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第二十話 演歌でも語りそうなやつ

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「うまいうまい! 天ぷらなんて久しぶりに食ったなあ! うまいうまい! このかき揚げはいろんな味がしていくらでもご飯が進むぞ!」

むしゃむしゃと大量の天ぷらが消えていく。玉ねぎの天ぷら、根菜の天ぷら、旬の青菜の天ぷら、それから茸の天ぷら、……とにかく、おばちゃんがありったけ余りものをあげたその天ぷらが、鍋狸の口にどんどん吸いこまれていく。
心底うまい、心底うれしい、鍋狸からはそんな空気しか感じ取れない。

「この玉ねぎの天ぷらのあまいことあまいこと、いくらでも食えるなあ、こっちの青菜の天ぷら、うまいなあ、油が染みててもいい揚げ油使ってんな、饐えた匂いがしねえ。あーうまい! 鶴もどんどん食べろ、おいらばっかり食べてちゃあ悪いだろう。それともそっちの魚の塩焼きが食いたいか?」

「……残り物はどうなるの?」

「明日また別のものに生まれ変わらせんだよ。ちなみに青魚はほぐして炒っちまえば、そりゃうまいふりかけもどきだ、一緒にゴマだの海苔だのいれればそんな臭くねえし。この天ぷらだって、余ったら明日天つゆでふわふわにして、どーんと丼ものにして食っちまう」

「ちゃんと食べ終える計算なんだ……」

「常備菜ってのはそんなに作らねえんだ、作っても残らねえんだよなこれが……」

これだけ食べる奴なのだから、一般的な常備菜の類だと、きっとすぐになくなってしまうんだろうな、と鶴は思った。
彼女も天ぷらを口に入れる。
記憶と同じだ。温かくて、紙で包んできたから、ちょっと衣に油がしみ込んでいて、中身の味に油の味が混ざってそれが、味を丸くする。尖った風味の物のはずが、ふんわり柔らかくて、それで。

「……おいしいね」

単純においしかった。記憶の中にしかもう存在しない、大好きだった両親をしのぶ味だった。

「だな、うん」

鍋狸は五度目のお代わりで、ごはんをよそった。もうどんだけ食べるのだ、と問いかけても答えは出てこないだろう。それ位食べている。
でも今日はいいじゃないか、今日は特別だ、ブンブクのために買って来た天ぷらなのだ、それと一緒にご飯が減って何が悪い。
鶴は甘く、とろける歯ごたえではない、しっかりした食感の玉ねぎを噛みしめ、甘い芋の天ぷらに手を付けた。
この甘い芋の天ぷらもまた、ほっくりとした食感に、油が一層甘さを強調して、これに天つゆがよくあう。
そして何より、おばちゃんのかき揚げは、小エビのプリッとした食感に、ニンジンやゴボウやそう言った少し味の強い野菜の細切りがよくあって、いくらでも入った。

「やっぱりうまいなあ。本当に久々だ。天ぷらは惣菜店に限る」

「……自分で作らないの?」

鶴は不思議に思って問いかけた。ブンブクの腕前だったら、揚げ物くらい楽勝な気がしたのだ。
だが。
その問いかけを放った途端、いきなり、家の照明が落ちたような気がした。
そして薄暗いような気がする中、卓の上で、まるでそこにだけ強調の照明でもついたように、ブンブクだけが照らされている。
一体何が始まるのだ。
鶴が怪訝な顔になった時、ブンブクがしゃもじ片手に語りだした。おい、先ほどまでむしゃむしゃ食べていたのに、どこにしゃもじを片手に取る時間があった、という疑問は置いておくべきか。

「あれは、暑い夏の日で……」

どこからともなく音楽でも流れてきそうだ、ちょっと古い音曲が聞こえてきそうな語り口だ。
ブンブクは朗々語りだす。

「あれは暑い夏の日で、おいらは修二郎に、今日は天ぷらだ、といった。修二郎はそいつは楽しみだと言ってうきうきして仕事に出かけて行った……おいらは、あいつが出来立てを食べられるように時間を測って、揚げ鍋に油を入れて、あいつが帰ってくるまでに全部作り終わろうと、揚げ始めた。
おいらは、ちょっと味見のつもりで、天ぷらを一つ食った。食ったら、今度は、全種類味見しにゃならないと、使命感に襲われた……これはうまくいった、これはちょっと油に入れ過ぎた、最後の天ぷらを揚げ終わった時、油を切っていた容器の中に、天ぷらはなかった……」

「……」

どんだけ天ぷら食べたんだ。鶴は口元が引きつった。この言い方だとかなりの量の天ぷらを揚げて、全部食べたとしか聞こえない。

「おいらは慌てた、修二郎がもう帰る! 急いで知り合いの総菜屋に都合してもらおうと思ったら、信じられない、定休日だった! おいらはもう散々焦りながら、家に残っていた野菜に、知り合いの漁師が暮れた川エビで、天ぷらを作った、要はかき揚げを作って、揚げる寸前に……あいつが帰ってきた」

ああ! と言いたそうにブンブクが言葉を続ける。

「あいつには、出来立て食わそうと思って待ってた、って事にした。おいらぁ、口が裂けても、言えなかった。用意したクルマエビも、いいところの甘薯、旬の青菜も、根菜も、皆みんな食っちまったなんて言えなかった。せっかく準備した白身魚も、探した茸も、長芋も、香味野菜の葉っぱも、皆おいらの腹ん中だなんて死んだって言えやしなかった。あいつが、揚げたてだ、うまいうまい、揚げたてが一番だって言うもんだからおいらぁ、天ぷらは下手みたいだから惣菜店に限る、って事にしたんだ……
おいらぁ決めた、おいらは、一人では天ぷら作らねえって。つまみ食いしねえ見張りがいない時じゃねえと、天ぷらは揚げねえって」

「……そんな理由で、作らない事にしたの?」

「だってよう、哀しいだろ」

照明が元に戻ったらしい。気付けばどこも同じ明るさで、ブンブクの上にも照明が特別あるわけではない。
大体この家の、台所の照明は丸い照明一つで、それのネジを回して明かりを調整したのは、鶴のはずであった。
今見せられたものは何だったんだろう……と言いたくなるが、聞いて答えが返って来るとは思えない。
それって、物凄いあこがれのケーキを、買って来たと言っていたのに、他の誰かが全部食べちゃったっていう感じなのだろうか。

「罪悪感しかねえだろうが。あいつには、今日は天ぷら揚げてやる、寄り道しないで帰って来いよって言ったのに、全部食っちまったんだから」

鶴は何も言えなかった。そういう感情を知らないから、共感も同感も出来なかったのだ。
そんなものなの、としか思えない。
だがブンブクにとっては忘れられない記憶なのだろう。

「一人で天ぷら揚げたりしないの」

「しねえよ」

ブンブクは優しい表情で、温かな物をにじませて、いった。

「修二郎が病院なのに、おいらだけうまいもの食うなんて、そんなの変だろ?」

このブンブクには、自分だけ美味しいものを食べるなんてありえない、という考えしかないのか。
それとも、

「うまいものは、修二郎と食わなきゃな。修二郎がもういないから、うまいものは、つると食わなきゃうまくねえよ」

当たり前の声で言ったブンブクに、言葉が出た。

「……今はおいしい?」

何言ってんだ当たり前だろう。そう言いたげにブンブクの眼が笑い、いう。

「最高にうまいな。もう何年振りかくらいに、美味しいぞ、つる」
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