君と暮らす事になる365日

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それから依里は柳川の妹さんのお願いという事もあり、今現在彼女が暮らしている、おばあさまのお屋敷で、お茶をする事になった。
というのも

「お食事会の最後に、あんなものを見せてしまって申し訳ないから、お詫びと思って招待されてほしい」

と言った事を言われてしまったためだ。さすがに依里はそれを断る図太い神経の持ち合わせはない。さらに言えば断って、柳川の心証を悪くして、仕事に影響が出るなんて事があってはたまらないのだ。
せっかく働きやすい仕事の量になってきたのに、またどこかの激務の場所や、窓際業務にされてはたまらないのだ。
そんなわけで、依里は彼女たちが乗ってきた高級車に同乗し、立派過ぎるほど立派な日本庭園付きのお屋敷に、招待される事となった。
庭師の手入れが行き届いた、それはそれは素敵なお屋敷である。古さはあっても古臭さはない。趣はあってもぼろっちくはない。そんな、素晴らしいお屋敷である。
畳はつやつやとした色をしていて、板敷の間は磨き抜かれた鏡のように艶やかで、深い色をしているのだ。
こんな立派なお屋敷に足を踏み入れる事なんて、人生に一回あるかどうかだろう、と依里は思ってしまった。
何というか、格という物が違い過ぎる、自分が場違いにしか思えない場所である。
しかしそこで暮らし馴れている、柳川のお嬢様とおばあ様は、にこにことした笑顔で、お茶をお手伝いさんに出してもらい、彼女に向き直ったのだ。

「あの、聞いてもよろしいかしら」

「あなた、あなたはまず自己紹介からよ、名前をきちんと名乗っていないじゃありませんか」

「いけない、私ったら興奮しすぎていて」

お嬢さまは、おばあ様に言われた事ではっと気が付いたらしく、軽く頭を下げて名前を名乗った。

「自己紹介をすっかり忘れていました、私は柳川水葉と言います」

「環依里と言います。お食事に誘っていただいていたのに、名前を名乗る事も忘れるなんて、すみません、失礼すぎました」

「私たちも名乗り忘れていたのだから、お互い様という事にしましょう、私は柳川薫子というのよ」

おばあ様、薫子が穏やかに言う。そこで水葉が、目を輝かせて、依里に問いかけてきた。

「あの、あなたは大鷺シェフと、幼馴染なのでしょう? 彼はどんなものが好きなのかしら」

頬を染めた色と言い、目の輝かせ方と言い、依里はこれに見覚えがあった。よくそれを脇で見てきたという事でもある。
そのため、まずはこれを聞いた方がいいだろう、という事で問いかけた。

「ぶしつけかもしれませんが、まさか晴美に一目ぼれを?」

「まあ! 私はそんなにわかりやすいかしら?」

「恋する乙女は美しくなりますからね」

「おばあ様ったら」

頬をぱっと赤く染めた水葉を見て、依里は言うしかねえな、という事にした。

「……晴美……大鷺は、恋愛には向かない男ですよ。たぶん」

「どうして? 恋人がいたのでしょう? 彼だって恋愛をして来たのではないかしら」

「私が知る大鷺は、高校時代までで、大学時代は知り合いからの噂が流れてくる程度だったのですが……あいつ、来るもの拒まず去るもの追わず、を実践している男のようだったので」

「恋多き男性だったのでしょうか?」

「……そういうわけでもなく、好きって言われたから付き合う、別れようって言われたから別れる、というかなり受動的な付き合いを繰り返していたそうで……最終的には外国に留学に行って、遠距離恋愛が出来なくて別れてから、そう言った付き合いをしなくなった、と聞いています」

もてあそばれた、と泣く女子生徒はいなかったらしい。
ただ、甲斐性なしだとか、女心がまるで分っていないとか、見た目はいいのに頭の中身についていけないとか、言われまくった大学時代だったと、依里は共通の知り合いから聞いていた。
ちなみにお付き合いをしていても、物凄く清らかなお付き合いの事が多かったらしく、どの女子もキスどまりで終わったらしい。あいつに性欲はあるのか、と大真面目に言った知り合いがいたな、と下世話な事を依里は思い出した。

「それなら……彼は恋愛という物を、きちんと経験していないのだわ」

「自分から追いすがって手に入れた彼女がいない、という事を見てそう判断するのは、まあ間違いではないかと思いますよ」

依里が、晴美は恋愛に不向きだ、と評するのはそこである。
恋愛とはお互いがお互いに向き直り、心を読みあい、気持ちをぶつけあう物でもある。お互いに執着しあう物でもある。
だが晴美にはそれがない。
好きと言われたらうれしいから付き合う。
別れようと言われたら、寂しいけれど相手の願いだから別れる。
といった傾向が強く、

絶対に別れたくない

と言えるほどの相手と付き合った事がない男であるため、相手の女子が抱く、そう言った感情が分からないであろう男なのだ。実に恋愛には不向きな男である。
あれだけの見た目の男だから、童貞は捨てていそうだが……そこらへんの下の話は、依里も聞いていないし興味もわかないので、知らない訳だったが。

「先ほど、来るもの拒まず去るもの追わず、と言っていたけれど、今でもそうだと思います?」

水葉が問いかけて来る。彼女は結構本気で晴美の事が好きな様子だ。見た目が抜群にいいから、それのフィルターでもかかっているんじゃないかな、と依里は内心で思いつつ、こう言った。

「今、という意味ではだめだと思いますよ」

「どうして?」

「今、晴美はクリスマスのケーキの新作を考える事で、頭がいっぱいみたいなので。噂で聞いた恋愛遍歴の中でも、そう言った状態の時に告白した女子は、「今人間いらない」といって断られて、泣いた人もいるとか」

来るもの拒まず去るもの追わず、の傾向にある男だから、フリーなら大丈夫、と思って勇気を出して告白したのに、返答が「今人間いらない」はなかなかである。
大学時代、そういってクリスマス付近に告白した女子が断られて、刃傷沙汰になったという話は、大学では伝説の修羅場になったと、依里は知人から教わっていた。

「なので、今の晴美に何か言っても、やっぱり同じように言われかねないかと。ねらい目は正月明けではないかと思いますね」

なんで私は恋愛のサポートをしているのだろう、と思いつつも、依里は意地悪な事は言わなかった。
水葉は優しそうだし、いい女性のように見える。大変クズな婚約者と縁が切れたのだから、もっといい縁に巡り合ってほしい。とは思う。かかわったから。
それに、断る言葉のなかでも「人間いらない」よりひどい断り方もそうそうないだろう。そう言う言葉で断られるよりは、ましな方向に進んでほしいわけだ。

「クリスマスに、ディナーに誘っても、断られてしまうのね……」

「かき入れ時だって、熱が入っていそうですからね、晴美は」

「……」

しょんぼりと、水葉が落ち込んだ顔をする。日本の恋愛的な方面で言うのなら、クリスマスは接近のチャンスだし、話題に事欠かないし、思い出にもなりやすいだろう。
しかし晴美にそれは通用しないのだ。
この六年間は、おそらくクリスマスから年末年始にかけて、調理場に寝泊りしていたのではなかろうか、と依里はこっそり推測するくらいである。
あっけらかんと、休み少なかったし、と言っているような奴である。労働法ぎりぎりまで、働かされていても依里としては、驚かない。

「ほかに、彼の記憶に残りそうなイベントって何かないかしら」

「うーん……」

依里は腕を組んだ。規格外かつ常識が通じない側面が多い男の、記憶に残りそうなイベント……イベント……
依里はあきらめ気味に頭を振った。

「すみません……思いつかないです……」

ああ、でも、もしかしたら。

「何か美味しくて素敵な物を、差し入れとして用意したら、記憶には残るかもしれません」

「美味しくて素敵なもの?」

「晴美は昔から、食べ物をくれた人間の事だけは、忘れないという変な所で発揮される記憶力があったので、そこを狙えば、印象を残す事は出来るんじゃないかと」

「だったら、彼は何が好きかしら」

「おはぎ、ぼたもち、みたらし団子、ふかしいも、栗あん……」

依里はうなり声をあげながら、晴美が幼少期から、用意されていると目を輝かせたおやつをあげていく。幼馴染という事もあり、昔大好きだったものは忘れていないのだ。

「チョコレート入りキャラメル、草餅、おやき……」

「古風なものが好きなのね」

薫子が、不思議そうに言う。依里は、まあ、と言葉を続けた。

「晴美のおやつは、近所の皆さまの御裾分けや、祖父母が用意するお腹に溜まるものの事が多かったので」

栗の御裾分けをもらったら栗あんが大量生産されて、近所のお茶会の際のお菓子の素材として使用され、サツマイモやジャガイモが収穫されれば売り物にならない物を毎日飽きもせずに食べたり、近所におすそ分けしたり。依里の実家付近はそう言った、物々交換が通用する地域だったのだ。
草餅に至っては、近所の山でヨモギをつんで、個人経営の和菓子屋に持って行くと作ってもらえる、もち米を使わない独自の草餅だった。よくそれが食べたいからと、春先に山に登る晴美についていったものだ。あいつは一人で山に登らせると、夜になっても帰って来ないという事をしたので。

「……ほかに彼が好きなものって何かしら」

流石に、こう言った懐かしのおやつ関係は、用意が難しいと判断したのだろう。水葉がどうしよう、と言いたそうだったので、依里はさらっと答えた。

「あなたが、間違いなくおいしいと思っているパティスリーの焼き菓子詰め合わせなんてどうでしょう」

「そんな物でいいの?」

「きっと喜びますよ、たくさん用意して、皆さんで食べてくださいと渡したら」

晴美は美味しい物を、一人ではなく皆で食べる事を、好む男である。
ファンからの差し入れで、そう言ったものが料理人全員あてで用意されたら、きっと忘れないだろう。
それ位は、晴美を知っている依里だ。
事実高校時代、晴美は何か美味しい物をもらったら、ご近所の皆さまに声をかけて振る舞い、美味しいと喜んでもらえると、とろけるような嬉しそうな笑顔で笑ったのだから。
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