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三話

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覗き込んできたリーレンのいたずらっぽい笑顔を見て、目を丸くするマーガレットは、ぷっと吹き出すと声をあげて笑い出した。

マーガレットが笑い続ける姿をリーレンは眩しそうに眺め、背もたれに身を預ける。

笑い終えたマーガレットの表情は晴れやかだった。

「そう…ね。もう私はマーガレットであって、ルースじゃない。あなたも、ジンじゃなくて、リーレン。全然違う。年の離れ具合いは、昔と似ているけど。リーレンは今、何歳?」
「僕は、二十四ですよ」
「おもったより若い」
「年取ってみえますかね」
「資産があると聞いていたから、もっと高いかと思っていたわ」
「子どもの頃からの積み重ねがありますからね。出世できたのは、若い者の結果を奪おうとする老獪に出会わなかった運の要素も多いですよ。
それより、マーガレットは十六歳なんですから、もっと楽しんでください」
「楽しんでと言われてもねえ」

本の虫として育ってきたマーガレットは彼方に視線を流す。
過去世も現世も、あまり遊ぶということとはかけ離れた暮らしをしていた。いったいなにを楽しめばいいか、いきなりふられても思いつかなかった。

「堅苦しい王家の呪縛からやっと解放されたんです。これからは僕と一緒に、昔できなかったことを楽しみましょう」
「一緒にね」
「二人でご飯を食べたり、出かけたり、色々しましょ。過去世でできなかったこと、過去世では見れなかったことが、たくさん、現世にはあふれているんですから。
嫌な記憶も、すべて洗い流されるほど、現世は輝いていますよ」

愛想のいいリーレンの笑顔に、マーガレットはつられる。

「そうね。リーレンが誘ってくれるなら、行ってみようかしら」
「喜んでお誘いしますよ。マーガレット」

マーガレットのおどけた答えにも、真面目に、かつ嬉し気にリーレンは答えた。



リーレンは、すべてを捧げるようにマーガレットに尽くすようになった。



料理店への食事、観劇、サーカス、博物館や美術館へも足を運んだ。日帰りや一泊の旅行から、長期旅行まで、マーガレットを連れ歩いた。

リーレンのマーガレットへのつくす様を周囲に見せつけているうちに、婚約破棄の醜聞はどんどん薄れ、ついには、あの茶番は、王太子が婚約者をリーレンに譲るために行った事だったとまで曲解されるようになっていた。



マーガレットが最も楽しんだのは、街中をふらふらと歩くことだ。
王太子の婚約者の立場を返上したこと、今は王ではなく、王としてのやることはなにもないと自覚したら、途端に心が軽くなり、平和を満喫できるようになった。

記憶が戻る前であっても、魂に刻まれた責任感に縛られていたのだなとマーガレットは自覚した。

かつての右腕が、今も隣にいてくれる。
背を預け、ともに戦場をかけた距離とも違う、暖かな寄り添いもまた、世界がいかに変わったかをマーガレットに知らしめる。

背が高いマーガレットでも、少し傾げなければ見ることができないリーレンの顔を盗み見る。

ゆるい笑顔をした、のらりくらりとした雰囲気を日常漂わす魔法使いも、かつては、もっと陰険な顔をしていた。

(平和を満喫していると、皮膚の下の筋肉にも脂肪がついてゆるんでくるのだろうか)

武器以外の研究ができることも、彼にとっては天国だろう。
戦火で活きる魔法しか考えられなかった時代よりは、ずっと有意義な気持ちで仕事に打ち込めているはず。

マーガレットの視線にリーレンが気づく。

「どうしました」
「いや」

照れ隠しにマーガレットはふいと横を向く。

今日は郊外にある花園有する公園に遊びに来ていた。
かつて焼け野原となった地は整備され、季節ごとの花が美しく咲き乱れる公園になっていた。

花園向こうには広い道があり、そこには出店も出ている。風にのって良い匂いが漂って来た。

「なにか食べますか」
「路上で?」
「はい。美味しいですよ」

野営中に食べた干した肉や、味のうっすいスープを思い出し、マーガレットは腕を組んだ。

「変なことを考えているでしょ」
「なにを言う」
「良いんですよ。記憶の書き換えです。お花見しましょ」

リーレンがマーガレットの手を取り、無邪気に引く。
マーガレットはリーレンの為すがまま、ついていった。なにぶん、本の虫として長年過ごしてきたため、現世においても、マーガレットは世間知らずであった。

手始めに、リーレンは近場の出店から飴細工を買って来た。棒に果実を刺し、周囲を飴で固めたものである。
飴の甘さを味わい、顔を出した果実の食み、その食感を楽しみながら、マーガレットはリーレンと歩む。

マーガレットはきょろきょろと周囲を見回す。

花も美しいし、料理もおいしい。
なにより、老人も子どもも、大人も、みんな笑顔で歩いている。
その咲き誇る笑顔を呆けた顔で眺めると、じんじんと胸がうずく。
喜びとも、嬉しさとも言えない、でも、あったかい。そんな気持ちが湧いてくる。

「平和っていいなあ」

横を見れば、かつての右腕、今は婚約者がいる。
彼の横顔も、穏やかそのものだ。

(みんな、幸せに生きている)

その事実だけで、満たされる。
その味わいは、飴よりも甘美で、キラキラと世界を輝かせた。

飴を食べ終えた棒を近くのごみ箱に捨てる。
リーレンがまた近くの出店で買い物をしてきた。

串で刺した肉の盛り合わせと、大皿に吹かした根菜にたっぷりのバターがのせられている二品をもってくる。

近くのベンチがタイミングよく空いたので、二人で並んで腰をかけた。

アツアツの料理を膝にのせる。

マーガレットは、真っ先に串を握った。

「懐かしいわ」

細い木の棒に、狩った野生の獣の肉を刺して火であぶったことが思い出される。

「あの時の名残で、うまれた料理かな」

はふはふと熱い肉に息を吹きかけ、噛んで、横からずいっと肉を引く。
櫛から外れた肉を、舌の上で転がしながら熱を逃がし、咀嚼し飲み込む。

なかまでアツアツ。肉汁がじゅわっとあふれ口内を潤した。

「おっ、いしー」

澄み渡る青空に鮮やかな花園。
美味しい食べ物。

(完璧って感じ)

満悦している横で、リーレンは根菜をフォークでつついていた。

「それも美味しいの」
「うん、うまいよ。食べる」
「食べる」

即答すると、リーレンが手にしていたフォークで根菜を割り、フォークで刺す。溶けたバターに絡めて、マーガレットの口元によせてきた。

「はい、あーんして」

リーレンの行為にたじろぐものの、近寄ってくる食べ物のから薫るバターに、蝶のように誘われて、マーガレットは食んでしまう。

口の中で、ほくほくとした根菜とバターが混ざり、甘みが広がる。

(うーん。美味しい)

リーレンが遠くを眺めつつ、呟く。

「僕も孤児だったから、こういう出店があっても、見ているだけでさ。小さい頃は食べれなかった。だから、お金を得て、こうやって自由に買って食べれるのがなにより嬉しいんだよね」

金持ちになっても、子どもの頃の憧れを買いにきているのだとマーガレットは理解する。

「マーガレットも嬉しいでしょ。美味しものを食べながら、こうやって、花を愛でて、人々の笑顔が見れたら」

マーガレットは口端をあげる。
かつての右腕はやっぱりなにもかもお見通しだなと嬉しくなった。

美味しいだけでなく、嬉しいだけでなく。
隣に、同じ気持ちを分かち合ってくれる人がいることもまた、たまらない喜びだ。

「リーレンもいるしね」

自然と仄めかすような一言が漏れる。

平和の尊さに浸りながら、その尊さを分かち合える人が隣にいる。
かけがえのない幸福感にマーガレットは浸りながら、リーレンに買ってもらった、肉を食べ続けた。
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