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廃屋の台所にあった鍋が狸と自称する案件
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資産家にして、希代の美食家と言われた森泉修二郎が天命を全うした。
それ自体は平和な話だったのだが、ここからが問題だった。
彼が収集した珍品の数は数千。美術品から民芸品から、一見してガラクタのような品から、なにから。
美食家と言う気質からだったのか、食器なども相当な数を収集しており、好事家たちからすれば垂涎物の品物も多く所持していたという。
噂によれば、伝説と言われた職人の一点物のカトラリィを持っていた、幻ともいわれる皿を持っていたなどと言うものがある。
そんな中でもひそひそと、声高にではないが噂されている話がある。
森泉修二郎は、違法魔術が付加された品を手に入れていた。
「爺様が死んで遺産分配って聞いてたんだけど、なんで私だけこんながらくたばっかり押し付けられるの!」
とある豪華な屋敷で、女が明らかに肉親らしい周囲に文句を言う。
彼女に渡されているのは分配される遺産のリストらしいが、その中身に不満があるようだ。
「家を出たお前にも、与えてやろうっていうのに何を言うのだか」
年配の女性が彼女に言う。
そこを言われると弱いのか、彼女はぐっと黙るかに見えたが、黙らなかった。
「ゴミばっかり押し付けるんじゃないよ! そっちはすごい高価な物ばっかり持って行くのに、私には一っつもいい物がないじゃない!」
「これは皆で話し合って決めた事なんだから、お前が文句を言うな」
男性も彼女に言う。それに食ってかかる彼女。
「皆って私参加してないじゃないか! のけ者にしてごみの処分とかふざけないでよ!」
彼女はいかにリストの中身がガラクタばかりか言うのだが、その意見は聞き入れられない。
最終的には、呆れかえったような声でこう言われる始末だ。
「一軒家を渡されただけでもありがたいと思えばいいだろう、お前この前貸家を追い出されたんじゃなかったのか」
「使ってた部屋を大家が勝手に別の人に貸したの! 家賃ちゃんと払ってたのに!」
「これは公式文書としてしっかり提出したんだ、お前が今更ぐちぐち言うな」
びしりと突き出された、分配の書類である。きっちりと、公式のハンコまで押されてしまっている。
ただ文句を言って覆せるわけもない。
彼女は憤懣やるかたないという顔だったが、一つ念を押した。
「この分配された一軒家は、確実に私の物であっているのよね? 土地も所有権も何もかも」
「そうさ、あんなあば……少々古い家だからね、子供がいる家庭では使い勝手が悪くて」
「いまあばら家って言いかけたでしょ」
彼女はじろりとにらんだものの、これ以上文句を言っても何も変わらないと、分かっていたらしい。
非常に不承不承頷いた。
この女以外は、己の分配されたものに文句がないようだ。
当たり前かもしれない。女以外は平等に、貴重品などが配られているようなのだから。
となるとこの女は明らかに、貧乏くじを引いたゴミ処理なのだろう。
「さて、遺産分配の会議はこれで解散だ、さっくり決まってよかったよかった」
立ち上がったのは議長になった男、おそらく当主格である。
一方女は思い切り睨み付けながら、ぶぜんとして足音高く、その家を出て行った。
荷物は小さなトランクケース一つ分、女性の荷物としては間違いなく少ない方だ。
女は苛々とした足取りを隠すことなく歩き、延々と街の街路を歩いている。
「いくら鼻つまみ者扱いとわかってても、ゴミを渡されるとは思わなかった」
小さな声でいう彼女は、街路がどんどん雑になり、草が生えるようになり、とうとう石畳もなくなったあたりで足を止めた。
その場所に、一軒の家があったからだ。
家……である。断じて物置ではないと言いたい。
しかし見た目からして相当に古く、手入れもされていないひどい場所だ。
間違いなく雨漏りをしているだろう。
そしてぬりかべには穴が開いており、中のがらくたが積まれた様子が分かった。
とかくもう、これは断言したっていいだろう。
彼女は思わずつっこんだ。
「これ、絶対家じゃない」
このやろう、こんな所を押し付けて! と思った彼女であるが、もうここしか彼女が寝泊りできる場所はない。ここは旅籠が集まる区画からは遠く、街路を引き返していっても、宿泊の受付時間には間に合わない。
今日はどうあがいても、ここに寝泊りするほかないのだ。
彼女はじっと建物を見た後、事前に渡されていた古めかしい鍵を錠前に差し込んだ。
がっちゃんと音が響き、鍵の開く振動が伝わる。
息を吸い込み、中で何が起きていても悲鳴をあげない覚悟を決め、彼女は家の中に入って行った。
********
「……何なんだろう、この家」
彼女は、本日何度目かわからない言葉を繰り返し、家のなかを確認して回る。
外側は非常にぼろかった。外から見回す限りでは、間違いなくがらくたばかりが詰め込まれた廃屋に等しかった。
しかし中に入ると意外と……意外な程丁寧に作られている。
面積はかなり狭い物だが、倒壊しそうと思わせるいう外側とは裏腹な造り込みかただ。
そしてそこにみっちりと、みっちりと詰め込まれている得体のしれない物の山。
「用途が不明すぎるものばっかり……なんで鍋だけで軽く十個近くあるの」
彼女は料理に関しては一般程度の知識しかなく、多数の鍋の正しい用途が分からなかった。
それ位に、多いのだ。多すぎる。鍋にフライパンに中華鍋に……鍋と言う鍋が集まったかのような世界。
そこに調理用のボウルやら調理器具やらが、ダメ押しよろしく置かれている。
一見してゴミをぶち込んだ物置。とにかくもう、押し込んで押し込んだような状態。
しかし建物の造りがそれを裏切るのだ。
何なんだ一体。
彼女は息を吐きだした。家の間取りをしっかりと確認しただけで、もう、疲れ切ってしまうくらいに、実家からここまでの距離は遠かった。
多分騎獣とかを使えばもっと楽に行き来が出来るんだろうな、とは思う物の、怒りに任せて歩き出した結果、借りるのを忘れたのだ。
それのせいでとても疲れた。
ややぼろっちいカーテンの向こうを見ればもう夜だ、そろそろ眠ろうと台所の電球のネジを回せば、かりりりと音がして雷球が灯りを放つようになる。雷気は通っているらしい。
取りあえず物を置くため、間取りの中で一番広かった空間だけは軽く掃除をした。ざっと埃を払ってみるとやけに大きなダイニングテーブルには椅子が二脚存在し、来客の事が考えられているのだろうかと思わせた。
しかし椅子も高価なものとは言えない古ぼけたものだ。
ただ使い込まれて磨かれていた形跡が、あるだけ。
丁寧に、大事にされていた痕跡がうかがえるばかりだ。
ここに来客なんてあったんだろうか。
誰も座っていないならば、これだけ椅子の座面が擦り切れるわけもない。
つまり誰か来客が度々あったのだ。
だが今それを問題にするのは面倒くさい。
さらに言うと、この家寝室がなかった。寝室何処だよ、と間取りを確認して回っても、それらしき空間がなかったわけである。
本当に使えない謎の家だ。
爺様の遺産だけど、なんでこんなとこ、長い間残しておいたんだろう。
そんな風に思う位、価値がないように思えたのだ。
「寝袋を持っていてよかった」
締めきったぼろやは、まっとうな布団があるとも思えない。
あっても黴が生えたり虫が湧いたりしているはずだ。
仕事のために持っている、野外泊で使う寝袋があって、本当に良かった。
彼女は呟き、取りあえず食事をしようという事で出来合いの総菜をダイニングテーブルに並べた時だ。
「修二郎じゃねえな、客か?」
背後から妙に親しげな声がかけられ、彼女は総菜のトレイをひっくり返すところだった。
危ない所だった。このトレイは返品しなければならないものなのだ。
何とかしっかりと、トレイとその中の総菜を守った彼女は振り返り、誰もそこにいないので悲鳴を上げた。
「だ、だれっ!?」
誰もいない。だって玄関からも窓からも、誰も入ってこなかったのだから。
絶対に、声がかけられるわけがない。
しかし。
「ここにいるじゃねえか、見てくれよ!」
「え、ええっ!?」
大混乱でパニック一歩手前の彼女は、何とか声のした方に目をやる。
そこには、なんとも形容しがたい物があった。
形容しがたいもいい所、一体誰がこんな物を思い付くだろう。
「胴体が鍋の毛玉……」
「しっつれいだなぁ、お客人。修二郎がおいらの事だってちゃんと教えてないのか? そんな手際の悪い事するやつじゃねえんだが、耄碌したか? ついに!」
豪快な笑い声が響く。響かせたのは珍妙な毛玉。
その毛玉は、胴体が鍋だった。鍋にしては浅いが、フライパンと言うには深い。そして底は平らなのだが、縁はくるりと丸いのだ。そんな胴体に合体する、背中のような透明な蓋。
手足がくっついていて、それは毛深い茶色。
犬によく似た、でも絶対に犬ではない、狐なんてもってのほかのような小さな耳の、その生き物は目の周りが黒々としている。
未知の生き物だった。こんなもの古今東西聞いた事もなければ、見た事もない。
「は、舶来品だって聞いた事ない……」
変な物が数多く存在するという舶来品でも、こんな見た目の悪い物はないに違いなかった。
「失礼千万なお客人だな、で、修二郎はどうした。あいつはここに来ないのか。来ないならなんでだ?」
その鍋毛玉は鼻を鳴らし、あたりを見回す。そして見上げてくる瞳には、妙に年くった色があった。
そこで彼女は、彼女の死んだ祖父の名前を、この鍋毛玉がさっきから連呼しているとようやく気付いたのだ。
「修二郎って……森泉修二郎のこと? じいさんの?」
「なんだ、似た匂いだとおもえば孫か、よく見りゃおでこがそっくりだ。孫がどうしたんだ? 修二郎は?」
「……この前天寿を全うした」
かろうじていった彼女に、鍋毛玉はしばし沈黙し、呟くように言った。
「そうだな、そういう寿命だった。あいつは飯に気を付けさせてたから、変に病気はしなかったからな」
その声には悼む色が乗せられていた。作り物じゃなく、本当に森泉修二郎を悼む声。
資産家の死亡を、収集家の死亡を、弔うのではなくてただ一人を弔う声だった。
この変な物は、悪い物ではなさそうだ、とそこで彼女は感じた。
「……私は、ここを分配された、ここの持ち主よ」
「修二郎の秘密の厨は、孫の一人に残されたってわけか。まあ壊されるよりゃずっといいわな」
鍋毛玉はうんうんと頷き、やおら二本足で立ち上がった。
立ち上がれるの!? と思う外見だったのに、軽々と立ち上がりやがった。
何から何まで規格外の存在だ。
呆気にとられた彼女に、その鍋毛玉は頭を下げて、ちょっと気取った一礼をした。
「ようこそ、修二郎の厨に。おいらは見ての通り、鍋狸、名を分福茶釜」
「なべだぬき?」
聞いた事など一回もないに違いない種族名だ。
「おいらを一目見て、修二郎がそう種族名を付けたんだぞ。お前は鍋狸だってな」
なべ、たぬき。あとで狸を調べようと彼女は決意し、相手が自己紹介じみた事をしたのならこちらも、と口を開いた。
「はじめまして……? 私は加藤鶴」
「加藤? 修二郎は森泉だろう」
「両親が離婚した……加藤は母の姓で」
「ああ、そうか。んじゃあつるだな、つる」
鍋狸は遠慮がないようで、さっそく彼女を呼び捨てで呼び始める。
じいさんと似たような年齢ならありうる、と鶴は頭の片隅で思った。
だから失礼とか、思っちゃいけないのだ、と心に言い聞かせてみた。何とか納得する。
鍋狸分福茶釜は、ダイニングテーブルを見てふんふん、と鼻を鳴らした。
「つる、ここに来てさっそく何食べるんだ? 修二郎は何でもおいらに分け前をくれたんだ」
鍋狸は言いつつ、鶴がダイニングテーブルに並べた総菜に注意を向ける。
見えてないだけで、よだれ垂らしてんじゃないかな、と思わせる言動だ。
この調子だと間違いなく、分け前よこせと言われるに違いない。
なぜこれに。今日のご飯を分けなければならないのだろう。
鶴はいやだと言おうとして、ふと、この鍋狸は人間の基準を、全部じいさんにしていたかもしれない、と思い当たった。
じいさんが分けてくれたから、当然彼女もくれると思っているかもしれない。
嫌だと言ったら、きっと悲しい顔をするんだろう。
じいさんの事を、心底悲しんでくれた相手は。
鶴は唇を舐めて、言葉をより分けた。
「温めたら」
その思い込みを否定するのもなんだか、可哀想な気がした。
この鍋狸には、じいさんしかいなかったのだ。
そう思ってしまうと、やらない、なんて言えなかった。
まして、相手はじいさんの死を心の底から悼んでいて、そこら辺の人間よりずっと優しかった。
「温める、だったらこれな」
鍋狸は、機械竈の下に組み込まれていた調温家雷を示す。
そこで鶴は何度目かわからないが、ぎょっとした。
「これ何年か前に最新モデルとして登場したやつなのに」
こんなおんぼろ家にどうやって組み込んだのだ。
友達の家などでだって一回も見た事のない、低燃費の家雷である。
「修二郎は新しい料理家雷が出てくると、買って試して、相性が悪かったら仲間に譲ってたんだ」
だからこれは、修二郎が気に入ってたやつだぜ、と自信満々に言う鍋狸。
鶴は慎重に、その調温家雷を操作した。
最新式なのに、飛び切り使い方がシンプルと評され、余計な設定もない、本当に温度調整に特化したそれ。
くるりと回すダイヤル式の操作は、感覚的に使いやすいものだろう。
ほどなく温められた総菜を取り出し、温度を確かめる。
湯気もほこほこと立っていて、程よい温まり方になっている。
さすが最新モデルと謳われただけあって、仕事が秀逸だ。小皿はどこにしまわれているんだろう。
鍋狸に取り分をよそるためだ。
それに素早く気付いたのだろう。鍋狸はテーブルの上から棚の方を指さした。
指させるんだ、とそこに感心してしまう。
「皿はこっちの棚。箸と箸置きはこの引き出し、匙と肉刺し、切り分け小刀はここ」
説明をする相手は、完全にこの家の物の位置を覚えていた。
実際に引き出しを開けたり、食器棚を開けてみれば、一人で使うにはあまりに多すぎる食器が入っていた。
「多くない?」
じいさんは色々な物の収集家だった。でも、こんなに持っているなんて想定外だ。
どれを使っていいのかわからない。
だが、ここの物は全部鶴の物になったのだ。
どれを使ったって怒られやしない。
「修二郎は食べ物によって食器は全部変えてたぜ、美味しいように食べるためとか。あ、これ修二郎がプリン専用って決めてた陶器の匙。極限まで口当たりを薄くするように、窯元に無茶したシリーズな」
裏が透けて見えそうなくらいに薄くされた陶器の匙を見せながら、鍋狸は思い出を語る。
「じいさん情熱の注ぎ方が……もう何も言えない」
言いつつ、適当な取り皿と箸を掴む。総菜の三分の一をよそってやれば、狸はダイニングテーブルに並べたそれの前に座った。
「おうおう、出来合いの砂糖がたんまり入っている匂いがする。家主、健康に気を遣うなら、砂糖と塩の量を考えた総菜選べよ?」
なんでこんなのに、そんな事の説教をされるんだと思いつつ、鶴は食べ始めた。
相手はなんと自分専用の食器があるらしい。鶴と同じように食器を操り、食べている。
「出来合いの完成された味がするなあ。ましな方だけど温め直しておいしいように作ってないからそこがだめだな」
「……分福茶釜は舌が肥えすぎてない?」
鶴はこれでもおいしいと思うのに、なんでそんなにだめだしが出来るんだろう。こんなに偉そうに。
「修二郎と付き合いが長くて、うまいものたらふく食べて、諸国漫遊とかしたからじゃないか? あいつは遠くに行くときは必ず、おいらも連れて行ったから」
こんな奇怪な物を抱えて歩けば、それなりに目立つだろう。
じいさんの列伝の中に、そんなものはなかったような……と記憶をあさる鶴に、鍋狸は皿に何も残らない位綺麗に食べてから、告げた。
「あいつの幸せを、おいらは一番近くで見守ってたんだ」
優しい音は、じいさんよりも先に天国に行ってしまった、ばあさんにも向けられている気がした。
それ自体は平和な話だったのだが、ここからが問題だった。
彼が収集した珍品の数は数千。美術品から民芸品から、一見してガラクタのような品から、なにから。
美食家と言う気質からだったのか、食器なども相当な数を収集しており、好事家たちからすれば垂涎物の品物も多く所持していたという。
噂によれば、伝説と言われた職人の一点物のカトラリィを持っていた、幻ともいわれる皿を持っていたなどと言うものがある。
そんな中でもひそひそと、声高にではないが噂されている話がある。
森泉修二郎は、違法魔術が付加された品を手に入れていた。
「爺様が死んで遺産分配って聞いてたんだけど、なんで私だけこんながらくたばっかり押し付けられるの!」
とある豪華な屋敷で、女が明らかに肉親らしい周囲に文句を言う。
彼女に渡されているのは分配される遺産のリストらしいが、その中身に不満があるようだ。
「家を出たお前にも、与えてやろうっていうのに何を言うのだか」
年配の女性が彼女に言う。
そこを言われると弱いのか、彼女はぐっと黙るかに見えたが、黙らなかった。
「ゴミばっかり押し付けるんじゃないよ! そっちはすごい高価な物ばっかり持って行くのに、私には一っつもいい物がないじゃない!」
「これは皆で話し合って決めた事なんだから、お前が文句を言うな」
男性も彼女に言う。それに食ってかかる彼女。
「皆って私参加してないじゃないか! のけ者にしてごみの処分とかふざけないでよ!」
彼女はいかにリストの中身がガラクタばかりか言うのだが、その意見は聞き入れられない。
最終的には、呆れかえったような声でこう言われる始末だ。
「一軒家を渡されただけでもありがたいと思えばいいだろう、お前この前貸家を追い出されたんじゃなかったのか」
「使ってた部屋を大家が勝手に別の人に貸したの! 家賃ちゃんと払ってたのに!」
「これは公式文書としてしっかり提出したんだ、お前が今更ぐちぐち言うな」
びしりと突き出された、分配の書類である。きっちりと、公式のハンコまで押されてしまっている。
ただ文句を言って覆せるわけもない。
彼女は憤懣やるかたないという顔だったが、一つ念を押した。
「この分配された一軒家は、確実に私の物であっているのよね? 土地も所有権も何もかも」
「そうさ、あんなあば……少々古い家だからね、子供がいる家庭では使い勝手が悪くて」
「いまあばら家って言いかけたでしょ」
彼女はじろりとにらんだものの、これ以上文句を言っても何も変わらないと、分かっていたらしい。
非常に不承不承頷いた。
この女以外は、己の分配されたものに文句がないようだ。
当たり前かもしれない。女以外は平等に、貴重品などが配られているようなのだから。
となるとこの女は明らかに、貧乏くじを引いたゴミ処理なのだろう。
「さて、遺産分配の会議はこれで解散だ、さっくり決まってよかったよかった」
立ち上がったのは議長になった男、おそらく当主格である。
一方女は思い切り睨み付けながら、ぶぜんとして足音高く、その家を出て行った。
荷物は小さなトランクケース一つ分、女性の荷物としては間違いなく少ない方だ。
女は苛々とした足取りを隠すことなく歩き、延々と街の街路を歩いている。
「いくら鼻つまみ者扱いとわかってても、ゴミを渡されるとは思わなかった」
小さな声でいう彼女は、街路がどんどん雑になり、草が生えるようになり、とうとう石畳もなくなったあたりで足を止めた。
その場所に、一軒の家があったからだ。
家……である。断じて物置ではないと言いたい。
しかし見た目からして相当に古く、手入れもされていないひどい場所だ。
間違いなく雨漏りをしているだろう。
そしてぬりかべには穴が開いており、中のがらくたが積まれた様子が分かった。
とかくもう、これは断言したっていいだろう。
彼女は思わずつっこんだ。
「これ、絶対家じゃない」
このやろう、こんな所を押し付けて! と思った彼女であるが、もうここしか彼女が寝泊りできる場所はない。ここは旅籠が集まる区画からは遠く、街路を引き返していっても、宿泊の受付時間には間に合わない。
今日はどうあがいても、ここに寝泊りするほかないのだ。
彼女はじっと建物を見た後、事前に渡されていた古めかしい鍵を錠前に差し込んだ。
がっちゃんと音が響き、鍵の開く振動が伝わる。
息を吸い込み、中で何が起きていても悲鳴をあげない覚悟を決め、彼女は家の中に入って行った。
********
「……何なんだろう、この家」
彼女は、本日何度目かわからない言葉を繰り返し、家のなかを確認して回る。
外側は非常にぼろかった。外から見回す限りでは、間違いなくがらくたばかりが詰め込まれた廃屋に等しかった。
しかし中に入ると意外と……意外な程丁寧に作られている。
面積はかなり狭い物だが、倒壊しそうと思わせるいう外側とは裏腹な造り込みかただ。
そしてそこにみっちりと、みっちりと詰め込まれている得体のしれない物の山。
「用途が不明すぎるものばっかり……なんで鍋だけで軽く十個近くあるの」
彼女は料理に関しては一般程度の知識しかなく、多数の鍋の正しい用途が分からなかった。
それ位に、多いのだ。多すぎる。鍋にフライパンに中華鍋に……鍋と言う鍋が集まったかのような世界。
そこに調理用のボウルやら調理器具やらが、ダメ押しよろしく置かれている。
一見してゴミをぶち込んだ物置。とにかくもう、押し込んで押し込んだような状態。
しかし建物の造りがそれを裏切るのだ。
何なんだ一体。
彼女は息を吐きだした。家の間取りをしっかりと確認しただけで、もう、疲れ切ってしまうくらいに、実家からここまでの距離は遠かった。
多分騎獣とかを使えばもっと楽に行き来が出来るんだろうな、とは思う物の、怒りに任せて歩き出した結果、借りるのを忘れたのだ。
それのせいでとても疲れた。
ややぼろっちいカーテンの向こうを見ればもう夜だ、そろそろ眠ろうと台所の電球のネジを回せば、かりりりと音がして雷球が灯りを放つようになる。雷気は通っているらしい。
取りあえず物を置くため、間取りの中で一番広かった空間だけは軽く掃除をした。ざっと埃を払ってみるとやけに大きなダイニングテーブルには椅子が二脚存在し、来客の事が考えられているのだろうかと思わせた。
しかし椅子も高価なものとは言えない古ぼけたものだ。
ただ使い込まれて磨かれていた形跡が、あるだけ。
丁寧に、大事にされていた痕跡がうかがえるばかりだ。
ここに来客なんてあったんだろうか。
誰も座っていないならば、これだけ椅子の座面が擦り切れるわけもない。
つまり誰か来客が度々あったのだ。
だが今それを問題にするのは面倒くさい。
さらに言うと、この家寝室がなかった。寝室何処だよ、と間取りを確認して回っても、それらしき空間がなかったわけである。
本当に使えない謎の家だ。
爺様の遺産だけど、なんでこんなとこ、長い間残しておいたんだろう。
そんな風に思う位、価値がないように思えたのだ。
「寝袋を持っていてよかった」
締めきったぼろやは、まっとうな布団があるとも思えない。
あっても黴が生えたり虫が湧いたりしているはずだ。
仕事のために持っている、野外泊で使う寝袋があって、本当に良かった。
彼女は呟き、取りあえず食事をしようという事で出来合いの総菜をダイニングテーブルに並べた時だ。
「修二郎じゃねえな、客か?」
背後から妙に親しげな声がかけられ、彼女は総菜のトレイをひっくり返すところだった。
危ない所だった。このトレイは返品しなければならないものなのだ。
何とかしっかりと、トレイとその中の総菜を守った彼女は振り返り、誰もそこにいないので悲鳴を上げた。
「だ、だれっ!?」
誰もいない。だって玄関からも窓からも、誰も入ってこなかったのだから。
絶対に、声がかけられるわけがない。
しかし。
「ここにいるじゃねえか、見てくれよ!」
「え、ええっ!?」
大混乱でパニック一歩手前の彼女は、何とか声のした方に目をやる。
そこには、なんとも形容しがたい物があった。
形容しがたいもいい所、一体誰がこんな物を思い付くだろう。
「胴体が鍋の毛玉……」
「しっつれいだなぁ、お客人。修二郎がおいらの事だってちゃんと教えてないのか? そんな手際の悪い事するやつじゃねえんだが、耄碌したか? ついに!」
豪快な笑い声が響く。響かせたのは珍妙な毛玉。
その毛玉は、胴体が鍋だった。鍋にしては浅いが、フライパンと言うには深い。そして底は平らなのだが、縁はくるりと丸いのだ。そんな胴体に合体する、背中のような透明な蓋。
手足がくっついていて、それは毛深い茶色。
犬によく似た、でも絶対に犬ではない、狐なんてもってのほかのような小さな耳の、その生き物は目の周りが黒々としている。
未知の生き物だった。こんなもの古今東西聞いた事もなければ、見た事もない。
「は、舶来品だって聞いた事ない……」
変な物が数多く存在するという舶来品でも、こんな見た目の悪い物はないに違いなかった。
「失礼千万なお客人だな、で、修二郎はどうした。あいつはここに来ないのか。来ないならなんでだ?」
その鍋毛玉は鼻を鳴らし、あたりを見回す。そして見上げてくる瞳には、妙に年くった色があった。
そこで彼女は、彼女の死んだ祖父の名前を、この鍋毛玉がさっきから連呼しているとようやく気付いたのだ。
「修二郎って……森泉修二郎のこと? じいさんの?」
「なんだ、似た匂いだとおもえば孫か、よく見りゃおでこがそっくりだ。孫がどうしたんだ? 修二郎は?」
「……この前天寿を全うした」
かろうじていった彼女に、鍋毛玉はしばし沈黙し、呟くように言った。
「そうだな、そういう寿命だった。あいつは飯に気を付けさせてたから、変に病気はしなかったからな」
その声には悼む色が乗せられていた。作り物じゃなく、本当に森泉修二郎を悼む声。
資産家の死亡を、収集家の死亡を、弔うのではなくてただ一人を弔う声だった。
この変な物は、悪い物ではなさそうだ、とそこで彼女は感じた。
「……私は、ここを分配された、ここの持ち主よ」
「修二郎の秘密の厨は、孫の一人に残されたってわけか。まあ壊されるよりゃずっといいわな」
鍋毛玉はうんうんと頷き、やおら二本足で立ち上がった。
立ち上がれるの!? と思う外見だったのに、軽々と立ち上がりやがった。
何から何まで規格外の存在だ。
呆気にとられた彼女に、その鍋毛玉は頭を下げて、ちょっと気取った一礼をした。
「ようこそ、修二郎の厨に。おいらは見ての通り、鍋狸、名を分福茶釜」
「なべだぬき?」
聞いた事など一回もないに違いない種族名だ。
「おいらを一目見て、修二郎がそう種族名を付けたんだぞ。お前は鍋狸だってな」
なべ、たぬき。あとで狸を調べようと彼女は決意し、相手が自己紹介じみた事をしたのならこちらも、と口を開いた。
「はじめまして……? 私は加藤鶴」
「加藤? 修二郎は森泉だろう」
「両親が離婚した……加藤は母の姓で」
「ああ、そうか。んじゃあつるだな、つる」
鍋狸は遠慮がないようで、さっそく彼女を呼び捨てで呼び始める。
じいさんと似たような年齢ならありうる、と鶴は頭の片隅で思った。
だから失礼とか、思っちゃいけないのだ、と心に言い聞かせてみた。何とか納得する。
鍋狸分福茶釜は、ダイニングテーブルを見てふんふん、と鼻を鳴らした。
「つる、ここに来てさっそく何食べるんだ? 修二郎は何でもおいらに分け前をくれたんだ」
鍋狸は言いつつ、鶴がダイニングテーブルに並べた総菜に注意を向ける。
見えてないだけで、よだれ垂らしてんじゃないかな、と思わせる言動だ。
この調子だと間違いなく、分け前よこせと言われるに違いない。
なぜこれに。今日のご飯を分けなければならないのだろう。
鶴はいやだと言おうとして、ふと、この鍋狸は人間の基準を、全部じいさんにしていたかもしれない、と思い当たった。
じいさんが分けてくれたから、当然彼女もくれると思っているかもしれない。
嫌だと言ったら、きっと悲しい顔をするんだろう。
じいさんの事を、心底悲しんでくれた相手は。
鶴は唇を舐めて、言葉をより分けた。
「温めたら」
その思い込みを否定するのもなんだか、可哀想な気がした。
この鍋狸には、じいさんしかいなかったのだ。
そう思ってしまうと、やらない、なんて言えなかった。
まして、相手はじいさんの死を心の底から悼んでいて、そこら辺の人間よりずっと優しかった。
「温める、だったらこれな」
鍋狸は、機械竈の下に組み込まれていた調温家雷を示す。
そこで鶴は何度目かわからないが、ぎょっとした。
「これ何年か前に最新モデルとして登場したやつなのに」
こんなおんぼろ家にどうやって組み込んだのだ。
友達の家などでだって一回も見た事のない、低燃費の家雷である。
「修二郎は新しい料理家雷が出てくると、買って試して、相性が悪かったら仲間に譲ってたんだ」
だからこれは、修二郎が気に入ってたやつだぜ、と自信満々に言う鍋狸。
鶴は慎重に、その調温家雷を操作した。
最新式なのに、飛び切り使い方がシンプルと評され、余計な設定もない、本当に温度調整に特化したそれ。
くるりと回すダイヤル式の操作は、感覚的に使いやすいものだろう。
ほどなく温められた総菜を取り出し、温度を確かめる。
湯気もほこほこと立っていて、程よい温まり方になっている。
さすが最新モデルと謳われただけあって、仕事が秀逸だ。小皿はどこにしまわれているんだろう。
鍋狸に取り分をよそるためだ。
それに素早く気付いたのだろう。鍋狸はテーブルの上から棚の方を指さした。
指させるんだ、とそこに感心してしまう。
「皿はこっちの棚。箸と箸置きはこの引き出し、匙と肉刺し、切り分け小刀はここ」
説明をする相手は、完全にこの家の物の位置を覚えていた。
実際に引き出しを開けたり、食器棚を開けてみれば、一人で使うにはあまりに多すぎる食器が入っていた。
「多くない?」
じいさんは色々な物の収集家だった。でも、こんなに持っているなんて想定外だ。
どれを使っていいのかわからない。
だが、ここの物は全部鶴の物になったのだ。
どれを使ったって怒られやしない。
「修二郎は食べ物によって食器は全部変えてたぜ、美味しいように食べるためとか。あ、これ修二郎がプリン専用って決めてた陶器の匙。極限まで口当たりを薄くするように、窯元に無茶したシリーズな」
裏が透けて見えそうなくらいに薄くされた陶器の匙を見せながら、鍋狸は思い出を語る。
「じいさん情熱の注ぎ方が……もう何も言えない」
言いつつ、適当な取り皿と箸を掴む。総菜の三分の一をよそってやれば、狸はダイニングテーブルに並べたそれの前に座った。
「おうおう、出来合いの砂糖がたんまり入っている匂いがする。家主、健康に気を遣うなら、砂糖と塩の量を考えた総菜選べよ?」
なんでこんなのに、そんな事の説教をされるんだと思いつつ、鶴は食べ始めた。
相手はなんと自分専用の食器があるらしい。鶴と同じように食器を操り、食べている。
「出来合いの完成された味がするなあ。ましな方だけど温め直しておいしいように作ってないからそこがだめだな」
「……分福茶釜は舌が肥えすぎてない?」
鶴はこれでもおいしいと思うのに、なんでそんなにだめだしが出来るんだろう。こんなに偉そうに。
「修二郎と付き合いが長くて、うまいものたらふく食べて、諸国漫遊とかしたからじゃないか? あいつは遠くに行くときは必ず、おいらも連れて行ったから」
こんな奇怪な物を抱えて歩けば、それなりに目立つだろう。
じいさんの列伝の中に、そんなものはなかったような……と記憶をあさる鶴に、鍋狸は皿に何も残らない位綺麗に食べてから、告げた。
「あいつの幸せを、おいらは一番近くで見守ってたんだ」
優しい音は、じいさんよりも先に天国に行ってしまった、ばあさんにも向けられている気がした。
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