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スナゴと陛下
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「木造にしては赤い朱塗り、丹を塗るのは魔除け……おいアシュレイ、この宮殿とやらはそんなに厄介な物でも抱えてんのか、伏魔殿か、それとも怪物から隠れたいのか守られたいのか」
宮殿内に入って、少し歩いていた辺りで、トリトンが周囲の事で言い出し始めた。
「丹を塗るのが魔除けなの」
「赤色と雌の月の物って言ったら魔除けだろうが。火事から逃れる魔除け中の魔除け」
「ああ、だから竈のあたりには赤い布をぶら下げてるのか、うちの村」
「今頃気付いたのかよ」
そんなやり取りに、アシュレイがのんびりとした声で言う。
「そこまで詳しく考えた事が無かった、これは大陸渡りの塗料で、丹ではないのは知っているんだが。そうか、トリトン先輩の村はそういう古い儀式をよく知っているんだな」
「時が止まっているって言ってもいいんだぜ、このあたりを見ると俺の知っている物が何もなくて、結構ぐちゃぐちゃした気分になる」
確かに。スナゴも見慣れない物が多すぎるが、これはあれだ。
縄文時代と鎌倉時代の違い位の文明の差だ。
平安すっ飛ばしている。
「大丈夫、ちゃんと早く帰れるようにするから」
アシュレイも長居をする気分じゃないのだろう。
女官の先導で歩いていたと思えば、どこの回廊を回ったかわからないまま、大きな扉の前に出る。
精緻な彫刻、非常に細かい。これを作るのは一生の大仕事だろうな、と感じる物がそこにあった。
「陛下はこちらでお待ちです」
女官はそれ以上言わず、扉を開ける。
心の準備も何もできていない、と慌てたスナゴとは対照的に、トリトンは目を細め、彼女から手を放す。かすかに前に出た体。
アシュレイはやや緊張したらしく、顔が少しこわばった。
音を立てて開く扉、開閉に合わせて鳴る仕組みか、涼しい音が響いた。
そしてまっすぐ正面が、数段高くなり、そこに豪華な椅子が置かれている。
「……少し顔を見ない間に、ずいぶんふてぶてしくなったものだな、巫子長アシュレイ」
「その名前はあなたが取り上げてしまったもの。もはやおれの名前はただのアシュレイ。巫子長はナリエ殿とあなたが決めた」
その椅子の主が言ったとたんに言い返すその、神経の太さ。
「ちょっと、ただのアシュレイなのに陛下とか言う肩書の偉そうな相手に、許可なく発言していいの」
スナゴは慌てて彼の袖を引いた。
「ここで言い返さなければ、いつ言い返すんだスナゴ」
「確かにな」
「トリトン先輩まで」
常識人が常識を捨てた、とスナゴは引きつった顔になる。
トリトンのなかでは陛下という肩書が、どれくらいえらいのか想像がつかないから、この対応でも仕方がないのだが。
アシュレイはわかっているよね、と分かっていてこれなの。
これはもめそうだと思ったその時だ。
「その雌、匂いのなさからするともしや……異世界族か」
陛下が目を光らせた。スナゴは慌てて、背後に隠そうとするトリトン先輩の背後に入った。
更にさりげない動きで、その陛下の視線から隠すアシュレイ。
三人とも、異世界族という単語と目の輝きから、かなり厄介な物を引き寄せる、と判断したのだ。
「私の婚約者です」
先手を打ったアシュレイ。だから手を出すな、という警告だ。
「なるほど、巫子長アシュレイが戻りたがらないのも道理、異世界族という確実に子をなす事が出来る相手を、手に入れれば戻りたがらないのも道理」
スナゴは口元がひくひくと動いた。
その言い方ってないだろう。
まるで子供を産む腹だけが重要視されているような言い方。
「子供を産むかわからない雌しかいない都よりも、己の系譜を継がせるにはちょうどいいものな、アシュレイ」
この時スナゴはぶちっと何かが切れた。
その道具扱いの思考回路ふざけるな、である。
そしてアシュレイがそんな考えを持っていると思っている考えかた、ふざけるな、である。
彼女はグイと二人を押しのけた。
滅多にない行動である。
うげ、と彼女の怒りに気付いたトリトンが場を開け、怪訝な顔のアシュレイをそっと離す。
スナゴは周囲の誰もが動かないのをいい事に、がつがつと木靴で靴音を荒く立てながら、その陛下の前に立った。
そして。
がんっと、椅子の背もたれに足を叩きつけた。
靴底がめり込む椅子のせもたれ、位置は男の顔の位置であり、スナゴがやれば十分男の顔を粉砕できる位置だった。
「あー、スナゴが切れた」
背後でトリトンが戦慄しているのも無視し、スナゴは男を睨んでいった。
「女性を産むだけの腹だと思い込んでるその脳みそ、本当にふざけないでよ。舐めた事言うと次はあなたの顔にお見舞いするよ」
「っ!?」
こんな蛮行を許した事が無いのだろう。
誰も動けない。空気は凍り、時が止まる。
「アシュレイがあなたみたいな最低屑と同じ考えで、私の婚約者になったなんて思わないでくれる? 信じられない。自分の考えがすべてだと思っている頭の変な人なんでしょう。だから追い出した相手を偉そうに、戻って来いなんて言えるんだ。そこは自分が悪かった、どうしてもあなたが必要だ、戻ってきてくださいと自分から頭を下げる道理じゃないの」
「……」
「あなたの失敗のしりぬぐいを、アシュレイにさせないで。アシュレイは巫子長に戻らない。うちの村で暮らすの。アシュレイ自身もここになんて来たくなかったけれど、それをきちんと言うためにわざわざ来てくれたの。なのになにそれ。出迎えもしないで偉そうにふんぞり返って。程度とお里が知れるってものよ」
ぽかんと、何も言えないで動けないでいる男はまだ十分に若かった。アシュレイの父とは思えない、兄位だ。
その相手を見下ろしみくだし、スナゴは足をどけて男に背を向けた。
その瞬間だ。
男が彼女の手を掴んだのは。
「お前、名前は」
「え?」
「っ、答えるな!」
男が真顔で、アシュレイと似たように整った面差しで問いかけ、答えようとした声は慌てた声のアシュレイに止められた。
駆け寄るアシュレイがスナゴを背後に隠し、膨れ上がる何かを発する。
そしてこれまた非常に不機嫌になった、トリトンが彼らの前に出た。いつでも着替えられるように、服の紐が緩められている。
「他人の婚約者だって言ってんのに呼ばって妻どおうたあ、スナゴの眼は確かだ、あんた屑だな陛下とやら」
「よばって……つまどおう……意味が分からないよトリトン先輩」
どちらも聞き慣れない言葉だ。問いかけてもおかしくない。
「呼ばうってのは求婚。名前を尋ねて答えてもらって、呼び続ける求婚の儀式。妻どうってのは結婚だ。古い方法だが、拘束力は普通以上の物になる」
今にも陛下をかみ殺しかねないトリトンの代わりに、答えたアシュレイも不機嫌が丸出しだった。
「いや、私絶対にこの狗族と結婚なんてしないよ、アシュレイの方がいい雄だし」
スナゴの見事な拒否に、ぶっとトリトンが噴出してから彼女を見た。
「俺はどうだスナゴ」
「トリトン先輩は、別格の頼もしさ」
「言うと思ったぜ」
彼女の断言に、機嫌を少し上昇させたらしい。
トリトンはずいと男に顔を寄せ、牙をむきだした若干恐ろしい笑顔で聞いた。
「世の中あんたの思い通りになる事の方が、少ないって若いうちに分かってよかったな、アシュレイのお兄さん」
「よく分かったな」
アシュレイが感心したように言えば、彼は当たり前だと鼻を鳴らす。
「血統たどるのなんてすぐだろ。これだけ近けりゃ看破も楽だ。母親違いだろ。歳は大体四つ違いだな」
「トリトン先輩の前で、そういう嘘は言えないね」
「当たり前だ、うちの村の嗅覚の良さを舐めるな」
そこまで言い切り、トリトンは二人を前にやった。
「さっさと帰るぜ、スナゴが言う事全部言っちまったから、言うことねえし」
「おう」
「都見物はさすがに無理だよね」
「何だスナゴ、興味が?」
「村の皆で分け合えるなにか、面白いものがあればいいなと思って」
「だったらどこかで宿をとり、一日だけ回って帰ろう。二人が持っている砂金の大粒は、それが十分できるからな」
「それはいい」
陛下などまるでいなかったように、三人の会話が始まり、しかし陛下はそれを許さない。
「お前たち、私をないがしろにして予定など立てるな」
「あんたは呼んだ。俺らは回答した。俺らの意志は覆らない。覆させない。結果は変わらない。問答は終わり、違うのか」
陛下の言葉すらこれで終わらせる、トリトンの明快な言葉だった。
一瞬これでいいのか、と思う位の速い言葉ではあった。
宮殿内に入って、少し歩いていた辺りで、トリトンが周囲の事で言い出し始めた。
「丹を塗るのが魔除けなの」
「赤色と雌の月の物って言ったら魔除けだろうが。火事から逃れる魔除け中の魔除け」
「ああ、だから竈のあたりには赤い布をぶら下げてるのか、うちの村」
「今頃気付いたのかよ」
そんなやり取りに、アシュレイがのんびりとした声で言う。
「そこまで詳しく考えた事が無かった、これは大陸渡りの塗料で、丹ではないのは知っているんだが。そうか、トリトン先輩の村はそういう古い儀式をよく知っているんだな」
「時が止まっているって言ってもいいんだぜ、このあたりを見ると俺の知っている物が何もなくて、結構ぐちゃぐちゃした気分になる」
確かに。スナゴも見慣れない物が多すぎるが、これはあれだ。
縄文時代と鎌倉時代の違い位の文明の差だ。
平安すっ飛ばしている。
「大丈夫、ちゃんと早く帰れるようにするから」
アシュレイも長居をする気分じゃないのだろう。
女官の先導で歩いていたと思えば、どこの回廊を回ったかわからないまま、大きな扉の前に出る。
精緻な彫刻、非常に細かい。これを作るのは一生の大仕事だろうな、と感じる物がそこにあった。
「陛下はこちらでお待ちです」
女官はそれ以上言わず、扉を開ける。
心の準備も何もできていない、と慌てたスナゴとは対照的に、トリトンは目を細め、彼女から手を放す。かすかに前に出た体。
アシュレイはやや緊張したらしく、顔が少しこわばった。
音を立てて開く扉、開閉に合わせて鳴る仕組みか、涼しい音が響いた。
そしてまっすぐ正面が、数段高くなり、そこに豪華な椅子が置かれている。
「……少し顔を見ない間に、ずいぶんふてぶてしくなったものだな、巫子長アシュレイ」
「その名前はあなたが取り上げてしまったもの。もはやおれの名前はただのアシュレイ。巫子長はナリエ殿とあなたが決めた」
その椅子の主が言ったとたんに言い返すその、神経の太さ。
「ちょっと、ただのアシュレイなのに陛下とか言う肩書の偉そうな相手に、許可なく発言していいの」
スナゴは慌てて彼の袖を引いた。
「ここで言い返さなければ、いつ言い返すんだスナゴ」
「確かにな」
「トリトン先輩まで」
常識人が常識を捨てた、とスナゴは引きつった顔になる。
トリトンのなかでは陛下という肩書が、どれくらいえらいのか想像がつかないから、この対応でも仕方がないのだが。
アシュレイはわかっているよね、と分かっていてこれなの。
これはもめそうだと思ったその時だ。
「その雌、匂いのなさからするともしや……異世界族か」
陛下が目を光らせた。スナゴは慌てて、背後に隠そうとするトリトン先輩の背後に入った。
更にさりげない動きで、その陛下の視線から隠すアシュレイ。
三人とも、異世界族という単語と目の輝きから、かなり厄介な物を引き寄せる、と判断したのだ。
「私の婚約者です」
先手を打ったアシュレイ。だから手を出すな、という警告だ。
「なるほど、巫子長アシュレイが戻りたがらないのも道理、異世界族という確実に子をなす事が出来る相手を、手に入れれば戻りたがらないのも道理」
スナゴは口元がひくひくと動いた。
その言い方ってないだろう。
まるで子供を産む腹だけが重要視されているような言い方。
「子供を産むかわからない雌しかいない都よりも、己の系譜を継がせるにはちょうどいいものな、アシュレイ」
この時スナゴはぶちっと何かが切れた。
その道具扱いの思考回路ふざけるな、である。
そしてアシュレイがそんな考えを持っていると思っている考えかた、ふざけるな、である。
彼女はグイと二人を押しのけた。
滅多にない行動である。
うげ、と彼女の怒りに気付いたトリトンが場を開け、怪訝な顔のアシュレイをそっと離す。
スナゴは周囲の誰もが動かないのをいい事に、がつがつと木靴で靴音を荒く立てながら、その陛下の前に立った。
そして。
がんっと、椅子の背もたれに足を叩きつけた。
靴底がめり込む椅子のせもたれ、位置は男の顔の位置であり、スナゴがやれば十分男の顔を粉砕できる位置だった。
「あー、スナゴが切れた」
背後でトリトンが戦慄しているのも無視し、スナゴは男を睨んでいった。
「女性を産むだけの腹だと思い込んでるその脳みそ、本当にふざけないでよ。舐めた事言うと次はあなたの顔にお見舞いするよ」
「っ!?」
こんな蛮行を許した事が無いのだろう。
誰も動けない。空気は凍り、時が止まる。
「アシュレイがあなたみたいな最低屑と同じ考えで、私の婚約者になったなんて思わないでくれる? 信じられない。自分の考えがすべてだと思っている頭の変な人なんでしょう。だから追い出した相手を偉そうに、戻って来いなんて言えるんだ。そこは自分が悪かった、どうしてもあなたが必要だ、戻ってきてくださいと自分から頭を下げる道理じゃないの」
「……」
「あなたの失敗のしりぬぐいを、アシュレイにさせないで。アシュレイは巫子長に戻らない。うちの村で暮らすの。アシュレイ自身もここになんて来たくなかったけれど、それをきちんと言うためにわざわざ来てくれたの。なのになにそれ。出迎えもしないで偉そうにふんぞり返って。程度とお里が知れるってものよ」
ぽかんと、何も言えないで動けないでいる男はまだ十分に若かった。アシュレイの父とは思えない、兄位だ。
その相手を見下ろしみくだし、スナゴは足をどけて男に背を向けた。
その瞬間だ。
男が彼女の手を掴んだのは。
「お前、名前は」
「え?」
「っ、答えるな!」
男が真顔で、アシュレイと似たように整った面差しで問いかけ、答えようとした声は慌てた声のアシュレイに止められた。
駆け寄るアシュレイがスナゴを背後に隠し、膨れ上がる何かを発する。
そしてこれまた非常に不機嫌になった、トリトンが彼らの前に出た。いつでも着替えられるように、服の紐が緩められている。
「他人の婚約者だって言ってんのに呼ばって妻どおうたあ、スナゴの眼は確かだ、あんた屑だな陛下とやら」
「よばって……つまどおう……意味が分からないよトリトン先輩」
どちらも聞き慣れない言葉だ。問いかけてもおかしくない。
「呼ばうってのは求婚。名前を尋ねて答えてもらって、呼び続ける求婚の儀式。妻どうってのは結婚だ。古い方法だが、拘束力は普通以上の物になる」
今にも陛下をかみ殺しかねないトリトンの代わりに、答えたアシュレイも不機嫌が丸出しだった。
「いや、私絶対にこの狗族と結婚なんてしないよ、アシュレイの方がいい雄だし」
スナゴの見事な拒否に、ぶっとトリトンが噴出してから彼女を見た。
「俺はどうだスナゴ」
「トリトン先輩は、別格の頼もしさ」
「言うと思ったぜ」
彼女の断言に、機嫌を少し上昇させたらしい。
トリトンはずいと男に顔を寄せ、牙をむきだした若干恐ろしい笑顔で聞いた。
「世の中あんたの思い通りになる事の方が、少ないって若いうちに分かってよかったな、アシュレイのお兄さん」
「よく分かったな」
アシュレイが感心したように言えば、彼は当たり前だと鼻を鳴らす。
「血統たどるのなんてすぐだろ。これだけ近けりゃ看破も楽だ。母親違いだろ。歳は大体四つ違いだな」
「トリトン先輩の前で、そういう嘘は言えないね」
「当たり前だ、うちの村の嗅覚の良さを舐めるな」
そこまで言い切り、トリトンは二人を前にやった。
「さっさと帰るぜ、スナゴが言う事全部言っちまったから、言うことねえし」
「おう」
「都見物はさすがに無理だよね」
「何だスナゴ、興味が?」
「村の皆で分け合えるなにか、面白いものがあればいいなと思って」
「だったらどこかで宿をとり、一日だけ回って帰ろう。二人が持っている砂金の大粒は、それが十分できるからな」
「それはいい」
陛下などまるでいなかったように、三人の会話が始まり、しかし陛下はそれを許さない。
「お前たち、私をないがしろにして予定など立てるな」
「あんたは呼んだ。俺らは回答した。俺らの意志は覆らない。覆させない。結果は変わらない。問答は終わり、違うのか」
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