タイムトラベラー主婦

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つまらない生活

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 「あああ、何でこんな人と結婚したんだろう」

 慶子は、家事をしながらつぶやいた。

 時は昭和44年。

 慶子は昭和16年生まれで、高校卒業後片田舎の会社で働いていた。そこの上司と恋愛関係になったものの、上司が遠隔地に転勤することになると、父はついていくことを許さなかった。

 結局お別れして、父の勧める6歳年上の相手と見合いをし、そのまま結婚まで進んで勤務地であるここにやって来た。偶然にも、あの上司の転勤先と同じ県。

 それが昭和39年春、慶子23歳。

 この人に決めた理由は簡単。東京の会社に勤めていて、結婚すればここから出て行ける。もう父の言いなりになるのはたくさん。

 父がこの見合いに乗り気になったのは、長男でいずれは戻ってくると踏んでいたかららしい。娘が行ったきりにならないと思っていたよう。

 奨学金で工業高校を卒業して就職した夫は仕事もできるし、家族思いだと評判だったらしい。周りからは悪い評価が聞こえなかったのは確か。

 「でも、あの人といてもちっとも楽しくない」

 世間的に見れば立派なのかもしれないけど、話をしても合わないし、スタイルだってちんちくりん。顔も平均以下というより、はっきり言って醜男。

 身内だけで簡単な結婚式をして、そのまま二人だけの夜を迎え、好きでもないこの人にからだを委ねた時。思い出したくもない。

 夫は高校を出てから自分一人の力で生きてきた。そのためか、「家の中では自分が言うことがすべて」と決めてかかっていた。何か言おうものなら、「俺の金で食ってるくせに」の一言。慶子は自分の財産も無ければ何の資格も持っていなかったし、夫の言葉に従うしかない。

 浮気をしたり、性風俗店に通ったりはしていないと思う。もしやっていたのなら、隠したりするはずはないから。

 「俺の金でやってるのに、何が悪い」

 平然と言うだろう。

 世間的には立派な夫なのかもしれないが、全くそうは思えない。

 慶子は歌が好きだった。高校を出たら歌手になる夢を持っていたけど、父の大反対にあってあきらめざるを得なかった。明治生まれの父は芸能界なんて薄汚い世界で、そんなところに娘をやるなんてもってのほかだと決めつけていた。

 夫は音楽なんて「何の役にも立たない、くだらない道楽」と考える人。興味もないし、音痴だった。趣味が合った上司と別れたのが何とも悔しい。

 夢もあきらめ、恋もあきらめ、仕事ができるだけの何の魅力も無い夫との生活。家事と子育てに追われて楽しいことなど何一つ無い。家に帰ってきた夫は「ご主人様のお帰りだ」とばかりに威張り腐って家事も子育ても家のことなど一切しない。

 結婚して1年半後、子どもが出来た。母性は生まれたけど、この人の子だと思うと怖気がした。
 
 生まれたのは男と女の双子。初めての子が双子では事故があってはいけないということで、女の子は女手の多い夫の実家に預けられることになった。物心がつく前に迎えに行くことになっているけど、男の子を家に置いていくわけにはいかないから、連れて帰るのには二人で行かなければならず、夫の仕事の都合もあるからそう簡単にはいかない。

 引き取ったのは結局3歳になってから。そのときにはものの考え方から行動に至るまで夫の実家のやり方が染みついていて、慶子が何度言っても変えようとはしなかった。自分そっくりの顔をしているだけに余計にいらいらする。

 娘からしても、今まで会ったことも無かった自分が現れて

 「私がママよ」

 なんて言ったところで、すんなり受け入れるはずは無いのは分かるけど。

 引き取る直前に家を買って引っ越した。夫はいきなり

 「家を買うことにした」

 確かに狭い借家住まいでは一家4人の生活がきついのは分かるけど、何一つ相談は無い。

 すべて自分だけで決めて、慶子には報告するだけ。

 「俺の決めたことにおとなしく従ってればいい」
 
 そんな考えが見え見え。

 買った家はつい最近まで林の中だった場所。駅までは遠く、とても歩いて行ける距離ではない。バス停だって、20分もかかるし、本数は1時間に2本程度。周囲は畑と林だけで、買い物に行くのさえ10分も歩かなければ個人商店すら無い。当時自転車は高価なもので、どこの家にもあるものではなかった。
 
 通勤の必需品なので、中古の軽自動車はあった。ただ、もちろん普段は夫が通勤に使っているし、何より慶子は免許を持っていない。慶子が実家にいたころは女が運転免許を取りたいなどと言うと、「おてんば娘」とからかわれて、嫁に行けなくなるとまで言われていた。

 そんなところに買った理由は一つ。夫の通勤に便利だったから。勤め先まで自動車で15分。仕事が何よりも優先される夫にとっては、それは当然のこと。妻の買い物の苦労なんて知ったこっちゃない。

 もっとも、自然に囲まれたところだから、子どもの養育には良さそうだったけど。

 夫は仕事で家を留守にすることが多かった。勤め先の会社で初めて海外進出するときのメンバーにも選ばれた。仕事のためなら何でも熱心な夫は、時間を惜しんで英語の勉強をしていた。

 夫の留守が多くなると近所の主婦には、

 「若いのに寂しいことね」

 なんて言われたけど、とんでもない、留守の間だけは自由になれた気がした。

 帰国した夫は、戦争に行っていた慶子の父を別にすれば、親類の中で初めての海外渡航だった。帰国後、仕事関係以外に親類や知人にも撮影した写真をスライドにして持ち歩き、経験話をして回った。

 昭和45年。

 双子は幼稚園に入園した。音楽をやらせようと思ってオルガンを購入した。かなり高額だったけど、夫は特に異議を挟まなかった。全てを慶子に任せる人だから。

 やらせては見たけれど、あまり楽しそうではない。慶子には理解できなかった。自分があれだけやりたかったことをやらせてもらえるのに何で興味すら持たないのだろう。

 家で練習させている時も嫌々なのが明らかだった。特に歩はそうで、テキスト通りにやったりするのが合わないようで、結局1年でやめてしまった。泰代も元々やりたくなかったのだろう。それから3か月後にやめると言い出した。そういう子もいるんだということを慶子も認めざるを得なかった。

 狭い家の中に使われなくなったオルガンだけが残った。もったいないので慶子自身が時々弾いている。

 昭和45年の夏に、舅がガンで入院したという連絡が来た。1年あまり闘病したけど、結局手遅れで翌46年に亡くなった。

 長男だった夫は実家に帰るかどうかということで家族会議が行われた。夫の実家には、行かず後家の義姉と姑が住んでいたが、姑は脳の病気を2年前に患っていて、奇跡的に復活したけど、後を継ぐ者がいない状況では今のままにできないということになった。

 慶子の父は当然娘夫婦が戻ってくると思っていたが、結局夫の末の妹が婿養子をとって跡を継ぐことに。それを知った父は激怒し、その後の夫の家族とは断絶状態になった。

 内心ほっとしていた。実家の近くに住んだら父は確実に口を出してくるだろう。おまけに姑や行かず後家の小姑に囲まれての生活なんて、とても耐えられそうにない。

 舅が亡くなり、家族会議も終わって間もなく。

 夫は、

 「もう一人子供が欲しい」

 と言い出した。当時は経済的に問題が無ければ3人くらい子供がいるのは普通だった。

 慶子が独裁者の夫に逆らえるはずもなく、翌47年男の子を出産した。

 生まれた子は体の弱い子だった。慶子は養育にかかりきりにならざるを得ず、自分の時間など一切持てなくなった。

 そんな中、慶子が怒りを覚える事件が起きた。

 夫の弟、つまり義弟が、事業を起こすことになり、その連帯保証人に夫がなったのである。いつもの如く慶子には何の相談も無かった。

 義弟といっても、慶子より一つ年上である。一つ間違えば家族が路頭に迷いかねないことなのに、一切自分を無視してそんなことを決めた夫をこのときほど恨んだことは無かった。

 (この人、私を妻だなんて思っていないんだ)

 はっきり思い知らされた瞬間だった。

 「もう限界!」

 慶子の中で、何かが弾けた。

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