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スナゴと巫子長
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「死んでもごめんだと? この上なく重要な役割だぞ!?」
帝が声を荒げる。それは事実なのだろうが、それがトリトンに通じると考えてはいけない。
彼は知らないのだから。
それが一体どんな物であり、どれだけの重要性を持っているのか。
僻地で山の中で、そう言った物と完全に無縁の世界で生きているのだから。
「天狗族のみがかかる病を治療する事が出来るのは、死の巫子長のみだというのに」
「はあ。……って、あんたら心底バカなんだな」
トリトンが呆れた声で言う。その理由がスナゴには何となくわかった。
多分彼は。
「そんな大事な相手、殺したり脅したりして、いう事聞かせてたのかよ。……おいおい、さすがにないだろ。そこはてーちょーにお願いするところだろ? そりゃ前のその、死の巫子長ってやつが反旗を翻した理由が分かるわな」
せせら笑うトリトンに、アシュレイが困った顔になった。
「トリトン先輩、そうしたら俺も、その病で死ぬことになるんだが」
「なんでだよアシュレイ、お前がその病気になったら全力で治すに決まってんだろ」
「おれも天狗族だ」
「天狗の血があろうがなかろうが、うちの村のやつはうちの子。って母ちゃんが断言するぜ、おれもそう思う。お前は俺らの村に来るって決めて、俺らの村の住人になったんだから、直せるって分かってるのに何もしないなんて、するわけねえ」
「……でもトリトン先輩、その先輩の理屈がそこにいる帝には、全く通用していないようだけれど?」
スナゴの指摘は事実であり、帝はどうやってトリトンをとどめておくか、考えているようだった。
その時である。不意に出入口の方が騒がしくなり、ばたばたと慌てて現れたのは、妙齢の雌だった。
スナゴには種族が分からない物の、うんときれいな毛並みの狗族になるだろう雌だ。
「陛下、お急ぎください! 殿下はもう、もう……!」
何度も泣いているのだろう、腫れた目元の彼女が叫ぶ。
それを聞いて、帝の眼の色が変わった。
「まて、シャヌークはまだ保つはずだ!」
「シャヌーク?」
「兄上の息子だ。確か一番小さい息子だったような」
トリトンのいぶかる声の向こうで、兵士たちも文官たちも武官たちも、ざわめいている。
何かとても嫌な予感がする、とスナゴは感じた。
そしてそれは正しく当たったのだ。
「来い!」
帝が有無を言わさず、トリトンの小柄な体を担ぎ上げ、走り出したのだから。
いきなりの事で置いて行かれたスナゴとアシュレイであるが、はっと顔を見合わせた。
トリトンですら抵抗の余地なく連れていかれたので、一瞬思考回路が二人とも停止したのだ。
「追いかけないと!」
「だったらたぶんこっちだ」
慌てたスナゴの言葉に、首を左右に巡らせて、帝が出て行った方角とは違う方角に走り出すアシュレイ。
「そっちなの?」
「短縮通路がこっちにあるんだ」
「知ってるんだそんなの」
「生の巫子長だったころに叩き込まれた経路だ。生の巫子長は、一刻の猶予もない時に呼ばれる事も多くてな。どこの部屋に行くのに、どの道が近いのか覚えさせられるんだ」
スナゴでも追いつけるぎりぎりの速度で走って先導する、そんなアシュレイを誰も止めない。
というよりも、飛び出すように現れる二人を、止められず、呆気に取られて見送るしかないというのが、正しかった。
そして二人は、どことなく子供のいるような気配に満ちた場所に到着した。
そこでは女官たちが忙しなく行きかい、祈りを捧げ、嘆願の姿勢で座り込んだりしている。
「シャヌークさまはまだまだ子供です、どうか連れて行かないでくださいませ!」
「シャヌークさまはお優しい皇子、どうかその徳を汲んでくださいませ!」
女官たちはそれ以外もう、手段がないという声で泣いている。
願って祈って懇願している。
「まさか」
その声を聞いて、何かの空気の匂いを嗅いで、アシュレイの顔色が変わった。
「馬鹿な、天の病を発病するには早すぎる」
「天の病って」
「天狗族の、血の濃い王族しか発病しない。不明な事が多すぎる病だ。それにかかれば八割か九割の確率で死んでしまう」
「でも早すぎるって言ったよね」
女官たちが止めないのをいい事に、その部屋にどんどん近付きながら、二人は会話をする。
「天の病は大体、十一歳から十五歳の間に発病し、その間に発病しなかったら一生かからない病だ」
「シャヌークっていう皇子様は、いったい幾つなの」
「おれが知っていることが正解なら、まだたったの五歳だ」
「早すぎない?」
「だから抵抗力がない。体力が削られてしまい過ぎる。病に抗えない」
蒼褪めた表情のまま語るアシュレイは、スナゴの認識が正しければ、甥が死ぬ手前という状態だ。青くて当たり前である。
「あ、アシュレイ様、お戻りに!?」
その重苦しい空気の部屋の手前で、女官が叫んだ。
アシュレイを見て歓喜に染まり、彼を引っ張り始める。
「当代一の天術の使い手のあなたさまであれば、ナリエ様のように失敗などなさらない!
お願いです、シャヌークさまを癒してくださいませ!」
「俺はただのアシュレイだ、当代一とかはどうでもいい。だがシャヌークが死ぬのをただ眺めてはいられない……」
一度女官の言葉を否定しながらも、アシュレイの瞳は揺れていた。
助けたいのだが、自分がここに来たのはトリトンたちの先回りのためだからだろう。
しかし。
「トリトン先輩だったら、アシュレイの悩みなんて投げるよ、この愚図、さっさと腹くくれ! って!」
自分を石を投げて追い出した輩たちの都合よく動く事を嫌がったのか。
ここと決別したいのか。
それとも幼い肉親を助けるか。
様々な事で揺れる、そんなアシュレイの瞳を見て、スナゴはその片手を掴み、距離を取られないようにしてからひっぱたいて、活を入れた。
ひっぱたくすごい音がしたものの、痛くはなかっただろう。
アシュレイは驚きに染まっていた。
「アシュレイにあるのは、やるかやらないかの二択だからね! 言い訳とかどうでもいいから、自分の思う正しい事をさっさとやる!」
アシュレイの瞳の揺れが止まった。
「すまないスナゴ、おれはどうしたって“生の巫子長”らしい」
小さな謝罪の後、お願いをする調子で彼が続けた。
「一緒に来てくれるか」
「行くだけなら。出来る手助けくらいなら」
断言した事に、深い意味はない。村では困ったら助け合うし、出来る事はするのだ。
それが当たり前であり、当然なのがあの村だった。
「……じゃあもう一つ、何が起きても手を握っていてくれ」
「それは出来る限り頑張る」
この即答に軽くふきだしたアシュレイは、普段のどこかぼんやりとした空気や、のんびりとした空気のない、凛とした雄だった。
立つ姿勢すら変わったのではないだろうか。
これが彼のいうところの、“生の巫子長”の在り方なのだろう。
道具も装飾も何もいらない、その存在感でアシュレイは、“生をつかさどる行事を行う”巫子長だった。
しかしスナゴの手をがっちりと握って、彼は部屋の中に入った。
帝が声を荒げる。それは事実なのだろうが、それがトリトンに通じると考えてはいけない。
彼は知らないのだから。
それが一体どんな物であり、どれだけの重要性を持っているのか。
僻地で山の中で、そう言った物と完全に無縁の世界で生きているのだから。
「天狗族のみがかかる病を治療する事が出来るのは、死の巫子長のみだというのに」
「はあ。……って、あんたら心底バカなんだな」
トリトンが呆れた声で言う。その理由がスナゴには何となくわかった。
多分彼は。
「そんな大事な相手、殺したり脅したりして、いう事聞かせてたのかよ。……おいおい、さすがにないだろ。そこはてーちょーにお願いするところだろ? そりゃ前のその、死の巫子長ってやつが反旗を翻した理由が分かるわな」
せせら笑うトリトンに、アシュレイが困った顔になった。
「トリトン先輩、そうしたら俺も、その病で死ぬことになるんだが」
「なんでだよアシュレイ、お前がその病気になったら全力で治すに決まってんだろ」
「おれも天狗族だ」
「天狗の血があろうがなかろうが、うちの村のやつはうちの子。って母ちゃんが断言するぜ、おれもそう思う。お前は俺らの村に来るって決めて、俺らの村の住人になったんだから、直せるって分かってるのに何もしないなんて、するわけねえ」
「……でもトリトン先輩、その先輩の理屈がそこにいる帝には、全く通用していないようだけれど?」
スナゴの指摘は事実であり、帝はどうやってトリトンをとどめておくか、考えているようだった。
その時である。不意に出入口の方が騒がしくなり、ばたばたと慌てて現れたのは、妙齢の雌だった。
スナゴには種族が分からない物の、うんときれいな毛並みの狗族になるだろう雌だ。
「陛下、お急ぎください! 殿下はもう、もう……!」
何度も泣いているのだろう、腫れた目元の彼女が叫ぶ。
それを聞いて、帝の眼の色が変わった。
「まて、シャヌークはまだ保つはずだ!」
「シャヌーク?」
「兄上の息子だ。確か一番小さい息子だったような」
トリトンのいぶかる声の向こうで、兵士たちも文官たちも武官たちも、ざわめいている。
何かとても嫌な予感がする、とスナゴは感じた。
そしてそれは正しく当たったのだ。
「来い!」
帝が有無を言わさず、トリトンの小柄な体を担ぎ上げ、走り出したのだから。
いきなりの事で置いて行かれたスナゴとアシュレイであるが、はっと顔を見合わせた。
トリトンですら抵抗の余地なく連れていかれたので、一瞬思考回路が二人とも停止したのだ。
「追いかけないと!」
「だったらたぶんこっちだ」
慌てたスナゴの言葉に、首を左右に巡らせて、帝が出て行った方角とは違う方角に走り出すアシュレイ。
「そっちなの?」
「短縮通路がこっちにあるんだ」
「知ってるんだそんなの」
「生の巫子長だったころに叩き込まれた経路だ。生の巫子長は、一刻の猶予もない時に呼ばれる事も多くてな。どこの部屋に行くのに、どの道が近いのか覚えさせられるんだ」
スナゴでも追いつけるぎりぎりの速度で走って先導する、そんなアシュレイを誰も止めない。
というよりも、飛び出すように現れる二人を、止められず、呆気に取られて見送るしかないというのが、正しかった。
そして二人は、どことなく子供のいるような気配に満ちた場所に到着した。
そこでは女官たちが忙しなく行きかい、祈りを捧げ、嘆願の姿勢で座り込んだりしている。
「シャヌークさまはまだまだ子供です、どうか連れて行かないでくださいませ!」
「シャヌークさまはお優しい皇子、どうかその徳を汲んでくださいませ!」
女官たちはそれ以外もう、手段がないという声で泣いている。
願って祈って懇願している。
「まさか」
その声を聞いて、何かの空気の匂いを嗅いで、アシュレイの顔色が変わった。
「馬鹿な、天の病を発病するには早すぎる」
「天の病って」
「天狗族の、血の濃い王族しか発病しない。不明な事が多すぎる病だ。それにかかれば八割か九割の確率で死んでしまう」
「でも早すぎるって言ったよね」
女官たちが止めないのをいい事に、その部屋にどんどん近付きながら、二人は会話をする。
「天の病は大体、十一歳から十五歳の間に発病し、その間に発病しなかったら一生かからない病だ」
「シャヌークっていう皇子様は、いったい幾つなの」
「おれが知っていることが正解なら、まだたったの五歳だ」
「早すぎない?」
「だから抵抗力がない。体力が削られてしまい過ぎる。病に抗えない」
蒼褪めた表情のまま語るアシュレイは、スナゴの認識が正しければ、甥が死ぬ手前という状態だ。青くて当たり前である。
「あ、アシュレイ様、お戻りに!?」
その重苦しい空気の部屋の手前で、女官が叫んだ。
アシュレイを見て歓喜に染まり、彼を引っ張り始める。
「当代一の天術の使い手のあなたさまであれば、ナリエ様のように失敗などなさらない!
お願いです、シャヌークさまを癒してくださいませ!」
「俺はただのアシュレイだ、当代一とかはどうでもいい。だがシャヌークが死ぬのをただ眺めてはいられない……」
一度女官の言葉を否定しながらも、アシュレイの瞳は揺れていた。
助けたいのだが、自分がここに来たのはトリトンたちの先回りのためだからだろう。
しかし。
「トリトン先輩だったら、アシュレイの悩みなんて投げるよ、この愚図、さっさと腹くくれ! って!」
自分を石を投げて追い出した輩たちの都合よく動く事を嫌がったのか。
ここと決別したいのか。
それとも幼い肉親を助けるか。
様々な事で揺れる、そんなアシュレイの瞳を見て、スナゴはその片手を掴み、距離を取られないようにしてからひっぱたいて、活を入れた。
ひっぱたくすごい音がしたものの、痛くはなかっただろう。
アシュレイは驚きに染まっていた。
「アシュレイにあるのは、やるかやらないかの二択だからね! 言い訳とかどうでもいいから、自分の思う正しい事をさっさとやる!」
アシュレイの瞳の揺れが止まった。
「すまないスナゴ、おれはどうしたって“生の巫子長”らしい」
小さな謝罪の後、お願いをする調子で彼が続けた。
「一緒に来てくれるか」
「行くだけなら。出来る手助けくらいなら」
断言した事に、深い意味はない。村では困ったら助け合うし、出来る事はするのだ。
それが当たり前であり、当然なのがあの村だった。
「……じゃあもう一つ、何が起きても手を握っていてくれ」
「それは出来る限り頑張る」
この即答に軽くふきだしたアシュレイは、普段のどこかぼんやりとした空気や、のんびりとした空気のない、凛とした雄だった。
立つ姿勢すら変わったのではないだろうか。
これが彼のいうところの、“生の巫子長”の在り方なのだろう。
道具も装飾も何もいらない、その存在感でアシュレイは、“生をつかさどる行事を行う”巫子長だった。
しかしスナゴの手をがっちりと握って、彼は部屋の中に入った。
応援ありがとうございます!
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