくわからないが、これだけは聞かせてくれ。あいつは、ジルはどこにいる?」
「ジル……?」
ジルの名を聞いた瞬間、彼女の熱のない表情が揺らいだ。その顔を見た俺の中に浮かんだのは、ようやくジルの行方を聞けるという喜びと生きているのかという不安だった。ああ、どうなのだろう、あいつにも早く会って一発殴りたい。そしてソフィアと笑い合う姿を見て、
「ジルとは、どなたなのですか?」
……………………。
今、彼女は何と言った?
「あなたは何かご存知なのでしょう? ソフィア様とジル様は、一体どのような関係の方々なのですか?」
ソフィアとジルが、どのような関係か、だと? そのようなこと、誰よりも君がよく知っているだろう。“私の宝物”《テソロ》と呼ばれて愛された君が。
嘘だ、冗談だろう……そんな想いで彼女を見つめ、ふと我に返ったように彼女の表情に気がつく。
「教えてください。ジル様はどのような方なのですか? ジル様はどこに?」
きっと自分でも気がついていないのだろう必死な表情で、それでも俺との距離は変えずに問うてくる。それはさながら暗闇の中で見つけた未知の光に、「怖い」と思いながらも手を伸ばさずにはいられない迷い人のようだ。
迷い人。……ああそうか、ようやく分かったよ。
「ソフィア、君は……記憶を喪くしているのか?」
「っ!」
きっと彼女は記憶喪失の事実を知られたくなかったのだということは、彼女の様子を見ればよくわかった。俺の問いかけに目を見張り、記憶喪失を隠す上での自身の失態を悔いるように俯いたのだ。
「ソフィア、君とここで逢えたことも、君が記憶喪失であることも、君の保護者である王子以外には口外しないと約束する。だから、君がここにいる理由を聞かせてほしい」
「そ、れは、」
「アドレイ様ー、そろそろ鳩は諦めて戻りましょうよー!」
「あぁ?」
はあ、そういえば「女性と主人が話していると邪魔をせずにはいられない男」と先ほどまで共にいたことを忘れていた。それにしても、見るからに真剣な話をしている状況でよくもまあそんなテンションで……それよりお前、さては主人だけ走らせて自分はのんびり歩いてきたな。何が「鳩は諦めて」だ。
「まったく、仕事をサボって貴婦人と密会ですか? アドレイ様も隅に置けない方ですねえ」
にやけながらこちらへのんびり駆けてくるゲイル。しかしその顔も、俺が話していた「貴婦人」に目を向けた途端に無になった。
「え?」
その反応がこの状況では正解だ。決して先ほどのように間の抜けたにやけ顔を浮かべるような場面ではない。
「そん、え? そ、ソフィアさん?」
声が上擦ったゲイルに対し、妙な登場の仕方をした奴を見るソフィアの目は氷のように冷ややかだった。まあ、ゲイルのことを知らなければ今の行動は変質者じみていたことだろう。
「本当にソフィアさんですか? どうしてここに……どういうことですか、アドレイ様」
「それを問い質そうという時に邪魔をしたのはお前だ、ゲイル」
よくも邪魔を、とゲイルを軽く睨めば、ゲイルは珍しく素直に「申し訳ございません」と真面目な顔で目を伏せた。
「それで、なぜ君はここにいる?」
俺の問いに、再び彼女が口を開きかける。と、そこで運悪く王宮のメイドがテラスに現れ、ぺこりと一礼した。
「ご歓談中失礼いたします。リリア様、殿下がリリア様をお呼びでございますので、お部屋にお戻りくださいませ」
「そうですか……では本日は、これで失礼いたします。またどこかでお会いした際には、お話の続きをいたしましょう。さあ参りましょうか、ハウルさん」
俺たちに挨拶をしてテラスから去るソフィアの背中を、呼び止める言葉が見つからずただ見つめる。そして姿が消える間際に、彼女のひどく寂しげな目がこちらに向けられた。
ソフィア……ジルのこと、自分のこと、そのすべてを知っている俺たちと、君ももっと話したかったのだろう? ならば誓おう、君との再会がすぐにでも訪れることを。
とにかくまずは、王子を問い質してみなくては。
1
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説

夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。
ふまさ
恋愛
楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。
でも。
愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

記憶がないなら私は……
しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。 *全4話
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

親切なミザリー
みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。
ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。
ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。
こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。
‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。
※不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる