夏のお弁当係

いとま子

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9.ここに住めばいいじゃないですか

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 取り留めのない会話を続けながら、賢治くんの三杯目のカレーをついでいると、玄関の引き戸が開く音がした。

「ただいまあ。いま帰ったよお」
「おかえりー。ばあちゃんたち帰ってきましたね」

 旅行に行っていたおばあさんたちが帰ってきたようだ。どさりと大量の荷物が置かれる音がして、

「カレーの匂いだねえ。……あれえ、お客さんかね」

 ひょっこりとおばあさんが居間に顔を出した。僕は姿勢を正し、頭を下げた。

「すみません、留守中に。お邪魔してます」
「どうも、こんにちは」

 おばあさんが頭を下げていると、その後ろから、おじいさんが顔を出した。小柄なおばあさんとは対照的に大きな身体で、軽く頭を下げた。失礼ながら熊を思い浮かべる。

「おや、賢治の友達か? カレー、賢治が作ったんか?」とおばあさん。
「いやいや、それは雨恵さんが――ああ、まだ紹介してませんね」

 賢治くんは僕に向かって、
「この人たちがうちの、ばあちゃんとじいちゃんです」

 それから、おじいさんとおばあさんに向かって、
「この人が雨恵さん。ほら、ずっと俺の弁当を作ってくれてた人いたろ? 今日、穂高の弁当も作ってくれたんだ。このカレーも、雨恵さんがつくった」
「そうなんか? それはそれは、わざわざありがとうございます」
「いえ、そんな、たいしたものじゃありませんので」

 おばあさんは何度も頭を下げ、恥ずかしそうに頭をかいた。

「いやあ、賢治が毎日自慢しながら弁当食べるもんで、彼女さんだと思ってたら、男の人だったんだなあ」
「す、すみません……」

 僕はつい視線を落とした。賢治くんが明るい声を出す。

「いやいや、雨恵さんが謝ることじゃないですよ。ばあちゃんの口癖みたいなものなんで」

 賢治くんの声を掻き消すように、おばあさんが早口でまくし立てる。

「兄貴もなあ、可愛い孫がおるのに、嫁さんに逃げられたしなあ。情けない話ですよ。賢治も早く嫁さん、見つけろ。あ、雨恵さんだったか。ゆっくりしていってください。私らはもう食べて来ましたんで……そうそう、お土産もありますよ。仏壇に上げときますんで、あとでおやつに食べましょう」

 おじいさんとおばあさんは僕を歓迎してくれた。「雨恵さんはどこの人かね?」「食べれんもんはありますか?」「料理つくる人ですか」「お仕事は?」と、穂高くんのように質問攻めにされた。
 僕が女の子だったら、もっと喜んでくれただろうに。
 僕はたどたどしく応えながらも、申し訳ない気持ちだった。



 昼下がりにのんびりとお土産のおせんべいを食べていると、外から「ただいまー!」と元気な声が聞こえてきて、ばたばたと穂高くんが走り込んできた。

「じいちゃんばあちゃん、おかえ――あっ、もうカレーくってる!」

 帰ってくるなり、カレーのにおいに気づいた穂高くんは、

「おかえり、美味かったぞー」
「なんで先食べるのっ」
 
 と、賢治くんに腹を立てていたが、夕飯に出したカレーの上に温泉卵を乗せるとすごく喜んでくれた。おじいさんのおばあさんも美味しいと言って食べてくれる。
 穂高くんの海の話、おじいさんおばあさんの旅行の話と、大勢の夕飯は賑やかだった。
 賢治くんが昼にたくさん食べたからか、多めに作っていたはずのカレーはあっという間になくなった。

「うけいのおべんと、うまかったよ」

 海に行ったのがよほど楽しかったらしく、未だ興奮が冷めない穂高くんは、お弁当もしきりに褒めてくれた。

「オムレツがね、一ばんうまかった。あとね、たこさんのウインナーもうまかった。まいてあるやつもうまかったよ!」
「ありがとう、いっぱい喜んでもらえて僕も嬉しいよ」

 顔が熱くなって、変ににやけてしまう。何度言われても照れくさい。皆が美味しいと褒めてくれたので、今日は褒められ過ぎて許容量オーバーだ。

「ばあちゃんより、雨恵さんのほうが料理上手いよ」

 賢治くんの言葉におばあさんが気を悪くすると思ったが、おばあさんは笑った。

「私はつくりつけてないからね。文句あるなら料理の美味い嫁さんを早くもらえ」
「はいはい」

 賢治くんは軽く受け流す。僕は苦笑する。おじいさんはもくもくとカレーを食べる。「うけいがいいよ」と穂高くんが言う。



「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」

 夕飯の片付けも終わり、時計を見ると、八時を回っている。穂高くんは風呂に入って寝る準備をしなければならない時間だ。

「送っていきますよ」
 と、賢治くんが腰を上げた。

「え……? うけい帰るの?」
「うん。また遊びにきてもいい?」
「やだ!」

 穂高くんはぶんぶんとかぶりを振った。

「帰ったらだめ。うけいと一緒にねる。おふろもうけいと入る」
「わがままいうな。昨日も泊まってもらったろ」

 賢治くんがぴしゃりと言うが、穂高くんは聞かない。

「やだやだやだ、うけいがいい」
「雨恵さんも忙しいから帰らなくちゃいけないんだって」

 賢治くんの言葉に良心が痛む。夏休み中だから本当は忙しくないんだよ。
 おばあさんも穂高くんを説得し始めたが、穂高くんはぐずり始め、やがて泣き出してしまった。僕にしがみついて離れようとしない。僕は穂高くんの汗ばんだ頭を撫でることしかできない。
 やがて賢治くんが折れた。ため息をつき、眉を下げながら言う。

「すみません、雨恵さん。もう一晩、泊まってもらえませんか?」
「おばあさんたちがいいなら、僕はいいんですけど」
「ばあちゃんも、じいちゃんも、いいよな?」
「いいよ、いいよ。部屋はあまっとるし、何日でも泊まって」

 おばあさんは笑いながら即答した。
 穂高くんは涙と鼻水でぐずぐずになった顔で僕を見上げた。

「うけい、一緒にねる?」
「寝るよ」
「朝ごはんも、おべんとうもつくってくれる?」
「うん。つくるよ」
「明日も、あさっても、うちにいる?」

 それは……どうだろう。どうやって説明すればいいか、助けを求めて賢治くんを見る。
 賢治くんは何かをひらめいたのか、ぱちんと指を鳴らした。

「いっそのこと、ここに住めばいいじゃないですか」
「えっ」

 住む……?
 賢治くんは一人納得したようにうんうんと頷いた。

「それがいいですよ。穂高は喜ぶし、雨恵さんだって、ご実家のあんなに広い家に一人でいるのは寂しいでしょうし、光熱費だってかかるでしょう。俺たちだって雨恵さんがたまに料理つくってくれたら嬉しいですし」
「……そう、かな?」

 賢治くんの言っていることは、理にかなっているようにも聞こえるけど。
 僕はみんなを見渡した。

「そりゃあ、いいね」と、笑うおばあさん。
「…………」と、無言で頷くおじいさん。
「うけい、ここ住むの? やったあ!」と、穂高くん。
「お願いします」と、頭を下げる賢治くん。

 裏口から侵入できる家に住むよりはいいかもしれない、と前向きに考えてみる。
 頼まれたら、僕はもちろん断われない。
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