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10.気のせいだろ
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『魔族が住まう国を治める王は、無限ともいわれる絶大な魔力をその身に有し、不老不死の肉体を持つ』
『その見た目は限りなく人間に近いが、鋭い鉤爪や太い巻角で人間をいたぶりながら殺す、極悪非道で冷酷な凶漢である』
『魔王の使いが人間の国へとやってきては罪もないか弱い人間を攫い、いたぶることを趣とする魔王に献上しているという』
『赤き魔王の化身が地上に降り立つ時、世界は終末を迎え、後に続くのは無限に広がる闇と地獄ばかりだ』
これらは誰もが子供の頃聞かされる話である。それははるか昔に訪れたと言い伝えられる類のおとぎ話などではないことを、皆知っている。
いや、知ってしまった。魔族たちが人間たちの平和を壊したときから。
『どうかお救いください』『魔族を許すな』『魔王を倒してください』
『勇者様』『勇者様』『勇者様、どうか、魔王を倒して』
そう、魔王は倒すべき、恨むべき相手なのだ――。
――始めに聞こえてきたのは絶え間なく続くノックの音だった。
「いつまで惰眠を貪っているのですか。人間は本当にだらしない生き物だといわれているのは偽りなき真実のようですね。まあ、そのようなことはとうの昔に知っていましたが、改めて目の当たりにすると失望よりも諦観のほうが勝るということを学べ、私は感激すらしておりますよ」
激しいノック――というより扉を破壊せんばかりに殴り続ける音で目覚め、長々とした嫌味に扉を開けると、そこにはしかめ面のシーナが立っていた。最悪の目覚めだ。
「……わざわざ起こしていただいて、ありがとうございます」
「魔王様の伴侶となられるお方、お目覚めの力添えとなったのであればこれほど嬉しいことはございません」
棒読みだった。言葉とは裏腹に、ソティラスに従えている時のように、澄ました表情で本心を偽ったりはしていない。勇者の存在が憎らしいと、露骨に顔と態度に出ている。ドアをこじ開け寝首をかかれないのは、魔王の命令があるからなのだろう。
シーナの後ろでは、レイルが爽やかな笑みを浮かべながら「おはようございますっ」と頭を下げた。その笑顔が今朝の救いである。
「で、用件は?」
気を取り直しルーチェが尋ねると、シーナは片眉を上げた。
「昨日の話でしたのにもうお忘れになったのですか? 勇者様の頭の中が心配になってまいりました。一度解剖してみてはいかがでしょうか。微力ではありますが、私がお力添えをいたしますので――」
「で、用件はなんなんだよ」
嫌味の波状攻撃を遮ると、シーナは微かに鼻で笑いようやく答えた。
「外と連絡を取られるご予定でしたよね」
側近の気が変わらないうちにルーチェは笑顔を貼り付け、慌ててシーナを部屋に招き入れる。魔王の命があるのなら心配いらないと思うが、機嫌を損ねて連絡手段がなくなってしまうほうが困る。わざわざ機嫌をうかがう行為が癪だが、やむを得ない。
しかしシーナは部屋に入るなり、ベッドのほうを見て顔をしかめた。ルーチェが先ほど起きたそのままの状態になっており、シーツはくしゃくしゃのままである。
ルーチェは咳払いをして話を進める。
「それで、どうやって連絡を取るんですか? 手紙ですか?」
「勇者様が筆まめだとは思えませんが、そうしたいのならばぜひそうなされては。紙とペンは準備いたしますよ。配達はできかねますが」
きっちり嫌味を言うことを忘れず、シーナは懐から手のひらほどの小さな箱のようなものを取り出した。中央に伸びる棒は燭台に似ており、箱には側面から底までびっしりと呪文や魔方陣が書かれている。見たことのないものだった。
「これは?」
「遠くに離れた者と連絡をするために使う道具です。相手方にも同じものを届けてあります」
ルーチェは眉をひそめる。
「これで連絡がとれるのか? どういう仕組みだ?」
「私の雷属魔法と空間転移魔法、幻影魔法などを組み合わせ、その道具と向こうのものを連動させるのですが、……勇者様には説明しても無駄なので省きます」
いちいち言い方に引っかかるが気にしないようにする。連絡が取れればそれでいい、とルーチェは苛立ちを抑え、自らに言い聞かせる。
「始めてくれ」
ルーチェが言うと、シーナは右手のひらに箱をのせ、詠唱を始めた。すると箱に書かれた文字が輝き出し、燭台のような棒の上部の空間が僅かに揺らぎ始めた。じっと見ているとやがてその空間が水面のように人影を映し出していくが、それは目の前にいるルーチェやシーナを映したわけではなかった。
次第にはっきりと浮かび上がってきた人影は、魔王との戦いで負傷し、ハイリヒ国へ返されたという仲間の一人だった。
「オルトスっ!?」
ルーチェが思わず声を上げると、映し出されたオルトスは目を見開いた。
《ルーチェ……? 本当にルーチェなのかっ》
思わぬ再会に驚く二人とは対照的に、シーナは静かに机の上に箱を置いた。
「では、あとはご自由に」
「手を離しても消えないのか?」
「後は魔力を安定させておくだけなので、別室で仕事を片付けていながらでも可能です。私と話すより、貴重なお仲間との再会を噛み締めなくともよいのですか?」
「ん、ああ」
終わったら呼んでください、とシーナは部屋を出て行った。
《――いっ、おいルーチェどうなっている。大丈夫かっ、何かあったのか?》
空間に浮かび上がるオルトスが必死な形相で呼びかけている。ルーチェは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせ答えた。
「……いや、大丈夫だ」
《本当にルーチェなんだな? 今見せられているのが魔王の幻影なんかではなく、俺が作り出した幻なんかではなく、神が慈悲をお与えになり最期の言葉を交わす権利を――》
「勝手に殺すなよ」
ルーチェ自身も目の前に映し出されたのが本人か疑っていたのだが、冷静な性格のわりに、芝居じみた大げさな言い回しは確かにオルトスだった。
「俺は本物だ。……そうだな、信じられないようなら、オルトスが初めて女性を食事に誘ったときの話でもしてやろうか。あれは一緒に旅を始めてから訪れた二つ目の街。立ち寄った酒場でお前は一目惚れをした。緊張したお前は飲めもしない酒を飲んで景気づけ、彼女に話しかけていたが――」
思い出したオルトスが苦笑し、
《いや、もう結構。本物だと分かったからな》
短いやりとりで二人の間に僅かに漂っていた不信感や緊張感がなくなった。長いときを共に過ごした信頼関係があってこそだ。
「俺は無事だ。オルトスの姿も声も、ちゃんと届いている」
そう言ってルーチェが微笑むと、オルトスもほっとしたように口元を緩めた。オルトスにもこちらの様子が伝わっているようだ。
《それにしても高度な魔法だ。敵ながらこれは芸術だな。こんな使い方があるなんて》
「それだけあいつらの魔力が凄いということだろ」
悔しいが事実だ。しかし今はそのことについて語っていても意味がない。ルーチェは話を戻す。
「体調は大丈夫か?」
《ああ、大事には至っていない。絶対安静のやつもいたが、みな順調に回復している》
そう言うオルトスも頭には包帯を巻いている。物理攻撃には治癒魔法は有効だが、魔法攻撃には効きが弱い。誰もがまだ動くには難しいようだ。しかしルーチェは無傷だと言っても過言ではない。
(魔王が行ったという治療というやつの効果か? 俺は唇を弄ばれた記憶しかないが……)
《どうした、ルーチェ。顔が赤くないか?》
「……き、気のせいだろ。それより、そっちの様子はどうだ」
ルーチェの変化に首を傾げながらも、オルトスが答える。
《国はなんともない。美しい花々が歌いだすほど平和なのはいいことだが……嵐が迫る前の静けさに似て、正直なところ不気味だ》
オルトスの肩越しに様子を見る。どこかの庭園にいるようだ。他に人影は見られないことから、ルーチェと話をするために一人になっているのだろう。草花に暖かな陽光が降り注ぎ、なんとも穏やかである。
微笑んでいたオルトスだったが、すっと、僅かに目を細めた。
《……もしかしてこの平和は、お前が魔王のところにいるのと関係しているのか?》
「……ま、まあ……」
《この特殊な箱も魔王の使いを名乗るものが持って来た。お前と話ができると聞いたから警戒しながらも持っていたが……ここから見る限り、ルーチェも心身ともに自由を奪われ、投獄されているようには見えない。普通に話をしているということは――》
「ああ、まあ、大丈夫なんだ」
咄嗟にルーチェは言葉を濁す。まさか『ハイリヒの平和を約束する代わりに、勇者は魔王の嫁になりました』などと正直に言えるわけがない。
(オルトスも他の仲間も無事みたいだし、ハイリヒにも平和が戻ってる。魔王はとりあえず嘘は言ってないみたいだな。それがわかっただけでもよしとしよう)
《見たところ、怪我はしていないようだが。魔王が勇者を側に置いている理由がわからないな》
「それはほんとにそう」
《人質、ということか。連絡手段も、何らかの要求をルーチェを通して伝えるため……?》
オルトスがぶつぶつと考え始めたが、そのどれもが的外れだとはいえない。
「なんともない。こうやって連絡取れるぐらいだ。心配いらない」
ルーチェは安心させるように微笑みかけ、声を落とした。
「……今は城の中を自由に歩けるようになってるから、俺はこっちで魔王の弱点を探ろうと思う」
《なっ! 駄目だ危険すぎるッ。そっちに味方はいないんだぞ!》
「心配いらないって。危険な目なら今まで何度も遭ってきただろ?」
笑みを浮かべ肩をすくめて見せる。ルーチェのその様子をじっと見つめていたオルトスだったが、やがて気が抜けたように息を吐いた。
《……お前にも考えがあるならこれ以上は何も聞かないし、止めもしない。言っても聞かないだろうからな。ただ無理はするな。こちらでも準備を進めておく。本当は今すぐにでもお前の元に飛んでいきたいが……できるだけ早く助けに行くから》
「ありがとう。だけど今は怪我を治すことだけに専念してくれ。――また連絡する」
会話を切り上げルーチェが部屋を出ると、すぐ近くにシーナがいた。終わったことを伝えると、シーナは軽く指を鳴らした。箱から光が消え、浮かび上がっていた仲間の姿も消える。
「連絡をとりたい時は、魔王様になり私になり、お伝えくだされば準備いたします」
ああ、と返事をしながらもルーチェは脳内で計画を立てる。
(今度オルトスに連絡する時はなにか有益な情報を伝えないとな。それまでに魔王の身辺をできるだけ探って、城の内部ももっと調べとかないと)
「お仲間と魔王様を倒す算段をしてもいいですが、無駄ですよ」
考えを呼んだかのようにシーナが言い放つ。連絡手段は彼の魔法なのだ。聞かれるのは当たり前か。ルーチェは軽く肩をすくめる。
「全部、筒抜けってことか」
「筒抜けにならない方法で策略を立てたところで魔王様には敵いませんが」
「ハッ! そう言ってられるのも、」
さっと、シーナが通信箱を軽く掲げる。ルーチェは咄嗟に口を閉ざした。
「ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが」
「なんだよ」
シーナはわずかに言いよどみ、目を細めた。
「魔王様のことを倒しに来た勇者様は、我々魔族を憎んでおられる、ということですよね。そのわりにはこの環境にも境遇にも我々のことも、すんなり受け入れているようにお見受けするのですが」
一瞬にして記憶が蘇る。幸福な思い出と、凄惨な光景。
「……気のせいだろ」
魔族は憎い。自分自身もよく分かっている。それで十分だ。
『その見た目は限りなく人間に近いが、鋭い鉤爪や太い巻角で人間をいたぶりながら殺す、極悪非道で冷酷な凶漢である』
『魔王の使いが人間の国へとやってきては罪もないか弱い人間を攫い、いたぶることを趣とする魔王に献上しているという』
『赤き魔王の化身が地上に降り立つ時、世界は終末を迎え、後に続くのは無限に広がる闇と地獄ばかりだ』
これらは誰もが子供の頃聞かされる話である。それははるか昔に訪れたと言い伝えられる類のおとぎ話などではないことを、皆知っている。
いや、知ってしまった。魔族たちが人間たちの平和を壊したときから。
『どうかお救いください』『魔族を許すな』『魔王を倒してください』
『勇者様』『勇者様』『勇者様、どうか、魔王を倒して』
そう、魔王は倒すべき、恨むべき相手なのだ――。
――始めに聞こえてきたのは絶え間なく続くノックの音だった。
「いつまで惰眠を貪っているのですか。人間は本当にだらしない生き物だといわれているのは偽りなき真実のようですね。まあ、そのようなことはとうの昔に知っていましたが、改めて目の当たりにすると失望よりも諦観のほうが勝るということを学べ、私は感激すらしておりますよ」
激しいノック――というより扉を破壊せんばかりに殴り続ける音で目覚め、長々とした嫌味に扉を開けると、そこにはしかめ面のシーナが立っていた。最悪の目覚めだ。
「……わざわざ起こしていただいて、ありがとうございます」
「魔王様の伴侶となられるお方、お目覚めの力添えとなったのであればこれほど嬉しいことはございません」
棒読みだった。言葉とは裏腹に、ソティラスに従えている時のように、澄ました表情で本心を偽ったりはしていない。勇者の存在が憎らしいと、露骨に顔と態度に出ている。ドアをこじ開け寝首をかかれないのは、魔王の命令があるからなのだろう。
シーナの後ろでは、レイルが爽やかな笑みを浮かべながら「おはようございますっ」と頭を下げた。その笑顔が今朝の救いである。
「で、用件は?」
気を取り直しルーチェが尋ねると、シーナは片眉を上げた。
「昨日の話でしたのにもうお忘れになったのですか? 勇者様の頭の中が心配になってまいりました。一度解剖してみてはいかがでしょうか。微力ではありますが、私がお力添えをいたしますので――」
「で、用件はなんなんだよ」
嫌味の波状攻撃を遮ると、シーナは微かに鼻で笑いようやく答えた。
「外と連絡を取られるご予定でしたよね」
側近の気が変わらないうちにルーチェは笑顔を貼り付け、慌ててシーナを部屋に招き入れる。魔王の命があるのなら心配いらないと思うが、機嫌を損ねて連絡手段がなくなってしまうほうが困る。わざわざ機嫌をうかがう行為が癪だが、やむを得ない。
しかしシーナは部屋に入るなり、ベッドのほうを見て顔をしかめた。ルーチェが先ほど起きたそのままの状態になっており、シーツはくしゃくしゃのままである。
ルーチェは咳払いをして話を進める。
「それで、どうやって連絡を取るんですか? 手紙ですか?」
「勇者様が筆まめだとは思えませんが、そうしたいのならばぜひそうなされては。紙とペンは準備いたしますよ。配達はできかねますが」
きっちり嫌味を言うことを忘れず、シーナは懐から手のひらほどの小さな箱のようなものを取り出した。中央に伸びる棒は燭台に似ており、箱には側面から底までびっしりと呪文や魔方陣が書かれている。見たことのないものだった。
「これは?」
「遠くに離れた者と連絡をするために使う道具です。相手方にも同じものを届けてあります」
ルーチェは眉をひそめる。
「これで連絡がとれるのか? どういう仕組みだ?」
「私の雷属魔法と空間転移魔法、幻影魔法などを組み合わせ、その道具と向こうのものを連動させるのですが、……勇者様には説明しても無駄なので省きます」
いちいち言い方に引っかかるが気にしないようにする。連絡が取れればそれでいい、とルーチェは苛立ちを抑え、自らに言い聞かせる。
「始めてくれ」
ルーチェが言うと、シーナは右手のひらに箱をのせ、詠唱を始めた。すると箱に書かれた文字が輝き出し、燭台のような棒の上部の空間が僅かに揺らぎ始めた。じっと見ているとやがてその空間が水面のように人影を映し出していくが、それは目の前にいるルーチェやシーナを映したわけではなかった。
次第にはっきりと浮かび上がってきた人影は、魔王との戦いで負傷し、ハイリヒ国へ返されたという仲間の一人だった。
「オルトスっ!?」
ルーチェが思わず声を上げると、映し出されたオルトスは目を見開いた。
《ルーチェ……? 本当にルーチェなのかっ》
思わぬ再会に驚く二人とは対照的に、シーナは静かに机の上に箱を置いた。
「では、あとはご自由に」
「手を離しても消えないのか?」
「後は魔力を安定させておくだけなので、別室で仕事を片付けていながらでも可能です。私と話すより、貴重なお仲間との再会を噛み締めなくともよいのですか?」
「ん、ああ」
終わったら呼んでください、とシーナは部屋を出て行った。
《――いっ、おいルーチェどうなっている。大丈夫かっ、何かあったのか?》
空間に浮かび上がるオルトスが必死な形相で呼びかけている。ルーチェは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせ答えた。
「……いや、大丈夫だ」
《本当にルーチェなんだな? 今見せられているのが魔王の幻影なんかではなく、俺が作り出した幻なんかではなく、神が慈悲をお与えになり最期の言葉を交わす権利を――》
「勝手に殺すなよ」
ルーチェ自身も目の前に映し出されたのが本人か疑っていたのだが、冷静な性格のわりに、芝居じみた大げさな言い回しは確かにオルトスだった。
「俺は本物だ。……そうだな、信じられないようなら、オルトスが初めて女性を食事に誘ったときの話でもしてやろうか。あれは一緒に旅を始めてから訪れた二つ目の街。立ち寄った酒場でお前は一目惚れをした。緊張したお前は飲めもしない酒を飲んで景気づけ、彼女に話しかけていたが――」
思い出したオルトスが苦笑し、
《いや、もう結構。本物だと分かったからな》
短いやりとりで二人の間に僅かに漂っていた不信感や緊張感がなくなった。長いときを共に過ごした信頼関係があってこそだ。
「俺は無事だ。オルトスの姿も声も、ちゃんと届いている」
そう言ってルーチェが微笑むと、オルトスもほっとしたように口元を緩めた。オルトスにもこちらの様子が伝わっているようだ。
《それにしても高度な魔法だ。敵ながらこれは芸術だな。こんな使い方があるなんて》
「それだけあいつらの魔力が凄いということだろ」
悔しいが事実だ。しかし今はそのことについて語っていても意味がない。ルーチェは話を戻す。
「体調は大丈夫か?」
《ああ、大事には至っていない。絶対安静のやつもいたが、みな順調に回復している》
そう言うオルトスも頭には包帯を巻いている。物理攻撃には治癒魔法は有効だが、魔法攻撃には効きが弱い。誰もがまだ動くには難しいようだ。しかしルーチェは無傷だと言っても過言ではない。
(魔王が行ったという治療というやつの効果か? 俺は唇を弄ばれた記憶しかないが……)
《どうした、ルーチェ。顔が赤くないか?》
「……き、気のせいだろ。それより、そっちの様子はどうだ」
ルーチェの変化に首を傾げながらも、オルトスが答える。
《国はなんともない。美しい花々が歌いだすほど平和なのはいいことだが……嵐が迫る前の静けさに似て、正直なところ不気味だ》
オルトスの肩越しに様子を見る。どこかの庭園にいるようだ。他に人影は見られないことから、ルーチェと話をするために一人になっているのだろう。草花に暖かな陽光が降り注ぎ、なんとも穏やかである。
微笑んでいたオルトスだったが、すっと、僅かに目を細めた。
《……もしかしてこの平和は、お前が魔王のところにいるのと関係しているのか?》
「……ま、まあ……」
《この特殊な箱も魔王の使いを名乗るものが持って来た。お前と話ができると聞いたから警戒しながらも持っていたが……ここから見る限り、ルーチェも心身ともに自由を奪われ、投獄されているようには見えない。普通に話をしているということは――》
「ああ、まあ、大丈夫なんだ」
咄嗟にルーチェは言葉を濁す。まさか『ハイリヒの平和を約束する代わりに、勇者は魔王の嫁になりました』などと正直に言えるわけがない。
(オルトスも他の仲間も無事みたいだし、ハイリヒにも平和が戻ってる。魔王はとりあえず嘘は言ってないみたいだな。それがわかっただけでもよしとしよう)
《見たところ、怪我はしていないようだが。魔王が勇者を側に置いている理由がわからないな》
「それはほんとにそう」
《人質、ということか。連絡手段も、何らかの要求をルーチェを通して伝えるため……?》
オルトスがぶつぶつと考え始めたが、そのどれもが的外れだとはいえない。
「なんともない。こうやって連絡取れるぐらいだ。心配いらない」
ルーチェは安心させるように微笑みかけ、声を落とした。
「……今は城の中を自由に歩けるようになってるから、俺はこっちで魔王の弱点を探ろうと思う」
《なっ! 駄目だ危険すぎるッ。そっちに味方はいないんだぞ!》
「心配いらないって。危険な目なら今まで何度も遭ってきただろ?」
笑みを浮かべ肩をすくめて見せる。ルーチェのその様子をじっと見つめていたオルトスだったが、やがて気が抜けたように息を吐いた。
《……お前にも考えがあるならこれ以上は何も聞かないし、止めもしない。言っても聞かないだろうからな。ただ無理はするな。こちらでも準備を進めておく。本当は今すぐにでもお前の元に飛んでいきたいが……できるだけ早く助けに行くから》
「ありがとう。だけど今は怪我を治すことだけに専念してくれ。――また連絡する」
会話を切り上げルーチェが部屋を出ると、すぐ近くにシーナがいた。終わったことを伝えると、シーナは軽く指を鳴らした。箱から光が消え、浮かび上がっていた仲間の姿も消える。
「連絡をとりたい時は、魔王様になり私になり、お伝えくだされば準備いたします」
ああ、と返事をしながらもルーチェは脳内で計画を立てる。
(今度オルトスに連絡する時はなにか有益な情報を伝えないとな。それまでに魔王の身辺をできるだけ探って、城の内部ももっと調べとかないと)
「お仲間と魔王様を倒す算段をしてもいいですが、無駄ですよ」
考えを呼んだかのようにシーナが言い放つ。連絡手段は彼の魔法なのだ。聞かれるのは当たり前か。ルーチェは軽く肩をすくめる。
「全部、筒抜けってことか」
「筒抜けにならない方法で策略を立てたところで魔王様には敵いませんが」
「ハッ! そう言ってられるのも、」
さっと、シーナが通信箱を軽く掲げる。ルーチェは咄嗟に口を閉ざした。
「ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが」
「なんだよ」
シーナはわずかに言いよどみ、目を細めた。
「魔王様のことを倒しに来た勇者様は、我々魔族を憎んでおられる、ということですよね。そのわりにはこの環境にも境遇にも我々のことも、すんなり受け入れているようにお見受けするのですが」
一瞬にして記憶が蘇る。幸福な思い出と、凄惨な光景。
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