《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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27.目を覚ませ

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 ルーチェは息をのむ。先ほどのレイルとの会話が聞かれていたのだろう。オルトスの表情は険しい。

「まさか……お前、魔王の手に落ちたのか?」
「違うっ。俺は魔王の弱点を探すために近づいただけだ……なぜか魔王には気に入られて、それで表向きは魔王の嫁ということになってるけどな。……魔王に近づいて、信頼を得て、弱点を見つけようと思ってたんだよ」

 嘘をついていることが心苦しい。信頼できる仲間であるオルトスを騙していること以上に、魔王を悪く言っていることが、胸に剣を突き立てられたかのように痛む。

「それで、弱点は見つかったのか」

 はっきりとしたその問いに、ルーチェはたまらず目を伏せた。

「それは、まだ……すまない」

 嘘をついていることも、勇者としての成果をあげられていないことも、後ろめたいことばかりだ。落胆されても、責められてもおかしくはなかったが、しかしオルトスから返ってきたのは、思っても見ない反応だった。

「いや、かまわない。魔王がどう思っていようが、お前が無事だったなら、むしろもうどうでもいいんだ」

 顔を上げると、いっそ清々しいとも思えるオルトスの表情があった。

(『どうでもいい』……?)

 ルーチェは戸惑った。

「……どういう、ことだ?」
「準備は整いつつある。国中の魔道士や剣士、有志を集めて軍を編成している」

 嫌な予感がした。背筋を冷たい汗が伝う。

「……何のために」
「決まっている。この亜人の国に、総攻撃を仕掛けるためだ」

 オルトスの目は真剣だった。

「勇者であるルーチェが捕らわれたことが引き金となった。人質をとられた以上、長引かせることも引き返すことも出来ない。これ以上、悪をのさばらせておくわけにはいかないだろう」
「無茶だ! そんなのうまくいくわけがないっ」
「じゃあどうしろというんだ。いつまでもこのままというわけにはいかないだろ!」

 オルトスと言い争っている最中にも、ルーチェは頭の片隅で違和感を覚えていた。

(なんで誰も来ないんだっ? すぐに戻ってくると言ったレイルも戻ってこないし。シーナなら、いや王のいる城なら、侵入者がいたらすぐに気づくだろ。そもそも魔王は俺のこと見えるんじゃないのかよ……!)
「帰ろう、ルーチェ」
(……もしや、あえて?)
「もうこんなところにいる必要はないんだ」

 オルトスが両手を広げる。そう、オルトスがここに来て、ゲーティアに攻め込むのなら、勇者であるルーチェがここに留まる必要などないのだ。

「魔王の嫁だなんて馬鹿げている。弄ばれているだけなんだよ」

 しかし、ルーチェの心は固まらなかった。簡単には頷けなかった。
 ここに来るまでは誰もが魔王は悪いやつだと言っていた。が、現実にはいいやつだということを知ってしまった。人間を嫌っているのは本当だが、争いを望んでいるものは一人としていないのだ。
 だからと言って全てが許されるわけではない。オルトスも他の仲間たちも、大切な人が魔族に傷つけられている。ルーチェにも魔族を憎む気持ちは少なからずある。ただそれは双方同じこと。
 どちらも善悪とは言えず、どちらも平和を望んでいる。求めるものは同じなのに、すれ違い、反発する。
 もっといい方法があるのではないか。魔王が百年以上考えて出せなかった答えを、この短時間で出せるわけもなかった。
 黙考するルーチェに、オルトスは安堵したように微笑みかける。

「ルーチェ、本当によかった。大切なお前をなくすかと思うと悲しくて、心配で……胸の張り裂けるような思いだったんだ」

 改めて実態を確かめるように、オルトスの手がルーチェの頬に触れた。慈しむようにそっと輪郭を包み込む。こちらを見つめるオルトスの瞳は潤んでいた。

「この手で再び触れることができるなんて……」
「……そんな、大げさだ」

 ルーチェは苦笑した。再会できたことは純粋に嬉しい。しかしオルトスの言葉に底知れぬ不安を感じていた。
 戸惑いを抱いたまま、ルーチェは友を安心させるために、頬を包むオルトスの手に自らの手を重ねる。
 そのとき、突如オルトスの身体が光り始めた。オルトスの身体からは細かい霧のように輝く粒子が飛び、四散しては消えていく。

「なっ、どうしたんだ!」
「……時間だ。戻らなければ」

 光は空間転移魔法によるものだとルーチェが気付いたとき、そっと、オルトスに抱きしめられた。無事を確かめるように、離さないように、身体を締め付ける腕の力は強まっていく。すると、ルーチェの身体もオルトスと同じように光り始めた。

「このまま俺に触れていれば、ルーチェも美しい祖国へと戻れるから」
(っ! このまま、帰れるのか……?)

 望んできたことなのに、心の底からあふれ出すのは、喜びではなく、激しい焦燥だった。
 いつかはこのときが来ると分かっていたはずなのに、あまりにもその訪れは唐突すぎた。ほんの数分前までいつもと変わらぬ日常だったのに……いや、今までが特別だったのだ。

(こんなにもあっさりと、唐突に、この地を離れてしまうのか……?)

 ソティラスに、何も告げずに――。

「帰ろうルーチェ、もう二度と、ひとりにはさせないから」

 オルトスの言葉がただ耳を通過していく。このまま戻ってしまえばどうなる。二国間で争うこととなり、今まで繰り返してきた歴史と何も変わらないのではないか。勇者として求められているのは平和ではないのか。
 何が正しい?

「……オルトス、俺は……」
「ルーチェ!」

 その声に、ルーチェは思わずオルトスの身体を突っぱねた。
 現れたのは巻角に黒髪、黒いローブ姿の魔王ソティラス。
 仲間の男の腕の中で、光に包まれ消えかかっているルーチェを見て、ソティラスは目を見開いた。

「貴様っ、魔王ソティラスかッ!」

 ルーチェを抱きかかえたまま、オルトスは咄嗟に抜いた魔弾銃を構えた。長く伸びた銃身が真っ直ぐにソティラスに向けられ、ルーチェは慌てた。

「待てッ! こいつは悪い奴じゃない!」
「何を言っているんだルーチェ! あいつは敵だ! 魔王に操られているのかッ」

 銃が見えていないのかソティラスがこちらに向かい、ゆっくりと手を差し伸べる。

「ルーチェ、何をしている。そいつから離れろ」

 ルーチェはソティラスを見る。僅かに瞳が揺らいでいた。いつもの余裕のある表情ではない。今まで近くにいたからこそ感じとれる、僅かな変化だった。

「目を覚ませ!」

 魔王の言葉を遮るようにオルトスが叫ぶ。

「ルーチェ! 人間たちに危害を加えていたのは誰だ! 思い出すんだ。俺たちが憎んでいたのは誰かを。ずっと旅をしてきたのは、あいつを倒すためだろ!」

 仇を目の前に、いつも冷静であるはずのオルトスが感情を爆発させていた。しかし正論であることに変わりはない。そう、そのために、旅をしてきた。
 旅をしてきたから、再びソティラスと出会った。

「思い出せルーチェ……人々の苦しみを、あいつらの残虐さを」

 残虐なのは分かっている。身をもって体験している。人々が魔族の襲撃で苦しんでいたのもこの目で見てきた。
 でも人間はどうだ。魔族を捕らえ、奴隷とし、その見た目を忌み嫌っているのは残虐ではないのか。

「俺の妹は亜人に殺された! そんなやつらに慈悲も容赦も必要ないんだ! ルーチェ、お前は勇者だ。人類の希望だ。亜人どもの肩を持ち、その希望を裏切るというのか!」

 そう、希望だ。
 勇者は人類の希望を背負っているのだ。

「ルーチェだって、あいつらの理不尽な暴挙はよく知っているはずだ! その心に消えることなく刻み付けられているはずだッ!」

 喉を引きつらせ、オルトスが叫んだ。
 彼の悲痛な声が胸に突き刺さり、ルーチェの過去の記憶を抉り出す。
 もう二度と返らない幸福な時間と、凄惨な――

「ルーチェの両親だって亜人に殺されただろッ!」

 そうだ、両親は亜人に殺された。理不尽な仕打ちで大切な人を失ったのはオルトスも自分も同じである。魔王討伐に立ち上がった理由は単純で明快、亜人に対する憎悪と復讐だった。
 何が正しいかなんて関係ない。
 いや、進んできた道こそが正しいのだ。
 人類が望んでいるのは恐怖に打ち勝つ希望だ。恐怖を支配する力だ。
 勇者に望まれているのは、恐怖の元凶である魔王を倒すことだ。勇者に託されたのはそのための希望と責任。

『人間たちは、そんな幼い子供に世界の命運を託したのか。なんと重いものを背負わせる……』

 いつか聞いた、魔王の言葉が蘇る。
 自覚はなかった。しかし、もうずっと前から、勇者という名の枷がルーチェの心を縛っていた。
 知る必要はない。思考することも必要ない。

(……始めから、裏切るつもりだったじゃないか……)

 今までが特別だったのであり、必要のない日々だったのだ。
 方法は最初からひとつしかなかった。

(俺は、俺自身のために、人類のために――)
「……俺は、魔王の嫁なんかじゃない」

 勇者であらねばならない。

「俺は、あいつを倒して、平和を勝ち取る」

 喉の奥から絞り出した台詞に、ソティラスは目を見開き、言葉を失った。
 ルーチェは光る粒子に包まれる。全ての幻が消えるかのようだった。一瞬のような永遠のような時間が過ぎた。
 勇者と魔王は、こんなにも長い時間はなかったというほど見つめ合い――
 突然、ルーチェは弾き飛ばされた。
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