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十一話

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陛下の告白を一通り聞いた私は、そうだ、お湯でも出すか、という事にして、水を鍋にかけた。



「すみません、陛下がいらっしゃっているのに。飲むものの一つも用意しないで」



「これだけのボロボロの家なのだ、そういう用意が出来ない事で機嫌を損ねたりはしない」



「ありがとうございます。なにせ何にもない家だったので、色々準備する物がなくて……コップの一つもなかったんです」



「結界の魔女が、任期が終わったというのに来ない交代の人員に怒り狂い、調度品一式を給料の一部として持って行き、更に嫌がらせでこの家に風化の呪いをかけたというから、仕方のない事だ」



「そんな呪いがかかっていたんですか……」



魔女と言われる力を持つ人のやる事は大掛かりだ。そして相当強い力で呪いをかけたのだろう。

数か月でここまで、家があばら家になるなんて普通はありえない事なのだから。

よく私は、呪われなかったものだ。家にかけられた呪いだから、住人には作用しない系統だったのかもしれない。そうである事を願うしかない。



「君はここで毎日何をしているんだ」



「ええっと……」



問われた私は素直に、今までのあれこれを話した。ほとんどの時間が、食事を手に入れるための労働である事に、王様は同情した様子だった。

王様にとって、畑仕事をしたら卵を集めて、釣りに行くっていう日常は、かなり大変なのだろう。

特に大変なのが、水汲みなのだというと、王様は大きな水瓶を見て、確かにそうだろう、と同意したのだった。



「人喰いミノタウロスは、君に何か乱暴な事をしないのだろうか」



「痛いっていうと手加減されますから、今まで掴み方とかを知らなかったんだなとは思います」



「殴られたりは?」



「しませんよ。殴られたりは」



「癇癪を起して蹴飛ばされる事は?」



「そんなにウィロンは暴れん坊だったんですか? じゃあ何年も迷宮アヴィスにいたから、一人が寂しくて手加減するようになったんですかね」



ウィロン、と牛頭の怪物の名前を口に出すと、陛下は唖然とした顔になった。



「誰がウィロンの名前を君に教えたんだい」



「これに書かれてたんです」



私はそう言って、数日前にもらった櫛を差し出した。陛下は目を見開き、それをまじまじと見つめて、小さな声でこう言った。



「これは……祖母のものだ。姉にお守りとして持たせたもので……ウィロンは祖母の名前だ」



「え、じゃあ彼の名前ですらなかったんですか……」



それが驚きだった。ウィロンって、牛頭の怪物の名前じゃなかったんだ……そんな事ってあるんだ……という気持ちになっていた。



「あの、もしかして、何ですけれど……彼には名前がないんですか?」



「ああ、神罰の子、と王宮であのミノタウロスを知っている者たちは呼んでいた。姉は発狂して名前を付けるどころの状態ではなく、子供を見た姉の嫁ぎ先は化け物に与える名前などない、と言い切っていた事も理由だ」



「……」



名前もない怪物。それがウィロン……いいや、牛頭の怪物なのだと思うと、それは寂しい気がした。少なくとも私には友好的に接しようとしてくれるのだ。

呼びかける名前がちゃんとあった方がいいけれど、哀しいかな私に名前の教養はない。

そう言ったセンスのいいものはないので、いよいよ本格的にモーちゃんが確定しそうだ。

でも彼をモーちゃんと呼ぶのはなにか大きな間違いのような、気がしないでもない。

とにかく、お湯が沸いた事で、陛下に出すものは出来たので、私は自分で木をくりぬいて作ったコップを、陛下に差し出す。



「何にも用意が出来ませんが、これをどうぞ」



「ああ、ありがとう。私のために薪を使い、用意してくれるだけでも光栄だ」



陛下は律義にそう言ってくれた。やっぱり薪の大事さをわかってくれる人ってありがたいと思いつつ、私はこれからの事を話し合うべく、口を開いた。



「陛下、陛下がここに来てくださったという事は、私もミノイスに戻れるという事でしょうか」



「そうだ。君のような国の恩人を迎え入れる準備は出来ている」



「国の恩人とは少しばかり誇張していませんか?」



私がした事というのは、牛頭の怪物と一緒にご飯を食べて、アリアドーレ嬢に帰っていいと言った事くらいだ。大した事はしていないと思う。

それでも、ミノイス王にとっては重要だったらしくって、彼は頷いたのだ。



「もう誰も生贄にしなくていい、というのはすばらしい事だろう。海神の怒りが解けたという事は、このあたりの海域に、漁船が入れるという事でもある。……ミノタウロスを閉じ込めるまで、この辺りはとてもいい漁場だったのだ。だが海神の力で立ち入り出来なくなり、当時漁村がいくつか滅んだくらいだ」



穴場ではなく、立ち入りできなくなっていた質のいい漁場というわけだったのか。なんだか納得しつつ、いつ頃国に戻れるのか、確認しようと口を開く。



「いつお迎えが来てくださるんですか?」



「今日の昼過ぎに迎えの船が来る事になっている。君も必要なものは持ち出して、準備をするといい」



「ありがとうございます」



これで国に戻れる、町に戻れる、そしてやっと着替えを確保できるし自分で作ったのではない、もうちょっと美味しい物が食べられる! 私の心は浮かれ切った。その時、私は確かに、牛頭の怪物の事を忘れて、帰れるうれしさに浸っていたのだった。







そわそわしながら時間が来るのを待って、私は船着き場がある岩場を、陛下と一緒に進んでいた。歩きにくさはそれなりだけれど、帰れるという浮かれた心はそれも何のそのという状態だったのだ。



「帰れてうれしいのだろうか」



「そりゃ、うれしいですよ。もう何日、ろくな身支度が出来なかった事か。あ、臭いませんか……?」



「事情が事情だから、この臭いも仕方のない事だろう」



やっぱり結構私は臭うらしい。いよいよ臭わない着替えが手に入る……たぶんそれ位はしてくれる……といい。私は、迎えに来た船の人達が手を振った後に、私の後ろを見て思い切り顔をひきつらせたため、何だろうと振り返ろうとして……私の脇にいた王様が、吹っ飛ばされるという光景を目にした。



「……え?」



王様は船着き場を二転三転とし、痛みに呻いて丸まっている。何が起きたのか全く分からなかった私は、え、え、と王様を吹っ飛ばした方を見た。



「……機嫌悪そう……?」



吹っ飛ばした方にいたのは、どういう心境の変化だったのか、岩場に来る事なんてなかったなずの牛頭の怪物だった。

大きな手が握りしめられている。まさか殴ったのだろうか。

ちょっと待ってほしい、この、野生動物を軒並み叩きのめしたりできる筋力で、人間を殴ったらただでは済まないだろう!!



「陛下!!」



事実、船着き場についた船から、兵士が大慌てで陛下を助け起こし、船に引っ張っていく。



「君も早くその怪物から離れるんだ!! 陛下、大丈夫ですか!! 大丈夫です、内臓はやられておりません!!」



兵士がそう言い、私はそうだ、船に乗らなくっちゃ帰れない、とすぐにでも海に滑り出したそうな船に走っていき、がくん、とつんのめった。



「え? 離して!! 迎えが来たから帰るんだよ!!」



つんのめった理由は明白で、牛頭の怪物が、私の船乗り衣装の腰のベルトを掴み、がっちりと離さないでいるからだ。

なんでかな、と思いつつ、私は大声で牛頭の怪物に言う。



「前に言ったでしょ、迎えが来るまでここにいるって!! 迎えが来たから帰るだけ!! ねえ離してよ、離せるでしょ!!」



そう言っても離してもらえない。船はすぐに出ていって、陛下の治療がしたいらしい。



「急いで!! 早く!!」



船に乗っている兵士がそうやって怒鳴った。私はそこで、懐の短刀を引っ張り出して、牛頭の怪物がつかんでいるベルトを、切り裂いた。

掴んでいた物が切れて、私の体は自由になる。自由になった体で、私は牛頭の怪物に追い付かれないように海面を滑り出した船に、走って跳んで、飛び乗った。



「!!!!!!!!!!」



私が飛び乗って、船はぐらぐらと揺れたけれども、ひっくり返る事もなく、どんどん船着き場から遠ざかっていく。そう思ったら背後から、ものすごい圧のある音が響き渡ったので、振り返ると、牛頭の怪物が、船着き場のぎりぎりまで走っていて、轟轟と吼えていたのだ。

耳が千切れそうなくらいの咆哮は、あまりにも悲しそうで、泣いているような響きさえ伴っていた。

私は心がどうしてか痛くなって、前を向き直した。そして耳をふさいで、聞かないふりをした。

そうするといつの間にか、声は聞こえなくなって、諦めたのだと判断した。

それからしばらく船は進んでいたのだけれども、異変に気付いた時には、もう、回避するとかそんな事は出来なかった。

船が急に進まなくなって、何か引っかかったか、と兵士が言って、櫂を持っていた兵士が引っかかっていそうな水面を覗き込んだ時だった。



「え……?」



船がぐらりと揺れて、体勢が崩れた私は、何かに引きずり込まれるように、海に落ちていたのだった。
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