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選択肢をあげようか
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感覚ではほんの数分。次に目を覚ましたときにはベッドの上にいて、その状況を把握すると同時にこちらを夢見心地の顔で見つめる例の不審者と目が合ってしまった。
「おはよう、緋鞠」
もしも普通に街中で見かけたとして、こんな爽やかに笑う青年を誰が変質者と思うだろうか。
「寝顔をこんなに早く拝めるとは思わなかったな。すごく可愛かったよ」
好きでもない……いや、そもそも顔も知らない人に無防備な姿を晒したとは、今更ながら大失態だ。もしかしたら、今この瞬間に生きてはいなかったかもしれないのに。
「さあ、ご飯を食べようか」
当然のように差し出された手を無視して起き上がったのは、逃げ場のない状況でのささやかな抵抗のつもり。寂しげな苦笑を漏らした男と目を合わせることもしない。それでも男に促されるままに食卓につけば、すぐに私の好物達がずらりと並べられた。どんな状況でも好物を前にするとお腹がぐうっと鳴りかけるとは、我ながら食い意地が張りすぎている気もする。
「さ、どんどん召し上がれ。食後にはハーブティーも用意してあるからね」
「……どうして」
「え?」
「どうして、私のことをそんなに知っているの」
一度も顔を合わせたことはないのに、なぜこの男は私の存在を知っていたのだろう。どこで知り得たのか、私のことをどう思っているのか……それを知らないことが怖くて、震える声で問う。すると彼は少し黙ってから、私に手を伸ばした。
嫌だ、触られたくない。でも、嫌で逃げたってこの空間では限界がある。もしも下手に逃げようとして、この男が逆上したら? ここには、助けてくれる人なんかいないのに。
俯いたまま震える私に一瞬その手は躊躇いを見せ、それでも私の髪をさらりと撫でた。
「緋鞠、こっちを向いて?」
子供をあやすように髪を撫でながら、警戒心を削ぎ落とす声音で何度も「こっちを向いて」と繰り返す。その声音に恐る恐る目線を上げれば、男は嬉しそうに目を細めた。
ああ、この笑顔は、この温かさは、とても覚えがある。なぜこんな人が、あの人と同じ笑い方をするのだろう。
「あなたは、だれ……?」
「俺の名前は、穂村伊築(いづき)。穂村蓮は俺の兄だよ」
「れんさんの……?」
嘘だ。こんな、こんな人が穂村さんの弟なわけがない。
「信じられないって顔だね。穂村蓮に弟がいることを知らなかった? それとも、こんな男が弟なわけがないって思った?」
「それ、は」
「まあ、どちらでもいいけどね。俺が君を知ったのは、兄の部屋で君の写真を見つけたからだよ。兄と君が並んで写っている写真のこと、君も覚えているかな?」
穂村さんと撮った写真のことは、覚えているどころか毎日目にしている。穂村さんと撮ってもらった翌日にはプリントしてあの人に渡したし、自分の分はサイズを小さくしてお財布の中に御守り代わりに入れているのだ。
「あの写真、穂村さんの家にも?」
「うん、ちゃんと写真立てに入れて飾っていたよ。とても大事な写真だったんだなってすぐに分かった」
「そっ、か」
そんな大事にしてくれていたんだ。それってつまり、穂村さんにとって少しは特別な存在……になれていたのかな。いや、あれほど迷惑と心配をかけていればある意味では「特別」になっているに違いないか。
「その写真を見た時に、可愛い子だなって思った。それで君のことを知りたくなって、兄の日記ものぞいてみたんだ。そしたら、君が度々ストーカー被害に遭ったりしていることが書かれていて、毎日君のことを心配しているみたいだった。だから、次は俺が君を守りたくて、ここに来た」
守る? この状況で?
「どう考えてもあなたはストーカー側では」
「はは、直球だなあ。でもね、これもちゃんと理由があるんだよ?」
「理由」
理由があるならば言ってもらおうか、と挑発じみた目を向けた私に、突如男の目が真剣味を帯びた。
「君、今日も誰かに付き纏われていたでしょう?」
「それは」
この人の今の目は、穂村さんが私を問いただす時と同じ目だ。あの人は私が被害を誤魔化そうとする度、『隠さずに答えて』と言って目線を合わせてきた……なんてことを思い出さずにはいられないほどそっくりで、やはり弟なのだろうと認めざるを得ない。
「たぶん、つけられていたと思う。でも確証はないし、まだなんの被害もなくて、むしろタイミングからして……」
その正体はあなたでは、と目で訴える。だって、嫌な予感がして帰ってきたらこんな所にいたのだから。
「ああ、うん、たしかに朝は君の通学を見ていたよ。君が足を止めて辺りを見回したことも、青ざめて足早になったことも知っている。でも、その原因は俺ではないと思う」
「なぜ言い切れるの」
「見たからだよ。君通った道をコソコソと辿っていく男の姿をね」
「勘違いかもしれない」
「かもね。でもここ数日続けて目撃している」
「そんな」
明日も大学の講義がある。しかも明日は、試験内容が発表される日だと聞いた。そんな日に休むわけにはいかないのに、何かあったらと思うと外に出るのも怖い。
「大丈夫、これからは俺が守るから」
「ど、どうするつもりですか」
毎日付きまとうとでも言うつもりなのだろうか。そんな生活、想像しただけで悪寒が走る。
身構えて問うた私に対して、男は澄んだ瞳で私を見つめた。テーブルについた肘に顔を乗せ、不気味な爽やかさで微笑みながら。
「俺もここに住むよ」
「…………どこに?」
「ここだよ、緋鞠の家。もちろん生活費は俺が出すから安心して」
「……いや」
いやいやいやいや、待って。この人はもはやストーカーに留まらない変態なのでは。
「どうしてそうなるの」
「それが一番確実に君を守る方法だから」
「今の私には、篠原さんがいればいい」
「ああ、兄の同僚だった警官か。たしかに警官が味方なら心強いけど、それだって四六時中とはいかないよね」
「それは」
「選択肢をあげようか」
そう言って彼は笑みを深めた。何の狂気も感じられない、春風めいた爽やかさを湛えて。
「僕の家に監禁されるか、君の家で同棲するか。今の君が出せる答えは、二つに一つだよ」
「おはよう、緋鞠」
もしも普通に街中で見かけたとして、こんな爽やかに笑う青年を誰が変質者と思うだろうか。
「寝顔をこんなに早く拝めるとは思わなかったな。すごく可愛かったよ」
好きでもない……いや、そもそも顔も知らない人に無防備な姿を晒したとは、今更ながら大失態だ。もしかしたら、今この瞬間に生きてはいなかったかもしれないのに。
「さあ、ご飯を食べようか」
当然のように差し出された手を無視して起き上がったのは、逃げ場のない状況でのささやかな抵抗のつもり。寂しげな苦笑を漏らした男と目を合わせることもしない。それでも男に促されるままに食卓につけば、すぐに私の好物達がずらりと並べられた。どんな状況でも好物を前にするとお腹がぐうっと鳴りかけるとは、我ながら食い意地が張りすぎている気もする。
「さ、どんどん召し上がれ。食後にはハーブティーも用意してあるからね」
「……どうして」
「え?」
「どうして、私のことをそんなに知っているの」
一度も顔を合わせたことはないのに、なぜこの男は私の存在を知っていたのだろう。どこで知り得たのか、私のことをどう思っているのか……それを知らないことが怖くて、震える声で問う。すると彼は少し黙ってから、私に手を伸ばした。
嫌だ、触られたくない。でも、嫌で逃げたってこの空間では限界がある。もしも下手に逃げようとして、この男が逆上したら? ここには、助けてくれる人なんかいないのに。
俯いたまま震える私に一瞬その手は躊躇いを見せ、それでも私の髪をさらりと撫でた。
「緋鞠、こっちを向いて?」
子供をあやすように髪を撫でながら、警戒心を削ぎ落とす声音で何度も「こっちを向いて」と繰り返す。その声音に恐る恐る目線を上げれば、男は嬉しそうに目を細めた。
ああ、この笑顔は、この温かさは、とても覚えがある。なぜこんな人が、あの人と同じ笑い方をするのだろう。
「あなたは、だれ……?」
「俺の名前は、穂村伊築(いづき)。穂村蓮は俺の兄だよ」
「れんさんの……?」
嘘だ。こんな、こんな人が穂村さんの弟なわけがない。
「信じられないって顔だね。穂村蓮に弟がいることを知らなかった? それとも、こんな男が弟なわけがないって思った?」
「それ、は」
「まあ、どちらでもいいけどね。俺が君を知ったのは、兄の部屋で君の写真を見つけたからだよ。兄と君が並んで写っている写真のこと、君も覚えているかな?」
穂村さんと撮った写真のことは、覚えているどころか毎日目にしている。穂村さんと撮ってもらった翌日にはプリントしてあの人に渡したし、自分の分はサイズを小さくしてお財布の中に御守り代わりに入れているのだ。
「あの写真、穂村さんの家にも?」
「うん、ちゃんと写真立てに入れて飾っていたよ。とても大事な写真だったんだなってすぐに分かった」
「そっ、か」
そんな大事にしてくれていたんだ。それってつまり、穂村さんにとって少しは特別な存在……になれていたのかな。いや、あれほど迷惑と心配をかけていればある意味では「特別」になっているに違いないか。
「その写真を見た時に、可愛い子だなって思った。それで君のことを知りたくなって、兄の日記ものぞいてみたんだ。そしたら、君が度々ストーカー被害に遭ったりしていることが書かれていて、毎日君のことを心配しているみたいだった。だから、次は俺が君を守りたくて、ここに来た」
守る? この状況で?
「どう考えてもあなたはストーカー側では」
「はは、直球だなあ。でもね、これもちゃんと理由があるんだよ?」
「理由」
理由があるならば言ってもらおうか、と挑発じみた目を向けた私に、突如男の目が真剣味を帯びた。
「君、今日も誰かに付き纏われていたでしょう?」
「それは」
この人の今の目は、穂村さんが私を問いただす時と同じ目だ。あの人は私が被害を誤魔化そうとする度、『隠さずに答えて』と言って目線を合わせてきた……なんてことを思い出さずにはいられないほどそっくりで、やはり弟なのだろうと認めざるを得ない。
「たぶん、つけられていたと思う。でも確証はないし、まだなんの被害もなくて、むしろタイミングからして……」
その正体はあなたでは、と目で訴える。だって、嫌な予感がして帰ってきたらこんな所にいたのだから。
「ああ、うん、たしかに朝は君の通学を見ていたよ。君が足を止めて辺りを見回したことも、青ざめて足早になったことも知っている。でも、その原因は俺ではないと思う」
「なぜ言い切れるの」
「見たからだよ。君通った道をコソコソと辿っていく男の姿をね」
「勘違いかもしれない」
「かもね。でもここ数日続けて目撃している」
「そんな」
明日も大学の講義がある。しかも明日は、試験内容が発表される日だと聞いた。そんな日に休むわけにはいかないのに、何かあったらと思うと外に出るのも怖い。
「大丈夫、これからは俺が守るから」
「ど、どうするつもりですか」
毎日付きまとうとでも言うつもりなのだろうか。そんな生活、想像しただけで悪寒が走る。
身構えて問うた私に対して、男は澄んだ瞳で私を見つめた。テーブルについた肘に顔を乗せ、不気味な爽やかさで微笑みながら。
「俺もここに住むよ」
「…………どこに?」
「ここだよ、緋鞠の家。もちろん生活費は俺が出すから安心して」
「……いや」
いやいやいやいや、待って。この人はもはやストーカーに留まらない変態なのでは。
「どうしてそうなるの」
「それが一番確実に君を守る方法だから」
「今の私には、篠原さんがいればいい」
「ああ、兄の同僚だった警官か。たしかに警官が味方なら心強いけど、それだって四六時中とはいかないよね」
「それは」
「選択肢をあげようか」
そう言って彼は笑みを深めた。何の狂気も感じられない、春風めいた爽やかさを湛えて。
「僕の家に監禁されるか、君の家で同棲するか。今の君が出せる答えは、二つに一つだよ」
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