上 下
17 / 36
第一部:第4章(グーサノイド城内)

17.魔術講義

しおりを挟む
 クロエ・モーリアがグーサノイドに居ついて以来、月の満ち欠けは一巡半。その間に、客間から正式な居室に移動し、遠慮なく私物を増やした。ポーもすっかり受け入れられ、少なくとも城内では、しゃべる狐を誰も疑問視しない。不気味なほどの適応能力の高さだが、文句などあろうはずもない。むしろとても快適だ。

 仕事もできた。魔術についての講義だ。教え子は、国王ノア・バルティルスと、その従弟であるアラン・バルティルスという豪勢な顔ぶれ。
 講義とはいうものの、実態は単なるお茶会に近い。緊張感など欠片もなく、横道にそれることも多い。クロエの興が乗り、専門性が高い話がとうとうと続くこともある。逆に、あまりに基礎的なこととなると、上の空になることもざらだった。

 そんなあれこれを思えば、今日は比較的まともな勉強会だった。
 ふとした思い付きで、こんなことを言い出すまでは。

「魔術に無知な人って、魔術師はなんでもできると思い込んでるけど、実際はそんなに便利なものじゃないんだよ」

 首をかしげながら、甲斐甲斐しく菓子をとりわけるノア――すっかりクロエ専属の給仕係と化している。茶葉のブレンドから、茶請けの吟味、茶器の選定、給仕のタイミングまで…彼の采配は常に完璧だ。

「そうなんですか? 僕もてっきり、なんでもできるのだと思っていました」
「実際に魔術を使えるアラン君のご意見は?」

 こちらは生ニンジンを丸かじり中だ。ボリボリと景気のいい咀嚼音の後、音を立てて飲み込まれていく。甘いものが苦手だという答えの先は、誰ひとり追及をしない。クロエもそれに倣うことにしていた。

「そもそも魔術なんテ滅多に使わないんだよ。ああでも、魔術師協会の教本の魔術…アレは扱いづらくて腹が立ったよ」
「そういうことだよ」

 話は終わりとでも言わんばかりだ。二人は顔を見合わせる。互いの戸惑いに力を得、代表してノアが手をあげた。「どういうことです?」

 本気で驚いた様子を見せ、少し黙ってから、深くうなずく。

「そっか。それじゃあもっと基礎からいこう。――魔術と呼ばれる現象は、精霊の力が引き起こしている。魔術師の役割は、精霊の力をこと、これは大丈夫?」

 二人は素直に理解を示す。

「よし。精霊は精霊界にいる。精霊界っていうのは別の位相に存在してる。精霊界と、この世界――魔術用語でいうところの現象界――をつなげる扉が精霊石。その扉を通じて、精霊に干渉する能力が魔力」クロエは二人の顔を交互に見、注意深く続ける。「魔力の発現の仕方として、最も一般的なのが精霊言語の詠唱だね。さて、精霊言語ってなんだと思う? はい、ノア君」
「え? あの、精霊様を讃える祈りの言葉、だと」

 模範解答だ。魔術師協会でも、表向きはそのように定義づけられている。魔術に関わりのない一般的な人間ならばなおのことだ。精霊という語は精霊教会を連想させ、精霊教会における精霊言語とは、祭祀に用いる祝詞なのだから。
 だが、クロエは否定する。

「はずれ。これはあくあで、ただの言葉だよ。精霊と人間がコミュニケーションを取るための、手段のひとつにすぎない」即刻破門されかねない発言に、ノアは声にならない悲鳴をあげる。「さて、では実践的に考えてみよう。この間ノア君が失敗した、簡単な水魔術を例にしてみる。《水の恵みを、鋭き刃に》…アラン君、この魔術も扱いづらいと思う?」
「ウン」
「なんで」
「水の刃を出すのハ簡単だけど、威力も、方向も、全然制御できナイから」

 それだよ、と指さしで褒められ、アランは胸を張る。ノアは少し寂しそうだ。

「ほら、精霊側になって考えみて。突然、水の刃を出せ、だよ。意味わかんなすぎて困惑でしょう?」
「精霊様の側に立つ…?」ノアも心底困惑した。
「なるほど、詳細な指示が必要ってわけだね」アランはあまりに物分りが良い。
「その通り。――魔術師協会に魔術師として認定される最低条件は、術の制御ができること。言い換えれば、詳細な指定に習熟すること、だよ」

 ノアは恐ろしそうに精霊に赦しを求めているが、相手にされない。

「とにかく細かく指示スれば良いってこと?」
「その通り。魔術師の詠唱が長いのはこのせいだね。でも、あんまり長い詠唱は役立たずなんだよ。まず実戦で使い物にならない」
「威力が出ルなら、詠唱中は後方で守ればイイんじゃない?」
「そう気軽に言えるのが、アラン君が優秀な魔術師である証拠だよ。…確かに、規模の大きい魔術を生み出すこと自体は、そんなに難しいことじゃない。質の良い精霊石を大量に使うなり、魔術師を集めて詠唱を重ねるなり、やりようはある。…ただし、現象が大きくなると、制御の難しさが跳ね上がる。制御するには、発現の倍の力が必要だって言えばイメージしやすいかな」
「無茶をすれバ敵の前に味方を殲滅する?」
「あり得るね。それに、あんまり長い詠唱は破綻すると思っていい」
「なんデ?」
「精霊が飽きるから」

 どうやら許容量を超えたらしく、ノアは蒼白な顔をして穏やかな笑みを浮かべた。大変優雅にお茶を注ぐ。スコーンにクリームを塗って並べる。その間ずっと、手が震えていた。

「精霊言語には、文法だけじゃなくて韻律があるでしょう。それが美しいから、精霊は耳を傾けるんだよ。ようは娯楽だね。退屈しているから、嬉々として現象界に介入するの。ノア君並みの詠唱ができるならともかく、一般人がだらだら喋っててもうんざりするだけ。下手したら魔力だけ吸われて術が暴走する」
 名前が出たのでとっさに身を正す。「お、お褒めいただいて光栄です…?」
「だから、一般の魔術師にできることは、シンプルかつ大雑把なことだけだと思っていい。私が言うべきことじゃないけど、ほとんどの魔術師は日常生活ではなんの使い道もない」お菓子とお茶で一服。「でもアラン君は、この理屈がピンとこないはずだよ」

 勢いよく身を乗り出す。「そう。最初に教本カラ学んだ魔術に関しては、今の説明で納得ガいく。でもボクが使う魔術は…それに、モーリア嬢が使う魔術も、それとは別物じゃない? 一番疑問なのは、僕も君も長々詠唱なんテしないし、それでいておそラく、言語で指定するよりも的確な結果を出してるっテこと」
「その通り、別物なんだよ」
「同じ魔術なノに?」
「さっき言ったように、一般的な魔術は、まず魔術師が精霊に働きかけ、精霊が現象を起こす。…アラン君が使う魔術では、精霊に働きかけ、精霊の権限を委譲される。発現は、その権限に基づいてアラン君自身が行ってる」
「権限の、委譲?」さすがのアランも目を丸くする。「ご大層な響きだね」
「実際、ご大層なことなんだよ。これができれば高位魔術師になれる。史上最年少は私が貰っちゃったけど、アラン君も十分に業界騒然の逸材だよ」
「聞いたノア君、褒められちゃったよ!」
「精霊様の力を…移譲…?」実に良い笑顔を見せる。「…すいませんね、アラン。どうやら僕は体調が優れないようです。心根も穢れているのでしょう。どうも先ほどから、精霊様は気まぐれな隣人にすぎないような幻想に囚われていて、心身の修養の必要を痛感しているところです」
「わあお、さすがノア君。ズバリと核心をついてくるね。まさしくその通りなんだよ」

 どの部分が核心なのか、確かめたりはしなかった。とても聞いていられなかったので、顔を背けて無理やり話題を切り上げる。

「ところでクロエさん。今さらですが、クロエさんの歓迎会をしようと思うのです。いかがでしょう?」
「それは本当に今さらだね」
「ノア君、ハリきってご馳走作るっテ」
「わかった。今すぐ始めよう」
「今すぐはちょっと…」
 やれやれと首を振る。「ならいつなの?」

 あーやら、うーやら、言語能力を乳児並みに退化させたノアは、袖の端を弄びながら苦悶している。埒が明かないので、隣でにやにやする通訳を促した。

「ノア君、モーリア嬢に喜んで貰うためにちゃんと準備しタいんだって。でも、その喜ばせたい相手の要求が『早くしろ』だったモンだから、質とスピードの兼ね合いデ悩んでるんだよ」
「なるほど」

 なんて馬鹿らしくて平和なんだろと、興味を失いあくびをする。お茶を飲んでいると、ほっそりと長い指が伸びて、躊躇いがちにカップを押し下げた。求められた通りにソーサーに戻す。宙をさ迷った手が、無意味に砂糖をかき混ぜ始めた。その手の主を見れば、赤い顔をして、唇を引き結んでいる。

 それだけではなくて、とノアは言った。黙って続きを待つと、決死の形相でこう叫ぶ。

「クロエさんが歓迎会を受け入れてくれて、とても嬉しかったんです!!」
「プロポーズみたいな勢いデいうのがそれなの?」
「ぷ、ぷぷろぽーずだなんて…!」

 しどろもどろで、目を回している。
 アランは呆れた様子で首を振る。

「…まあ、ありがとね」

 苦笑とともに、囁いた。
 どうやら、耳には入らなかったようだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...