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第一部:第5章(グーサノイドとある屋敷)
25.その頃-ノアとジャック
しおりを挟む「ノア!!」
破壊音に目を丸くする。
扉を破って飛び込んできた相手を見て、ノアはぱっと顔を輝かせた。
「ジャック! あなたが会いに来てくれるなんて珍しいですね。歓迎しますよ」
「…鍵などかかってはいないのですがね。どう贔屓目に見ても暴徒ですが、これは陛下の器の大きさとみるべきですかな」
ぞろぞろと追ってきた警備兵が、ジャックに襲い掛かる。彼は悪びれた様子もなく、煩わしそうに舌打ちしていた。蔑みの目で見下ろすローレンス・ローリー宰相閣下に気が付くと、野生動物のごとき躊躇のない威嚇を向けた。
「なんでクソ変態野郎がここにいるんだ!」
「宰相が国王陛下の執務室にお邪魔して、何が妙だと?」
「知らん、出てけ!」
「おやおや」
ノアは警備兵を解散させ、気の合いそうもない二人の間に、慌てて割って入った。ローレンスは何事もなかったように笑んでいるが、ジャックの方は今にも食いつかんばかりだ。宥和は早々に諦めた。
「…ローレンス、用は済みましたね。何かあれば後で改めて時間を取ります」
「なんと、私を追い出すと仰るのですか?」
「用件は済んだはずだと言うのです」
愉快そうに笑い、気にしたそぶりもなく、一礼して従った。ジャックの存在など、丸きり忘れて目もくれなかった。歪んだ金具がキイキイと耳障りな響きを紡ぎ、遠ざかる背に投げかけている。そうして、嫌な緊張を残していった。
ノアはため息をつく。
「…それで、ジャックはどうしたのですか?」
「そうだ!」扉を睨みつけるのを切り上げ、勢いよく「師匠が消えたんだ!!」
師匠、というのはクロエのことだ。先日の歓迎パーティーで叩きのめされた後、彼女の強さにすっかり惚れこみ、騎士団を挙げて祀り上げていた。
クロエが消えた。
ノアはぎょっとしてジャックの肩をつかんだ。
「クロエさんが? いつからですか? なぜです? どこへ?」
「知るか! わかんねえからお前に聞きに来たんだろうが!」
手を離し、顔を覆ってしゃがみこむ。「取り乱してすいません。こんな乱暴な真似をして、穢れた身に穢れを重ねるような所業…それは結局、魂の穢れから来る罪なのでしょうね。精霊様どうぞお赦しを――」
「うるせえっての! 精霊なんざ蹴散らして、師匠のためにイカれた脳みそ絞りやがれ。いいか、師匠は今日の午前中、『三日月の狂獣』先生を連れて、演習場に来るはずだった」
警備兵たちは、凍り付いた。
精霊への不敬もまずいが、その程度ならばそこらの酒場でも聞かれる。狂信気味の国王に向けるには不適当だが、警備兵たちが動じることではない。
肝を冷やしたのは、「イカれた」という言葉だ。紫の呪い…紫色の瞳の者は狂うのだという呪いに、幼い頃から翻弄され、自身怯え続ける王に向かって、とても口にできるものではない。それは、相手を思う以上に、自らの疑いと恐怖を慰めるために、何が何でも失うことのできない配慮だ。
驚いたことに、当のノアは、どちらにも反応を示さなかった。
「『三日月の狂獣』先生…? ああ、ポーさんのことですか」
苦し紛れに口から出たのだと、バツが悪そうに話すクロエを思い出す。少しだけ、笑みが浮かんだ。魔術師や魔獣の異名が攪拌された末、飛び出したのだとか。
ジャックは机を叩いて詰め寄った。
「来なかったんだ。食堂で待てば飯でも食いにくるかと思ったんだが…そっちも駄目だ」
騎士団の食堂には名物料理人が居り、常に大盛況である。聞くところによると、以前は魚屋の女将をしていたそうで、魚料理が絶品だ。クロエも大いに気に入り、昼は大抵そこで取っている。
「部屋は確認しましたか?」
「メイドに聞いた。最後に見たのは昨日…お前とアラン様のところから帰ってきた時だそうだ」
「昨日? なぜもっと早く知らせないんですか!」
「そもそも普段から、たいていのことは一人でやっていたらしい。さすが師匠だ! 呼ばれるのは茶か食事の用意くらい…夕食は不要だと言われてたんだと。今朝はなかなか朝食を呼ばねえから、長いこと寝てるなあと思って他の仕事をして、そのまま忘れてたってさ。部屋まで行って呼びかけたが、返事がねえ。仕方ねえってんで押し入ってみたら――天井が粉砕されてた」
「…へ?」
固唾を飲んで安否の手がかりを待っていたノアは、どう捉えていいのか分からない締めくくりに、戸惑いを隠せない。ジャックは誇らしげに胸を張っている。
「あの見事な穴は師匠がやったに違えねえ! 師匠、小っせえのに、どうやってあんな見事に切り取ったんだ?」
「あの、すいません…話が見えないのですが…」
「だから! 天井が壊してあったんだよ。ご丁寧に、きっちり四角く、人ひとり分の大きさ」
それでようやく、ジャックが何を言いたいのか分かった。
「つまり、クロエさんが壊した天井板の上には、誰かがいたと言いたいのですね」
「それ以外にどう聞こえんだよ」
「…その、天井の上にいた人物が、なにがしかの攻撃をして、クロエさんが行方不明というのなら疑問はありません。しかし、クロエさんが攻撃して、どちらも姿を消したというのは…どういうことなのでしょう?」
「知るか。考えるのはお前の仕事だろうが」
「天井の傷は、間違いなくクロエさんによるものなのですね?」
「俺が師匠の気配を間違えるかよ」
実に馬鹿馬鹿しいが、存外捨て置けない発言だ。実際、ジャックは本能的に魔力をかぎ分けていた。ジャックに一切の迷いがないことを見て取り、ノアも納得した。魔力のことなど知らなくても、ジャックの野生の勘には、切って捨てるには惜しい実績がある。
伝えられた情報を検討してみる。一つ一つ検めるごとに、肩の力が抜けていくのが分かった。
「…取り乱してしまいましたが、考えてみると、クロエさんに万一などということはなさそうですね」
「当然だ。師匠にかなうやつなんかいるかよ」
「それならどうして、クロエさんはいなくなったのでしょう…?」
「だから知るかって」
堂々巡りだ。突然に姿が見えなくなるのはおかしい。だが、クロエが事件に巻き込まれるのもおかしい。すると、いなくなったのは、クロエの意思なのではと思われてくる。
「…荷物は残っていましたか?」
「メイドが言うには全部あるってよ」
ならば、嫌気が差して自ら出て行った、という事はない。待っていれば自力で帰ってくるだろうと、冷静な声が言う。しかし彼女は、他国からの客人だ。行方不明の客人を捨て置くなど、外聞のいい話ではない。
それに、とノアは思う。クロエには、子どものような無頓着さがある。危険に対しての無思慮がある。何もかも、他人事のように遠巻きにして、深く執着しない。それが可能なこと、それが許されることを、危なっかしいとも感じる。
「…とりあえず、本当に行方不明なのかは確認が必要です。城内にはいないのですね?」
「うちの隊の連中を使ってる。今のとこ報告はねえな」
騎士団の私的利用については黙殺する。すぐに命令書を出せば、前後などうやむやだ。さっそくペンを手にする。もしポーがこの場にいれば、ノアに怯えた目を向けていただろう。
「そうですか。引き続きお願いします。僕は城下を見てきます。行くとすれば、魔術師協会の支部か、『精霊の木箱』くらいでしょう。確認してきます」
認印を押した指令書を押し付けて、部屋を出ようとする。すぐにジャックが追ってきた。
「城内は望み薄だ。俺も手伝う」
「そうですか。では僕は『精霊の木箱』に。…アンナと少し話をしてきます。ジャックは協会支部に行ってください。中央広場に面している建物です。分かりますね?」
「タバコ屋のことだろう? 顔は知らねえけど知ってる」
「ではお願いします」
ジャックは何事かいいかけ、飲み込み、視線を天井のあちらからこちらへと彷徨わせた。そうして珍しく躊躇っていたかと思うと、ああもうと、乱暴に頭をかきまぜ、
「本丸絞めれば早えと思わねえの?」
と吐き捨てるように言った。ノアは眉一つ動かさなかった。
「意味があると思いますか?」
「…ねえか」
「ないですね。仮に拷問しても、こちらには得るところもなく、笑って死んでいくのを見物することになるでしょうね」
「…気色が悪いからそれ以上いうな。悪かったよ」
「まさか。悪いのは僕ですよ」
ジャックは何も言わず、ノアも何も求めなかった。
大変腰の軽い最高司令官は、宣言通りに城下へと向かった。
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