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三章 ミコという名前

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「身体が治せても、ヒタオが出てしまっている。呼び戻さないと!」
 タバナが焦っている。
 普通なら、なにそれ意味わかんないしと言いたいところだが、残念ながら今の私には分かりすぎる。ヒタオの身体に、ヒタオがいないのだ。
 あの時の私と同じ。洞窟で、意識だけが空に浮かんでいた私のように、ヒタオの意識が飛んでいってしまっているのだ。まだ消えていないと思いたい。すぐに探して、連れ戻さないと!
 と思ってから、ふと、あの時の私も、もしかすると死にかけてた……? と、思いいたった。
 タバナが連れ戻してくれたから、生きているのかも知れない。

 集中だ。集中。
 タバナが意識を飛ばすのに合わせて、私も一緒に飛べたら、きっと、ずっと楽だし、ちゃんと出来る。無意識じゃなく意識的にやれば、自分の身体に戻れる。そのためにもヒタオの身体は、しっかり掴んでおかないと。
 身体は、大丈夫だ。血が足りないし肉もかなり削れたけど、穴は塞いだ。壊れた内臓も修復できたし、血管も繋いだから機能するはず。
 身体の主が戻って来れば。
「生命」の入ってない身体が、勝手に生きる訳はない。中身を入れないと。
 抱きしめるけど、ヒタオの身体は脈打たず、どんどん冷たくなっていく。いや死後硬直とか早いんじゃね? ちょっと待って!

「タバナ!」
 引きずられるように、もしくは追いかけるように?
 私の意識が自分の身体から放れた。だんだん要領が分かってきた気がする。最初の時より、早くすんなり幽体離脱できてる。
 タバナの意識が、そこにしっかり『在る』からだ。おかげで見失わないで済む。タバナのことも、自分のことも。
 浮遊する意識。
 浮かび上がって見えた景色は一瞬、ムラのものだった。空に浮かんだ感覚がした。
 が、すぐにへ意識が飛んだ。見えないのに感じるし、見えないのに明るい、不思議な空間だ。いや空間なんてない。存在はしてない。でも、そこに『在る』。
 奇妙な、意識だけの世界。
 なのに自分ではない存在は、個体として、そこに在る。タバナ。ヒタオ。

 ヒタオ!

「駄目、待って!」
「カラナ!」
 タバナが私を後ろから押した。少なくとも、そんな意識を感じた。
 飛んで行ってしまうヒタオに追いつこうと、私を虚空に投げやがったのだ、こいつ。自分の嫁を守るためなら、私をむげに扱うぐらい、なんでもないらしい。いやまぁタバナらしいけどね。
 私だって追いつきたい。
 行かせたくない。
「待って、戻ってきて! ヒタオ!」
 必死で叫ぶ。イメージ。実際には声なんて出てないし、相手の耳にも入っていない。入っていくのは、意識の中に。ヒタオの中に、私の意識が届くかどうかだ。

 果たして願いは……間に合った。
 ヒタオの意識が、私たちを向いたのが感じられたのだ。あとは掴むだけ……と思うも、今一歩届かない。ヒタオはふわりと上がっていく。
「カラナ!」
 タバナの叫びが遠い。すでにタバナは、遥か下方だ。ここまでは上がって来れない。私が上がらないと!
 力は私のほうが強いのだ。タバナは力の使い方が上手いだけ。使い方だって、私がちゃんと思い出せば、私のほうが上手くなる。
 タバナの悔しがる、祈るような必死の気持ちが空気を揺らして伝わってくる。ヒタオに向かって、タバナの意識を投げてやりたかった。こんなに愛されてるんだから。早く降りてきてよ!
 思いっきり腕を伸ばすけど、手が届かない。お願い、ヒタオからも手を伸ばして。

 身体が重い。意識が重い。もっと、もっと透明にならないと。自分が消える一歩手前まで。私が誰かも分からないぐらい薄くなれば、軽くなって上がれるから。
 身体を伸ばして意識を飛ばして。もっと高く。もっと軽く。
「カラナ」
 ヒタオの優しい笑みが、見えた。気がした。
「これ以上は来ちゃ駄目」
 掴めないのに、届いてないのに、押し戻されるイメージだけが流れてくる。身体が何かに阻まれて、浮かばなくなる。重い。
「嫌よ、待って、ヒタオ」
 泣きたくなんて、ないのに。どうしても、顔がぐしゃぐしゃになっているように感じられる。
「あなたに会えて良かった」
 そんな言葉を紡ぎながらも、ヒタオの浮上は止まらない。どんどん軽く、薄く、小さく、ヒタオの意識が消えてゆく。融けてゆく。
「カラナをよろしくね」
 という、その言葉は……。
 カラナたる私に向けてではなく、カラナの中の私に向けられた言葉だ。
「え?」
「あなたの本当の名前を訊く暇がないのが寂しいわ」
 笑みを含んだ声を発するヒタオは、ちょっとイタズラっ子みたいなイメージだ。くすくすと笑っている。
 何かを諦めたような、吹っ切れたような、清々しい笑み。どうして。意味わかんない。

 顔が分からないからこそ、中身でもって対峙してるからこそ、カラナじゃない私が、ヒタオの前にさらけ出されている……の、かな。
 ヒタオの意識が、言葉を紡ぐ。
「悔しいわ」と。
「ヒタオ」
「もっと、あなたとお話がしたかった。もっと、カラナとも話したかった。タバナとも、もっと……ああ、タバナ」
 消えてゆく。必死で手を伸ばした。ほんの少しだけ、ヒタオが手を差し伸べてくれたように感じられた。
 わずかに。
 かすかに、指先が触れた。
 気がした。

「元気でね」

 それが、ヒタオの残した最期の言葉になった。
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