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「ヨリちゃん、キッチンにいつもの手袋出しっぱなし。またなんか喧嘩したの?」
今日晴美は仕事が遅い、と連絡が入っていたため、依里は勝手に食事をとった。ご飯と納豆、それから味噌と鰹節をお湯でとかした、味噌汁みたいなものである。
食事をとり、片付けて、部屋でぼんやりしていると、扉が開けられての発言だ。
依里は一応言った。
「ノックが必須だろうが。着替えてたらどうするんだ」
「そっか、もうヨリちゃんも、着替えてたら気にする年になったんだ」
「あのなあ、とっくにそうだっての……着替えを見られても気にしない馬鹿は、お前の方だ」
「だって気にならないもの。でもなんだかとっても疲れているな、ヨリちゃん。いったい何があったの? やっぱり喧嘩したの?」
「あのなあ、なんでも私と喧嘩を結び付けるな。不良相手に喧嘩を買ってたのは、中学の時だけだから。大学時代にはとっくに卒業してたっての」
「えーだって、大学で、女の子がどうしても彼氏と縁切れなかったら、ヨリちゃん頼れって言ってたよ、腕っぷしが強いから、いざって時とっても頼りになるって」
「だから私は、大学時代に修羅場に立ち会わされてばっかりだったのか……?」
「でもそれ、おれが、ヨリちゃん喧嘩無双って言ってからだけど」
「原因お前かよ!」
依里は盛大に突っ込んだ。まさか修羅場に、付き添いとして巻き込まれていた原因が、この幼馴染だったとは想定外だったのだ。
だがこいつが喋ったのなら、噂として結構しっかり広まるだろう。何せ発言も目立てば見た目も目立つ男だったのだから。
「ったく、お前なあ……あんまりそういう話題、広めるなよ」
「ヨリちゃんが、弱い子にやさしかったのはいつもでしょう? 何が悪いの?」
「面倒事に巻き込まれるのは、ごめんなんだよ」
「……ごめんね?」
「よく分かってないのに、謝るのはやめろ。分かってないの明白だからな」
この幼馴染は、面倒事も日常だったせいか、区別があまりないらしい。少し首を傾げた馬鹿に、依里は疲れた息をついた。
「で、お前の用事って何? グローブ渡しに来ただけ?」
「ううん! 冷蔵庫に、お店の試作品の残りが入ってるから、教えなくちゃと思って」
「試作品?」
試作品を持ち帰るって、どれだけ作ったんだ? そんな事を依里は考えてしまった。
だが晴美はのんびりしたものだ。
「そろそろ、新作のスイーツを出さなくちゃいけないから、皆で考えてるんだ。おれは皆のアイディアを作る側だけど」
「作る側なのか」
「だって皆のアイディア作るの、とっても楽しいんだもの。今日は三種類くらいかな。クリスマスのディナーに間に合うようにって、新しい上司が言ってたからさ、皆急いでるんだ」
「クリスマスは、お前の職場めちゃくちゃ忙しそうだもんな」
「忙しいよ、でも本店と客層が違うらしいから、おれも張り切る方面替えろって、上司に言われちゃった」
「本店は豪華だったもんな……」
「え、ヨリちゃん知っているの? お店に来た事ないのに」
「今の時代、SNSという情報交換手段があるだろ、見た目も芸術的だから、写真は一杯で回ってるんだぞ」
「おれSNSよくわかんない!」
断言するな。依里はじっとりした目を向けたわけだが、向けられた側はまったく気にならないらしい。神経が太いせいだろう、絶対。
「でも、ヨリちゃんがおれの働いてるお店気にしてくれてたなんて、うれしいな」
笑顔で言う奴に、依里は脱力して、こう言った。
「お前、特集組まれるカリスマだろ……」
依里の言葉に、晴美はきょとんとした後首を横に振った。
こいつ自覚欠片もないのな、と依里はそこで大体察した。
自覚がないからこそ、この男は自由気ままなのだろう。
そしていつまでたっても、厨房で下働きと同じ事を、厭わずやるのだろう。
「この前、動画配信サイトに、配信されてただろ、お前」
「えっと……どれ?」
「どれって、自分が何に出演したのかも覚えていない訳か」
自分の興味のある事にしか、記憶力を発揮しない問題児なら、なるほどありえる話だろう。
きっと上司とか仲間とかが、色々面倒を見てくれているに違いない。
大変な幼馴染で申し訳ない……と誰に言うでもなく、依里は心の中で謝罪した。
「テレビカメラいっぱい来てるもの。元々、おれの働いているホテルって、とっても取材されるところだし、厨房も見に来るし、どれがおれの特集かなんて知らないよ」
「知らないって……出演しててそれはありなのか?」
「だって興味ないもの。でも上司とか、仲間が、出てくれって言うから、うん、って言ってるだけ」
おれ、本当は配信してる、簡単お料理チャンネルの方が好きなんだけど、そっちより取材の方が多いみたいなんだよね、と晴美はあっけらかんという。
これだからこの男は。
そんな事を思った彼女であるが、彼女をまじまじと見た晴美が、こう言って来たのだ。
「やっぱりヨリちゃんお疲れだ。ねえねえ、一緒に貰って来たスイーツの試作品食べようよ」
「十代の頃じゃないんだぞ、腹のぜい肉になるだろうが」
「えー、ヨリちゃん細いよ」
「あのなあ……」
デリカシーがない。それは元々知っている。だからこの発言で、依里が晴美を怒る事は滅多にない。だって慣れているし、そこで怒っても意味がないと知っているからである。
「食べようよ、きっと元気が出るよ! 今回は笹山君がね、チョコレートムースケーキ試作したんだよ、あの子チョコレートのお菓子には、随一のこだわり持っているんだから!」
「うっ……」
チョコレートムースケーキ。聞くだけで魅惑の香りしか漂わない名前だ。
依里は、明日でもいいだろう、という思いと、今日は疲れたからご褒美が欲しいな、という思いと、腹のぜい肉、と頭の片隅に残っている罪悪感が、三つ巴の戦いを演じはじめた。
だが。
結局、今食べたい、今日は疲れた、ご褒美が欲しい、という即物的な意見が、他の意見をなぎ倒し、依里はゆっくりと立ち上がったのであった。
「うわあ、チョコレートの香りが芳醇」
「でしょう。これの調整に、思ったより時間がかかったんだって、笹山君が言った」
「甘いのにしつこくなくて、このムースの滑らかさ、とりこになりそう」
「しつこいムースって、くどくって、遠慮したくなるからそこは、笹山君と意見のぶつかり合いがあったんだよね、でも試食して、こっちの方がいいって事になったの。やっぱり、胃が重いって思いながらお客さんが帰るのは、よくないなあって」
「確かに、これならチョコレートでムースでクリームだけど、胃の中に入った時の感じが、ずっしり重たくないな」
依里は晴美と向かい合い、彼が持ってきたスイーツの試作品を口にしていた。ケーキは三個入っており、取り分としては、依里が二つで、晴美が一つ、と晴美が主張していた。
晴美は超がつく甘党なので、一個は確保したかったのだろう。試作しているなら、これから何回も食べるはずなのに。食い意地の張った奴である。
そうは思っても、依里は、高級ホテルのとろけるようなスイーツに、顔がでれでれと解けていた。
だって本当においしいのだ。寒いとチョコレートケーキの売り上げが上がるとは、以前見たテレビか何かで聞いた事だが、たしかに暑い時よりも、寒い方がおいしく感じられた。
「おいしい、いくらでも入りそう」
「そう言うお菓子目指してるもの。それにお店では、お持ち帰りも力入れるみたいだから、何回も買ってもらえる魅惑のお菓子、目指したいんだってさ」
「ああ確かに……二号店は店内のスペース狭いんだったっけ?」
「建物の都合上、本店みたいにうまくいかないって言ってた。だからお持ち帰りするリピーターが大事なんだってさ。おれ明日は、焼き菓子の調整してほしいって言われた。おれパティシエじゃないけど、なんでもできるから、現状を打開してほしいって言われちゃって」
「お前が作るお菓子も、最高においしいもんな」
「ふふふ、ヨリちゃんに褒めてもらうと、やっぱりうれしいや。上司とかに褒められてもうれしいけど、ヨリちゃんの方がうれしい」
「そこは力を認めてくれる、上司にしとけよ」
「気分の問題!」
そう言いながら、晴美が食べているのは、艶やかなフルーツタルトである。色々な果物ではなく、種類を絞ったもののようだ。
「そっちは?」
「これはね、お店の名物、旬のタルト。冬はイチゴが出回るから、食べ治めになるかな、と思ってもらって来たの。やっぱりこのヨーグルトクリームがおいしいな……」
「ふうん……」
晴美はタルトを食べながら、何か研究しているらしい。フルーツだけ少し食べて、クリームだけ少し舐めて、タルトを少しだけかじっている。
多分、どうやったらこの味になるのか、味覚で追及しているのだろう。
「お前のその食べ方、懐かしいな」
「よく、ケーキ屋さんのケーキ、こうやって食べて、お行儀が悪い! って怒られたもんね」
「それもお前の弟の誕生日だったろ、お前めちゃくちゃどやされたじゃないか」
「上の弟元気かな……」
「連絡とってないのか? お前家族好きなのに」
「ラインはしてるけど、あっちも仕事で都会に出てて、なかなか帰省しないから、会わないんだよね。たまに、兄ちゃんの飯食べたい、って愚痴はくる」
「お前の父ちゃん、お前と大違いで、絶対料理しなかったもんな。だからおじいさんとおばあさんが、支度してて、お前その手伝いして、部活やらなかったんだもんな」
「やっぱりさあ、弟には学校生活楽しんでほしいじゃん? だったら、おれが家の手伝いしなくちゃ。下の弟は、実家の後を継ぐって決めて、父さんにびしびし鍛えられてるって。あとじいちゃんとばあちゃんも、ぺしぺし鍛えてるから、心配いらないよって連絡が来る」
晴美はこんな奴だが、家族思いなのは間違いなく、そして家族がとても好きなのも、間違いない奴である。
しかし、料理人としてスカウトされて、夢を追うため、都会に出てきた長男なのだ。
そして、仕事が忙しい時は、世間様のお休みが多いため、なかなか帰省しにくいという事情があった。
「まあ、本店より、二号店の方が話しとおしやすいだろ、たまには実家に帰ってやれよ」
「うん、ヨリちゃん連れて帰る」
「あのなあ……」
「だって、下の弟なんてまだ、依里姉ちゃんに会いたい、また特訓に付き合ってほしいって言ってるんだからね?」
「とっくに私を追い抜かしていると思うんだけどな」
「やっぱり、中学時代の憧れって消えないものだよ」
そんな幼馴染らしい会話をしながら、依里は心底美味しいお菓子を、名残惜しく食べ終えた。
今日晴美は仕事が遅い、と連絡が入っていたため、依里は勝手に食事をとった。ご飯と納豆、それから味噌と鰹節をお湯でとかした、味噌汁みたいなものである。
食事をとり、片付けて、部屋でぼんやりしていると、扉が開けられての発言だ。
依里は一応言った。
「ノックが必須だろうが。着替えてたらどうするんだ」
「そっか、もうヨリちゃんも、着替えてたら気にする年になったんだ」
「あのなあ、とっくにそうだっての……着替えを見られても気にしない馬鹿は、お前の方だ」
「だって気にならないもの。でもなんだかとっても疲れているな、ヨリちゃん。いったい何があったの? やっぱり喧嘩したの?」
「あのなあ、なんでも私と喧嘩を結び付けるな。不良相手に喧嘩を買ってたのは、中学の時だけだから。大学時代にはとっくに卒業してたっての」
「えーだって、大学で、女の子がどうしても彼氏と縁切れなかったら、ヨリちゃん頼れって言ってたよ、腕っぷしが強いから、いざって時とっても頼りになるって」
「だから私は、大学時代に修羅場に立ち会わされてばっかりだったのか……?」
「でもそれ、おれが、ヨリちゃん喧嘩無双って言ってからだけど」
「原因お前かよ!」
依里は盛大に突っ込んだ。まさか修羅場に、付き添いとして巻き込まれていた原因が、この幼馴染だったとは想定外だったのだ。
だがこいつが喋ったのなら、噂として結構しっかり広まるだろう。何せ発言も目立てば見た目も目立つ男だったのだから。
「ったく、お前なあ……あんまりそういう話題、広めるなよ」
「ヨリちゃんが、弱い子にやさしかったのはいつもでしょう? 何が悪いの?」
「面倒事に巻き込まれるのは、ごめんなんだよ」
「……ごめんね?」
「よく分かってないのに、謝るのはやめろ。分かってないの明白だからな」
この幼馴染は、面倒事も日常だったせいか、区別があまりないらしい。少し首を傾げた馬鹿に、依里は疲れた息をついた。
「で、お前の用事って何? グローブ渡しに来ただけ?」
「ううん! 冷蔵庫に、お店の試作品の残りが入ってるから、教えなくちゃと思って」
「試作品?」
試作品を持ち帰るって、どれだけ作ったんだ? そんな事を依里は考えてしまった。
だが晴美はのんびりしたものだ。
「そろそろ、新作のスイーツを出さなくちゃいけないから、皆で考えてるんだ。おれは皆のアイディアを作る側だけど」
「作る側なのか」
「だって皆のアイディア作るの、とっても楽しいんだもの。今日は三種類くらいかな。クリスマスのディナーに間に合うようにって、新しい上司が言ってたからさ、皆急いでるんだ」
「クリスマスは、お前の職場めちゃくちゃ忙しそうだもんな」
「忙しいよ、でも本店と客層が違うらしいから、おれも張り切る方面替えろって、上司に言われちゃった」
「本店は豪華だったもんな……」
「え、ヨリちゃん知っているの? お店に来た事ないのに」
「今の時代、SNSという情報交換手段があるだろ、見た目も芸術的だから、写真は一杯で回ってるんだぞ」
「おれSNSよくわかんない!」
断言するな。依里はじっとりした目を向けたわけだが、向けられた側はまったく気にならないらしい。神経が太いせいだろう、絶対。
「でも、ヨリちゃんがおれの働いてるお店気にしてくれてたなんて、うれしいな」
笑顔で言う奴に、依里は脱力して、こう言った。
「お前、特集組まれるカリスマだろ……」
依里の言葉に、晴美はきょとんとした後首を横に振った。
こいつ自覚欠片もないのな、と依里はそこで大体察した。
自覚がないからこそ、この男は自由気ままなのだろう。
そしていつまでたっても、厨房で下働きと同じ事を、厭わずやるのだろう。
「この前、動画配信サイトに、配信されてただろ、お前」
「えっと……どれ?」
「どれって、自分が何に出演したのかも覚えていない訳か」
自分の興味のある事にしか、記憶力を発揮しない問題児なら、なるほどありえる話だろう。
きっと上司とか仲間とかが、色々面倒を見てくれているに違いない。
大変な幼馴染で申し訳ない……と誰に言うでもなく、依里は心の中で謝罪した。
「テレビカメラいっぱい来てるもの。元々、おれの働いているホテルって、とっても取材されるところだし、厨房も見に来るし、どれがおれの特集かなんて知らないよ」
「知らないって……出演しててそれはありなのか?」
「だって興味ないもの。でも上司とか、仲間が、出てくれって言うから、うん、って言ってるだけ」
おれ、本当は配信してる、簡単お料理チャンネルの方が好きなんだけど、そっちより取材の方が多いみたいなんだよね、と晴美はあっけらかんという。
これだからこの男は。
そんな事を思った彼女であるが、彼女をまじまじと見た晴美が、こう言って来たのだ。
「やっぱりヨリちゃんお疲れだ。ねえねえ、一緒に貰って来たスイーツの試作品食べようよ」
「十代の頃じゃないんだぞ、腹のぜい肉になるだろうが」
「えー、ヨリちゃん細いよ」
「あのなあ……」
デリカシーがない。それは元々知っている。だからこの発言で、依里が晴美を怒る事は滅多にない。だって慣れているし、そこで怒っても意味がないと知っているからである。
「食べようよ、きっと元気が出るよ! 今回は笹山君がね、チョコレートムースケーキ試作したんだよ、あの子チョコレートのお菓子には、随一のこだわり持っているんだから!」
「うっ……」
チョコレートムースケーキ。聞くだけで魅惑の香りしか漂わない名前だ。
依里は、明日でもいいだろう、という思いと、今日は疲れたからご褒美が欲しいな、という思いと、腹のぜい肉、と頭の片隅に残っている罪悪感が、三つ巴の戦いを演じはじめた。
だが。
結局、今食べたい、今日は疲れた、ご褒美が欲しい、という即物的な意見が、他の意見をなぎ倒し、依里はゆっくりと立ち上がったのであった。
「うわあ、チョコレートの香りが芳醇」
「でしょう。これの調整に、思ったより時間がかかったんだって、笹山君が言った」
「甘いのにしつこくなくて、このムースの滑らかさ、とりこになりそう」
「しつこいムースって、くどくって、遠慮したくなるからそこは、笹山君と意見のぶつかり合いがあったんだよね、でも試食して、こっちの方がいいって事になったの。やっぱり、胃が重いって思いながらお客さんが帰るのは、よくないなあって」
「確かに、これならチョコレートでムースでクリームだけど、胃の中に入った時の感じが、ずっしり重たくないな」
依里は晴美と向かい合い、彼が持ってきたスイーツの試作品を口にしていた。ケーキは三個入っており、取り分としては、依里が二つで、晴美が一つ、と晴美が主張していた。
晴美は超がつく甘党なので、一個は確保したかったのだろう。試作しているなら、これから何回も食べるはずなのに。食い意地の張った奴である。
そうは思っても、依里は、高級ホテルのとろけるようなスイーツに、顔がでれでれと解けていた。
だって本当においしいのだ。寒いとチョコレートケーキの売り上げが上がるとは、以前見たテレビか何かで聞いた事だが、たしかに暑い時よりも、寒い方がおいしく感じられた。
「おいしい、いくらでも入りそう」
「そう言うお菓子目指してるもの。それにお店では、お持ち帰りも力入れるみたいだから、何回も買ってもらえる魅惑のお菓子、目指したいんだってさ」
「ああ確かに……二号店は店内のスペース狭いんだったっけ?」
「建物の都合上、本店みたいにうまくいかないって言ってた。だからお持ち帰りするリピーターが大事なんだってさ。おれ明日は、焼き菓子の調整してほしいって言われた。おれパティシエじゃないけど、なんでもできるから、現状を打開してほしいって言われちゃって」
「お前が作るお菓子も、最高においしいもんな」
「ふふふ、ヨリちゃんに褒めてもらうと、やっぱりうれしいや。上司とかに褒められてもうれしいけど、ヨリちゃんの方がうれしい」
「そこは力を認めてくれる、上司にしとけよ」
「気分の問題!」
そう言いながら、晴美が食べているのは、艶やかなフルーツタルトである。色々な果物ではなく、種類を絞ったもののようだ。
「そっちは?」
「これはね、お店の名物、旬のタルト。冬はイチゴが出回るから、食べ治めになるかな、と思ってもらって来たの。やっぱりこのヨーグルトクリームがおいしいな……」
「ふうん……」
晴美はタルトを食べながら、何か研究しているらしい。フルーツだけ少し食べて、クリームだけ少し舐めて、タルトを少しだけかじっている。
多分、どうやったらこの味になるのか、味覚で追及しているのだろう。
「お前のその食べ方、懐かしいな」
「よく、ケーキ屋さんのケーキ、こうやって食べて、お行儀が悪い! って怒られたもんね」
「それもお前の弟の誕生日だったろ、お前めちゃくちゃどやされたじゃないか」
「上の弟元気かな……」
「連絡とってないのか? お前家族好きなのに」
「ラインはしてるけど、あっちも仕事で都会に出てて、なかなか帰省しないから、会わないんだよね。たまに、兄ちゃんの飯食べたい、って愚痴はくる」
「お前の父ちゃん、お前と大違いで、絶対料理しなかったもんな。だからおじいさんとおばあさんが、支度してて、お前その手伝いして、部活やらなかったんだもんな」
「やっぱりさあ、弟には学校生活楽しんでほしいじゃん? だったら、おれが家の手伝いしなくちゃ。下の弟は、実家の後を継ぐって決めて、父さんにびしびし鍛えられてるって。あとじいちゃんとばあちゃんも、ぺしぺし鍛えてるから、心配いらないよって連絡が来る」
晴美はこんな奴だが、家族思いなのは間違いなく、そして家族がとても好きなのも、間違いない奴である。
しかし、料理人としてスカウトされて、夢を追うため、都会に出てきた長男なのだ。
そして、仕事が忙しい時は、世間様のお休みが多いため、なかなか帰省しにくいという事情があった。
「まあ、本店より、二号店の方が話しとおしやすいだろ、たまには実家に帰ってやれよ」
「うん、ヨリちゃん連れて帰る」
「あのなあ……」
「だって、下の弟なんてまだ、依里姉ちゃんに会いたい、また特訓に付き合ってほしいって言ってるんだからね?」
「とっくに私を追い抜かしていると思うんだけどな」
「やっぱり、中学時代の憧れって消えないものだよ」
そんな幼馴染らしい会話をしながら、依里は心底美味しいお菓子を、名残惜しく食べ終えた。
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