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十二話

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海に落ちてすぐに体勢を立て直して、呼吸ができるようにした私は偉かった。そうしなかったら溺死一直線だったのだから偉かった。



「ぷふぁあ!!!」



海面に顔をあげて、大きく咳き込んで、船、船どこだ!? と周囲を見回すと、船は勢いよくどこかに去っていく様子で……いや、違う!! 私が船から遠ざけられているんだ!! 何が、何が!?

そんな事がすぐに分かったのは、船の方はまだ揺れていて、安定していないから進めない状態だとわかる状況で、それなのに私が船から遠ざかっているためだった。

何が起きてどういう理屈で、と混乱した私だったものの、私は何かに引っ張られて、どこかに連れて行かれている、とわかったのは意外と早く、その何かが何なのか、と身をよじると、それを抵抗だと判断したのか、荒っぽい手つきで押さえつけられて、海の中であまり暴れると、今度こそ溺れる、と直感的に判断した私は、大人しく進むままに任せた。

そしてどんどん海の中を進んで、やっとそれが止まったと思ったら、ついたのは浜辺で、私は浜辺まで引きずられてきて、その間に何度も海水を飲んでいたからごほごほと咳き込んだ。



「なにが……」



何が起きたんだ、と咳き込んでから顔をあげると、私の事を見下ろしていたのは牛頭の怪物で、雰囲気からして何か問題が起きそうな感じがした。



「わ、私帰るって言ったじゃない!!」



それでも文句を言ってしまったのは、この牛頭の怪物が、意外とまともな感覚を持っていると思っていたからだ。

迎えが来たら帰ると言っていたし、納得していると思っていたのに、まさか泳いで船に追いつき、私を引き戻すとは予想もしなかった事だった。

文句を言った私を見下ろしている、牛頭の怪物の表情はいっそうわからない。でも、ただ事じゃない雰囲気だけはにじんでいて、どうするか、と考えたくなるものがあった。

咳き込んでいたせいで、寝転がっていた体を起き上がらせると、牛頭の怪物の手が動き、かなり容赦なく私を浜辺に押し付けた。



「ちょっと、何考えて」



押し付けて、そのまま私の服をまさぐっていたかと思うと、私にくれた短刀を、私の服の中から取り出して、それを、信じられない事に海に投げ捨てたのだ。

綺麗なそれが、実用的でありがたかったそれが、きらきらと日の光を反射して遠くの海に落ちていく。

なんて事をするんだ……と呆気にとられていると、牛頭の怪物はそれを満足そうに見届けて、私を小脇に抱えて歩き出したのだった。



「ねえ、私あなたに嘘をついていないでしょ、帰るって言ったじゃない。なんで邪魔したの、私が元々、ずっとここにいるわけないって分かってたでしょ」



小脇に抱えられている間、私はずっとそんな事を繰り返し言っていたものの、牛頭の怪物が聞いてくれるわけもなく、到着したのは迷宮アヴィスの最奥だった。

そこまできて、やっと小脇に抱えられていた私は降ろされて、それだけでは済まなかったのだ。



「え、ここ鉄格子なんてあったの!?」



この前入った時には見ていなかった、鉄格子があって、私は鉄格子の中に放り込まれてしまったのだった。



「ねえ、何でこんな事するの? 結論速すぎない? もうちょっと考えてよ!!」



理解が出来ない。牛頭の怪物が何を考えているのかちっともわからない。だから大声でそういうと、牛頭の怪物は、私をじっと見て、首を横に振った。

それは十分に考えたのだ、と言いたそうな反応で、でも私は鉄格子に閉じ込められるなんてたまったものじゃないから、更に言葉を続けた。



「私を閉じ込めたら、美味しいご飯は用意できないでしょ!! そこ考えた!?」



生き物の三大欲求をついてみたのだ。食事睡眠後なんだっけ……? とにかくそっちから責めてみれば、考え直すんじゃないかって思ったのだ。

牛頭の怪物は事実、ちょっと考え込んだ様子だったけれども、私を出してくれる事はなかった。







最初の数日は、とにかく文句を言いまくって、外に出せ、出して、と牛頭の怪物に言い続けた。

それでも牛頭の怪物は、私を外に出すつもりが全くないみたいで、聞いている反応さえしてくれなかった。

それでもあきらめずに、言い続けていた私だけと、ついに心が折れてきてしまったのだ。



「何で出してくれないの……!」



そう言いつつ、何でこんな目に合わなくちゃいけないんだ、と思って、そして……はっとした。

牛頭の怪物も、同じ事を遠い過去に、思ったはずだという事に。

陛下の言葉が正しいなら、王宮の隅で隠されて育ったはずで、でも事故で王子を傷つけてから、この迷宮アヴィスに閉じ込められて、出られないように結界の魔女という相当な実力者に結界を貼られて、それはどれだけの事だっただろう。

育てられていたなら、誰か世話をしてくれる人がいただろう。もしかしたら、心を許していた誰かがいたかもしれない。

彼は全てを、いきなり失ったのだ。

出して、なんて何度も思っただろう、願っただろう、祈っただろう。

誰かに会いたい、とどれだけ繰り返し、擦り切れそうなほど、思っただろう。

外に出たい、誰かに会いたい、それはこの島に流れ着いてから私がずっと思っていた事と同じで、そして……牛頭の怪物にとって、私はやっと出会えた、そういう相手なのだ。

そう気づいた私は、牛頭の怪物が鉄格子を開けて、私の前に座り込んだ事で、やっと自分が泣いている事に気が付いた。



「……ごめんね……ごめんね……そうだよね……一緒だったんだ……」



一人は寂しい。一人は苦しい。それなのにやっと出会えた人が、いなくなる。そうしたら、また一人になる。

そんなの辛くて当然だ。自分で納得して一人になったのでも何でもないのだから、また一人になるって事が怖くて嫌で、そうなりたくないと抵抗するのは、人間らしい、当たり前の感覚だ。

牛頭の怪物が、迷宮アヴィスに閉じ込められた当時の事は知らない。でも、外に出たら誰かいる、と信じていたとしたら? 

外にようやく出られた時に、島には誰もいないって現実に気が付いた時、どれだけ絶望しただろう。人がいたはずの家にも誰もいなくて、あばら家で。

海神の力で、島の外にも出られないままでいたなら。

その苦しさは、きっと私が体験した事以上の物だ。

そんな事に気付いてしまった私は声をあげて泣いていて、ごめん、とひたすら牛頭の怪物に謝っていた。

置いていくなんて事しないで、一緒に外に出よう、と手を差し出せばよかったんだ。私が外に出たいなら、そうやって誘う事だってすればよかったんだ。

お迎えが来たから帰るね、なんて事を選ばないで、そうすれば、よかったんだ。

ごめんしか言えずに、泣いていた私をどう思ったんだろう。牛頭の怪物は腕を伸ばしてきて、前の満月の時に、私が岩場から出てきた時のように、腕の中に囲い入れた。



「次は一緒に外に出ようね、一人にしないから、ちゃんと他の人の事も説得するから」



それをどう聞いたのかはわからなかったけれど、牛頭の怪物は、鼻を鳴らしてから、私に自分の頬を摺り寄せたのだった。
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