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一話
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「本当にお前は陰鬱な顔をしている。こんな女が私の結婚相手だと思われるのは本当に業腹だ」
「……すみません……」
結婚式って、結構誰でも楽しみにしている物じゃなかろうか。ありふれた話としては、愛する男女が結ばれるものだろう。
八割くらいの女性は、結婚式っていうのをこの人生のハイライトとして感じているんじゃないかな……残念ながら、私はその八割に該当せず、二割くらいは存在しているだろう、結婚式が楽しみじゃない側だけれども。
あ、マリッジブルーとかそんな分かりやすい話じゃない。
「死んだお前の父親が、私の上司と親友でなければ、こんな幸運は訪れなかったんだぞ! 何をそんなに陰鬱な表情で見るんだ!!」
私が隠れて息を吐きだして、なんとか笑顔を作ろうとして失敗しているのを見て、これから結婚する相手である、バートンは苛立った声をあげる。
そして振りかぶり慣れた手で、私の頬を盛大な音を立ててはたいた。
はたかれた私は、式場の控室の椅子に座って、緊張とこれからの未来を考えて蒼褪めた顔を、鏡に映していたわけだけれども、男性に頬をはられて踏みとどまれる状態でもないから、思い切り体がふらついて……でも、結婚式のためのドレス一式が、床に倒れた事で汚れたら、これを準備してくれたお母様がショックを受けるから、なんとか派手に倒れ込まないように体勢を立て直した。
それでも、椅子からは落ちたし、床に膝をついてしまった。
その時ぐぎり、と嫌な感じがして、ヒールの高い結婚式のための特別な靴だったから、足をひねったみたいだ、と客観的に感じてしまった。
きっと立ち上がったら、痛いだろうし、重たい豪華なドレスを着たまま歩くのは、ものすごくしんどいだろう……結婚式と披露宴の間、私は笑えるかわからなくなった。
「お前のような女が、私と結婚できるという事は、人生の中でも最大級の幸運だぞ!? わかっているのか、この、愚図が!!」
婚約者が罵声を浴びせて来る。それに慣れる前は、心を切り刻まれたように辛くて、陰で泣いていたけれど、もうどうしようもない所まで進んでいるわけだからか、頭の中は麻痺したように傷がついたと思わなくなっている。
そのため素直に肯定した。
「はい……幸運な事です……」
……事実幸運なのだ。私の家はお父様が死んだ後に発覚した、多額の借金で家計は火の車。両親から溺愛されていた妹は、お金を節約するという事を知らず、入ってくるお金が、お父様の遺族年金と言われるもので、働いていた時と比べれば雀の涙だという事も考えない。
それなのに、高級品のアクセサリーや靴やドレスと言ったファッションを買い求めて、それを買うよりもパンを買いたいと言いたくなるほどの立派なカトラリーを購入する。
お母様はそれに対して何も言わない、それどころか
「カトリーヌは一流の物じゃないと似合わないですものね」
そんな事を言って、妹であるカトリーヌの行為を肯定する。
そんな経済状況もあって、我が家はとんでもない出費の山で、私はお母様に
「シャトレーヌは、なんでもできるから外で働けるでしょう? お母様は外で働いた事がないの。それにお父様の残した家を守らなくちゃいけないから、あなたがお金を稼いできてちょうだいね」
そう言い聞かされ続けて早数年。洗っても洗っても消えないシミの残る、薄汚れた服に身を包み、あらゆるつてを頼って、時にお父様の人脈を使って頭を下げて、働いて、働いて、結婚してこの家から逃げ出すなんて事は、夢のまた夢だと思って生きてきたのだ。
妹は結婚適齢期寸前、お母様は妹が玉の輿に乗るためには、より一層磨き上げなくちゃいけないと、毎日、飲めるほど質のいいミルクを入れたお風呂を妹に使わせて、体から薔薇の匂いがするという薔薇の精油が混ざった高価な薬を妹に与えて、それらの金額も馬鹿にならない。
そろそろ借金取りの罵声が聞こえて来るんじゃないかな、と思っていた私に、お母様が本当に久しぶりにニコニコと笑いかけて、薦めてきたのがこの縁談なのだ。
「お父様の親友の方が、あなたに縁談を用意してくださったのよ!! お相手は騎士団でも飛び切りのエリートの男性ですって!! もちろん受けるわよね?」
「あの、そんなに素晴らしい方なら、カトリーヌに受けさせた方がいいのでは……?」
お母様がカトリーヌの結婚相手を血眼になって選んでいるって事を知っていたから、とばっちりを受けてはたまらない、そう思って問いかけると、お母様はにこやかにこう言った。
「カトリーヌはまだ社交界デビューもまだでしょう? それなのに、縁談で結婚相手を選んだなんて言われたら、それこそデビューの時に白い目を向けられるでしょう? それにあなたがこの方と夫婦になれば、我が家に援助をしてくださるわ。それに、この方の家ともつながりがあったならば、カトリーヌの縁談は、あなた以上の格の方から、降るように申し込まれるに決まっているじゃない!!」
確かにそういう可能性は高くなるだろう。騎士団の有能でエリートな将来有望な団員ともつながりがあるとされれば、妹を求めるであろう結婚相手の格も上がり気味になるはずだ。
確かに、カトリーヌに私より良い縁談を、と思えば、この縁談は妹ではなく姉の私が受けた方がいいという事になるのだろう……
「あの、私が結婚した後、この家はどうなるのですか?」
「もちろん、私とカトリーヌが暮らしますよ? お金のかかる結婚適齢期の娘が一人いなくなるんですから、もっと暮らしは楽になるわ」
「……そうですか……」
きっとこの家を継ぐのはカトリーヌになるのだろう。我が家は割と家柄は良い方だから、家がなくなる事にはならない。
……結婚適齢期の娘が一人いなくなって、家計が本当に楽になるのだろうか……? この家で働いている私がいなくなったら、お金が減る事はあっても増える事はないんじゃなかろうか……?
「お母様、働いてお金を稼いでいる私が嫁いだ後、この家の収入はどうするんですか?」
「あら、あなたは結婚してもこの家の娘なんですから、もちろん仕送りをしてもらいますよ?」
「夫になる方が、それを許さない方だったらどうするんです?」
「それこそあなたが、旦那様の収入の中からやりくりをして、わが家への仕送りを捻出するだけですよ? それも出来ない出来損ないというわけではないでしょう?」
にこにこと言われて、私は反論も反抗も出来ず、ただ頷くだけだった。
旦那様になる方が、どれだけのお給金をいただいているかは未知数だけれども、将来有望なエリートで、お父様の親友が薦めて来るほどの方なら、結構もらっていると想像がつく。
だから……夫婦二人の生活で、私が最低限の生活をして、旦那様には普通の生活をしてもらえば、仕送りは捻出できるかもしれない。
いいや、捻出するのだ。そうしなかったらお母様もカトリーヌも、路頭に迷う事になってしまうのだから。
どんなに雑に扱われていても、お父様が大切にしていたお母様とカトリーヌを困らせる事はしてはいけない。私は姉なのだから、二人のために頑張るだけなのだ。
そう心の中に言い聞かせて、私は縁談を受け入れ、そして今日この日に、結婚式となったのだ。
私は社交界に出た事がたった一度だけ、デビュタントの時だけ。それ以降は働き続けていて、結婚とかそういう夢見がちな事は本当に、寝てみる時の夢くらいにしか思ってこなかった。
そんな私が、将来有望でエリートな騎士団員の方と結婚できるっていうのは、本当に、砂漠の砂粒の中から、一かけらの黄金の水晶を摘まみ上げるくらいのすごい確率だった。
……でも、夫となる騎士団員様は、顔合わせの時に私を見て、見下した顔をした。
そしてこう言い放ったのだ。
「あの知的で頭脳明晰かつ、眉目秀麗と言われていた方の娘とは思えない不細工だな」
これが色々なものを背負っての結婚でなければ、泣いてこの縁談を破談にしただろう。
期待に胸を膨らませながら顔合わせをして、付き添いの方たちが、後はお二人でごゆっくりと出て行った後に、投げかけられたのはそんな言葉だった。
「申し訳ありません……長い事臥せっておりまして……」
私は出来るだけ、やせこけた体を隠すために、流行とは大違いな長袖の衣装に身を包んでいたし、こけた頬を誤魔化すために化粧も厚めに塗られていた。
きっとそれが、彼にとって不細工としか言いようのない仕上がりだったのだろう。
流行のファッションもお化粧も、私は何も知らない。
知っているのは炊事洗濯掃除、それから薪割りに皿洗いに、どぶさらい。
きらびやかなお嬢様を期待されていたのかもしれない。カトリーヌは同じような年頃のお嬢さんの家に遊びに行って、自慢したりしているようだったから。
……きっとそうだったのだ。きらびやかな、可憐なお嬢様が縁談の相手だと思っていたのに、やってきたのが骸骨のようにやせこけた、どんよりした目をした女の子だったから、彼は騙されたと思ったんだろう。
それ以来、彼は最低限しか私と会おうとしなかった。会ってもすぐに用事を思い出して帰ったり、お喋りの中身も薄い私に苛立つのか、頬を張ったりしていた。
数回ほど、お茶を頭からかけられた事も有る。
それでも私は、縁談を嫌だと言えなかった。言ったらお母様がそれ以上の事をして来るだろうし、妹も、自分の未来がぶち壊しだと、もっと痛い物を投げつけてくるかもしれなかった。
二人は気に入らない事があると、結構簡単に手が出る性格なのだ。
それに慣れていた事も有って、私は、婚約者の彼の暴力や暴言はまだましなもののように感じてしまって、縁談を断る選択肢など頭に浮かばなくなっていったのだ。
そして今日がやってきた。
最近の結婚式の流行は、豪華客船の中での式という事を、乗り気で言って来た婚約者様の顔は、滅多に見ないいい笑顔で、ああ、彼も結婚に前向きになってくれたんだ、と思うとうれしくて、彼に勧められるままに、結婚式の段取りを決めて、招待客のリストも作って、色々なものを決めて、今日のこの日がやってきた。
でも、いざ結婚式の前に、彼は私の前に現れて、聞きなれた暴言を吐いてきた。彼の方がマリッジブルーなのかもしれないと思いつつ、私は、結婚式というとてつもない緊張をする出し物が終われば、結婚式の予定を進めていた時くらいには、精神も安定するだろうと願って、こうしてまた頭を下げた。
「すぐ、笑顔になれるようにいたします……」
「ふん。不細工はどうにもならんが、暗い顔はどうにでもできるからな」
彼は足音荒く去っていった。私は大きく息を吐きだして、痛む足が出来るだけ傷まないように気をつけながら立ち上がり、椅子に座り直して鏡を見て、ゆっくり笑顔を作った。
働いている時、やっぱり辛気臭い顔だと罵声が飛んできたから、偽物の笑顔を作るのは慣れているのだ。
だから出来る。鏡の中の顔は、見慣れた偽物の笑顔だった。
……やっぱり、結婚式は、楽しみとはいいがたい物になってしまったし、暗い思いを抱いてしまう。
それでも、始まってしまったものなのだから、やーめた、と辞められる物ではないのだ。
「お姉様、とっても綺麗!! お姉様は綺麗じゃないけれど、ドレスがとっても素敵だわ!! ね、お母様、やっぱり私の選んだドレスがお姉様にはお似合いでしょう?」
笑顔を鏡に映していた時に、控室にやってきたのはお母様とカトリーヌで、カトリーヌはドレスを見て開口一番にそう言った。とても晴れやかな笑顔だった。
「それにしても、お姉様ってとっても幸運だわ!! あんなに格好良くて紳士的で思いやりの溢れる男性と結婚できるんだから。本当なら私が代わってほしいくらいだけれど、うふふ、私は優しいからそんな事をしないわ」
そう明るく言いながら、カトリーヌは私の周りを見て回る。はられた頬は急いでチークで誤魔化したから、そんな事をされたとは思わないだろう。
ぐるぐる回っているカトリーヌの衣装は、私の花嫁衣裳より豪華な気がする。いったいそのアクセサリー一式はいつ新しくしたんだろう。見た事のない一式だった。
「カトリーヌ、あなたまたアクセサリーを新調したの? 一月前にも新しいものを買っていたじゃない」
「だってお姉様は結婚式でたくさん買うのよ!! ずるいでしょ? 私はお姉様より綺麗なんだから、お姉様よりたくさんの綺麗な物に囲まれてなくちゃいけないの」
「そうね。ねえシャトレーヌ、あなたはカトリーヌのように金髪碧眼でも色白でもないから、アクセサリーはあまり新調しなくてもそこまで目立たないけれど、シャトレーヌはお父様譲りの黄金の髪の毛にサファイアの瞳なのよ? アクセサリーも飾られる相手を選びたいわよ?」
……確かにカトリーヌはお父様譲りの色彩に、お母様譲りの真っ白な肌をして、ありとあらゆる綺麗な物が似合う女の子だ。
でも私の結婚式のあれこれで、今財政はいつも以上に厳しいのだから、私が嫁ぐまでは少しでいいから我慢してほしかった。
お金は天から降ってくるものじゃないのだから。
「私はアクセサリーがなくてもかまわないです、でも、やはり買い過ぎたらどんなお金持ちでも破綻するのですから……」
「大丈夫よ、シャトレーヌの仕送りは、あなたがのろまに働いていた時よりも増えるんですからね!」
増えるかどうかは未定なのだけれども、お母様に頭の中では、エリート騎士団員の給料から用立てられる物だから、私が死に物狂いで働いてて手に入れた金額より、多いという事になっているのだろう。
そう思うと、そうじゃなかった時の事が少し恐ろしかった。
「あーあ、お姉様の結婚相手が、私の結婚相手だったらよかったのに!! バートン様は、私を、花の妖精のように可憐で、女神のように美しいですねって褒めてくださったくらいだもの!」
心底残念だという調子で、カトリーヌが言って、その時結婚式のための進行係が、式場の準備が整ったから、と呼びに来た。
「シャトレーヌ、気合いを入れてちょうだいね、あなたはカトリーヌじゃないけれど、笑顔はどんな顔も耀かせるものなのよ」
「はい」
私は一生懸命に、偽物の笑顔を作った。
「……すみません……」
結婚式って、結構誰でも楽しみにしている物じゃなかろうか。ありふれた話としては、愛する男女が結ばれるものだろう。
八割くらいの女性は、結婚式っていうのをこの人生のハイライトとして感じているんじゃないかな……残念ながら、私はその八割に該当せず、二割くらいは存在しているだろう、結婚式が楽しみじゃない側だけれども。
あ、マリッジブルーとかそんな分かりやすい話じゃない。
「死んだお前の父親が、私の上司と親友でなければ、こんな幸運は訪れなかったんだぞ! 何をそんなに陰鬱な表情で見るんだ!!」
私が隠れて息を吐きだして、なんとか笑顔を作ろうとして失敗しているのを見て、これから結婚する相手である、バートンは苛立った声をあげる。
そして振りかぶり慣れた手で、私の頬を盛大な音を立ててはたいた。
はたかれた私は、式場の控室の椅子に座って、緊張とこれからの未来を考えて蒼褪めた顔を、鏡に映していたわけだけれども、男性に頬をはられて踏みとどまれる状態でもないから、思い切り体がふらついて……でも、結婚式のためのドレス一式が、床に倒れた事で汚れたら、これを準備してくれたお母様がショックを受けるから、なんとか派手に倒れ込まないように体勢を立て直した。
それでも、椅子からは落ちたし、床に膝をついてしまった。
その時ぐぎり、と嫌な感じがして、ヒールの高い結婚式のための特別な靴だったから、足をひねったみたいだ、と客観的に感じてしまった。
きっと立ち上がったら、痛いだろうし、重たい豪華なドレスを着たまま歩くのは、ものすごくしんどいだろう……結婚式と披露宴の間、私は笑えるかわからなくなった。
「お前のような女が、私と結婚できるという事は、人生の中でも最大級の幸運だぞ!? わかっているのか、この、愚図が!!」
婚約者が罵声を浴びせて来る。それに慣れる前は、心を切り刻まれたように辛くて、陰で泣いていたけれど、もうどうしようもない所まで進んでいるわけだからか、頭の中は麻痺したように傷がついたと思わなくなっている。
そのため素直に肯定した。
「はい……幸運な事です……」
……事実幸運なのだ。私の家はお父様が死んだ後に発覚した、多額の借金で家計は火の車。両親から溺愛されていた妹は、お金を節約するという事を知らず、入ってくるお金が、お父様の遺族年金と言われるもので、働いていた時と比べれば雀の涙だという事も考えない。
それなのに、高級品のアクセサリーや靴やドレスと言ったファッションを買い求めて、それを買うよりもパンを買いたいと言いたくなるほどの立派なカトラリーを購入する。
お母様はそれに対して何も言わない、それどころか
「カトリーヌは一流の物じゃないと似合わないですものね」
そんな事を言って、妹であるカトリーヌの行為を肯定する。
そんな経済状況もあって、我が家はとんでもない出費の山で、私はお母様に
「シャトレーヌは、なんでもできるから外で働けるでしょう? お母様は外で働いた事がないの。それにお父様の残した家を守らなくちゃいけないから、あなたがお金を稼いできてちょうだいね」
そう言い聞かされ続けて早数年。洗っても洗っても消えないシミの残る、薄汚れた服に身を包み、あらゆるつてを頼って、時にお父様の人脈を使って頭を下げて、働いて、働いて、結婚してこの家から逃げ出すなんて事は、夢のまた夢だと思って生きてきたのだ。
妹は結婚適齢期寸前、お母様は妹が玉の輿に乗るためには、より一層磨き上げなくちゃいけないと、毎日、飲めるほど質のいいミルクを入れたお風呂を妹に使わせて、体から薔薇の匂いがするという薔薇の精油が混ざった高価な薬を妹に与えて、それらの金額も馬鹿にならない。
そろそろ借金取りの罵声が聞こえて来るんじゃないかな、と思っていた私に、お母様が本当に久しぶりにニコニコと笑いかけて、薦めてきたのがこの縁談なのだ。
「お父様の親友の方が、あなたに縁談を用意してくださったのよ!! お相手は騎士団でも飛び切りのエリートの男性ですって!! もちろん受けるわよね?」
「あの、そんなに素晴らしい方なら、カトリーヌに受けさせた方がいいのでは……?」
お母様がカトリーヌの結婚相手を血眼になって選んでいるって事を知っていたから、とばっちりを受けてはたまらない、そう思って問いかけると、お母様はにこやかにこう言った。
「カトリーヌはまだ社交界デビューもまだでしょう? それなのに、縁談で結婚相手を選んだなんて言われたら、それこそデビューの時に白い目を向けられるでしょう? それにあなたがこの方と夫婦になれば、我が家に援助をしてくださるわ。それに、この方の家ともつながりがあったならば、カトリーヌの縁談は、あなた以上の格の方から、降るように申し込まれるに決まっているじゃない!!」
確かにそういう可能性は高くなるだろう。騎士団の有能でエリートな将来有望な団員ともつながりがあるとされれば、妹を求めるであろう結婚相手の格も上がり気味になるはずだ。
確かに、カトリーヌに私より良い縁談を、と思えば、この縁談は妹ではなく姉の私が受けた方がいいという事になるのだろう……
「あの、私が結婚した後、この家はどうなるのですか?」
「もちろん、私とカトリーヌが暮らしますよ? お金のかかる結婚適齢期の娘が一人いなくなるんですから、もっと暮らしは楽になるわ」
「……そうですか……」
きっとこの家を継ぐのはカトリーヌになるのだろう。我が家は割と家柄は良い方だから、家がなくなる事にはならない。
……結婚適齢期の娘が一人いなくなって、家計が本当に楽になるのだろうか……? この家で働いている私がいなくなったら、お金が減る事はあっても増える事はないんじゃなかろうか……?
「お母様、働いてお金を稼いでいる私が嫁いだ後、この家の収入はどうするんですか?」
「あら、あなたは結婚してもこの家の娘なんですから、もちろん仕送りをしてもらいますよ?」
「夫になる方が、それを許さない方だったらどうするんです?」
「それこそあなたが、旦那様の収入の中からやりくりをして、わが家への仕送りを捻出するだけですよ? それも出来ない出来損ないというわけではないでしょう?」
にこにこと言われて、私は反論も反抗も出来ず、ただ頷くだけだった。
旦那様になる方が、どれだけのお給金をいただいているかは未知数だけれども、将来有望なエリートで、お父様の親友が薦めて来るほどの方なら、結構もらっていると想像がつく。
だから……夫婦二人の生活で、私が最低限の生活をして、旦那様には普通の生活をしてもらえば、仕送りは捻出できるかもしれない。
いいや、捻出するのだ。そうしなかったらお母様もカトリーヌも、路頭に迷う事になってしまうのだから。
どんなに雑に扱われていても、お父様が大切にしていたお母様とカトリーヌを困らせる事はしてはいけない。私は姉なのだから、二人のために頑張るだけなのだ。
そう心の中に言い聞かせて、私は縁談を受け入れ、そして今日この日に、結婚式となったのだ。
私は社交界に出た事がたった一度だけ、デビュタントの時だけ。それ以降は働き続けていて、結婚とかそういう夢見がちな事は本当に、寝てみる時の夢くらいにしか思ってこなかった。
そんな私が、将来有望でエリートな騎士団員の方と結婚できるっていうのは、本当に、砂漠の砂粒の中から、一かけらの黄金の水晶を摘まみ上げるくらいのすごい確率だった。
……でも、夫となる騎士団員様は、顔合わせの時に私を見て、見下した顔をした。
そしてこう言い放ったのだ。
「あの知的で頭脳明晰かつ、眉目秀麗と言われていた方の娘とは思えない不細工だな」
これが色々なものを背負っての結婚でなければ、泣いてこの縁談を破談にしただろう。
期待に胸を膨らませながら顔合わせをして、付き添いの方たちが、後はお二人でごゆっくりと出て行った後に、投げかけられたのはそんな言葉だった。
「申し訳ありません……長い事臥せっておりまして……」
私は出来るだけ、やせこけた体を隠すために、流行とは大違いな長袖の衣装に身を包んでいたし、こけた頬を誤魔化すために化粧も厚めに塗られていた。
きっとそれが、彼にとって不細工としか言いようのない仕上がりだったのだろう。
流行のファッションもお化粧も、私は何も知らない。
知っているのは炊事洗濯掃除、それから薪割りに皿洗いに、どぶさらい。
きらびやかなお嬢様を期待されていたのかもしれない。カトリーヌは同じような年頃のお嬢さんの家に遊びに行って、自慢したりしているようだったから。
……きっとそうだったのだ。きらびやかな、可憐なお嬢様が縁談の相手だと思っていたのに、やってきたのが骸骨のようにやせこけた、どんよりした目をした女の子だったから、彼は騙されたと思ったんだろう。
それ以来、彼は最低限しか私と会おうとしなかった。会ってもすぐに用事を思い出して帰ったり、お喋りの中身も薄い私に苛立つのか、頬を張ったりしていた。
数回ほど、お茶を頭からかけられた事も有る。
それでも私は、縁談を嫌だと言えなかった。言ったらお母様がそれ以上の事をして来るだろうし、妹も、自分の未来がぶち壊しだと、もっと痛い物を投げつけてくるかもしれなかった。
二人は気に入らない事があると、結構簡単に手が出る性格なのだ。
それに慣れていた事も有って、私は、婚約者の彼の暴力や暴言はまだましなもののように感じてしまって、縁談を断る選択肢など頭に浮かばなくなっていったのだ。
そして今日がやってきた。
最近の結婚式の流行は、豪華客船の中での式という事を、乗り気で言って来た婚約者様の顔は、滅多に見ないいい笑顔で、ああ、彼も結婚に前向きになってくれたんだ、と思うとうれしくて、彼に勧められるままに、結婚式の段取りを決めて、招待客のリストも作って、色々なものを決めて、今日のこの日がやってきた。
でも、いざ結婚式の前に、彼は私の前に現れて、聞きなれた暴言を吐いてきた。彼の方がマリッジブルーなのかもしれないと思いつつ、私は、結婚式というとてつもない緊張をする出し物が終われば、結婚式の予定を進めていた時くらいには、精神も安定するだろうと願って、こうしてまた頭を下げた。
「すぐ、笑顔になれるようにいたします……」
「ふん。不細工はどうにもならんが、暗い顔はどうにでもできるからな」
彼は足音荒く去っていった。私は大きく息を吐きだして、痛む足が出来るだけ傷まないように気をつけながら立ち上がり、椅子に座り直して鏡を見て、ゆっくり笑顔を作った。
働いている時、やっぱり辛気臭い顔だと罵声が飛んできたから、偽物の笑顔を作るのは慣れているのだ。
だから出来る。鏡の中の顔は、見慣れた偽物の笑顔だった。
……やっぱり、結婚式は、楽しみとはいいがたい物になってしまったし、暗い思いを抱いてしまう。
それでも、始まってしまったものなのだから、やーめた、と辞められる物ではないのだ。
「お姉様、とっても綺麗!! お姉様は綺麗じゃないけれど、ドレスがとっても素敵だわ!! ね、お母様、やっぱり私の選んだドレスがお姉様にはお似合いでしょう?」
笑顔を鏡に映していた時に、控室にやってきたのはお母様とカトリーヌで、カトリーヌはドレスを見て開口一番にそう言った。とても晴れやかな笑顔だった。
「それにしても、お姉様ってとっても幸運だわ!! あんなに格好良くて紳士的で思いやりの溢れる男性と結婚できるんだから。本当なら私が代わってほしいくらいだけれど、うふふ、私は優しいからそんな事をしないわ」
そう明るく言いながら、カトリーヌは私の周りを見て回る。はられた頬は急いでチークで誤魔化したから、そんな事をされたとは思わないだろう。
ぐるぐる回っているカトリーヌの衣装は、私の花嫁衣裳より豪華な気がする。いったいそのアクセサリー一式はいつ新しくしたんだろう。見た事のない一式だった。
「カトリーヌ、あなたまたアクセサリーを新調したの? 一月前にも新しいものを買っていたじゃない」
「だってお姉様は結婚式でたくさん買うのよ!! ずるいでしょ? 私はお姉様より綺麗なんだから、お姉様よりたくさんの綺麗な物に囲まれてなくちゃいけないの」
「そうね。ねえシャトレーヌ、あなたはカトリーヌのように金髪碧眼でも色白でもないから、アクセサリーはあまり新調しなくてもそこまで目立たないけれど、シャトレーヌはお父様譲りの黄金の髪の毛にサファイアの瞳なのよ? アクセサリーも飾られる相手を選びたいわよ?」
……確かにカトリーヌはお父様譲りの色彩に、お母様譲りの真っ白な肌をして、ありとあらゆる綺麗な物が似合う女の子だ。
でも私の結婚式のあれこれで、今財政はいつも以上に厳しいのだから、私が嫁ぐまでは少しでいいから我慢してほしかった。
お金は天から降ってくるものじゃないのだから。
「私はアクセサリーがなくてもかまわないです、でも、やはり買い過ぎたらどんなお金持ちでも破綻するのですから……」
「大丈夫よ、シャトレーヌの仕送りは、あなたがのろまに働いていた時よりも増えるんですからね!」
増えるかどうかは未定なのだけれども、お母様に頭の中では、エリート騎士団員の給料から用立てられる物だから、私が死に物狂いで働いてて手に入れた金額より、多いという事になっているのだろう。
そう思うと、そうじゃなかった時の事が少し恐ろしかった。
「あーあ、お姉様の結婚相手が、私の結婚相手だったらよかったのに!! バートン様は、私を、花の妖精のように可憐で、女神のように美しいですねって褒めてくださったくらいだもの!」
心底残念だという調子で、カトリーヌが言って、その時結婚式のための進行係が、式場の準備が整ったから、と呼びに来た。
「シャトレーヌ、気合いを入れてちょうだいね、あなたはカトリーヌじゃないけれど、笑顔はどんな顔も耀かせるものなのよ」
「はい」
私は一生懸命に、偽物の笑顔を作った。
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