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戻って来た
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慶子は駅前にいた。周りの人は驚いている様子はない。直前に二度もタイムトラベルしていることなど気が付いていないのだろう。
「戻って来たんだ」
ベンチに置き忘れられている新聞で確認する。あの日だ。間違いない。
「帰らなきゃ」
財布を確認する。あの時は失踪する気で家を出てきたから、十分お金はある。1000円札が伊藤博文であることを確認する。持ってこなかったはずだけど、万が一夏目漱石なんか出したりしようものなら大変だ。
タクシーに乗る。
「私の言うとおりに行ってください」
「分かりました」
ちょっと見にはただの旅行者だろう。
家の近所の、林の中を通る道に差し掛かる。
「ここで降ります」
「ここですか?」
運転手が怪訝な顔をしたが、ドアを開けた。
料金を払って、家に向かう。出来れば誰にも会わないほうがいいが、会ったとしても誤魔化せるだろう。まさか2001年から戻って来たなんて誰にも想像できないはず。
知り合いや近所の人とは顔を合わすことなく、家に着いた。
表札を確かめる。「真鍋」。確かに自分の家だ。間違いない。
「真鍋慶子」
頭の中で反復しながら家に入る。うっかり、自分のことを「細田」なんて言おうものなら面倒だ。
「うっ、蒸し暑い」
1975年には、ほとんどの家に冷房なんてものは無い。慶子の家にも無かった。
窓は開けてあっても、久しぶり感じるむっとした空気が肌を覆う。汗が噴き出してくる。
玄関先で歩と顔を合わせた。
「おかあさん、明日の準備していたの?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「田舎に行くの、明日だよね」
ようやく思い出した。8月はほとんど毎年のように、田舎に行っている。慶子にとって別に楽しくも無いことだが、年に一度くらいは両親や親類への挨拶も義務のうち。
歩は慶子が5年も歳を取ったことには気が付いていない様子。旅行鞄を持っていたことから準備をしていると思ったようだ。
「そうよ。あんたたちも準備できた?」
我ながら芝居がかっていると思ったが、気にすることもないだろう。
「ぼくは終わったけど。泰代のことは知らない」
泰代については慶子の元に戻ってきて6年経った今でも分からないことが多い。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもの。
慶子の方は失踪するため持ちだした荷物があるから、それほど手間はかからない。
「ただいま」
泰代が帰ってきた。どこかに出かけていたらしい。買い物にでも出ていたのだろうか。
慶子のことを見ても、5歳も歳を取ったことに気付いている様子はない。
「明日の準備しておくのよ」
それだけ言っておく。
一緒に田舎に行くのは、慶子と子どもたちだけ。夫は同じ日に出張に行くことになっている。駅までは隣で工場をやっているご主人が、普段は製品を出荷するのに使っているバンを出してくれることになっている。
隣の奥さんに挨拶に行く。
「明日はお願いします。朝早くて申し訳ないですけど」
「いいえ、気になさらないで」
お隣さんも気付かなかった。これなら、気にすることもなさそう。
昼寝をしていた保が起き出してきた。夫も随分と早く帰ってきた。
家族5人そろっての夕食。決して楽しい家庭だと思ったことは無いけど、5年振りだと思うと懐かしさが込み上げてくる。
「こちらも私の家族なのだ」
あらためて認識した。
保と風呂に入る。冷房のない家はいるだけで大量に汗をかくので、風呂に入らずに寝るなど考えられない。
考えてみれば、これも5年振りのことである。
歩、泰代は二階で夫と同じ部屋、保は一階で慶子と一緒に寝る。窓は無論開け放しで、網戸にしていても隙間から蚊や翅蟻などの虫が大量に入ってくる。呼吸器が弱い保は蚊取り線香が使えないので、「電気蚊取り」を使用している。改めて体が丈夫なメイやアオイを思い出す。こちらで生活する以上はそれも我慢しなければならない。
それでもさすがに疲れたのか、すぐに眠りに落ちた。
「戻って来たんだ」
ベンチに置き忘れられている新聞で確認する。あの日だ。間違いない。
「帰らなきゃ」
財布を確認する。あの時は失踪する気で家を出てきたから、十分お金はある。1000円札が伊藤博文であることを確認する。持ってこなかったはずだけど、万が一夏目漱石なんか出したりしようものなら大変だ。
タクシーに乗る。
「私の言うとおりに行ってください」
「分かりました」
ちょっと見にはただの旅行者だろう。
家の近所の、林の中を通る道に差し掛かる。
「ここで降ります」
「ここですか?」
運転手が怪訝な顔をしたが、ドアを開けた。
料金を払って、家に向かう。出来れば誰にも会わないほうがいいが、会ったとしても誤魔化せるだろう。まさか2001年から戻って来たなんて誰にも想像できないはず。
知り合いや近所の人とは顔を合わすことなく、家に着いた。
表札を確かめる。「真鍋」。確かに自分の家だ。間違いない。
「真鍋慶子」
頭の中で反復しながら家に入る。うっかり、自分のことを「細田」なんて言おうものなら面倒だ。
「うっ、蒸し暑い」
1975年には、ほとんどの家に冷房なんてものは無い。慶子の家にも無かった。
窓は開けてあっても、久しぶり感じるむっとした空気が肌を覆う。汗が噴き出してくる。
玄関先で歩と顔を合わせた。
「おかあさん、明日の準備していたの?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「田舎に行くの、明日だよね」
ようやく思い出した。8月はほとんど毎年のように、田舎に行っている。慶子にとって別に楽しくも無いことだが、年に一度くらいは両親や親類への挨拶も義務のうち。
歩は慶子が5年も歳を取ったことには気が付いていない様子。旅行鞄を持っていたことから準備をしていると思ったようだ。
「そうよ。あんたたちも準備できた?」
我ながら芝居がかっていると思ったが、気にすることもないだろう。
「ぼくは終わったけど。泰代のことは知らない」
泰代については慶子の元に戻ってきて6年経った今でも分からないことが多い。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもの。
慶子の方は失踪するため持ちだした荷物があるから、それほど手間はかからない。
「ただいま」
泰代が帰ってきた。どこかに出かけていたらしい。買い物にでも出ていたのだろうか。
慶子のことを見ても、5歳も歳を取ったことに気付いている様子はない。
「明日の準備しておくのよ」
それだけ言っておく。
一緒に田舎に行くのは、慶子と子どもたちだけ。夫は同じ日に出張に行くことになっている。駅までは隣で工場をやっているご主人が、普段は製品を出荷するのに使っているバンを出してくれることになっている。
隣の奥さんに挨拶に行く。
「明日はお願いします。朝早くて申し訳ないですけど」
「いいえ、気になさらないで」
お隣さんも気付かなかった。これなら、気にすることもなさそう。
昼寝をしていた保が起き出してきた。夫も随分と早く帰ってきた。
家族5人そろっての夕食。決して楽しい家庭だと思ったことは無いけど、5年振りだと思うと懐かしさが込み上げてくる。
「こちらも私の家族なのだ」
あらためて認識した。
保と風呂に入る。冷房のない家はいるだけで大量に汗をかくので、風呂に入らずに寝るなど考えられない。
考えてみれば、これも5年振りのことである。
歩、泰代は二階で夫と同じ部屋、保は一階で慶子と一緒に寝る。窓は無論開け放しで、網戸にしていても隙間から蚊や翅蟻などの虫が大量に入ってくる。呼吸器が弱い保は蚊取り線香が使えないので、「電気蚊取り」を使用している。改めて体が丈夫なメイやアオイを思い出す。こちらで生活する以上はそれも我慢しなければならない。
それでもさすがに疲れたのか、すぐに眠りに落ちた。
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