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外伝~女帝の熊と悪役令嬢~

あんたらは目が悪すぎた。それだけさ。

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人はひそやかどころか、盛大に俺の事を噂しているらしい。
見る目のない男ってわけだ。
嘲弄の対象になっているとかいないとか。
馬鹿な国だ馬鹿な貴族だと思ってきたがな。
これは極まってんなあ、とあきれを通り越して感嘆しちまってる俺がいる。
いや、だってよ?
普通ここまで盛大に、馬鹿にして蔑んで、はい仲良くしましょうってできるかっての。
俺はそこらへんの体面だのなんだのは、そこまで気にしない。
だが、俺はあの方の駒なわけだ。
駒として、あの方が侮辱されるだろう対応はできない。
する気も、ない。
俺がへらへらと、俺を通してあの方を馬鹿にしくさっている輩と仲良しこよし、何ざ出来るわきゃあねえんだ。
だというのにまるで、俺が耳も聞こえない奴であるかのように貶めて、俺の前では友好的な言葉をずらずらと並べる。
本当に、あれだ。

「その程度って事なのよ、イリアス。この国の貴族はその程度。その程度っきりの馬鹿ぞろいってだけのお話なのよ、近衛兵イリアス」

ちょっくらあの方からの伝言、と称したキンウが夜中に、窓枠に飛び移ってそんな事を笑いながら話す。

「あんたなあ……使者としてここにはまだしばらく滞在すんだろう? なのにあっちとこっちを飛び移って体力は大丈夫なのか」

「宵闇の黒烏を舐めるんじゃないわよ。たかだか半日飛び回った程度で、倒れるわけがないでしょう。魔女は魔女になってから底なしの体力を手に入れるのよ。まあ、世界の力を術式なしに吸い込み続けているからってだけだけどね。そうそう、伝言を思い出したわ」

「なんだよ」

俺が話を促せば、黒烏の美貌の女は目を細めてから唇を、にいやりと吊り上げた。

「お姫様は先にこっちによこしてちょうだい、だそうよ。なんでもあの方がお話したいんですって。……気になるのよ。義理の息子が選んだ女が」

にいと笑った顔のまま、楽しげに言うキンウに俺は言い返す。

「その書類上だけの関係を、あの方が考えるかねぇ」

「考えてるんだから、先によこせなんて言うんでしょ。あなたはあの人がたった一人だけ、いろんな事を書き加えて法律を作り変えて追加して、それでも欲しがった息子なんだから」

「背中がかゆくなる、第一俺には継承権なんてものは一個もないだろう。あの方の後を継ぐのは甥っ子か姪っ子って話だ」

俺はその甥っ子と姪っ子を思い浮かべた。どちらもなかなか頭がいいし、武勇伝もそこそこの数人だ。
跡継ぎとしては申し分ない頭と実力を持っている。それに人の使い方もきちんとしているし、世界の裏側の事も多少は理解している。
実に将来有望っていうか、あのお方が隠居するって言いだした後の繁栄が楽しみな奴らだ。
しかしあの方はいまだに、誰を正式に後に据えるかを表明していない。
あのお方いわく、表明するとたるんで馬鹿になるから、ぎりぎりまで気を張らせて成長させたいらしい。
それでいいのか、と思わないでもないが、あの方の先見の明は優れたものだからそうなんだろう。

「まあね。あんたに国を任せたら三日で国が亡びるわ。あんたは無比の手駒として盤上の中を飛び回らせるのが一番いいっていうのが、あのお方の意見だしね。それはさておき、あの人があんたを愛しているのは間違いないのよ」

「そう言うむずがゆい事言うんじゃねえよ。俺とあの方のあいだにあった事は知ってんだろ」

「まあ知らない方がおかしいでしょ。元女帝の愛人、イリアス?」

懐かしい呼称に苦笑いをすれば、キンウがいつもの笑顔を消して言う。

「愛人だから蔑まされていたのに、誰よりも忠実であの人の窮地には自分がどんなことになっても駆けつける。……あんたのやった事は有名すぎるくらいよ。まったく、片目を潰して脳髄を一部吹っ飛ばされても、マダラの術式で無茶をして、あの人の盾になり続けた大馬鹿野郎」

「大した事じゃねえよ。……捨てたマダラの誇りの一部さ。あの術式が作動するのにはびっくりしたな」

あれはマダラの誇りと魂を持っていなければ、発動も継続もしない術式だったんだからな。
マダラの誇りどころか、人としての誇りも捨て去った、獣同然の俺があれをまだ発動出来たって事にあの後俺は、死ぬほど感謝してそして驚いた。
後っていうのは、意識半分以上吹っ飛んじまってて、本能だけで盾になり続けていたからだ。
体にはまだ、その傷痕が残っている。
その時に体の中に残っちまった矢じりは、皮膚の下で盛り上がっているから、おそらくしばらくすれば出てくるだろう。
骨がひしゃげて内臓がつぶれて、血は半分近く流れ出していて、俺はそれでもあの方をかばい続けた、らしい。
覚えていないから何とも言えないが、それを見る事になった近衛兵だの上位貴族だの、俺を愛人だと馬鹿にし腐っていたやつらが考えを改め、俺に驚嘆する事になった事らしい。
あの後から俺は、むやみに馬鹿にされる事もなくなれば、軽蔑される事も軽んじられる事もなくなった。
目覚めた途端に周囲の扱いが変わって、本気で回りが洗脳されてんじゃねえかってキンウに相談したんだが、爆笑されて取り合ってもらえなかったなあ、あの時。

「だからその功績をたたえて、あの方のただ一人の息子になったあんたなんだから、誇りなさいよ。……まあ、このバスチアがその事実を欠片も知らないって事に呆れるというか、同情するっていうか……あれね。知らないって怖いわね」

あの方があんたの扱いを知ったら、戦争物になるかもしれないし、併合されちゃうかもね、バスチア、と笑うキンウだが笑えねえぜ俺は……

「こんな、しょうもない奴ぞろいの、使い勝手も悪ければやった事を棚上げして文句だけ言いそうな国、あの方の手に入っちまったら苦労しかねえだろ、自滅してもらえ自滅」

「そうよねえ、一人の王女囲んでキャッキャウフフしてるんだから、自滅位しそうね。その王女が頭悪すぎなんだもの。あれ、次期女王の自覚あるのかしら」

キンウの言い過ぎに近い事がなんだかえらく、おっかない気がして声を一段落とした。

「そんな、やばいのか」

「令嬢としては完璧な出来だろうとは思うわよ。どこかに嫁いで跡継ぎを産むんだったら申し分ないわ、でも王として君臨するには足りなすぎる。あれは王の器じゃないわ。あんたの方がまだ器としては鍛えがいがありそうよ」

「俺はそんなめんどっちいもんいらねえからな」

「知ってるし、誰もあんたに押し付けないわよ安心しなさい」

「おうとも」

話を若干脱線させながらいくつかの、段取りを決めておく。そしてキンウが、自分の部屋に飛び立つ時、やっぱり黒い翼が月明かりにきらきら閃いて、俺はきれいだなと思った。




「……こんな、さみしい見送りでいいのかい」

「いいのよ、わたくしの人望がない、という事だけが良く分かるでしょう?」

「あなたのお姉様とやらも来ないのかい」

「ダンスの練習と、それから詩の暗唱会と、ほかにもたくさんの貴族たちとの集まりがあるそうだもの。女王が貴族の皆と、交流がないままなんておかしいのではないのかしら」

「俺の知っている女帝様は、そこまで貴族と交流しなかったと思いましたよ。旦那がばかばかりしているもんだから、その尻ぬぐいで貴族とは最悪に険悪だった」

「……え?」

「国を治めるってのは、最恐に嫌われるかめちゃくちゃに愛されるか、の極端がよくありますねえ。で、どっちであれども、国を見事に発展させれば歴史的には名君になる。どっちであろうが、国……いいや」

俺は記憶を探って、たどたどしくならないように言葉をつなげていく。

「そこに住まう者どもを害すれば、暗君と呼ばれるだけですよ。どれが正解だとかどれが間違いだとか言っているわけじゃありません。単純な事実があるだけで」

「人、と限定しないのですね」

「はっ」

俺は鼻で笑った。悪逆だとか根性が悪く見えるとか、そう言うの外でやるのやめろとか言われてばっかりの顔で。
アリアノーラが目を見開いている。
始めてみる相手の表情に、ぽかんとしている。
俺はその顔にずいと近付いて言葉を落とした。

「人ばっかりみてっと、足元掬われんですよ。この前の獣人のいさかいなんて、結構危ない物でした。他所からくるのはいいんですがね、一応国に入るならば、国の良識も多少は理解してもらわにゃならない。文化を否定してんじゃなくて、自分たちのやり方がそこでは受け入れられない事もある、という覚悟つきで渡ってほしいもんですよ。さすがにあの方も、縄張りに入った人間の持ち物は、問答無用で奪っていいなんていう風習は捨て置けなかった」

「見た事があるように語るのね」

「実際に追いはぎよろしく襲われましたからね」

「どうしたの?」

「返り討ちで、バリカンで毛皮刈り上げて真冬の水の中に突き落としました。こっちも命がけで冬の荒野を渡ってんのに、ない物奪われちゃたまらねえ」

にしし、と笑って見せれば、アリアノーラは首を傾けた。

「あなたは不思議なお方ね、イリアス様」

「なんでですかね?」

「どれがあなたなのか、わたくしにはわからないわ。もっと長い事一緒にいれば、あなたがもっとわかるのかしら」

「なに、共感するだけが理解じゃありませんよ。そういうもんだと割り切るのも、ほっておけと思うのも、理解の一部ですからね」

「……そうなの?」

「ええ」

言った俺は、空を見上げた。そろそろ出発するんだが、窓からこっそり俺とアリアノーラが歩いて出て行くのを見送ろうとしている、根性の悪いのが無数にいるからな。
浮浪者のような近衛兵と、嫌われ者の王女が無様に出て行くのを見届けたい、そんな方向性が透けて見える中だが、打ち合わせ通りならそろそろ。
俺はアリアノーラを軽く抱き寄せた。

「飛ばされないように、気を付けてください」

「飛ばされるというのは……? っ!?」

俺の言葉と同時に、びょうびょうと疾風が吹き荒れた。細めた俺の片方の目玉の中に星をちりばめたような宵闇の翼が、巨大な形で翻り閃くのが見えた。
城の兵士たちがざわめく。
貴族たちも、侍女も、女官も、召使も、突如現れたその星空の翼の持ち主に、動揺を隠せないでいやがる。
……おい、あんたなあ……

「のっけから正体暴露して登場しなくったっていいだろうに」

俺は言葉ばっかりはのんびりと、その相手に声をかけた。
ひらめく正気を疑いたくなる美貌、宵闇の翼は巨大というに尽きる物、その中の赤すぎる唇のかんばせ。

「魔女だ……」

「宵闇の魔女だ!」

「魔女がこのバスチアに訪れるなんてなんて事……!」

「本物だ……なんという……」

「一の姫に祝福を上げに来たのかしら?」

「魔女は優れた王の前に現れて、助言をしてくれるとも言う」

「そうだ、一の姫のすばらしさに、やってきたのだ!」

そう言う自分勝手な声が聞こえてくる。それを聞いたアリアノーラが身を固くする。

「お姉様のために来る……」

小さく呟かれた言葉の固さと険しさが、俺には痛々しい。
抱き寄せた腰の手を確認し、俺は言う。

「迎えにしちゃあ派手だな、宵闇の」

「ふふん、これくらいど派手な方がわたしの好みなのよ、女帝の狗」

「狗っつうほど、番犬やってねえんだがな」

「じゃあ熊よ熊。それもものすごく懐いた熊」

手をひらひらとさせて、上機嫌で笑うキンウ。それはおそらくいろんな奴らをびっくりさせたからだろう。
この諜報のキンウは、驚かせるのが大好きな性分だ。
そんな魔女は、俺が抱きよせているアリアノーラに近付いた。

「お手をどうぞ、かわいらしいお姫様」

「……あ」

その声の調子で、アリアノーラはこの前会った魔女が、このキンウだと気付いた。それから戸惑うように視線をやっている。

「わたくし……?」

「ええ。何にしろわたしの親しい友人が、あなたを待ち構えているからね。あなただけ先に連れて来いってお達しなのよ。せっかちな事この上ないったらありゃしないわ」

上機嫌で笑う魔女は、手を伸ばす。

「この魔女が、長い人生でたった数人だけ自主的に迎えに来た中の一人が、あなたなのよ、おいで、アリアノーラ姫」

「……わたくしなんかが?」

「宵闇の、あんまり長くするとあの方が膨れちまうだろう」

俺は直感的に、この問答が長く続きそうだと思って口を出した。
聞いた宵闇の魔女が、鼻を鳴らした。なんだいその、えらい不服そうな感じは。
お喋りしてえなら、あっちに渡ってからにすればいいだろう。
時間ばっかりは、あんたいっぱいあるだろうに。

「わかっているわよ」

膨れたのはキンウの方だったから、俺はアリアノーラにこう言った。

「落としゃしませんよ。背中に乗って飛ぶだけです。なあんにも怖い事はありません。いっそ名誉ですよ。魔女は背中に乗られるのを嫌いますからね」

「……空を飛べるの?」

震えていたアリアノーラは、目を輝かせてそう言った。
言ってから俺を見やる。

「イリアス様は……?」

「なあに、すぐに追いつきますよ。帝国はこういう時のために、良い術を知っているんです」

俺は安心させるようにそう言った。まあ事実だ。帝国は一瞬にして帰国するための術を、開発してんだから。
ちっとばっかり、容赦がないっていうやつだがな。おかげで俺は数回内臓がひっくり返るような目にあったが。
楽だからな。つい、使っちまう。

「本当に?」

「ええ、アリアノーラ姫、こんな事で嘘ばっかりはつきませんよ」

安心させるように覗き込んで、笑いかける。アリアノーラ姫の向こうで、キンウが目を丸くしてから空を仰いでいやがった。
何してんだあんた。

「わかったわ。すぐに追いついてくださいね」

アリアノーラ姫はそう言ってキンウに、完璧な一礼をした。

「よろしくお願いします、キンウ様」

「あらあ、キンウ姉さんでいいわよ。そこの阿呆の奥方なんだから」

「……? キンウ様はイリアス様の、お姉様なんですか?」

「後で教えてあげるわよ。黒烏は約束を違えないからね」

言ったキンウが、背中から巨大な翼を出現させる。一瞬にして世界が夜になったみてえな錯覚を抱かせる、そんな黒の黒が顕現した。
そしてその翼で、アリアノーラ姫を背中に乗せて、二三回羽ばたく。
キンウは瞬時にして見えなくなった。
それを見送ってから、俺はがさがさと荷物袋をあさって目的の物を取り出した。
今にも走り寄ってきそうな、国王その他もろもろを無視して。それを天高く掲げる。

「お待ちください、イリアス殿! あなたと魔女の関係は一体……!」

国王が今になって、俺を利用価値がありすぎる物だと判断した調子で言ってやがる。
もう遅いんだよ。
あんたとは関わらねえし、アリアノーラは返さない。

「跳べ」

俺は低く低く、紅水晶の紋章に指を這わせ、命じた。
主の命を受けた、帝国最高峰の術を宿した身分証明の物が、毒々しい色で輝いて、俺の世界は赤く染まった。
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