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第三章 もういちどあなたと

23.

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「ソニアはどうしてこちらの街にいるんでしょう」

 タイラーに素朴な疑問が浮かぶ。

(シーザーに助けられたのが、こちらの海岸だったというのが妥当な線だろうか)

 あのシーザーが一人で海岸線を歩く姿は思い描けない。

「そこまでは知らないねえ。
 あの娘(こ)を見かけるようになり、街の者も最初は驚いたんだよ。なんで島の子がこっちにいるんだ、とね。島に行けば見られる色とはいえ、あの髪色の子は街まではこない。
 それでも一年も経てば、徐々に見慣れていったよ」

「慣れ、ですか……」
「ああ。別荘側にいるだからね。それなりに事情があるんだろう」

「ちょっといいかい」と声をかけてくる客があらわれた。店主の女性が接客を始める。
 そろそろ切り上げ時だなと思い、タイラーは立ち上がった。店と店の間を通り抜け、道へ出る。
 接客中の女性に片手をあげた。

「ありがとうございます」
「ああ、またおいで」

 軽い挨拶を交わすと女性はまた目の前の客と談笑し始めた。

 アンリの足跡を見つけた。ちゃんとこの街に彼女は訪れていた。

(本当に、これで終わりなんだな、これで……)

 タイラーは感傷に浸る。
 浸るしかなかった。

 思い出のアンリは、しなやかで利発、仕事にも精力的であり、かつ、プライベートも落ち着いている。
 人として尊敬していた。
 仕事ぶりは理想であり、日常においても頼れる女性だった。笑顔も愛くるしく、外ではべたべたしないけど、家ではほんのりとさりげなく甘えてくる。
 友達のようであり、親友のようで、小さく甘えられたらとたんに愛したくなる。

 付き合いはベッドからだった。ふられた彼女のやけ酒につきあって、一人暮らしをする彼女の家で勢いあまった。翌朝、末路に青ざめた俺に、アンリは投げかけてきた。
『ねえ、私たちつきあわない』
 あっけにとられて、頷いた。出会って一年、つきあって八年。短い時間じゃない。囚われた三年を加えたら、人生の三分の一は彼女と共にいた。

 彼女との思い出を失いたくなくて、記憶の彼女と同化するように仕事へとのめりこんだ。
 それでも一人の時間に徐々に慣れていく。自覚ないままに……。

 そうして、シーザーに誘われ、決別を決意し、海辺の街へ来た。

 ソニアがいたことが誤算だった。
 あんな小さなが気になるなんて思わなかった。街の雰囲気のせいかもしれない。童話調の世界観において、俗世と切り離され、さも物語の登場人物のように感じられた結果であろうか。

 タイラーは口元へ手を寄せて、空を仰ぐ。

 愛とはなんだろう。
 性愛ともとれ、純愛ともとれる。
 抱きたいとも思えば、可愛がりたいとも思う。
 甘えたいと思えば、守りたいとも思う。
 大事にしたくて、いじめたくもある。

 相手を見つめて、その瞳の中へ埋没するように、あなたと溶けあい、深く理解したい。

 性であり、純であれ、ともに交わるように寄り添えば、産まれ落ちてくる前から約束された片割れとの出会いのようでもある。
 
 アンリを愛していた。尊敬していた。
 出会った時から、斜め上にいて、決して振り向いてくれる気はしなかった。

 男の気配もあり、相手にしてもらえないと、はなから諦め、友人としてのポジションを死守していた。

「惚れていたのは、俺の方か……」

 男が女をどう見ているか。女が気づいていないと思うのは男ばかりだ。

「アンリは、俺が、アンリを好きだと、気づいていたんだろうなあ……」

 誘われたのは、失恋ややけ酒のせいだけではなかったのかもしれない。

「俺を選んでくれたんだな……」

 タイラーは坂をのぼる足をぱたりと止めた。

「俺は、今まで……、アンリに直接、好きだ……、愛している……なんて、言ったことがあったろうか……」

 記憶を手繰り寄せても、告白にあたるエピソードが思いつかなかった。抱いて浮かれて、好きだ愛としているとささやくことはある。それは愛撫の延長上にある、言葉のそれだ。

 プロポーズだけではなかった……。

「俺は、まともに、アンリに、ちゃんと、愛しているとさえ、言ってなかったのか……」

 今さらながら、タイラーは自分がどれだけ子どもであったかと思い知らされた。





 別荘に戻ると、ソニアはキッチンにいた。時間も時間となり、昼食の準備をしている。

「おかえりなさい」
「ただいま」

 どさっと袋をテーブルへ置いた。その量に、ソニアが目を見張る。タイラーは買いすぎて、怒られるかと警戒する。怒られたら、しゅんと沈みそうだった。

「……多かったか」
「いえ、いいんじゃないかしら。ロビンも食べたそうだったわ」
「それは良かった」

 ほっとタイラーは胸をなでおろした。

「外は暑かったでしょう」
「それ相応にはね」

 手のひらで額を頭部にむけてぬぐいあげる。にじんだ汗が手を濡らした。

 ソニアが冷凍庫から取り出した氷を三個、カランとグラスに落とした。冷蔵庫に手をかけ、レモンなどを浸した水差しをだし、グラスに注ぎ入れる。
 タイラーはソニアの所作を見入りながら、椅子に座った。
 ソニアが傍まで持ってきてくれる。「ありがとう」とグラスを受け取った。そのままソニアは果物が入った袋に手をかけ、なかを確かめ始める。

「ロビンの調子はどうなんだい」
「落ち着いているわ。ベッドでうとうとして休んでる」
「掃除婦の方は?」
「帰ったわ。庭師の方は今日はお休みよ」 

 そっか、とタイラーは喉奥でつぶやく。今は、二人きりだと確かめて、彼女へそっと手を伸ばす。

「どうしたの」

 ふいにソニアが振りむきはっとする。
 心臓がドキッと跳ねて、慌てるあまり「せっかくだから、すぐに食べたいな」とタイラーは口を滑らせた。誤魔化すように、伸ばした指先に袋の口をひっかけ、引く。

「そうよね。せっかく買ってきてくれたものね」

 ソニアは袋のなかを物色し始めた。

「昨日、公園で食べたのと同じものがいい」
「あれね……、美味しいわよね。私も好き」
 
 ソニアが、袋のなかをごそごそと探す。「あったわ」と、一つ、二つ、昨日と同じ果実を取り出した。

「自分でむく? それとも、むいてあげようか」
「むいてよ」

 あっけらかんと二つの果実を握って掲げるソニアにタイラーはねだった。

「いいわよ」

 ソニアがタイラーの横にある椅子を引いた。九十度回転させると、背もたれの正面がタイラーの真横にきた。正面を向けて座る彼女に、タイラーも足を開き、上半身を向かい合わせる。座面に両手をかけて、少しだけ体を前方に傾けた。
 
 ソニアが太ももの間に果実を一つ置き、手にする果実をむき始める。

「ソニア」
「なあに」
 
 果実を見つめ、細い指先で皮を器用にむいていく。 

「好きだ」

 ソニアがはっと顔をあげ、手先の動きが止まった。

「愛している」

 ありありと目を丸くするソニアに、タイラーはほほ笑む。

「お願い。俺と……、つきあって……」
 
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