上 下
38 / 47

スナゴと嘆願

しおりを挟む
全てはナリエ様が生の巫子長を無責任に投げ出したのが始まりです。
リージアという老婆は、アシュレイに向ってそう告げた。

「ナリエ様が、自分が一番でいないのがお嫌だとのことで、生の巫子長という大切な役割を、投げ出して、この国境付近まで来てしまったのが、全ての問題の始まりなのです」

リージアはよどみなく語る。

「生の巫子長のお仕事を、ナリエめはぞんざいに扱い、そんな仕事などなくてもかまわないと言い出し、ついには仕事が面白くない、期待外れだとまで言って、こちらの地方まで来てしまったのです。困ったのは都の巫子たちです。生の巫子長にしか扱ってはならぬといわれているものも、大変に多いというのに、ナリエめはそれを全部投げ捨てたのです。仕事は積み上がり、新たなる巫子長は決まらない。それが本当は……当たり前なのです」

ナリエに対しての礼説が抜け出している。よほど腹に据えかねているらしい。

「何で決まらないのが当たり前なんだ?」

トリトンが解せぬ、といった声で言う。

「そりゃあ、死の巫子長がいないからですよ。生の巫子長は死の巫子長に、死の巫子長は生の巫子長に、前の巫子長から預かった旗を返すのがしきたりなのですから。そしてこのしきたりは、ただの行事ではありませぬ。文字通り、旗に宿る力を、新たなる巫子長に譲渡する役割を持っているのであります」

不意にトリトンが指を折って数えだす。何を数えだしたのか。

「でもナリエは新しい巫子長になったんだろう。その時死の巫子長はいなかったはずだぜ。おれはその亡霊とやらに出会っているんだからな。計算が合わねえ」

ほれ、とトリトンが指を追って数え、アシュレイも目を丸くした。

「たしかに。トリトン先輩が出会ったという幽霊が、死の巫子長だったなら、ナリエもおれも、生の巫子長になれるわけがない」

「本当はそうだったんですがね」

リージアは重たい溜息を吐いた。本当に困ったと言いたげな声だった。

「アシュレイ坊ちゃまは、本当に幼く稚い頃に、死の巫子長に、旗を渡されていたのですよ」

「えっ」

「え?」

「えええ……」

聞いている誰もが呆気にとられた声をあげる。トリトンが出会ったのは死の巫子長であるはずで、その死の巫子長は間違いなく、大口真神族の血筋のはずなのだ。
そして死んだトリトンの父親のはずなのだ。山崩れによって、トリトンが生まれ落ちる前に死んだという雄の狗族。
だというのに出会っていたとは、そして旗を渡していたとは、一体どういう事なのだ。

「リージアもその場にいましたので、耄碌してこんな事を言っているわけではありませぬ。……そこは、死者と生者が語り合う事も可能な、死の巫子長の領域、死の宮だったのですから。そこでアシュレイ坊ちゃまは、大変な異例となりましたが、亡霊となっていた死の巫子長から、旗と、代々生の巫子長に伝わる癒しの力を、受け取ったのです」

「……アシュレイ身に覚えはあるのか」

「小さい頃に、とても静かで誰もいないぼろぼろの宮にもぐりこんで、リージアに迎えに来てもらった事は……ある。そこで笛を吹き鳴らす、体が後ろに少し透けている狗族に会った事も覚えている。確かに、彼は閃く旗をくれたが……それが? そうだったのか? しかし俺には、誰もそのことを教えてくれなかったぞ」

「その当時、死の巫子長に関する話題は、禁忌に等しかったのです。ちょうど、前の御后様が死の巫子長に殺されたくらいから一年、といった頃でしたから。死の巫子長に関する話題は、どんなものでもはばかられていたのです。そして……アシュレイ坊ちゃまは、渡された旗の意味を知る前に、生の巫子長として間違いようのない癒しの力を、病に倒れたこの婆様に発揮したのです」

「それは覚えている」

アシュレイが額に指をあてて言う。

「リージアが止まらない咳の伴う肺の病を患っていたんだ。苦しそうで、痛そうで、早く治ってほしいと思って、俺は都の山に映えていた咳止めの花粉を持った花を摘んで、リージアの寝ている部屋に入ったんだ」

「ええそうですとも」

「それでお前どうしたんだよ」

アシュレイの言葉の続きを聞きたがるトリトン。スナゴも言葉を待っていて、彼は一生懸命に思い出して喋っている。

「そうしたら、自分の体が光り輝いて、それから、花粉もきらきらした光を放って……リージアがそれを吸い込んだら、黒い曲々しい、ねっとりした変な物が浮き上がってきたから、それを引きはがしたんだ」

「そのねっとりしたものは何だったんだ?」

「病の大本だと聞いている。……そうだ、それから俺は、生の巫子長としての振る舞いなどを、知らない大人から叩き込まれるようになったんだ」

「都の王族たちは震撼しましたとも。継承なく、生の巫子長に足る力を持つようになった、虐げられた妾の子供。……そして悪い前例を作ってしまったのです。それが、継承の儀式なくとも、生の巫子長を交代できる、という前例を。ナリエめは生の巫子長が、きらきらした儀式用の衣装を着られるから、そして自分の方が由緒正しい血筋を持っているから、よりふさわしいのだと、情報操作をして、アシュレイ坊ちゃまを追い出したのです」

リージアは唇をかみしめて悔しそうだった。

「お婆さんは、アシュレイを助けなかったの?」

「スナゴ、そういう風に言わないでくれ。宮殿でナリエからおれを庇ったリージアは耄碌婆さんと呼ばれて、都のはずれまで追い出されたんだ。おれはその後すぐに、都から石を投げられて、追放されたんだ」

「都の狗族どもは、この婆さんの主張の方が正しかったと、いまさら手のひらを返し、アシュレイ坊ちゃまを連れ戻すように命じました。ですが、迎えに来たなどと言いますが、坊ちゃまがお嫌だというのは明白。それゆえ……」

リージアが覚悟の決まった笑顔で言う。

「この婆さんは、ナリエめを連れて戻ります。真の生の巫子長を連れて戻れ、というのが正式な命令です。アシュレイ坊ちゃまを連れて戻れ、ではありません。そしてナリエは、まだきちんと生の巫子長の椅子を降りておりませぬ。故にまだあの無責任娘は生の巫子長。ナリエを引きずって戻って行っても、おかしな事ではありませぬ」

「だがリージアが痛い目にあうだろう」

「坊ちゃまが不便な思いをしているなら、坊ちゃまを連れて戻ろうと心に決めておりました。ですが坊ちゃまは幸せそうです。リージアは毛の一本ほども、坊ちゃまの幸せを奪うつもりはありませぬ。皆さま、大変な迷惑をおかけしました。明日山を下り、ナリエを縄で縛ってでも連れて都に戻ります」

「リージア」

小さい頃から大事にしてくれた老婆が、罰を受ける事を知りながら、アシュレイを守ろうとしている。それがアシュレイには堪えるものだった。
そのため、スナゴの眼から見ても、彼は焦っていた。

「こんな大きくなったのに、リージアに甘えるわけにはいかない」

「そんなに大きくなっていても、アシュレイ坊ちゃまは、小さなかわいいリージアの坊ちゃまですよ」

「ああ、めんどうくせえな! 村長、聞いててまどろっこしくってしょうがねえ!!」

トリトンがじれったそうに怒鳴る。何を言いだすのかと思えば、驚く事を彼は言い出した。

「うちのかーちゃんが領域にしてるところで、一番都に近いのはどこだ?」

「こっちの西の方だね。子供の足で半日ってくらいだ」

「そこで何年前まで村を構えてた?」

「ざっと数十年は昔だね。……なあるほど」

トリトンの母が肝っ玉母さんらしく笑った。

「村長、トリトンは西の方に引っ越さないかと提案しているよ」

「西に」

「全部貰っちまおうぜ、村長。生の巫子長も死の巫子長も、自由に駆け回れる険しい山も、豊かな水も!」

何を言いたいのか、スナゴにはさっぱりわからなかった。
だがトリトンは不敵に笑い、村の大人たちもにやりと笑っていた。

「そんなに死の巫子長も生の巫子長も欲しいんだったら、考えがある」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

美醜逆転異世界で、非モテなのに前向きな騎士様が素敵です

花野はる
恋愛
先祖返りで醜い容貌に生まれてしまったセドリック・ローランド、18歳は非モテの騎士副団長。 けれども曽祖父が同じ醜さでありながら、愛する人と幸せな一生を送ったと祖父から聞いて育ったセドリックは、顔を隠すことなく前向きに希望を持って生きている。けれどやはりこの世界の女性からは忌み嫌われ、中身を見ようとしてくれる人はいない。 そんな中、セドリックの元に異世界の稀人がやって来た!外見はこんなでも、中身で勝負し、専属護衛になりたいと頑張るセドリックだが……。 醜いイケメン騎士とぽっちゃり喪女のラブストーリーです。 多分短い話になると思われます。 サクサク読めるように、一話ずつを短めにしてみました。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜

波間柏
恋愛
 仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。 短編ではありませんが短めです。 別視点あり

召喚されたら聖女が二人!? 私はお呼びじゃないようなので好きに生きます

かずきりり
ファンタジー
旧題:召喚された二人の聖女~私はお呼びじゃないようなので好きに生きます~ 【第14回ファンタジー小説大賞エントリー】 奨励賞受賞 ●聖女編● いきなり召喚された上に、ババァ発言。 挙句、偽聖女だと。 確かに女子高生の方が聖女らしいでしょう、そうでしょう。 だったら好きに生きさせてもらいます。 脱社畜! ハッピースローライフ! ご都合主義万歳! ノリで生きて何が悪い! ●勇者編● え?勇者? うん?勇者? そもそも召喚って何か知ってますか? またやらかしたのかバカ王子ー! ●魔界編● いきおくれって分かってるわー! それよりも、クロを探しに魔界へ! 魔界という場所は……とてつもなかった そしてクロはクロだった。 魔界でも見事になしてみせようスローライフ! 邪魔するなら排除します! -------------- 恋愛はスローペース 物事を組み立てる、という訓練のため三部作長編を予定しております。

異世界に召喚されたけど間違いだからって棄てられました

ピコっぴ
ファンタジー
【異世界に召喚されましたが、間違いだったようです】 ノベルアッププラス小説大賞一次選考通過作品です ※自筆挿絵要注意⭐ 表紙はhake様に頂いたファンアートです (Twitter)https://mobile.twitter.com/hake_choco 異世界召喚などというファンタジーな経験しました。 でも、間違いだったようです。 それならさっさと帰してくれればいいのに、聖女じゃないから神殿に置いておけないって放り出されました。 誘拐同然に呼びつけておいてなんて言いぐさなの!? あまりのひどい仕打ち! 私はどうしたらいいの……!?

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23

処理中です...