逃げた村娘、メイドになる

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第十九話 感覚のずれている商人

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「信じられないわ、普通に考えて、侍女にするから紅茶をぶちまけていいわけがないじゃない!」

「そうですよ、いささか失礼すぎではありませんか。あなた、それとなく陛下にいう事は出来ませんか?」

「私としても厳重に抗議したい気持ちでいっぱいだ。いくら王女殿下に甘い陛下でも、熱い紅茶を人に被せる事はさすがに、人として躾け直さなければならないと思うだろう」

「……まあそのおかげで、王子殿下に出会い、すぐに帰していただけたのですが」

「第三王子殿下は、王女殿下と年が近い分、何かと苦労しているんだろうな……」

「王女殿下も、デビュタントするまで、誕生祭くらいでしか、現れませんでしたもの。私、知らなかったわ、王女だって事だけで、人の冠を奪い取るなんて」

「その後も、サイヴァは耳飾りを壊されたではありませんか。サイヴァのその耳飾りは、麗しの国の住人と交流できる、貴重な魔法道具であるというのに……」

「奥方様、これでよかったという事もありますよ。これが壊れた以上、王女殿下が、私を侍女として召しだす理由はどこにもなくなりましたもの」

そこだけは本当に良かった、とサイヴァは思っている。
彼女が侍女になれ、と呼びつけられた理由は、この耳飾りを扱える、たった一人だったからだ。
その問題の耳飾りが、こんなに粉々に壊れてしまったのだから、もう、王女はサイヴァを呼び出せないはずだ。
つまり縁が切れたわけである。サイヴァとしては、あんな王女と二度と接触したくないため、好都合な結果になったわけである。

「でも、少しだけ惜しいわ」

リリージュが言う。サイヴァの顔をちょっと見てこう続けた。

「私、あの商人さん、少しだけど、気に入っていたの。デビュタントの冠を、誠実な値段で売ってくれようとしたじゃない? 普通こちらの足を見て、もっと高額にしそうな物なのに」

「確かにあの麗しの国の商人は、なかなか誠実ではありましたね。確かに、二度と会えないのは少しばかり、残念かもしれません」

リリージュと奥方様が言う事を聞いて、旦那様が慌てた声で言う。

「お前たち。仮にもう一度、彼と出会えたとしたら、今度こそ陛下が出て来るからやめないか。このあたりの国の王族たちは、狸の国の装飾品の奪い合いをしているんだから」

「そうですね、わざわざ災いになる事を、自分から招き寄せてはいけませんね」

サイヴァが言うと、お嬢様も奥方様も、そうだった、と言いたそうな顔をした。
彼女たちは、大変だった時に、それなりに親切かつ丁寧に接客していた、あの商人を気に入っていたというだけの話だろう。
耳飾りを壊された以上、その交流は二度とないはずだ。
サイヴァもそう思っていた。
そんな会話をした、夜の事である。
彼女はリリージュの部屋と比べると、大きさは三分の一ほどである自室……養女になってから頂いた部屋だ……の中で、耳飾りをよく眺めていた。
壊されてしまった事がとても残念な、綺麗な細工の耳飾りでしかない。

「きっと商人さんは、親切でこれをくれたんだろうに……壊してしまってごめんなさい」

彼女が小さくそう言った時の事だ。
きいきい、とクロゼットが軋んだ。まるで返事をするかのように。

「……ん?」

その音は当然サイヴァも気付いた音で、何か衣類が引っ掛かったのだろうか、と彼女は立ち上がった。
皆寝る時間という事もあってか、部屋にメイドは誰もいない。
そんな中一人で、サイヴァはクロゼットの扉をそっと開いたのだ。
すると……

「え……?」

クロゼットの中に扉があった。それも耳飾りを投げた時に出てきた扉と同じ形の、扉だ。
そんな事あるのだろうか。そんな魔法があるのだろうか。
さすがに疑ったサイヴァが、扉のあたりにある鍵穴を見つけ、返してもらった鍵をそのカギ穴に入れて見た。
鍵は合わないだろう、と思ったのだが、がちゃんと言うしっかりとした音を立てて、鍵が開く。

「……ええええ……」

私ってそんなに、麗しの国と縁があるのだろうか、麗しの国の商人はどうして、私に会いたがるのだろうか、こんな事をするのだろうか。
そんな事を思った彼女が、開いた扉の中を、そっと覗くと、だ。

「耳飾りが壊れちまったなあ、メイドさん、いいや、今はお嬢さんか」

ぽう、と天井などに浮かんでいた明かりが、ついて、中が彼女の目でも覗けるようになった。
店の中は、何もなかったように、前に見た時から変わらない。

「……あなたは、私が最初に会った商人さんなの?」

「おう、そうだとも。お嬢さんに最初に声をかけたのも、お嬢さんに耳飾りを渡したのも、このおれさ」

行李の山の中の、隙間に座っているようなその男が、煙管片手に答える。そこでサイヴァは、その空間が、不思議な香りに包まれている事に気が付いた。

「……でも、私、……本当の事を言ってもいいの?」

「本当の事を言われて、怒ると思われたのか、おれは。安心してほしいな、怒らない」

「じゃあ……」

サイヴァは、思ってしまった事を、正直に言う事にした。

「こうして特別扱いされるの、迷惑かもしれない」

そうだ、最初に声をかけてもらった時は本当に救いの手だったけれども、耳飾りの一件があってから、サイヴァは考え直したのだ。
この、麗しの国の住人と接触がある事は、自分の平穏な生活にとって問題がある、と。
耳飾りがなければ、義両親たちは牢屋に入れられたかもしれない。
でもその耳飾りが、サイヴァ以外の誰も受け付けなかったから、彼女は紅茶を被ったのだ。
そして結果的に、耳飾りも壊されたわけである。
彼女の言葉を聞き、その商人がちょっとだけ眉をあげた。
意外そうに。

「誰だって、おれと出会えたらうれしくないのか」

「あなたの扱っている商品が特別すぎるんだもの。王女様も欲しがって、。聞けば国王陛下も欲しがっているらしいじゃない」

「でも、最初は喜んでただろう」

「最初は、お嬢様の冠が手に入るからうれしかったよ、でもその後、お嬢様は綺麗すぎる冠を被っていたから、その冠を奪い取られて、髪をばっさり、切り落とされて散々な目に遭ったもの」

利益不利益で言ったら、不利益の方が大きかった、とサイヴァが言うと、商人は腕を組んだ。

「それは悪い事になっちまったな。じゃあ、お嬢さんは、おれの特別なお客さんになるのは嫌なのか」

「特別なんていらないよ……」

「なるほど、なあ。だったらううん、そうだな、こうしよう」

狸の国の商人が、ぽんと手を打つ。

「次に、お嬢さんが狸の国の商人にあわせろ、と言われた時のために、おれの固定の店の住所を書いておこう。これならどうだ、いいだろう」

「住所なんてあるの?」

「あるんだなこれが。おれの工房は、リヴァンストン領に一番近いんだ」

言いながら、商人がさらさらと羊皮紙に何かを書き込み、封筒に入れる。

「明日か明後日の間に、この手紙が届くようにしておくから、待っててくれよ、そうしたらお嬢さんは、ただ、偶然、狸の国の住人の住所を知る事になっただけのお嬢さんになるわけだ。人間ってのは面倒だなあ、恩返しがしたいってのに、なかなかうまくいかなくってよう」

「……え、人間じゃない……?」

サイヴァが目を見開き、問いかけを発しようとした時、柔らかくいい匂いの風が吹き、サイヴァはクロゼットの前に立っていた。

「……」

もう一度クロゼットを開けても、そこは普通に衣類が入っているだけの場所だった。

「夢……でも前に見た夢の時は、耳飾り渡されたし、狸の国の夢って、ただの夢じゃないのかも」

しれないな、とサイヴァは思い、もう夜も更けたので眠る事にした。


そして翌々日の事だ。

「あら、不思議だわ、サイヴァに手紙が届いているわ」

「どなたからでしょう、私は社交界にもどこにも交流がないのに……」

「見せてみせて」

リリージュが自分あての手紙を受け取った時、偶然宛名が義妹の物を見つけたらしい。
サイヴァも、誰かに見せて困るわけではないので、その手紙を執事から受け取り、そっと開いてみた。

「商人からの手紙だわ」

形式はそうなのだろう。サイヴァも手紙を開くと、それはどこかの店への地図だった。

「地図、って事はここに店があるって事なのね」

隣から、失礼にならないように覗いていたリリージュが言う。

「商人の名前は?」

「イストファーンと書かれています」

「イストファーンですって?」

サイヴァが何気なく言ったその名前を聞き、奥方様が、滅多に上げない声をあげた。

「それは、麗しの国の王族の姓ですよ! もしかしてその手紙は、麗しの国の誰かが、サイヴァにあてた手紙では?」

「きっとあの商人からだわ、他に考え付かないもの。きっと耳飾りが壊れたから、今度はお店に普通に道を通って行けるように、案内してくれたのだわ」

夢が夢じゃなかった。
サイヴァはなんとも言えない気分になった後、こう言った。

「旦那様、これは私が行くより先に、王宮に報告するべきでしょうか」

「そうだな、それが先かもしれないな」

「……そうですわね、あらぬ疑いをかけられるよりも、報告した方がましかもしれません」

「お父様とお母様が、牢屋行なんて事、絶対嫌ですものね!」

でもたぶん、この住所に国王陛下たちは、たどり着けないのだろうな、とサイヴァは思った。
なんとなく、の直感でしか、ない事だったけれども。
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