上 下
5 / 51

思い出は温い匂いがする

しおりを挟む
だがしかし、鶴が本日寝袋で寝ることは叶わなかった。
というのも、鍋狸が顔をしかめて、ずいぶんと失礼なことを言い放ったのだ。

「おい、おいらの用意した仮お布団は気に入らないのか」

「……私の分も借りてくれたの」

「家主様どうしてどうして、そんなよれよれんのくったびれきった寝袋に何日も寝かせなきゃならないんだおいらは? そんな寂しい事させるなんて思うんじゃねえよ」

鍋狸にとって、家主がロフトでこのくたびれ切った使い込まれた寝袋で眠る事は、寂しい事らしい。
この鍋狸の基準はいまいちよくわからない鶴だったが、ブンブクの借りたという布団はふわふわとしていて、程よい弾力で体を包み込み、それはいいお布団だった。

「こんなお布団、実家でも使った事がない」

鶴の両親は、家と縁を切ったような物だったため、鶴の実家はあまり贅沢の出来ない環境だった。
父方の両親は早くに亡くなっていて、それもあって甘やかしてくれる祖父母、と言う物を鶴は修二郎しか知らない。
しかし規格外の資産家であった修二郎は、鶴を自宅に連れて行ってくれる事もなかったし、よくあるおじいちゃんの家にお泊り、という子供の頃の記憶を、鶴は持ち合わせていなかった。
そのため、いいお布団と言う物に縁がなかった彼女にとって、この鍋狸の用意した仮のお布団は、記憶の底をさらっても一等賞のお布団間違いなしだった。

「そうかいそうかい、でももっといい布団を用意させてるから、楽しみにしてくれよ」

「ブンブク、そのお金はどこから支給されているのかな?」

「米と一緒で、おいらにも付き合いってのがあるんだよ、その付き合いの中に含まれてるだけだ、金の心配なんてしなくていい」

鍋狸はちょっと胸を張る様子を見せ、

「疲れてるなら早く寝ろ、寝ないと疲れなんてなくならないんだからな! 修二郎の奴は寝坊助もいい所で、何にもしなくっていい日なんていったら日がな一日、おいらに家事をまかせっきりで布団でごろごろしてたんだぜ」

「いきなり教えられる爺様の思い出話が、あまりにもぐうたらすぎる!」

鶴は修二郎のそう言った物を、見聞きしたことがないため、あまりの中身に笑いが止まらなくなった。
それはいい休日だ。そしてブンブクは笑ってるし、思い出話としてそれは懐かしいいい物なのだろう。
この鍋狸が、爺様の嫌いな所をいきなり、孫に話すとも思えなかった。

「鶴の持ち物ってあのちんまりした鞄だけなんだろう、気に入りの肌掛けとかはなかったのか、大事な枕とかは」

「それを聞くと、爺様がいかにそういう物を持っていたのかが知れるね……」

鶴は肩をすくめて言った。

「借家を追い出されたって話をしたでしょう、その時に家にあるもの皆取られちゃったのよ。掃除代変わりとか言って。いきなりのことだったから、貴重品とかくらいしか、持って出られなかったの」

「ひでえ話だな、それは」

「だから、爺様が死んだ後の、遺産相続に呼ばれた時は、ああ、ちょっとましな家とか何か、爺様が私のために残してくれたんじゃないかって思ったのに……」

言いかけて、ブンブクに失礼では、と思う間もなく、狸が言葉を続けた。
にやりといたずらっけ満載の表情で。

「こんな荒れ果て切ったオンボロにしか見えない外側の、厨だったってか? でも鶴、考えようによってはものすごく幸運だぜ、鶴は」

「なんで?」

「おいらという、家事全般何でもこなせる有能な家政夫つきの何でもそろった家に入れたんだからよ」

「でも外側が」

「外側は人間避けに、入っても何のうま味もないように見せてあるだけさ。人によって見た感じが大きく違うし、その人間が一番入りたくないぼろさの外装に見えるように、調整がかけてある。ああ、なんかの機械で写し取ろうとしても、無駄さ。そんな物で写し取った場合、機械の中身が焼き切れる」

「何でそんな造りになってるの」

「修二郎の秘密の厨だったからさ。秘密のままにしておきたかったものだから、余計な奴らが興味だの邪推だので入ってくるのを嫌がった。嫁さんにだって内緒だったんだから」

「おばあちゃんにも? ここは内緒だったの?」

「そうさ。修二郎にとって、嫁さんと一緒の時間は何よりもすばらしかったんだが、時々大喧嘩になった時、人生経験豊かなおいらに、嫁さんへの謝り方を相談したかったんだ。だから秘密にしてあった。嫁さんのために、一生懸命に嫁さんがおいしいって言ってくれる飯を練習するあいつの、背中は笑えたなあ」

この狸鍋は、かなりの長生きなのか、と鶴は知った。
祖父修二郎の嫁さんと言える女性は、早々に亡くなったのだ。
それを知っているという事は、この鍋、八十は越えている。

「爺様とおばあちゃんって、死ぬまでいちゃいちゃしてたって聞いてたけど」

「まあな。嫁さんはだいぶ早く死んだからな。お前は修二郎とその嫁さんの血筋の匂いがちゃんとするぜ。修二郎は嫁さんが四十前に死んじまったから。その後愛人こさえて子供作って、結果どろっどろの遺産相続争いを作っちまったけど、子供も孫も全員愛してたぜ」

「母さんが言ってたよ。母さん爺様の一番目の奥さんの子供だから、その後の兄弟に憎まれてたって」

二番目三番目の奥さんの子供たちだって、きちんとした教育を受けたし、父親として祖父は時間が許す限り向き合って来たと聞いているのに、彼等は母を毛嫌いしたのだ。

「それは兄弟たちのやっかみだろう。嫁に行ったら縁でも切られたか?」

「……母さん、適齢期越えても結婚しなかったから、兄弟に無理やり縁組されて、当時家の使用人だった父さんと手に手を取って逃げたって。だから家系図から消されたって」

「はっはっは! そっか、じゃあお前の母ちゃんは、あのおてんばだった二番目か! 修二郎が笑ってたぜ、兄弟全員を相手取って、脱走劇なんてさすがわたしの子供だって。修二郎はその後もお前の母ちゃんとは交流があっただろう」

「あった。爺様いわく、一番優先順位が低くしなきゃいけなかったらしいけど、会いに来れる時は来てた。……その時のお土産が、私はものすごく楽しみだったね」

「ああ、あいつがとっておきの金平糖を手土産にしてたんだろう。あれは修二郎のとびっきりでな、嫁さんに求婚して、うんって言ってもらうために探し出したって思い出付きだ」

色とりどりの砂糖菓子に、そんな思い出があったとは。鶴は今まで知らなかったが、母は知っていたのだろうか。
数年前に事故で、父もろとも死んでしまった母に、尋ねる手段はもうどこにもなかった。

「さて、いろんな思い出話を聞きたいかもしれないけど、寝ろ、寝ろ! 寝られないなら分福茶釜の最強の子守歌を聞かせてやるさ」

「最強なの?」

「仲間内で、これに勝つ子守歌はないって太鼓判推してもらった」

鍋狸に仲間がいたのか……と思いながらも、実際に疲れていた鶴は、布団にもぐりこんだ。
眠りはあっという間に訪れて、いつ矢田部がロフトに上がってきたのかも、気付かないほどだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

処理中です...