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本編第六話 やさしい子供
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ただ子供は、母親の顔によぎった何かの色に気付いてしまったらしい。
そしてぎゅうっと体を抱きしめて、しばらくしてから、タマヨリは口を開いた。
「母様は時々、遠い所をじっと見るよね。町が嫌いなんでしょう? だったらタマヨリは、母様を悲しませたくないから、町に行ったりしないよ」
ずっと母親と一緒に暮らすのだ、と子供らしい事を言った息子に、ヒルメは笑いかけて、頭を撫でてこう言った。
「いいのよ」
子供の深い青色の瞳が、きょとりと瞬く。大粒の宝石よりもきらきらと輝くその瞳に映るものが、幸せであるようにと祈りながら、ヒルメは言葉を続けた。
「男の子は冒険したい心を、いつだって持っている。そう父様がおっしゃったわ。ついでにと言いながら、父様はいまだにそれが表に出まくっている、と言い訳していたわね。だからタマヨリが街に行って色々な冒険をしに行きたいと思ったとしても、それは全く不思議な事ではないわ。当たり前に思う事よ。それに……」
この願いだけは心から届いてほしい。ヒルメは言う。
「タマヨリは、どこにいてもどんな事になっても、母様と父様の大事なタマヨリよ。町に行きたいのだったら、父様に頼んでみましょうね。子供の好奇心を押し込めるのはよくないって、よく、父様が言うわ」
町に冒険しに行きたい。そんな子供の願いを見透かしたような言い方になってしまったらしい。タマヨリはバツの悪そうな顔になった。
だが好奇心は、それを上回った様子だ。
「うん! 父様連れて行ってくれるかな」
「注文された大きさの毛皮を、届けに行く事もあるから連れて行ってくれるわ」
子供のそんな願いを叶えない彼ではない。
そしてヒルメの顔が明るくなったからだろう。それを感じ取った子供が、ぎゅっとしがみついたまま、嬉しそうに笑った。
雨は一層強く降っている。窓の外に目をやったヒルメは、もしかしたら川の橋が流されているかもしれない、と思った。
夫は今日も帰れないかもしれない、と思いながらも、あの夫ならばどれだけ水が増した川でも、頓着せずに突き進み、ずぶぬれのびしょぬれの、そして泥まみれの、子供に見せてはいけない位汚れ放題の状態で帰ってきそうでもあった。
「本当に、こういう日は心細くなってしまうわね。父様が帰ってくるといいのに」
ヒルメが言うと、タマヨリが問いかける。
「オレじゃだめなの?」
「タマヨリは母様を掴み切れないでしょう? もっと大きくなって逞しくなったら、タマヨリに守ってもらいましょうかしら」
そんな未来の話をしても、彼女は知っている。そんな時になったならば、己はこの子の盾になり頽れると。
子供の危機に、ただあたふたして、何もできないでいる弱い女である事も、貴族的な平凡な貴婦人になる事も、もはやヒルメの望みではないのだから。
「明日は、学校に行く前に、母様と川の様子を見に行きましょう。それで、川をきちんと見てから、学校に行くかどうかを決めましょうね」
川の流れが急な場合は危険だ。橋が万が一流されてしまったら、子供は助からない。
近寄っただけでも、足をとられたら溺死する。
そういう事故もあるのだ。子供は大丈夫だと思っても、実際には全く大丈夫ではない川の状態の場合もある。
彼女がきっぱりと言ったから、大事な事だとわかっているタマヨリが頷く。
「母様は、村の誰よりもそういう物を見極めるのが上手だって、ニギミのおばあちゃんが言ってたって。母様が伝説の中の天女みたいに詳しいって」
そこで思いついたらしい。
「母様は、羽衣をとられちゃって、ここにいるの?」
それはまったく現実的ではない。
だから優しく言った。
「違うわ、母様は人間よ、そして大事なタマヨリの母様よ。羽衣なんてものは、生まれた時から持っていないわ。それに痘痕の残ったこの顔を天女だなんて、ニギミ君のおばあさまはうれしい事を言ってくれるわ」
「母様は、村の誰よりもきれいだよ?」
「違うわ。父様が一番よ」
つい真顔で言ってしまったヒルメに、タマヨリが考えながら言う。
「父様は、ヒトの綺麗な感じじゃないなって思う。ねえ母様、もしかして父様が、天から下りて来て、母様と結婚したの?」
「さあ、そこまで詳しく聞いた事がないから、分からないわ」
「今度聞いてみる! はやく父様、帰ってこないかな」
それからひとしきり話していた子供は、夜になると疲れたのか、布団に入れるとあっという間に眠ってしまった。
その後も、母は窓を眺め、雨を眺めて、雷の音を聞いていた。
雷の音がとても近い。
「ヒハヤ、雨がすごいわ。あなたはどうしているかしら」
そしてぎゅうっと体を抱きしめて、しばらくしてから、タマヨリは口を開いた。
「母様は時々、遠い所をじっと見るよね。町が嫌いなんでしょう? だったらタマヨリは、母様を悲しませたくないから、町に行ったりしないよ」
ずっと母親と一緒に暮らすのだ、と子供らしい事を言った息子に、ヒルメは笑いかけて、頭を撫でてこう言った。
「いいのよ」
子供の深い青色の瞳が、きょとりと瞬く。大粒の宝石よりもきらきらと輝くその瞳に映るものが、幸せであるようにと祈りながら、ヒルメは言葉を続けた。
「男の子は冒険したい心を、いつだって持っている。そう父様がおっしゃったわ。ついでにと言いながら、父様はいまだにそれが表に出まくっている、と言い訳していたわね。だからタマヨリが街に行って色々な冒険をしに行きたいと思ったとしても、それは全く不思議な事ではないわ。当たり前に思う事よ。それに……」
この願いだけは心から届いてほしい。ヒルメは言う。
「タマヨリは、どこにいてもどんな事になっても、母様と父様の大事なタマヨリよ。町に行きたいのだったら、父様に頼んでみましょうね。子供の好奇心を押し込めるのはよくないって、よく、父様が言うわ」
町に冒険しに行きたい。そんな子供の願いを見透かしたような言い方になってしまったらしい。タマヨリはバツの悪そうな顔になった。
だが好奇心は、それを上回った様子だ。
「うん! 父様連れて行ってくれるかな」
「注文された大きさの毛皮を、届けに行く事もあるから連れて行ってくれるわ」
子供のそんな願いを叶えない彼ではない。
そしてヒルメの顔が明るくなったからだろう。それを感じ取った子供が、ぎゅっとしがみついたまま、嬉しそうに笑った。
雨は一層強く降っている。窓の外に目をやったヒルメは、もしかしたら川の橋が流されているかもしれない、と思った。
夫は今日も帰れないかもしれない、と思いながらも、あの夫ならばどれだけ水が増した川でも、頓着せずに突き進み、ずぶぬれのびしょぬれの、そして泥まみれの、子供に見せてはいけない位汚れ放題の状態で帰ってきそうでもあった。
「本当に、こういう日は心細くなってしまうわね。父様が帰ってくるといいのに」
ヒルメが言うと、タマヨリが問いかける。
「オレじゃだめなの?」
「タマヨリは母様を掴み切れないでしょう? もっと大きくなって逞しくなったら、タマヨリに守ってもらいましょうかしら」
そんな未来の話をしても、彼女は知っている。そんな時になったならば、己はこの子の盾になり頽れると。
子供の危機に、ただあたふたして、何もできないでいる弱い女である事も、貴族的な平凡な貴婦人になる事も、もはやヒルメの望みではないのだから。
「明日は、学校に行く前に、母様と川の様子を見に行きましょう。それで、川をきちんと見てから、学校に行くかどうかを決めましょうね」
川の流れが急な場合は危険だ。橋が万が一流されてしまったら、子供は助からない。
近寄っただけでも、足をとられたら溺死する。
そういう事故もあるのだ。子供は大丈夫だと思っても、実際には全く大丈夫ではない川の状態の場合もある。
彼女がきっぱりと言ったから、大事な事だとわかっているタマヨリが頷く。
「母様は、村の誰よりもそういう物を見極めるのが上手だって、ニギミのおばあちゃんが言ってたって。母様が伝説の中の天女みたいに詳しいって」
そこで思いついたらしい。
「母様は、羽衣をとられちゃって、ここにいるの?」
それはまったく現実的ではない。
だから優しく言った。
「違うわ、母様は人間よ、そして大事なタマヨリの母様よ。羽衣なんてものは、生まれた時から持っていないわ。それに痘痕の残ったこの顔を天女だなんて、ニギミ君のおばあさまはうれしい事を言ってくれるわ」
「母様は、村の誰よりもきれいだよ?」
「違うわ。父様が一番よ」
つい真顔で言ってしまったヒルメに、タマヨリが考えながら言う。
「父様は、ヒトの綺麗な感じじゃないなって思う。ねえ母様、もしかして父様が、天から下りて来て、母様と結婚したの?」
「さあ、そこまで詳しく聞いた事がないから、分からないわ」
「今度聞いてみる! はやく父様、帰ってこないかな」
それからひとしきり話していた子供は、夜になると疲れたのか、布団に入れるとあっという間に眠ってしまった。
その後も、母は窓を眺め、雨を眺めて、雷の音を聞いていた。
雷の音がとても近い。
「ヒハヤ、雨がすごいわ。あなたはどうしているかしら」
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