《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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4.初夜はとっくに終えたではないか

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「――私は反対です。人間で、ましてや、魔王様を倒しにきたという勇者などと」
「うるさいぞ、シーナ。もう決めたことだ」
「駄々をこねないでください。お言葉ですが魔王様、一国の主たろうお方がそのような身勝手な振る舞いでは、下のものに示しがつきません」
「関係ない。何度言わせれば気が済むのだ。もう決めたと――おお」

 廊下の向こう側からやってきた、漆黒の長髪に巻角――魔王ソティラスがルーチェに気づき表情を明るくさせた。普段は威厳ある美貌が華やぐ様は、見る者を惹きつける。
 目の前に立つと、やはり魔王の存在感は別格だった。長くたっぷりとした黒のローブの上に、金糸で刺繍された緋色の布を纏っている。その姿は王の威厳を遺憾なく放っていた。ルーチェの後ろでレイルが慌てて頭を下げた。

「目覚めたか、ルーチェよ。気分はどうだ」
「最悪に決まってるだろ」

 が、その美しさや威厳もルーチェには効かず。
 代わりに憎き敵の出現で昨夜の痴態を思い出し、胸が焼け付くような怒りが湧く。
 ルーチェは感情を抑えつつもソティラスを睨んだ。

「どういう状況だ。俺の仲間はどこにいる。なぜ俺だけここにいる。説明しろ」
「ふむ……なぜだと言われてもな……」

 ソティラスは優雅な仕草で、考えにふけるように顎に手を添えた。

「……気に入ったものを側に置いておく、それ以外に理由など必要か?」

 その態度にカッとなったルーチェが、ソティラスに詰め寄ろうとした。
 しかし、その間に側近シーナが立ち塞がる。

「口が悪いぞ貴様。魔王様になんという無礼を。立場をわきまえろ」

 シーナはゆったりとした深緑のローブ姿で、小さな円錐形の帽子を被っている。小脇に書物を抱えており、いかにも魔王の側近という出で立ちだ。見た目はレイルと同じく人間との違いがわからないが、態度から魔王を崇敬しているのがわかるように、ルーチェを睨む瞳は、獣を思い起こさせるように鋭く冷たい。

「ならば、シーナよ。お前も口の聞き方には気をつけなければならんぞ」

 ソティラスの言葉に「しかし、」と声を上げたシーナだったが、魔王が鋭い視線を投げると、奥歯を噛み締めながら口を噤んだ。
 ソティラスの言葉に引っかかりはしたものの、いちいち気にしている暇はない。憎き魔王が目の前にいる。ルーチェはソティラスの隙を探しながら言う。

「不敬罪でも何でもいい。殺すならさっさと殺せ」
「そんなことするはずがなかろう。シーナの言葉は気にするな。お前がどのような振る舞いをしようが、ルーチェならば不敬には値しない」
「気安く呼ぶな」
「ならば私のことも名前で呼ぶといい。ソティラス・バグローヴィ・レサルドラコス・セストロワ、だ」

 ルーチェは睨んだまま無言である。長い。例え短くとも名前で呼ぶことはないだろうが。

「ソティラスと呼ぶがいい」
 と、差し伸べる手をさらに無視する。

「俺をどうするつもりだ?」
「どう、とは?」

 手を引っ込め、本当に分からない、とでも言いたげに、魔王ソティラスは首を傾げた。

「人質にでもする気か」
「ふむ、勇者を人質に取るのは、確かに有効な手段のひとつではあるかもしれんが」
「だったら……俺を、殺すのか?」
「何を言っている。そんなことをするわけがない」

 ソティラスは片眉を上げる。

「ルーチェのことは嫁にすると昨夜、言ったであろう?」
「はあ?」

 ルーチェは思わず声を上げた。

(こいつ本気で言ってんのか? 俺は魔族と敵対する人間で、男で、魔王を倒しに来た勇者なんだぞ?)
「なに言ってるのか聞きたいのはこっちのほうだ、嫁ってなんだ!」
「結婚をする相手のことだな」
「そういうことじゃねえ!」

 吠える子犬を見るように、ソティラスは苦笑を浮かべた。

「少々照れくさいのは分かるが、そんなに怒鳴らずともよいではないか」
「『少々』じゃねえ……いや照れてるわけじゃねえよ! 勝手に嫁とか言うなっ」
「勝手ではない」

 ソティラスは心底呆れたように言う。

「初夜はとっくに終えたではないか」
「しょ……っ!」

 ルーチェは言葉を詰まらせた。

「な、なな、なに言ってんだっ!」

 ルーチェは羞恥で顔を赤くし、魔王の後ろにいるシーナは怒りで顔を真っ赤にしている。
 脳裏にまざまざと蘇る昨夜の記憶。喉を痛めるまで声を上げ、魔王の愛撫に翻弄され……こういう行為すら初めてだったというのに。その相手が男で、宿敵である魔王だとは――。
 ルーチェは自分でも情けないと思うほど狼狽する。わななく唇から漏れる意味を成さない言葉は、世界の命運を託された勇者のものとは思えない。

「しょ……とか、そんなんじゃねえだろ! きっ、きききキス……しただけじゃねえか!」
「そのキスごときで、随分と可愛い反応を見せてくれるではないか」

 ソティラスは満足そうに笑い、ルーチェは恨みのこもった眼差しで思い切り睨む。が、依然頬から耳まで真っ赤に染めて上げているのでは凄みも何もない。
 こちらは散々弄ばれているのに、余裕綽々の魔王が余計にむかつく。
 ルーチェはカッとなって言い返した。

「キスごとき、ってな……こっちは初めてだったんだぞっ!」

 しん、と周りが静まりかえった。
 ソティラスもレイルも、あのシーナでさえも、ぽかんと口を開けてルーチェを見た。
 失言に気づき、じわじわと赤くなるルーチェ。成人を過ぎた健全な男子であるので興味関心はそれなりにあるが、生まれ故郷の小さな村には同年代の女子はいなかったし、魔王を倒す旅に出てからは、厳しい試練の連続で色恋沙汰とは無縁だったのだ。
 ソティラスが噴き出し、シーナがぎょっとする。

「あっはっは、ならば初夜で間違いないではないか」
「間違いだらけだっ、初夜は、その、もっと……」
「ん? もっと、なんだ?」
「……もっと、エッ……チなこと、とかすんだろ……?」
「おお、ちゃんと知識はあるようだな」
「バカにしてんだろ! 無理矢理したのは変わらねえし!」
「なにやら誤解があるようだが、昨晩の行為は治療だ。ベッドで休ませ傷を癒やし、私の魔力を注ぐことで、こちらの環境に身体を慣れさせたのだぞ」

 確かに身体に戦闘の傷も疲れもない。

(……もしかして、俺は、ほんとに魔王を誤解して――)
「まあキスする必要も裸にする必要もないのだがな」
「やっぱバカにしてんじゃねえか!」
「ふっ、昨夜から随分と楽しませてくれる。可愛い嫁をもらって私は幸せ者だな」
「ふざけんなッ。無理矢理しやがってなにが嫁だ。勝手に話を進めるんじゃねえ!」

 ルーチェが怒鳴る。ルーチェの後ろで成り行きを見守っていたレイルはどうしたらいいか分からず、魔王と勇者の間に視線をさまよわせ、おろおろしている。シーナは顔を強張らせ、再び二人の間に割って入ろうと前に出ようとするが、ソティラスが片手を挙げ、それを制した。
 ソティラスは表情と声色を改める。

「……勇者ルーチェよ、おぬし、何か忘れてはおらぬか」
「あ? 俺がお前を倒しに来たっていうことか?」

 ルーチェの挑発にもソティラスは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。魔王を冠するにふさわしい威厳を持った笑みと声音で。

「ルーチェがこの私の嫁となることを条件に、世界を平和にする、と言ったはずであるが」
「――ッ!」 

 ルーチェは言葉を詰まらせた。
 確かに一方的ではあったがそのような取引だったはずだ。人類の希望を託された勇者一行ですら魔王に全く歯が立たず、このままでは人間の暮らすハイリヒ国は魔族に押され、魔王の手に落ちる未来が見える。世界の平和のためを考えれば、魔王の言うことに従わなければならない。

「苛立つのも無理はない」

 ソティラスはやれやれと首を振る。

「食事がまだだろうからな。腹が減っているのだろう」
(見下しやがって。俺はお前を倒しに来た相手だぞ)

 そう感じた途端、再びルーチェの奥底から怒りが湧きあがってくる。

「朝食……いやもう昼食か。食事にしてはどうだ。私は仕事があるので失礼するが――」

 その時、ソティラスがルーチェに背を向けた。その隙をルーチェは見逃さなかった。

(――今だ!)
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