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スナゴと決定的な日記

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まず生きている、と思ったスナゴはすぐさま、今自分がどこでどうなっているのか確認するべく、身を起こそうとした。
幸い、だったのだ。
どうやら自分は斜面のどこかの洞窟の中に転がり込んでしまったようで、右手の方が明るいから、そこが転がり込んだのだろう入口か、と考えた。
そこで自分が完全に横向きになっている事実から、転がり込んだというよりは、どこかの穴に落ちたのかもしれない……という事にも気が付いた。

「とりあえず生きてる、そこからが大事だよね」

穴ならうまくいけば這い上がれるし、スナゴは穴からよじ登るために使えそうな物が周りにないか見回した。
からん、とやけに軽く澄んだ音が手元から響き、スナゴはそちらを見る。
漂白された色とはやや違う、黄ばみのあるそれは……

「ぎゃあああああああああ!!!」

それがなにか遅れて気が付いたスナゴは、思い切り悲鳴を上げた。
それはうつぶせになって力尽きた姿の、人骨だったのだから。

「ぎゃー! ぎゃー!!! ぎゃあああああ!!!」

散々えんえんと悲鳴を上げ続けたスナゴは、そこで息が切れたため、その人骨が着ている衣装に見覚えを感じた。
村の衣装とか、都の衣装ではない。
というか、これを見るとは思わなかった衣装だ。

「これって……第二次大戦中の日本の学生さんの、服みたい……」

何かの白黒写真で見たような、そんな形の縫製の衣装は、この異世界では存在しないものに違いなかった。
その人骨は、日本人だったのか。
でもどうしてこんな場所で死んでいるのだろう。
スナゴは周囲を見回して、何かあったのではないか、ここは昔獣の巣穴だったのではないか、と体をこわばらせた。
しかし獣の気配や息遣いはないし、それっぽい痕跡もない。

「ここ……この人が暮らしてたの?」

手作りらしき石を苦労して重ねたのだろう背の低い机に見立てただろう物や、朽ち果てかけた寝床だったらしき場所に、炊事場だった名残のある燃え残りか何かで黒く染まった場所。
この穴は、この人が暮らしていた場所だ、と否応なくスナゴでも察するほどの生活の痕跡が、そこにはあった。
でもここでどうして、山の中なのに、とスナゴはとりあえず仏様を拝み、彼だか彼女だかわからない相手を見ないようにして立ち上がった。
天井の穴からそこは割とよく見えて、その住居だった洞穴の全貌まではわからないながら、結構見えたのだ。
そこでは、物陰に、かなり月日のたった巻物なども残っていた。
だがそれを開いたら、あっという間にぼろぼろになって落ちていくだけだ。
スナゴはそれに手を出す前に、日本の昔からある国産メーカーのロゴが入った紙の束、手帳だろうか? に目が留まった。
仏様には申し訳ないが、この人がここでどうして暮らしていたのかが気になって、スナゴはそれに手を伸ばした。

「……日記だ。これ最初は鉛筆だったんだろうな……」

手帳と思われたそれは、死んだ人の日記であるらしい。
日付が日本の西暦を使っているから、きっとそういう感覚で日にちを計算していたに違いない。
スナゴは何となく開いた場所に、帰る方法、と書かれていたため、そこから目が離せなくなった。


‘異郷の人が言う事に、異界の住人達は帰る方法が確立されているという。それによれば新月の夜に波一つ立たない水鏡に、故郷の返事をしてくれそうな誰かの名前を三回呼ぶそうだ。そしてその返事に三回までに返事があったならば、水鏡に異界が映るという。映ったならばそこが通り穴になる。その通り穴を信じて飛び込めば、異界の住人は故郷に帰れるという事だ。
だが私がここに迷い込んでから早四十年も過ぎてしまった。空襲でやけだたされた家族たちが無事かも、友人たちが息災かももはやわからない。
私もかなりの年寄りだ。早くこの方法を知ればよかったが、都まで行かなければその手段を知る学者殿には会えなかったのだから仕方がない。都では天術を使用できる天津狗族がいるがゆえに、異界の家族たちからの声が聞こえやすく、帰れる確率が上がるそうだ。
だがどの種とも次世代を残せる異世界族は大切にされる事から、今まではあまり帰郷の念に駆られる異世界族がいなかったらしい。それは帰る方法が確立された後も、実際に帰った人間がとても少ないのが証拠だ。
……ああ、父さんと母さん、妹や弟、いいなずけたちはまだ死んでいないだろうか……父さんと母さんは寿命かもしれないが、皆は息災だろうか……
学者殿が知っている事の中には、異郷の住人の家族が、迷い込んだ家族を案じ、名前を呼ぶ時に、こちらへの道が通じる事もかなりあるらしい。
そう言えば私も、何度も何度も、懐かしい声に呼ばれていたものだ。そのたびに夢だと思ってしまったのが私の不運かもしれない……その時に水鏡を使えばよかったのかもしれない……
それとも私が返事をしていたら、道が開いただろうか。
ああ、後悔しても後悔しても後悔したりない。
ここの皆は隣人として友好的な相手が多く、こちらの考え方も尊重してくれる。恋人もいた事もあるがやはり家族が恋しい。
もしかしたら、と家族の声がまた聞えないかと人里離れた場所に来てみたが、家族の声はまだしない。ああ、咳が苦しい。こちらの者たちがかからない肺の病だ。それだけは幸いかもしれない……


スナゴは手から、その日記が滑り落ちていった。


「……家族の呼ぶ声も聞こえないのに、私は帰っても居場所があるのかな」

この五年間、夢でさえ家族の声は聞いた事がなかったスナゴは、しゃがみこんで、じっと考えた。

「……帰りたい? 私」

「帰らなきゃだめだろ、ああ、こんな所にいたのか! 穴だから匂いがうまくつながらなかった。……あんた、ありがとうよ、せめてあっちに行けるように祈っておくぜ」

スナゴの独り言に、穴の開いた天井から大きな呼び声が響く。
顔をあげると、そこにはあの、名前も素性もわからない、見知らない緑の眼の狗族が、スナゴが顔を上げた事に安堵する顔で、こちらを見下ろしていた。

「怪我していないか、それならよかった!」
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