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10、家宝にします
しおりを挟むということで、エミリアは料理というやつをやってみようと思った。家ではもちろん出来るはずもないし、王宮の厨房へずかずか入っていくのも無理だ。
だから修道院で頼み込み、月に一度だけ料理や菓子作りをさせてもらっているのである。
「うちの侍女のリーナも、元は男爵令嬢だったのです。いろいろあって一家は離散、付き合いのあったうちがリーナを引き取ることになって……。あの子はいろんなことができるでしょう? 私、尊敬しているのです。自分がいつあの子と同じ立場になっても困らないように、準備だけはしておこうと思って」
最初リーナは反対したが、結局は協力してくれた。やらせたくはないというのが顔に出ていたものの、仕事のことも教えてくれた。
「それはそれは……」
とルイスは感じ入ったように呟いていたが、「いただいてもよろしいですか?」と菓子を指した。
「どうぞ」
「では、失礼して」
口に入れて咀嚼した後、ルイスは考え込むように眉を寄せる。
今回のは出来がよかったはずだけど、いまいちだったかしら。いたたまれなくなってエミリアは「残しても結構ですから」と言い出しそうになる。
「うますぎる」
「はい?」
「人はあまりにうまいものを食べると、声が出なくなるものなんだな……」
普段よりやや砕けた口調で、ルイスはしみじみと言っている。
エミリアが硬直しているのに気づいてルイスがはっとした。
「あー……、申し訳ありません。感動して自分の世界に没入しておりました。エミリア様、美味しいです。こんな素晴らしい菓子を堪能したのは初めてのことです。甘みが絶妙ですし、とても優しい味だ。食感も最高ですね。菓子職人が作ったものと言われても私は信じますよ」
「まあ、褒めすぎですわ、ルイス様」
それからもルイスはかなりの勢いで菓子を褒め讃えた。エミリアは嬉しいやら恥ずかしいやら、彼の褒め言葉の語彙力に感心するやらで忙しかった。
「殿下はあなたがこうしたことをしているのをご存じなんですか?」
「ええ……。理由までは知らないでしょうけど、私が菓子を作るのは知っています。お前みたいな卑しい女は、卑しい仕事をするのがお似合いだな、と馬鹿にされましたけど」
もちろんウォーレンはエミリアが作ったものなど一度も欲していないし、エミリアの方もウォーレンに献上するなど考えたこともない。
「あの野郎……」
低く唸るようにルイスは言うと、慌てて咳払いをして誤魔化した。
「失礼! 私は農民の出なので、幼い頃の乱暴な言葉遣いが未だに抜けないと申しますか……。ご令嬢の前でお恥ずかしいことです。どうか聞かなかったことに」
急いで取り繕おうとするルイスの姿がおかしくて、エミリアはくすくす笑った。
菓子を平らげたところでリーナが戻ってきて、頼まれていたものをエミリアに差し出す。
「ルイス様。ボードゲームをいただいたお礼です。よろしかったらお使いになってください」
とルイスに渡したのは、白い手巾だった。隅に緻密な花の刺繍が施されている。
「もしかして、これもあなたが?」
問われて、エミリアは頷いた。刺繍の腕をあげておけば、路頭に迷いかけてもこれで食いつなぐことが可能かと思ったのだ。
「あなたはお強い方なんですね」
ルイスは微笑んで刺繍を見つめていた。
「退屈しのぎにと思ってボードゲームを持ってきたのですが、あなたは時間を無為に過ごしてはおられないようだ。要らぬお節介でした」
「とんでもないです! 嬉しかったですわ。遊びというのは必要ですもの。ありがとうございます」
ルイスが手巾を懐にしまう。
「使えないな。家宝にします」
「家宝だなんて、大袈裟な……」
「いいえ、エミリア様。大袈裟ではありません。私にとっては、あなたは姫君です。貧しい家に生まれて土で汚れながらそこらを駆け回っていた子供が、まさかこうして王宮の一室で、姫君の作ったお菓子を振る舞われ、贈り物までしてもらえるとは」
そう言われると、不思議な出会いである。貧しかったが才能があり、成長して魔術師長になったルイス。妹の身代わりで王太子の婚約者となった侯爵令嬢エミリア。そして今は、浮気の関係。
「ルイス様。普通の姫君はお菓子なんて作りませんわ」
「だったらあなたは、普通の姫君よりさらに特別な姫君だ。そんな方とお近づきになれて、私は幸せ者です」
菓子のおかわりをルイスは所望して、また褒めちぎりながら完食する。作ったものは孤児院に送っているが、子供達が食べるところを見られるわけではない。自分の作った食べ物の感想を聞くのはあまりないことなので、エミリアとしても嬉しかった。ほとんどお世辞であったとしてもだ。
「そうだ」
ルイスが手を叩く。
「もしよろしければ、魔術師団の団舎の方へお越しになってはいかがですか? 料理や菓子作りがしたいのであれば、団舎の厨房をお使いになればいい」
それは思ってもいない話であり、エミリアは戸惑った。
「けれど……そんなことができるのかしら」
「私は魔術師長ですからね。話は通せますよ。変装をしていただければ、人目にもつきません。まあ、料理のことは隠せても、団舎に来てることはバレてしまうかもしれませんが……。浮気相手の職場の近くに来るのは不自然じゃないでしょう」
魔術師団の人間は気心知れた者が多く、それとなく遠回しに事情も話しているから嫌な目には遭わないことを保証します、とルイスは約束してくれた。
すぐには頷けなかったエミリアはとりあえずこの件を保留にしてもらい、部屋に戻ってからもう一度検討してみることにした。
(ルイス様の仕事場を出入りしていたら、それこそまた良からぬ噂を立てられるのでは……)
と悩みかけたエミリアだったが、これも今更のことだと思い直した。そもそも自分達は、良からぬ噂を立てられるためにこうして会っているのではないか。
だとしたら、これ以上悪女だとかふしだらな女だとか悪口を言われたところで何が変わるわけでもない。
よし、行こう。エミリアは拳を握りしめた。この先がどうなるか未だ不透明ではあるが、出来ることをやっておくべきなのだ。
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