上 下
92 / 104
外伝~女帝の熊と悪役令嬢~

黒烏と暗躍ってのは、なかなかだな

しおりを挟む
血まみれた俺は、侍女たちにこの血の痕を消すように頼み、窓からそこを抜け出した。
通路なんて使っちまったら、俺がアリアノーラの所で出血したっていうのが目立っちまう。
俺はそれからまつわるであろう、ごたごたが嫌だった。

「知られちまった方が、外交上有利なんだけれどな……」

一人呟けども、俺自身なんで、アリアノーラを庇うのか、皆目見当が付きゃあしない。
何なんだか。

「情でも移ったか、このイル・ウルスとあろうものが?」

誰にも見つからないように、与えられた客室まで戻り、吐き捨ててみる。
俺が情を移れば、あの方の妨害になる。
俺に、あの方以外に情を移す相手などいらない。
あの方の覇道のためにも。
あの方の夢のためにも。

「……」

俺は一度傷を確認するために、鏡を見やる。女なら喜びそうな巨大な姿見の中に、熊のような俺が映っている。
巻いていた包帯は切り裂かれているな。
そして白かったそれは真っ赤に染まっている。
結構な惨状だが、額の傷ってのは見た目の割に出血が激しいのが通説だ。
事実俺の傷もそうだろう。
血でじっとりと濡れている包帯をはがしていく。
はがせば傷口がよく見えた。

「わりかし深い傷みたいだな」

傷の具合を確認すればそう言う事だ。
深い傷。
まあ頭蓋まで達していないから、きりが知れている傷でもあるがな。
俺は苦笑いをした後に、客室に常備されている包帯を探し、ない事に嘆息した。
帝国の宿屋だったら、どこだって常備しているぞ、包帯の一式。
王宮の客室という物のくせに、そんな物の用意もないのかい。
呆れた事だ。
んじゃあ、これを誤魔化すのはどうすりゃいいかね。
シーツを引き裂く? 駄目だ、ここでそういう急場のしのぎの真似を見とがめられちまったら、あの方の瑕になる。
血はまだ収まりそうもない。
まいったな。
なんとなく思った後俺は、窓のあたりに感じた気配でそっちを見やった。
ばらりと漆黒の羽根が舞い散る。
おいおい今かよ。
でも都合がいい。
俺は窓を開け放った。
ばさり、と紫紺の艶がひらめく、烏の濡れ羽色の巨大な翼の持ち主が、窓枠に着地した。
それは、人の顔をした巨大な烏だ。
花のかんばせと形容してもいいだろう、美しい顔の烏は、巻き毛を風に揺らめかせて、俺を見た。
そのまっくろい目玉が瞬き、言う。

「あらあ。イリアスが手傷を負うなんて珍しい。それもこんなぬるま湯のバスチア王宮で」

放たれた言葉は、烏の姦しさを宿す、というのが伝承の中に伝わっているな、と俺は思考を飛ばしかけ言う。

「ひさしいな、キンウ」

「久しぶりなのは間違いないわね、もう二年ぶりかしら? あなたの所に行くように指示があったのは」

「ちょうどいい、お使いを頼まれてくれないか」

「イリアスのお使いなんて珍しい。でもいいわよ。何かしら? もしかして傷の手当のための道具一式かしら、そんな物、ここで怪我をしたならバスチア王宮に請求すれば、いいのに」

「事情もちでな、これを隠さにゃならない」

「ふうん、あのイリアスが他人を庇うなんてずいぶん珍しい。あの方のためになる事かしら」

「なると信じたいね」

「ふむふむ、じゃあ包帯一式と手当の布と化膿止めと、そのあたりかしらね」

「頼んだぜ、キンウ」

「ええ、任せてちょうだいな」

言ったキンウの姿が瞬く間に、一匹の平凡な烏に変化し、ばさりと飛び立っていく。
これで手当ての何かしらは調達できるだろう。
キンウはそういう物に関しては優秀だ。
そしてそれは周りもきちんと評価している事実である。

「さて」

俺は手の甲で血をぬぐった。うかつに動けねぇな、血が垂れちまう。
ほどなくしてキンウは戻り、手当の道具一式を渡してくれた。

「ありがとうな」

「これくらいどうって事はないわ、どこぞの馬鹿なんて酒樽一式持って来いとか抜かしたわ」

からからと笑ったキンウが、部屋の中に足を踏み入れる。
途端にキンウの姿は、烏でも異形の物でもなく、黒い巻き毛を垂らした、妙齢の女に変わる。
烏のような羽根をちりばめた羽衣を身にまとうキンウは、これが帝国では普通の姿だ。

「手当を手伝う?」

「いらねぇよ」

「そういう、あの方以外何にも信用していないあたりが、しびれるわよ、イリアス」

「あんたの羽衣姿も一目見たら忘れられねえな、キンウ」

軽口はいつも通り、こいつも俺と同じあの方の部下の一人だ。
諜報のキンウ。伝令のキンウ。
世間一般に通っている二つ名は、宵闇のキンウだ。
伝説にもなりかけている、超常的な力を手繰る黒烏の魔女は、寝台に腰かける。

「何か探れた?」

「バスチアっていうのがなかなか腐っているってのはな」

「あら楽しそう。あの方のお耳に入れなくちゃね、第一段階の報告書はまとめてあるでしょう?」

「ああ」

俺はここ数週間で纏めた物を、ほいとキンウに手渡した。

「これをあの方に」

「あなたの傷は報告しなくっていいかしら」

「というかするな」

「あの方も大概、あなたがお気に入りだものね」

騒がしい笑い方をするキンウだが、他人からすれば烏の鳴き声にしか聞こえないだろう。
キンウの異能の一部だ。
蠱毒という物を複数回行い、そして最後にはその蠱毒を烏に食わせ、烏と自分の体を混ぜ合わせたとんでもない女。
それがキンウの正体だ。

「さてはて、どうなっているのか私にも、きっちりはっきり話してもらいましょ。あなたの報告書は微に入り細に入り、細かくてたまらない癖に変な所ですっぽ抜けているんですもの」

「ああ、その自覚はあるんだ、でもなんか知らねぇがずれんだよなぁ」

からからと笑った俺を見やって、キンウが血まみれの包帯を引き寄せる。

「さて、これは支障がなければ証拠隠滅させてもらうわ」

「頼むぜ」

「ええ」

笑ったキンウが包帯をなぞると、包帯は漆黒の光に変わり、崩れ去った。

「あんたの崩壊術はいつ見ても驚嘆できるな」

「黒烏の魔女を、馬鹿にしないでくれないかしらね」

「してねぇよ」

溜息を吐いた俺は、注意深い言葉を使い、キンウと情報を共有していく。
記憶力の並外れたキンウならば、あの方に問題なく話せるに違いない。
バスチアの面倒くさい王宮事情を聴いたキンウが、徐々に目をきらめかせる。

「都合がいいわね、その女の子を利用すれば楽しい事になりそうだわ」

「やめてくれ、俺の罪悪感がかすかにうずく」

「あなたの罪悪感なんて、珍しすぎるわね、ははぁ、さてはそのバーティミウス・アリアノーラに惚れたわね」

「なんで俺があのお姫さんとどうこうならなきゃならねえんだよ」

「あなたがそこまで他人に入れ込んだ事が、今までにあの強国の坊やだけだから」

あの坊やはきっとあなたを忘れられないでしょうね、と馬鹿笑いをするキンウに、俺はじっとりをした目を向けた。

「馬鹿を言いなさんな。俺のすべてはあの方のためにある。俺自身のためじゃねえ」

「本当にそう言う所が気に食わないわ、あの方はすばらしいお方だけれどもね」

言ったキンウが、不意扉の方に視線をやる。

「それじゃ、私はそろそろ行くわ。あの方の命令は今度伝えに来てあげるからね」

「頼んだぜ」

キンウが首から報告書の入った筒を下げて、窓から飛び降りる。
ばらりと黒い光が乱舞するのが見えて、一羽の烏が飛び去って行った。

「相も変わらず、大変な美貌だぜ、キンウの奴は
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

殿下、側妃とお幸せに! 正妃をやめたら溺愛されました

まるねこ
恋愛
旧題:お飾り妃になってしまいました 第15回アルファポリス恋愛大賞で奨励賞を頂きました⭐︎読者の皆様お読み頂きありがとうございます! 結婚式1月前に突然告白される。相手は男爵令嬢ですか、婚約破棄ですね。分かりました。えっ?違うの?嫌です。お飾り妃なんてなりたくありません。

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。