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序章 堕天の追放者

第三話 業を背負って

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 呆けるサティナを他所に男が身体の向きを変えると、瞬間的にしてその姿を消した。

「え……?」

 目を瞠目させて驚く彼女はすぐに男が村に向かったことに気がついた。
 地面に小さなクレーターが出来るほどの強い踏み込み。その足跡を辿れば彼が何処へ向かったなどすぐに理解できた。

「うっ! ぁ……」

 立ち上がり男を追いかけようとしすぐに身体が力なく崩れる。何度か繰り返そうとも立ち上がることも出来なかった。

 ──当然だ……

 血を流し過ぎているのだから。それでも疎い魔法を使って止血を施して立ち上がろうと四苦八苦するも、はやり足に力が入らない。

 ──それでも……

 それでもふらつく身体に鞭を打ち、無理くり立ち上がるとボロ雑巾のよつな身体を引き摺って歩き始める。

「お願い、神様……みんなを助けて」

 もう手遅れだと知りながらも、そう願わずにはいられなかった。それ以上に自分を恨まずにはいられない。

 村を救う為に『神』を呼び出したのではないのだ。儀式を行う彼女の頭の中は復讐のみで埋め尽くされていた。

 他者の命を蹂躙し、その営みを奪い、彼女達の全てを冒涜するあの獣(けだもの)を血祭りにあげたい一心であの『神』を呼び出したのだから。

 情けない、そして忌々しい……
 吐き気がする、虫唾が走る……

 暗い森の中、自身の血を辿って来た道を急ぐ。『神』が厚い雲を吹き飛ばしたお陰で、月明かりに照らされた森は来た時よりも幾分か周囲が見えやすく、歩きやすかった。
 しかし失血した彼女の進むペースは明らかに落ちていて──

 情けない……
 情けない……

 とめどなく溢れる涙を拭うこともせずにただ道を急ぐ。









 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……
 ──ごめんなさい……









 何度も、何度も村に着くまで何度も謝り続ける。もう自身を許しくれる人も、責めてくれる人もいないと知りながら、謝り続ける。

 そうして懺悔を繰り返して、繰り返して漸く見えできた。

 ──見えてしまった……

 屍となった男の近くに横たわる姉だったもの。抵抗したせいかその身体は滅多刺しにされた上で、代わる代わる犯されたのだろう。
 あまりに形が崩れると萎えるからかだろうか、その身体は出血量の割には意外にも原型を止めていた。

 彼女の身体中にこびり付いたまだ乾かぬ男達の汚液。嫌な異臭すらも気にならないほど、五感が遠く感じられて……自身の身体が男達の汚液で汚れることも気にせず、力の入らない身体をリアナの身体に重ねるように倒れ込むとその頬を震える指で触れる。

 長く冷たい土の上で横になっていたせいか、その肌は驚くほど冷たく、

「い、いや……いやぁ……」

 首を振り、いやいやと現実を否定しようと……それなのに肌から伝わる冷たさが、鼻腔を突き抜ける死臭が、耳に木霊する断末魔がそれを現実だと嫌顔でも肯定する。
 目を背けることも出来ず、汚された姉の顔を見下ろして、その身体を抱きしめて……嗚咽を堪えようとも思わず──

「うっ……、うぅぅ……、えっぐぅ……」

 気が付けば殺戮を終えた『神』が二人の頭上に立っており──しかし、そんなことに少女が気がつく筈もなく……と、その直後だった。姉の身体がびくりと動いたのだ。

「ぁ……」

 爪が剥がれ、折れ曲り、何本が指が失われた手がサティナの頬を優しく撫でる。

「嗚呼、良かった……」

 息を吐き出すように掠れた声。しかしその声は少女の身を心から案じるように優しく……しかしその目はよく見えていないのか虚げで──

「……お姉ちゃんの分も……強く、生きてね……」
「ぃや……やだよぉ」

 自身の頬を撫でる手を強く握りしめて、何度も死なないでと叫ぶ。

 それなのに──

「大丈夫よ……。きっと神様が、あなたを救ってくれるわ」
「神なんていない! もしいるなら、お姉ちゃんを助けてよ!」

 泣き叫ぶ少女を安心させるように優しく撫でる彼女は、どこか遠くを見つめて──

「私は、いいの……。別れが言えたから」

 ポツリと、呟く。

「だからりどうか、この子だけでも……」

 徐々に少女を撫でる手が遅くなる。死期が迫りくる中で、自身を呼ぶ声だけが聞こえていた。
 ゆっくりともう声すら出せない口を動かす。

 ──お願い神様、この子を救ってあげて……

 最期の願いは口にすることも叶わず、動かなくなった自身の胸の上で妹の嗚咽だけが聞こえてくる。

 ──お願い神様、この子を幸せにして……

 閉じゆく瞳の中で、誰かが深く頷いた……そんな気がした。それが神であれば、どれだけ良かったか──

「お姉ちゃん……お姉ちゃん、ねぇ! ねぇってばぁ!」

 いくら声を張ろうとも、もう返事が返ってくることなどない。それを理解しているからこそ、取り戻したはずの心が崩れていく。

「う……っ、うぅぅ……。どうして、どうして……何でよ!? 何で、どうして……私達が──」

 情けない……無力な自分が情けない──
 悔しい……もっと力があれば──
 恨めしい……こんなことが許される世界が許せない──

「教えてよ神様!」

 悲痛に叫び、すぐ頭上に立つ男に声を荒げる。既に昇りかけた日に照らされた男は相も変わらず無表情なままで──

「どうして、奪われなくちゃいけないの?」

 答えを聞きたい訳ではない。
 答えなど分かりきっている。
 訊きはしたが答えなんて聞きたくない。
 答えを聞いたところで、到底納得などできない。

「理解などない」

 それでも、神は機械的に答える。

「それなのに何で奪われたの……?」
「理由もなく、奪われたの……?」

 壊れたオモチャのようにポツリポツリと繰り返す、誰にともない彼女の問いかけを──

「そうだ」

 男が肯定する。
 理由はない。
 ただ、奪われたのだ。
 その結果だけがある。

 ──許せない……

「うっ、ん……!」

 悲鳴をあげる身体に鞭打ち、異様に重く感じる姉を持ち上げる。失血で軽なった筈の姉の身体はひたすら重く、それがまた不快で──

「ありがとう神様。私はもう、大丈夫だから……」

 そして身体の向きを変えて男を見やると、願いは叶ったと口にする。これ以上、彼をここにとどめる理由もなかった。

 そんな彼女の声に応えるように、男が姿を消す。誰もいなくなったことを確認すると、少女は小川を目指して歩き出した。
 いつもならそう遠くない道のりも、今は異様に長く感じられて……漸くたどり着いた小川の横にリアナを横たえる。

 そうして近くに転がるサティナとリアルが投げ捨てた桶を手に取ると、それに水を汲んで姉の身体を清める。こびり付く、既に乾いた汚液を落としながらまた込み上げてくる涙を拭うこともせずに手を動かし続けた。

「ごめんね。ごめんね……」

 ただ、ただ謝ることしか出来ず。しかし許して貰おうなどとと思っていない。
 ただの自己満足でしかない謝罪に意味がないと知りながら、ひたすら嫌悪感を齎す汚液を拭き取る。

 それはまるで、まるで自身の罪を洗い流そうとする様に──

 そうして漸く綺麗になった少女を持ち上げて、再び来た道を戻る。焼け焦げた村は、あの黒髪の男によって消火されていたのか既に火は見られない。
 村人の死体を避けながら、略奪者の死体を踏みつけながら少女が育った家を目指す。

 そうして家の中へ足を踏み入れて姉と過ごした部屋へ入ると、意外にも中は大して荒らされた様子がなかった。
 もしかすれば部屋に人がいなかったから、奴らも無駄に暴れることもなかったのだろう。

 記憶のそれと変わらぬ寝台に姉の身体を横たえると、一度部屋を出て今度は両親の遺体を交互に持ち上げると再び小川へ向かった。
 そうして三人を綺麗にすると、家の前に埋葬するための穴を掘る。

 なんとか日が暮れる前に二つだけ穴ができた。その穴に両親を横たえると、再び二人の上に土を被せていく。
 掘った土を全て被せると二人の体積分、余った土が盛り上がるそこに気休め程度に花を添える。

 そうして顔を上げれば既に空は暗くなり始めており、家の中へ戻れば台所に残っていた食材を料理する気にもなれずにそのまま口にする。
 本当は食事をする気になどなっておらず、それどころか一口ごとに吐き気すらしていた。しかしそれでも明日から村人の遺体を埋蔵するのにも、失った血や体力を回復するのにも腹を満たす必要があったのだ。
 そうして腹を満たすだけの食事を終えると、寝室に向かう。変わらず静かに横たわる姉の隣に身体を横たえると、既に硬くなり始めた彼女をその胸に抱いて眠りにいた。

 辛うじて残る姉の匂いが外の死臭を誤魔化してくれる。そのことに場違いなありがたみを感じながらも、疲れ切った身体が意識を手放す。

 翌朝も同じように穴を掘ると、そこに姉を埋めた。同じように土をかけて花を添える。手を合わせて瞳を閉じ、黙祷を終えると再び立ち上がり他の村人も同じように埋葬した。

 もはや自身以外の生き残りがいない無人の村で、黙々と作業のように遺体の処理に勤しむ。
 誰か分かる遺体はそれぞれの家の前に墓穴を掘って埋め、誰かも分からないほどバラされた遺体は集めて後でまとめて村の中央に埋める。
 姉と同様に陵辱の限りを尽くされた若い女性の遺体は小川まで運んでその身体を綺麗にしたのちに、埋葬した。

 時には中身がこぼれ落ちないように細心の注意を払って運び、時にはバラバラになった遺体を繋げて穴の中に並べる。
 そうしていくうちに心の声も言葉も失って、ただ無心のまま時間だけが過ぎていく。

 数日かけて村人の埋葬を終えると、今度は腐り始めた略奪者の処分だ。忌々しい汚物が図々しく村の中に居座り続けることに虫唾が走り、吐き気も及ぼす。
 引きずり、時には足蹴りにしながら村の外まで運ぶと纏めて火を放った。

 村の入り口で纏めて焼き払うのは見せしめだ。間もなく、そう遠くないうちに略奪者の他の仲間達がその行方を追ってこの村を訪れるだろう。その時、彼等が村に入る前に目にするのは焼き払われた仲間の死体だ。

 赤く染まる夕闇色の空に黒い煙が立ち上る。そんな光景をどこか遠い目で見ながら、少女は踵を返して村に戻った。

 村を埋め尽くす死体はなくなったものの、黒く乾いた血糊は未だ生々しく残っていて、誰もいなくなった村は身の毛がよだつほど静かだ。

 未だ死臭の拭いきれない村の中をフラフラと進み、今は亡き最愛の三人と過ごした我が家を目指す。三人の墓の前に膝を付き、手を合わせる。

「やっと、埋葬が終わったよ。もう誰もこの村は穢せないから」

 いくつか、何を話したかは覚えていないが何かを話し終えると少女は家の中に足を運ぶ。
 荒らされ、略奪者の暴行と両親の抵抗によって破壊され、散らかった家内。村の中にある各民家を可能な限り綺麗にしたものの、既に焼け落ちてしまった所もあった。
 それでも、帰らぬあの日を夜な夜な夢に見ながら出来るだけ復元した。

 そうして村全体を見回しても数少ない手付かずの空間である寝室に戻ると、寝台に腰掛けて蝋燭の火をつける。暖かく揺らめく火に照らされて、少女の手元が妖しく光っていた。

 そこに握られているのはあの包丁だ。姉が愛用していて、嫁入りの荷物に入るはずだったものの一つ。
 既に血は拭われているものの、一度人の血を吸ったその刃は妖しげな色を放っている。

「やっと、みんなの処にいけるよ」

 そう呟くと、包丁を逆手に持ち自身の喉に突きつけた。直後、生前の姉の顔が……その声が蘇る。

 強く生きろ、と彼女は言った。
 幸せになれ、と彼女は言った。

「ごめんね。でも、無理なんだ」

 誰ともなく、自分以外の誰もいない空間にそう溢した。答えるものはいない、それなのに自刃を行おうとする彼女を責める目が無数に向けられている……そんな気がした。

 楽になろうとするな、と義母が言った。
 幸せになれと、義母が言った。

 生をこの世に受けておいて自ら死を選ぶことは死者へ対する冒涜だ。義父の狩りを手伝っていた時、常々として彼が口にした言葉。

 自刃を持つ手が震える中で、走馬灯のように彼等が彼女等の顔が、その声が少女を責め立てる。

 安易な選択は許さないと──

 貧しく、今日を必死に生きてきた者達が言う。
 命懸けで生き、懸命に明日の命を繋いできた者達が言う。

 自死は逃げである、と──
 自死は許されざる行為である、と──

 生きたかった者達を冒涜するのか、と──
 生きろと自身の命を引き換えにした者を裏切るのか、と──

「できない、よ……。もう、生きられない……」

 ポロポロと溢れ、流れる涙。
 苦しさに締め付けられる喉。
 もう、嗚咽も出ない。

「私はもう、あの夜にみんなと一緒に死んだよ」

 生を拒絶する少女をしかし、亡者達は責める。

「ごめんね。ごめんね……」

 謝ること以外なにも出来ず、それもまた自己満足でしかないと知りながら……それでも救われたいと願い、そして救われたいとは思っていない。

 死という救済を亡者が責める。
 生という救済を少女が拒絶する。

 正しさなどない世界で──
 正しさが崩れた現実で──
 正しさを失った行動で──
 正しい選択を出来る筈もなく──

 ただ一晩中、泣くことしか出来なかった。









 もう救いは求めていない。
 求めるのはただ、ただ……終わりだけだ。










 翌朝、気がつけば少女は村中を散策して食糧やら何やらと荷物を纏めていた。その決意をしてからか、日が出てからは亡者達はその姿を消している。
 これが正しい選択だとは思わない……むしろ愚かなことをしたとさえ思っていた。それでも、これが彼女が可能性を残すための選択だと思ったのだ。

 一通り荷物を纏め終えると、家族の墓の前に膝を付いて今後の方針を話す。とは言っても、何か今後のことが決まっているわけではないため、大して話すこともなかった。

「それじゃ、行ってきます……」

 村の裏、細道の前に立つと後ろを振り返って

「うぅん、さようなら」

 二度と戻ることのないでだろう地に、別れを告げサティナは再び前を向く。そうしてどれほど進んだだろうか、気がつけばあの古い大聖堂の前に立っていた。

 何故かと言われれば分からない。ただ、確信があったのだ。既に扉を失った入り口から中へ足を踏み入れると、そこには少女が描いた魔法陣が黒く残っていた。
 その中央、石張りの床に膝を付いて座っている様にも、あるいは跪いているようにも見える姿勢の男がいる。

 彼は何も言わずに少女を眼帯越しに見返すと、無言のまま立ち上がった。

「対価を払いに来た」

 力強くそう言い放つ少女へ男はやはり無言のままだ。そんな彼に少女は自身の手を差し出すように向けると──

「私が貴方を救ってあげる。独りよがりの神様」

もう自分自身が救われようとは思えない。だからこそ、自分以外の誰かを救おう。
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