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ちょっと聞く限りでは、晴美ばかり面倒な事を押しつけられているように聞こえるかもしれないだろう。
事実、部下である林は、依里に小さな声でこう聞いてきたのだ。
「副料理長、地元ではいいように使われているんですか……? だったら早くそれがおかしいって気が付かせないと。うちの一番の凄腕が、そんな召使いのように」
「……今から聞く会話で、その勘違いはなくなると思う」
依里は、まあそんな事を第三者は思うだろう、と理解があったので、助手席でカーステレオで流れている、どこかの歌謡曲を楽しそうに鼻歌で歌っている晴美に、声をかけた。
「晴美、実家に帰ったら、ちょっとはゆっくりしたいんじゃないのか」
「はあ? ヨリちゃん、いきなり何を言い出すのかと思ったら。堂々と! 後ろめたさなしに! 好きなだけ! お正月に食べたい煮物を! これでもかと作れるのに! 何でゆっくりのんびりさせようとするの! おれがお正月に向けての年末のこれが、一年で一、二、を争う楽しみだって知ってるでしょ!」
それを聞いた林が脱力した。これでいらぬ勘違いは瞬く間に解けたであろう。
前述した事もあったと思うが、大鷺晴美の好きな事は料理なのである。
しかし、子供の頃はそんなに好き勝手台所に立つ事も出来ず、大好きな作業だという大量調理は、大きな行事がなければ絶対に出来ない事だった。
そのため、大量調理という、他人が聞くと気が遠くなりそうだったり、絶対に出来ないと思うような事は、有名ホテルの副料理長という天職を手に入れた今でも、晴美にとっては一年で数回しかないお楽しみ行事なのだ。
クリスマスの大乱闘が好きなのも、これが起因しているかもしれない。
つまり、材料と機材さえそろっていれば、晴美という男は十数軒分のお節料理など恐れるものでも、イヤになるものでもないのだ。
「……副料理長が、手作業大好き、地味な下処理大好き、そしてどんな大量注文でも余裕を崩さないのってこう言うところが始まりだったりするんですね」
「何だ? ハルの部下さんの、林さんは、こいつの大暴走を見た事が一回もないのか?」
そう話しかけてきたのは、運転している先輩こと、貴森ではなく、後ろに座っていた元同級生の安田である。
「色々理解の追いつかない人だというのは、まあ知っていますけど、大暴走って何があってそんな言い方に」
「こいつは地域の祭りで、農協と手を組んで同好会の一環だと教師陣を言い負かして、大量の定食を格安で提供するブースを仕切った」
「あの年は俺達も全員大集合で駆り出されて、馬車馬のように働かされたな」
「あれは大変だった……」
依里も思わず同意した。晴美の逸話の一つとして、それは間違いなくあがる事だった。
農協の野菜をもっと食べよう、というテーマで、農協から提供された大量の野菜で、格安定食を提供し、あのブースやべえ、と当時言われたのだ。
晴美が味を決めるので、当時でもものすごくおいしい物で、定食が異様においしい、と噂が広がり広がり、祭りは土日二日間の開催であったというのに、日曜の昼に全て食材がなくなり、惜しまれながらそのブースは終わったのである。
そしてそこで終わらなかったのが晴美と、今いる同級生男子達の同好会活動であり、彼等は定食のメニューの主菜や副菜、そして軽食として出していたおにぎりのレシピを無料配布したのである。
あまりのおいしさに、自宅でもこれが食べられれば、と言う主婦や、野菜嫌いの子供達が、これなら食べる、と家族にねだったりしたので、そのレシピもあっという間になくなったのであった。
そういう事が晴美にとっての楽しい事、浮き足立つ事、テンションの高くなる事であるので、お節料理大量作成は、全く苦行ではないのだった。
「当時……大鷺先輩は、高校生ですよね? その頃からそれだけ卓越した料理の技術を?」
林が問いかけるのももっともで、いったいいつから晴美という男が料理の能力を特化させたのか、と言うのは気になるものだろう。
その質問に対して、答えを投げたのは本人だった。
「おれ小学校の頃、学校いくのいやで、出席日数ぎりぎりくらいしか学校行かなかったんだよね。その頃、家にいるなら家事が出来なきゃ、ってわけでばあちゃんとかじいちゃんとか父さんとかに、色々習って、その時にいっちばん楽しいと思ったのが、料理なんだよね。だから時間があれば図書館で借りた料理本とか読んで、作れそうな物を作って。ねー、ヨリちゃん。ヨリちゃんと兄ちゃんに、いっぱい試食させたよね」
「やたら勘が鋭くて、失敗してたのはほんの数週間だけだったよな。後は無難になって、無難になったと思ったらやけにおいしくなって、そこからはもう、普通じゃ食べられないおいしい物に進化した」
「ねー」
「だから俺達みたいな、高校からの同級生とかは、完全無敵の状態のハルの料理しか知らないんだ」
そんな会話をしていた時だ。
いい子でチャイルドシートに座っていた娘ちゃんが、はっきりと言ったのだ。
「ママのご飯のほうが絶対おいしい!」
一瞬男達が黙る。どう言えば少女を怒らせないか、考えたらしい。
だが、晴美の料理ばかりほめられているのが、少女にとっては気に入らなかった様子で、彼女は大声で言う。
「ママの方が、百倍おいしいもん!」
「え、当たり前じゃないの」
どう返すかと視線を合わせていた面々は、晴美が至極当然の事しか言われていない、という調子で言い切ったので、全員がそちらを見た。
少女も、まさかべた褒めされている人間が肯定するとは思っても見なかったのだろう。
目をまん丸にしている。
「だって、娘ちゃんのお母さんの料理って、お母さんが、娘ちゃんや、お父さんや、赤ちゃんのために、おうちの事だって一生懸命に考えて作ってるものでしょ? おれの、おれがおいしいと思う物を作りたいって言う考えで作るものより、百倍娘ちゃんにとっておいしくなる、お母さんの優しさって物がたーくさん入っているんだから、そりゃお母さんの作る物の方がおいしいよ」
「……パパ、そうなの?」
「うーん、そうだよな。ママの料理っていつ考えても心がこもってて、嫁ちゃんすげえって毎回感謝してる、パパも」
「パパ、ママにいつもありがとうって言うし、おいしすぎるって泣いちゃうもん」
「そっかー! 先輩めっちゃすごいお嫁さん来てくれたんだ! 大事にしなくちゃだめだよ!!」
「大事にしてるに決まってんだろう!」
照れたのか、運転席の貴森が晴美を軽く小突いた。この程度はなれきったスキンシップなので、誰も止める事はしなかった。
ただ、娘がそうなのか、と納得した調子でこう言った。
「パパ、ママにたまにやーだー! って叩かれるけど、パパも、やーだー! ってハルちゃん叩くのね、一緒なんだね」
事実、部下である林は、依里に小さな声でこう聞いてきたのだ。
「副料理長、地元ではいいように使われているんですか……? だったら早くそれがおかしいって気が付かせないと。うちの一番の凄腕が、そんな召使いのように」
「……今から聞く会話で、その勘違いはなくなると思う」
依里は、まあそんな事を第三者は思うだろう、と理解があったので、助手席でカーステレオで流れている、どこかの歌謡曲を楽しそうに鼻歌で歌っている晴美に、声をかけた。
「晴美、実家に帰ったら、ちょっとはゆっくりしたいんじゃないのか」
「はあ? ヨリちゃん、いきなり何を言い出すのかと思ったら。堂々と! 後ろめたさなしに! 好きなだけ! お正月に食べたい煮物を! これでもかと作れるのに! 何でゆっくりのんびりさせようとするの! おれがお正月に向けての年末のこれが、一年で一、二、を争う楽しみだって知ってるでしょ!」
それを聞いた林が脱力した。これでいらぬ勘違いは瞬く間に解けたであろう。
前述した事もあったと思うが、大鷺晴美の好きな事は料理なのである。
しかし、子供の頃はそんなに好き勝手台所に立つ事も出来ず、大好きな作業だという大量調理は、大きな行事がなければ絶対に出来ない事だった。
そのため、大量調理という、他人が聞くと気が遠くなりそうだったり、絶対に出来ないと思うような事は、有名ホテルの副料理長という天職を手に入れた今でも、晴美にとっては一年で数回しかないお楽しみ行事なのだ。
クリスマスの大乱闘が好きなのも、これが起因しているかもしれない。
つまり、材料と機材さえそろっていれば、晴美という男は十数軒分のお節料理など恐れるものでも、イヤになるものでもないのだ。
「……副料理長が、手作業大好き、地味な下処理大好き、そしてどんな大量注文でも余裕を崩さないのってこう言うところが始まりだったりするんですね」
「何だ? ハルの部下さんの、林さんは、こいつの大暴走を見た事が一回もないのか?」
そう話しかけてきたのは、運転している先輩こと、貴森ではなく、後ろに座っていた元同級生の安田である。
「色々理解の追いつかない人だというのは、まあ知っていますけど、大暴走って何があってそんな言い方に」
「こいつは地域の祭りで、農協と手を組んで同好会の一環だと教師陣を言い負かして、大量の定食を格安で提供するブースを仕切った」
「あの年は俺達も全員大集合で駆り出されて、馬車馬のように働かされたな」
「あれは大変だった……」
依里も思わず同意した。晴美の逸話の一つとして、それは間違いなくあがる事だった。
農協の野菜をもっと食べよう、というテーマで、農協から提供された大量の野菜で、格安定食を提供し、あのブースやべえ、と当時言われたのだ。
晴美が味を決めるので、当時でもものすごくおいしい物で、定食が異様においしい、と噂が広がり広がり、祭りは土日二日間の開催であったというのに、日曜の昼に全て食材がなくなり、惜しまれながらそのブースは終わったのである。
そしてそこで終わらなかったのが晴美と、今いる同級生男子達の同好会活動であり、彼等は定食のメニューの主菜や副菜、そして軽食として出していたおにぎりのレシピを無料配布したのである。
あまりのおいしさに、自宅でもこれが食べられれば、と言う主婦や、野菜嫌いの子供達が、これなら食べる、と家族にねだったりしたので、そのレシピもあっという間になくなったのであった。
そういう事が晴美にとっての楽しい事、浮き足立つ事、テンションの高くなる事であるので、お節料理大量作成は、全く苦行ではないのだった。
「当時……大鷺先輩は、高校生ですよね? その頃からそれだけ卓越した料理の技術を?」
林が問いかけるのももっともで、いったいいつから晴美という男が料理の能力を特化させたのか、と言うのは気になるものだろう。
その質問に対して、答えを投げたのは本人だった。
「おれ小学校の頃、学校いくのいやで、出席日数ぎりぎりくらいしか学校行かなかったんだよね。その頃、家にいるなら家事が出来なきゃ、ってわけでばあちゃんとかじいちゃんとか父さんとかに、色々習って、その時にいっちばん楽しいと思ったのが、料理なんだよね。だから時間があれば図書館で借りた料理本とか読んで、作れそうな物を作って。ねー、ヨリちゃん。ヨリちゃんと兄ちゃんに、いっぱい試食させたよね」
「やたら勘が鋭くて、失敗してたのはほんの数週間だけだったよな。後は無難になって、無難になったと思ったらやけにおいしくなって、そこからはもう、普通じゃ食べられないおいしい物に進化した」
「ねー」
「だから俺達みたいな、高校からの同級生とかは、完全無敵の状態のハルの料理しか知らないんだ」
そんな会話をしていた時だ。
いい子でチャイルドシートに座っていた娘ちゃんが、はっきりと言ったのだ。
「ママのご飯のほうが絶対おいしい!」
一瞬男達が黙る。どう言えば少女を怒らせないか、考えたらしい。
だが、晴美の料理ばかりほめられているのが、少女にとっては気に入らなかった様子で、彼女は大声で言う。
「ママの方が、百倍おいしいもん!」
「え、当たり前じゃないの」
どう返すかと視線を合わせていた面々は、晴美が至極当然の事しか言われていない、という調子で言い切ったので、全員がそちらを見た。
少女も、まさかべた褒めされている人間が肯定するとは思っても見なかったのだろう。
目をまん丸にしている。
「だって、娘ちゃんのお母さんの料理って、お母さんが、娘ちゃんや、お父さんや、赤ちゃんのために、おうちの事だって一生懸命に考えて作ってるものでしょ? おれの、おれがおいしいと思う物を作りたいって言う考えで作るものより、百倍娘ちゃんにとっておいしくなる、お母さんの優しさって物がたーくさん入っているんだから、そりゃお母さんの作る物の方がおいしいよ」
「……パパ、そうなの?」
「うーん、そうだよな。ママの料理っていつ考えても心がこもってて、嫁ちゃんすげえって毎回感謝してる、パパも」
「パパ、ママにいつもありがとうって言うし、おいしすぎるって泣いちゃうもん」
「そっかー! 先輩めっちゃすごいお嫁さん来てくれたんだ! 大事にしなくちゃだめだよ!!」
「大事にしてるに決まってんだろう!」
照れたのか、運転席の貴森が晴美を軽く小突いた。この程度はなれきったスキンシップなので、誰も止める事はしなかった。
ただ、娘がそうなのか、と納得した調子でこう言った。
「パパ、ママにたまにやーだー! って叩かれるけど、パパも、やーだー! ってハルちゃん叩くのね、一緒なんだね」
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