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結婚
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「友さん」
敬子は声を掛けた。もうすぐ結婚式を迎える。といっても、敬子に家族はいない。敬子の側は病院で知り合った人たちくらいだから、出席者は10人にもならない。
「結婚する前に、運転免許を取っておきたいのですが」
昭和にいた時、免許を持っていないことで随分不便な思いをした。夫は長期出張が多かったので家に使わない車はあるのに、自分は運転できない。夫が留守の時で保が具合が悪くなった時にはその都度タクシーを呼んだり大変だったことを思い出す。家事と子育てに忙しくて教習所に通う暇も無かったし。無理してでも独身の時に取っておけばよかったと常に思っていた。
「いいですよ。この辺りはあまり公共交通が便利なところではないし、今後も病院に勤めるとしてもその方がいいです。お金が足りないのでしたら、僕の方で出しますよ」
「ありがとうございます。優しいのですね」
あの夫だったら簡単に賛成してくれたかすら怪しい。
自分の子供たちが通っていた可能性がある教習所はできれば避けたい。今の年齢から考えれば恐らく3人とも免許を取っているだろう。いくらあれから21年経っているとは言っても大人の顔なんてそう変わるものではないから、どこかで見かけた当時の知り合いが家族の誰かに
「随分若いけど、行方不明になった慶子さんに似た人を見かけた」
などと報告しないとも限らない。引っ越して行ったのもいつだか分からないのだから、それくらい用心するに越したことは無い。
職業別電話帳で調べてみる。「タウンページ」と呼ぶようになっているらしい。隣の市に比較的近い教習所があった。昭和にいた時の知り合いと出会う可能性がゼロではないけど、そこまで考えても仕方あるまい。
電話を掛けてみた。オートマ限定免許というのがあって、そちらの方が取りやすいと聞かされた。昭和にいた時免許を取ろうと思ったことは無かったが、そんなものを聞いたことは無いから、新しくできたものかもしれない。変に思われるいけないので、詳しく聞くのはやめておく。私は「タイムスリップしてきたおばさん」だ。
手続きに行くとアッと思った。事務員の女性の一人は明らかに歩のクラスメイトの子だ。大人になってはいるけど、顔立ちはそんなに変わっていない。
幸い、気が付かれることは無かった。教習生なんてたくさんいるからいちいち気にしていないのだろう。
考えてみれば、友人でも無いクラスメイトの母親の顔なんて、憶えていなくて当たり前。あまりに神経質になっている自分がバカらしく思えてきた。
高校卒業以来17年振り、飛び越えた時間を含めて36年振りの通学、そして勉強。元々勉強は嫌いではなかったから、座学は苦ではない。運動神経はいい方ではないけど、オートマ車限定のコースなのでハンドル操作に集中すればいい。
何時間かオーバーはしたけど、仕事の合間に通って二ヶ月ほどで取ることができた。
初めて手にする免許証。すぐ名字が変わることになるはずだけど。早速ユウさんに報告する。
「免許、取れました」
「おめでとう。ぼくのクルマ、運転してみますか?」
「いいんですか?どこかぶつけるかもしれませんよ」
「高級車じゃありませんから。ぶつけることを怖がっていたらうまくなりませんよ」
休みの日にユウさんが迎えに来て、練習させてもらった。間もなく車庫入れも難なくこなせるようになった。
(昭和にいた時には考えられなかったな)
こちらの世界に来たのはほんの半年くらい前のことなのに、はるか昔のことに思えてきた。
昔のことには違いないけど、忘れることはできない。36年間も暮らしてきた世界だったのだから。
結婚式は公民館の一室で行われた。敬子の知り合いは医療関係者ばかりなので、当日休みになった人だけである。あとはユウさんの親族と大学関係者だけ。自分の関係者ばかり何十人も呼んで敬子が肩身の狭い思いをしないようにというユウさんの配慮らしい。
1997年春、敬子は「細田 敬子」になった。
ようやく馴染んできた「夏野」という姓は短期間で終わった。こちらの世界に来て自分で勝手につけた姓だから特に名残惜しくはない。
ユウさんは大学の授業があるので何日も休みにするわけにはいかず、新婚旅行も近場で済ませた。
敬子は「慶子」だった時、結婚するまで他の男性と関係を持ったことは無い。会社の上司と恋愛関係になった時も、体の関係は無かった。当時は結婚前にそんなことをする女性は「ふしだら」「傷物」と言われた時代。夫は多分童貞ではなかっただろうと思うけど。
夫とするときは愛情など無く、「義務感」だけで相手をしていたのに過ぎなかったが、ユウさんは優しかった。生まれて初めて本当の「男女の愛」を知った気分になった。
(この人の子を産んで新しい家庭を築きたい)
本気で思った。
敬子は声を掛けた。もうすぐ結婚式を迎える。といっても、敬子に家族はいない。敬子の側は病院で知り合った人たちくらいだから、出席者は10人にもならない。
「結婚する前に、運転免許を取っておきたいのですが」
昭和にいた時、免許を持っていないことで随分不便な思いをした。夫は長期出張が多かったので家に使わない車はあるのに、自分は運転できない。夫が留守の時で保が具合が悪くなった時にはその都度タクシーを呼んだり大変だったことを思い出す。家事と子育てに忙しくて教習所に通う暇も無かったし。無理してでも独身の時に取っておけばよかったと常に思っていた。
「いいですよ。この辺りはあまり公共交通が便利なところではないし、今後も病院に勤めるとしてもその方がいいです。お金が足りないのでしたら、僕の方で出しますよ」
「ありがとうございます。優しいのですね」
あの夫だったら簡単に賛成してくれたかすら怪しい。
自分の子供たちが通っていた可能性がある教習所はできれば避けたい。今の年齢から考えれば恐らく3人とも免許を取っているだろう。いくらあれから21年経っているとは言っても大人の顔なんてそう変わるものではないから、どこかで見かけた当時の知り合いが家族の誰かに
「随分若いけど、行方不明になった慶子さんに似た人を見かけた」
などと報告しないとも限らない。引っ越して行ったのもいつだか分からないのだから、それくらい用心するに越したことは無い。
職業別電話帳で調べてみる。「タウンページ」と呼ぶようになっているらしい。隣の市に比較的近い教習所があった。昭和にいた時の知り合いと出会う可能性がゼロではないけど、そこまで考えても仕方あるまい。
電話を掛けてみた。オートマ限定免許というのがあって、そちらの方が取りやすいと聞かされた。昭和にいた時免許を取ろうと思ったことは無かったが、そんなものを聞いたことは無いから、新しくできたものかもしれない。変に思われるいけないので、詳しく聞くのはやめておく。私は「タイムスリップしてきたおばさん」だ。
手続きに行くとアッと思った。事務員の女性の一人は明らかに歩のクラスメイトの子だ。大人になってはいるけど、顔立ちはそんなに変わっていない。
幸い、気が付かれることは無かった。教習生なんてたくさんいるからいちいち気にしていないのだろう。
考えてみれば、友人でも無いクラスメイトの母親の顔なんて、憶えていなくて当たり前。あまりに神経質になっている自分がバカらしく思えてきた。
高校卒業以来17年振り、飛び越えた時間を含めて36年振りの通学、そして勉強。元々勉強は嫌いではなかったから、座学は苦ではない。運動神経はいい方ではないけど、オートマ車限定のコースなのでハンドル操作に集中すればいい。
何時間かオーバーはしたけど、仕事の合間に通って二ヶ月ほどで取ることができた。
初めて手にする免許証。すぐ名字が変わることになるはずだけど。早速ユウさんに報告する。
「免許、取れました」
「おめでとう。ぼくのクルマ、運転してみますか?」
「いいんですか?どこかぶつけるかもしれませんよ」
「高級車じゃありませんから。ぶつけることを怖がっていたらうまくなりませんよ」
休みの日にユウさんが迎えに来て、練習させてもらった。間もなく車庫入れも難なくこなせるようになった。
(昭和にいた時には考えられなかったな)
こちらの世界に来たのはほんの半年くらい前のことなのに、はるか昔のことに思えてきた。
昔のことには違いないけど、忘れることはできない。36年間も暮らしてきた世界だったのだから。
結婚式は公民館の一室で行われた。敬子の知り合いは医療関係者ばかりなので、当日休みになった人だけである。あとはユウさんの親族と大学関係者だけ。自分の関係者ばかり何十人も呼んで敬子が肩身の狭い思いをしないようにというユウさんの配慮らしい。
1997年春、敬子は「細田 敬子」になった。
ようやく馴染んできた「夏野」という姓は短期間で終わった。こちらの世界に来て自分で勝手につけた姓だから特に名残惜しくはない。
ユウさんは大学の授業があるので何日も休みにするわけにはいかず、新婚旅行も近場で済ませた。
敬子は「慶子」だった時、結婚するまで他の男性と関係を持ったことは無い。会社の上司と恋愛関係になった時も、体の関係は無かった。当時は結婚前にそんなことをする女性は「ふしだら」「傷物」と言われた時代。夫は多分童貞ではなかっただろうと思うけど。
夫とするときは愛情など無く、「義務感」だけで相手をしていたのに過ぎなかったが、ユウさんは優しかった。生まれて初めて本当の「男女の愛」を知った気分になった。
(この人の子を産んで新しい家庭を築きたい)
本気で思った。
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